【映画】「聖なるイチジクの種」感想・レビュー・解説
いやぁ、これは凄い物語だった。正直なところ、そこまで大きな期待はしていなかったのだけど、ちょっとビックリするぐらい凄かった。本作を観る前の時点で、「自宅に置いていた銃が無くなった」という設定しか知らなかったので、まさかこんな話になるとはという感じ。実際にあった出来事を組み込んでいることも知らなかったし。
実際にあった出来事なのだろうと分かったのは、作中に「スマホで撮影しただろう映像」がかなり組み込まれていたからだ。恐らくあれは、実際の映像を使っているのだと思う。
そして、映像に記録されているのは、作中にも名前が登場したマフサ・アミニという女性の死がきっかけだった。この事件は、本作を語る上で非常に重要なものなので、まずはこの説明からしたいと思う。
物語の舞台はイランの首都テヘラン。イスラム教の国であり、「女性はヒジャブをしなければならない」という、結構厳格なルールがある国だ(イスラム教の国でも、コーランをどの程度守るかには程度の差があり、たぶんイランは厳しい)。
しかし2022年9月16日、「ヒジャブの付け方が適切ではなかった」という理由で、1人の女性が拘束され、その後死亡した。それが、マフサ・アミニである。彼女が警察に襲われているような映像が防犯カメラかなにかに残っており、ネットで拡散、人々は「警察が彼女を殺した」と非難したが、国は「彼女は心臓発作で亡くなった」と発表。そもそも、この死因が真実なのかも分からないが、仮に心臓発作で亡くなったのだとしても、警察が暴行したことがきっかけだと人々は考える(作中の登場人物である姉妹も、そんな言い方をしていた)。そんなこともあり、マフサ・アミニの死は市民の暴動を引き起こし、「独裁者を倒せ!」「女性、命、自由」と言ったスローガンを多くの人が叫ぶようになったのである。
そして、そんな暴動の様子を記録したスマホ映像が、作中で多数使われているというわけだ。
さて、主人公の1人であるイマンはつい最近革命裁判所の調査官に昇進した人物である。作中での説明からイメージするに、検察官のような立ち位置のようだ。そして彼が、「暴動が始まって以降、1日に200~300人もの逮捕者がいる」「起訴するかの判断を1件2~3分でしなければならない」と、その大変さを語っていた。そもそもイランでは、「集会に参加すると懲役5年以下」となるらしく、物を破壊したり人を殴ったりしなくても逮捕されてしまうのだと思う。この点もまた、作中において重要なポイントである。
そして本作は、「革命裁判所という体制側の人間であるイマン」と「イマンの主張を全肯定する妻ナジメ」、そして「SNSを通じて、世間の『体制憎し』の感情に共感するレズワン・サナ姉妹」の3者が、それぞれの立場に立って「正義」を全うしようとする物語である。
ちなみにだが、こんな内容の映画をイランで撮って、監督が無事なはずがない。モハマド・ラスロフは「イラン政府を批判した」という罪で8年の禁固刑とむち打ちの有罪判決が下っていたそうだが(ちなみにそれは、本作ではなく、それより前に撮った映画に関する罪だそうだ)、なんとか国外へ脱出、28日間かけてカンヌ国際映画祭の地へと辿り着き、そこで喝采を浴びたそうだ。彼は以前、パスポートをイラン政府に没収されていたこともあり、秘密裏にイランを出国したという。
さらに公式HPにはこんな文章もある。これを知った上で本作を観ると、また見え方が変わってくるだろう。
【イスラーム共和国の諜報機関が私の映画製作について情報を得る前に、なんとかイランを脱出することができた俳優も多数います。けれども、今もイランには俳優や映画のエージェントがたくさん残っていて、諜報機関から圧力がかかっています。長い取り調べを受けたり、家族が呼び出されて脅されたりした人もいます。この映画に出演したことで、彼らは起訴され、出国を禁じられました。カメラマンの事務所は強制捜査に遭い、機材はすべて押収されました。音響技師がカナダへ出国することも妨害されました。諜報機関は映画クルーの取り調べの際、私にカンヌ国際映画祭からの撤退を促すよう要求しました。クルーに対し、映画のストーリーを認識しないまま私に操られてプロジェクトに参加させられた、と丸めこもうとしていたのです。】
ナジメを演じた女優は、元々活動家としての一面も持っており、恐らく本作の制作とは関係なくイランからの出国が禁じられたそうだし、イマンを演じた役者も元々イランからの出国が禁じられており、共に、本作が出品されたカンヌ国際映画祭には参加できなかったそうだ。そしてさらに、本作に関わった役者やスタッフが、イランで厳しい状況にいるということなのだと思う。もちろん皆、覚悟の上で参加したのだとは思うが、それにしても凄い話だと思う。そして、そう思って振り返ってみると、本作はほとんど室内かテヘランから離れた辺鄙な場所で撮影されており、街中での様子はほぼスマホの映像で代用している、みたいな感じだった。そのことに違和感を抱かせるような内容・構成ではなかったので、そういう制約を上手く利用した作品作りの上手さに感心すると同時に、そんな厳しい状況にあってもなお映画制作を止めない者たちの強い意思みたいなものを感じさせられた。
というわけで、今度は本作の内容をざっくり説明しておこう。
イマンは、20年間勤めた革命裁判所で、念願だった昇進を果たした。これまでは、被疑者を起訴するための証拠集めを行っており、「恨みを買う可能性があるから」と、娘2人にはどんな仕事をしているのか説明できずにいたのだ。正直、調査官も恨まれる存在に変わりはないのだが、昇進したことで3LDKの官舎に住めることになり、妻の勧めもあり、このタイミングで娘に仕事の話をすることにしたのだ。
しかし、母ナジメは娘2人に、「SNSへの投稿は禁止」「付き合う友人は選びなさい」と厳命する。そもそも革命裁判所は市民から嫌われる存在だし、少しでも隙を見せたらすぐに糾弾される。もしものことを考えて「清廉潔白」でなければならない、と母親に対して、大学生のレズワンと高校生のサナの2人はちょっと嫌な顔をする。
さて、念願だった昇進だが、イマンはすぐに厳しい現実に直面させられた。調書が5巻もある被疑者を死刑求刑ですぐに起訴しろ、というのだ。彼は直属の上司であるガデリに「そんなことは出来ない」「20年間真面目に仕事をしてきたのに、調書も読まずに起訴だなんて」と拒絶する。しかしガデリは、手元のメモに「盗聴されている」と書いた後で、イマンを飯に誘うのだ。
ガデリ曰く、ボスはイマンを嫌っており、直属の部下を昇進させようとしたが、最終的に自分が推したイマンが調査官のポストに就くことになったのだそうだ。だから、イマンにはどんなミスも許されない。この起訴状への署名を拒絶したら、イマンだけではなくガデリも失墜するというのだ。広い官舎に移れ、娘たちも喜んでいる中、今の立場を失うことなど出来ない。イマンは、信念を曲げざるを得なかった。
一方、イマンの昇進と時を同じくして、マフサ・アミニの死をきっかけとした暴動がテヘラン各地で発生し始める。テレビは街中での暴動の様子を伝え、サナが通う学校は暴動のため休校となった。そしてさらに、レズワンが通う大学での暴動により、レズワンの唯一の親友であるサダフが顔に散弾銃を被弾し大怪我を負ってしまったのだ。
その少し前のこと。翌日まで寮が閉鎖して行き場のないサダフを自宅に泊めてあげようと連れてきたことがあったのだが、母ナジメはそのことを快く思わなかった。「二度とこんなことはしない」「パパが帰ってきたら寝室から出さないで」と約束させられ宿泊はOKとなったが、そんなこともあり、サダフと母が鉢合わせるのはマズい。家にいたサナが機転をきかせて母を一旦家から遠ざけ、その隙に重症のサダフを家に連れ込んだ。「病院に行ったら逮捕される」「親には連絡しないでほしい」というサダフには、とりあえずの手当てをしてあげることしか出来ない。
暴動は激しさを増し、SNSには警察の横暴を記録した映像が多数アップされる。一方で、国営放送は国に都合の良い情報しか伝えない。暴動の側にシンパシーを感じる姉妹と、革命裁判所で働いているという夫の仕事のこと、そしてそもそも「夫・父親には敬意を払うべき」と考えているナジメとの間に、対立が生まれるようになる。
さらに、暴動発生以降、仕事が凄まじく忙しくなっているイマンは、家族のことを顧みる余裕を失っており、そんなイマンに対してナジメが憤りを抱くようにもなる。家族の幸せのための昇進だったはずが、どんどんとボタンの掛け違いが起こり、家族はどんどんとバラバラになっていく。
そしてそんな状況の中、昇進に伴ってイマンが貸与されていた拳銃が、自宅で紛失したのである。昇進からまだ2週間での拳銃紛失は、そもそも懲役6ヶ月から3年の実刑なのだが、それ以上に信用の失墜が深刻だ。イマンとしては、何が何でも探し出す必要がある。そのため、妻と姉妹を疑い、凄い行動に出ることに……。
というような話です。
とにかく、最初から最後まで「状況の異様さ」や「現実に起こったことの酷さ」、さらに「それぞれなりの『正義』を実現しようとしてすれ違っていく感じ」が絶妙で、圧倒されてしまった。
さて、本作は「実際に起こった出来事」を扱っていることや、「イランという国のイカれた感じ」を映しだしていることなど、その「現実」部分にももちろん圧倒された。しかし、ただそれだけの作品ではない。もしもそれだけの作品であれば、この現実を記録したドキュメンタリー映画(実際にはそんなものは作れない可能性の方が高いだろうが)の方がより強い衝撃をもたらすだろう。しかし本作は、フィクションだからこその凄まじさ、みたいなものにも溢れていた。そして個人的には、そちらの方により圧倒されてしまった感じがある。
そしてその中心にいるのが、妻であり母であるナジメである。
映画を観始めた当初は、「ナジメがイカれている」んだと思っていた。というわけで、しばらくその辺りの説明をしてみようと思う。
例えば、レズワンの親友であるサダフに関しての振る舞いを挙げられるだろう。ナジメは、「寮が閉鎖していて行き場がない」という情報を知りながら、レズワンにサダフを追い出させようとするし、大怪我を負ったサダフに自宅で出来る最低限の手当てこそしてあげはしたものの、その後ナジメはサダフを寮へと帰すのだ。
サダフが散弾銃を浴びた際、レズワンも一緒にいた。そしてだからこそ、レズワンはサダフが無実であることを知っている。大学でたまたま暴動が発生し、それに巻き込まれただけなのだ。しかしレズワンがそう訴えても、「無実なら、大怪我を負わせるような捕まえ方はしない」と、警察の擁護をする。
また、暴動の様子を伝えるテレビを観ている時も、娘たちが「テレビは警察の暴力を報じない」と言っても、ナジメは「テレビが嘘をつくはずがない」と言い返していた。テレビというのは国営放送のことを指しており、当然、政府に都合の悪いことは報じない。そしてナジメはそんなテレビのことを全面的に信じているようなのだ。
夫であるイマンの主張には逆らわないし、それどころか、「私の父親は飲んだくれのギャンブル中毒だったけど、パパは本当に真面目に頑張ってるんだから、もっと敬意を払いなさい」と、娘2人に説教をする始末だ。娘からすれば、「それはそれ、これはこれ」という感じで、母親の言っていることなど全然響かないのだが、ナジメはとにかく、父親に対する娘の態度を改めさせようとするのだ。
本作は一応、「家の中で銃が無くなった」というのがメインの物語だと思うのだが、そこに至るまでとにかく時間がかかる。本作は167分もある大作なのだが、僕の体感では、物語の中盤、80分ぐらいが経過した辺りでやっと銃の紛失が発生するような感じだった。そしてそれまでは、「ナジメと娘2人」、そして「ナジメと夫イマン」の関係性について、様々な観点から掘り下げていくという感じなのだ。
そしてその「銃の紛失」に至るまでのナジメに対する印象は、「ナジメ、ヤベェなぁ」であり、「夫のことを盲信している妻が、世界標準の感覚を持っている娘2人を旧弊な世界へと押し留めようとしている」みたいに見えていたのである。
しかし、その印象は少しずつ変わっていく。
いや、銃の紛失以前から少しずつ予兆はあった。例えば、ナジメがイマンに、レズワンの親友サダフの話をしている場面でのこと。レズワンに対しては「無実なら、大怪我を負わせるような捕まえ方はしない」と言っていたナジメは、サダフを助けてほしいとイマンに頼む過程で、「彼女は本当に無実なのよ」と口にするのだ。僕は「えっ?」と思った。全然違うこと言ってるじゃん、と。正直この時点ではまだ、ナジメがどういう人物なのかよく分かっていなかった。
そして、銃の紛失騒ぎがあり、イマンがメチャクチャに追い詰められていく過程で、徐々にナジメのスタンスが理解できるようになってくる。彼女がどうして「イカれているように見える振る舞い」をしていたのか、その理由についてはここでは詳しく書かないものの、ラストに近くなったタイミングでナジメが娘2人に「◯◯だから」とその真意を説明するセリフには、「なるほどなぁ」と感じさせられた。そういうことであれば、それまでの「理解不能に思えたナジメの振る舞い」に一本の筋が通るような気がする。ナジメはイカれていたわけではなく、家族の中で誰よりもまともで、誰よりも常に頭を使い、誰よりも「最善の状況」がもたらされるように振る舞う人物だったのだ。
そしてその事実が明らかになることによって、物語の全体像も少し違って見えてくるように思う。
物語の前半からしばらくは、「『罪を犯した者を正しく裁く』ための一助として20年間真面目に働き続けてきた男が、『合理性があるとは思えない死刑判決』を度々強要されるなど辛い状況に置かれながらも、どうにか自分なりの『正義』と折り合いをつけようとする物語」という印象を持っていた。しかし、ナジメが発した「◯◯だから」という理由、そして後半のイマンの狂気的な振る舞いから、「そうではなかったこと」が分かってくるのである。
この点についても詳しくは触れないものの、この話に関係するだろうやり取りが何度か家族内でなされていた。それが「神と法律の話」である。
イスラム教は基本的にコーランを絶対の教えとしている宗教のはずで、法律もそれに則っているのだと思う。イランでよく「むち打ち」という刑罰が出てくるのも、コーランにそう記載されているからだろう。つまり、日本で言う「憲法」だけではなく、「民法」や「刑法」さえもコーランの記載に準じているというわけだ。
だからこそ、父と娘の間で次のようなやり取りが行われることになる。
【姉妹「もし法律が間違っていたら?」
イマン「神は正しい」
姉妹「『神の法律』だという根拠は?」】
僕の記憶では確か、姉妹がそう言った後でナジメが「パパに逆らうんじゃない」みたいなことを言ってやり取りが終わった気がする。
このやり取りから理解できることは、「イマンは『神の教え』=『コーラン』=『法律』と捉えていること」「姉妹はそもそも『コーラン』が『神の教え』であることを疑っている」ということだと思う。
僕はそもそも、イスラム教云々ではなく「宗教」というものに対する嫌悪感があるので、やはり姉妹の感覚に共感してしまう。しかしその一方で、「信仰」というのがイマンのような態度によって長い間継続してきた、ということも理解しているつもりだ。数学では、「証明無しで正しいとみなす知識」を「命題」と呼び、「命題(と定理)の組み合わせによって正しさが証明されたもの」を「定理」と呼ぶが、イマンはコーランを「命題」だと捉えている。彼にとってはそれが当然のことであり、というか、「そう理解しない娘たち」のことが理解できないのだと思う。
別の場面でもイマンはこんなことを口にしていた。ある事情から、ナジメとイマンはサナに対し、「髪を青くしてもいいし、爪も塗っても良い」と提案するのだが、その後でイマンが、「サナは髪を青くしたいのか」と嘆息する。ナジメが「時代が変わったのよ」と夫に言うのだが、それに続けてイマンは、
【でも神は変わっていない。神の法もだ】
と言うのである。この発言もまた、「コーランを絶対視していること」が伝わるものだと言えるだろう。
イマンのこの態度は、明らかに、「イランという国を率いている者たちの考え方」を表現していると受け取るべきだろう。作中ではデモ隊のシュプレヒコールとして「神権政治打倒!」という言葉が出てくるのだが、この「神権政治」というのはつまり、「コーラン(イスラム教の教え)を、国家として『正しいもの』とみなす」という意味だと思う。そして、そんな国家のあり方にそもそも若者たちはついていけなくなっているというわけだ。
そんな縮図を、「父親と娘の対立」によって浮かび上がらせているし、そしてそんな両者を絶妙なバランスで(初めはそうは見えないかもしれないが、映画を観終わるときっとそう感じるはずだ)繋ぎ止めようとするナジメが、ある種「イランの中間層」的な存在として描かれているのだと思う。そして、そんなナジメが「夫との関係」「娘との関係」で揺れ動く様が、「イランという国のぐらつき」を表現している気がして、そんな「『家族』という極小の世界の中で、イランという特殊な国家のあり様を映し出している」みたいな構成も見事だったなと思う。
そう捉えると、映画のラストの「狂気的な展開」は、「イランという国家の混乱そのもの」を映し出しているような感じもあって、「家族の物語」として捉えるとマジで意味不明でイカれているとしか思えないのだが、たぶん「イランはこんなにヤバいぞ!」という監督・制作陣の叫びなのだと感じさせられた。
そんなわけで本作は、とにかく先の展開がまったく読めないフィクションの部分も凄くよかったし、現実をリアルに映し出すドキュメンタリー的なところも良かった。フィクション部分の核となるはずの「銃の紛失」が全然描かれないとか、「誰が銃を盗んだのか?」で引っ張るのかと思いきや案外そうでもなかったりとか、ナジメの印象がどんどん変わっていく驚きとか、色んなものが詰め込まれていて凄かったなと思う。
あと、これも詳しくは触れないが、「ある人物が銃を持ってある人物と対峙する」みたいなシーンが、ラストのラストで出てくる。こういう場合、僕は普通「撃つなよ!」と思いながら観ていることが多いはずだ。物語的なセオリーで言えば、「撃ちたくはないが撃たなければならない」みたいな葛藤がそういうシーンには内包されているはずだし、だからこそ観客としては「撃つなよ!」と思いながら観るのが真っ当なのだと思う。
ただ本作では、そんな普段の自分の感覚とはまったく逆で、「撃て!撃て!撃て!」と思いながら観ていた。自分でも結構驚いたが、でも恐らく、そう感じるのが自然なシーンだったんじゃないかなという気もする。
さて最後に。映画のタイトルにもある「聖なるイチジク」についてだが、冒頭でこんな説明が表記される(これはメモし切れなかったので、文面はネットで拾った)
【聖なるイチジクの木の一生は独特だ。種子は鳥の糞に混ざり、他の木に落ち、発芽すると地面に向けて根を伸ばす。そして宿主の木に枝を巻き付け、締め上げ、最後には独り立ちするのである。】
調べてみると、イチジクは「仏教やヒンドゥー教で聖なる木とされる」「エデンの園にあった果物で、『原罪』のシンボル」なんて話は出てくるのだが、イスラム教においてどんな意味を持つのかはよく分からなかった。正直、本作において「聖なるイチジク」が何を指しているのか、そしてその「種」とは何なのか、僕にはよく分かっていない。ただ、何となく惹きつけるタイトルではあるし、「宿主の木に枝を巻き付け、締め上げ、最後には独り立ちする」という説明も、本作となんとなく符合していく感じもある。
非常に興味深い作品だった。
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