【本】ベン・ライター「アストロボール 世界一を成し遂げた新たな戦術」感想・レビュー・解説
本書は、「野球」と「ビッグデータ」の話だ。
と書くと、それだけで、興味の失せる人がたくさんいるだろう。
しかし本書は、「直感」や「運」の物語でもある。
【「人間が気づくことは、人間が数値化できる」シグは言う。「数値化できれば、そこから学ぶことができる」】
これが本書を貫く考え方の一つの軸だ。本書はまさに、「ビッグデータ」を活用して「野球」の世界に革新をもたらした者たちの物語だ。
しかし彼らは、データ至上主義だったわけではない。
【アストロズがコンピューターだけで球団運営を行っていたら、プエルトリコ出身の高校生のショートをドラフトで指名しなかっただろうし、身長168センチの二塁手を入団させなかっただろうし、40歳のフリーエージェントの選手と契約しなかっただろうし、年俸200万ドルを支払わなければならない30代半ばの投手をトレードで獲得しなかっただろう】
この文章の意味は、本書を読めば理解できる。アストロズという球団を運営していたのは、データ分析の専門家たち、つまり技術者たちだ。野球は好きだったが、野球の経験がきちんとあるわけじゃない。そんな男たちが、野球の世界に革命をもたらしたことが過去にもあった。その話は、本書の中にも頻繁に登場する『マネー・ボール』という本に詳しく書かれている。
しかし、『マネー・ボール』では、データがあまりにも重視されすぎていた。
【『マネー・ボール』では、スカウトたちは主に抵抗勢力として描かれており、進展の前に立ちはだかる間抜けで時代遅れな人間だと扱われていた】
僕も『マネー・ボール』は面白く読んだ。ちゃんと覚えていないが、確かに、スカウトを「敵」のように描いていた記憶はある。日本でもスカウトという職はあってイメージできるだろうが、大リーグでも、スカウトと呼ばれる人たちが、全米を、時にはアメリカ国外にも飛び出して様々な選手を見て、自分の目で良い選手を引っ張ってくる。
確かに、人間の判断はファジーだ。本書に、「行動経済学」という分野を立ち上げた二人の心理学者の話が出てくる。
【2人の主張によると、かなり複雑で多属性の意思決定、例えば野球選手の評価方法や結婚式のプランの立て方などに直面した時に限って、人間が非合理的な選択を下すのには、認知バイアスに原因があるという。人間が全体的な問題の中の薄っぺらい一部の断片―「利用可能性」と呼ばれる、気持ち的に満足度が高くて、しばしば最近の出来事の記憶―だけに基づいて判断を下す心的なショートカット、すなわち「ヒューリスティック」に依存しているのは、人間の脳が問題の全貌を認知的に評価できないようにできているためだ】
アストロズの立て直しに貢献した、GMであるルーノウと、データ分析の責任者であるジグは共に、野球の世界に入る前にこのことを自らの体験として実感している。
【アーキタイプ・ソリューションズというアパレル会社では、J・クルー、ランズエンド、トミーヒルフィガーなどのブランドの顧客たちが、自分でサイズを測って各ブランドのウェブサイトに入力した数字に基づいて、ぴったり合う服をデザインできる仕組みを作った。ここでルーノウは、シグがブラックジャックのテーブルで発見したのと同じことを学ぶ。顧客たちが結果的に自分のためにならないような行動を取ることが、それなりにあるという事実だ。問題になったのは、顧客たちが自己申告するサイズの数字がしばしば間違っている―ほとんどの場合は小さすぎるという点で、そのせいでオーダーメイドのはずなのにウエストが細すぎて入らないジーンズができてしまったりする】
少し触れられているように、シグもカジノのディーラーのアルバイト時代に、同じことを理解している。
人間が判断する以上、「認知バイアス」から逃れられない。だから、スカウトの判断のみによるスカウティングではうまくいかない。しかし、データがあればいいというわけではない。本書は、まさにこの点に関する本だ。
【ここで重要なのは、彼らがビッグデータの欠点についても認識していたことで、それについて世間一般では、まだようやく取り組み始めようとしている段階だった。ある意味では、それが本書のテーマに当たる。】
野球には、様々なデータがある。そもそも『マネー・ボール』で描かれていた、データ重視のチーム作りが行われた背景には、一人の野球ファンが長年に渡り記録し続けていた膨大なデータの存在があった。野球の世界には、一野球ファンでさえ集められる情報が膨大に存在する。
もちろん、球団フロントはさらに高度な情報を手に入れることが出来る。アストロズはかなり早い段階から、ハイスピードカメラや、加速度計とジャイロメーターを内臓したシステムを使うなどして、投球や打撃に関する様々なデータを収集、それらを活用する形で選手の評価をしてきた。
しかし、そういうデータだけでは不十分だ。彼らは「直感」をも、システムへの入力変数として利用した。非常に印象的な、こんな文章がある。
【変数の中にはスカウトたちの直感に基づくものもあり、直感はスピードガンの数字や長打率と比べると一貫性に欠けているものの、価値としては等しい。いや、より価値があると言えるかもしれない。なぜなら、スピードガンの数字の読み方ならば、ほかの全球団も知っているからだ】
最後の、「スピードガンの数字の読み方ならば、ほかの全球団も知っているからだ」という文章は、非常に面白い。確かに、ルーノウやシグがアストロズの改革を始めた当初は、同じスタイルを目指そうとする球団はさほど多くなかった。しかし次第にそれは当たり前になっていく。”正確に”測ることができる数値であれば、機械や設備を用意すれば誰にでも手に入れられる。だからこそ、”不正確”にしか測ることが出来ない要素を、どのように数値かし、どのように重みをつけてシステムに入れ込むのか。この点にこそ、データ分析の要が存在するのだ。
【入力された情報は選手が残した記録上の数字にとどまらず、スカウトたちの手で大部分の収集と評価が行われた情報―選手の健康状態や家族の経歴、投手の投球フォームあるいは打者のスイングの軌道、選手の性格にまで及んでいた】
このような情報も収集し数値化していた彼らは、さらに踏み込んで「チームの和」というものの正体まで掴もうとしていた。結局彼らは、その数値化には至らなかったようだが、この「チームの和」に関する、カルロス・ベルトランという選手のエピソードは、非常に印象的だ。彼に関しては、以下の2つの引用で、その凄さが十分伝わるだろう。
【目には見えない形で、しかもしばしば分類できない形で、チームを後押ししてくれるベルトランの力に1600万ドルの年俸を支払っていることについて、球団はまったく後悔していなかったが、グラウンド上での成績はその数字に見合うものとは言えなかった】
【第7戦にまでもつれ込んだこのシリーズで、ベルトランは12回打席に立ち、ヒットは1本しか打てなかった。しかし、もし彼がいなかったら、アストロズはALCSを勝ち抜けなかっただろう】
本書には、こんな文章もある。
【だが、ベルトランはワールドシリーズでヒットを1本も打てなかったものの、もし彼がいなかったらアストロズは頂点に立てなかっただろうということを予測する方法は、今のところ存在しない】
これは、結局彼らが「チームの和」を数値化出来なかった、ということを示す文章だが、しかし、その数値化が可能だと考えている文章でもある。さらに、数値化出来ないことでも無視してはいけない、ということを伝える文章でもある。
さらに、常に「プロセス」を重視する、という意味でもある。
【しかし、ルーノウはケリーを選択した。その時、ルーノウ自信もどこかで失望を覚えていた。
それは選択そのものに対しての思いでは決してなかった。ケリーを選ぶのが正しいと信じていなかったら、ルーノウがアンジェロ・ソンコのマグネットではなくジョー・ケリーのマグネットをつかむことはなかった。問題なのはそのプロセスだった。「シグに対して決定を弁明できる合理的な説明が存在しなかった」ルーノウは言う。】
彼らは「直感」や「運」までも取り込もうとした。しかし、神頼みはもちろんしない。何か決断をする時、常にそこに合理的な判断があるべきだ、と考えている。その価値観を、野球の世界に持ち込んだのだ。
彼らは、自分たちのやり方を信じつつ、過信はしない。
【2人は自分たちがほかの誰よりも上手な球団運営の方法を心得ているという考えは抱くまいとした】
【シグの言葉を借りると、「自分たちは賢いという勘定は自分たちの敵でもある。私たちはそれを何としてでも避けようとしている」】
【「誰かから未来がどうなるかわかると聞かされた時には、その相手を信じてはいけない」シグは言う。「未来は私たちが想像するよりもはるかに不可解だ。私たちの想像が及ぶよりもはるかに不可解なんだよ。未来を解明できたと思ったとしても、少し待ってごらん。たぶん間違っているから」】
そして彼らにはもう一つ、非常に強い信念があった。
【エリアス(※スカウトの一人)は続ける。「僕たちにとって競争優位性になりうるのは、間違っているとしか思えないような場合でも自分たちの情報への信頼を貫くという、自制心と自信を持つことだ」】
ルーノウは元々、セントルイスという球団のスカウティングを取り仕切っていた。セントルイスというのは、非常に好調な球団で、データ分析によるチーム改革を急がなければならない理由は特にないチームだった。だから、ルーノウの扱える範囲はスカウティングに限られていた。チームを良くする方法を、データ分析などから発見しても、コーチの決定権などはなく、球団全体にルーノウの思想を行き渡らせることは難しかった。
アストロズというチームは、ルーノウが引き受けた2011年の時点で、【その半世紀で最悪の野球チームだった】。それもあって、ルーノウは、チームの建て直しの全権を手にすることができた。だからこそ、誰もが驚くべき短期間で、アストロズというチームを立て直すことが出来たのだ。
【おそらく何よりも重要なのは、未来を予測し、同時に変えていくための新しい方法をこれからも積極的に受け入れようという、球団としての意識が定着していることだろう】
本書は、確かに「野球」の物語だ。しかしある意味では「野球」の物語ではない。「データ」という、ともすれば無味乾燥とも思えるものに、いかにして「人間」を組み込むのか。その奮闘の物語だと言っていいだろう。
【アストロズのプラスの結果は、成功とは「人間か、それとも機械か」の問題ではなく、「人間+機械」の問題だということを示すものとなりうる】
【これから先も、直感が果たす役割はきっとあり続けるはずだ】
さて、本書には魅力的なエピソードが満載だが、あと2つ触れて終わりとしよう。
一つは、アストロズの世界一を予言した、という話だ。これには、著者も関わっている。
『スポーツ・イラストレイテッド』という、アメリカで非常に有名な雑誌がある。定期購読者を含めると、300万人の読者がいるという、スポーツ雑誌だ。この、2014年6月30日号に、「2017年のワールドシリーズ覇者」というタイトルをつけて、アストロズの外野手であるジョージ・スプリンガーを起用した。この記事は、アストロズの地元も含めて、不信と怒りの大合唱を招いた。なにせ2014年時点でもアストロズは、【その半世紀で最悪の野球チームだった】という状態だったのだ。誰もそこから、ワールドシリーズで優勝するとは思わなかった。実際の結果はどうか。2017年、アストロズはワールドシリーズの覇者となった。
この記事を書いたのが、本書の著者だった。著者は、【負けていることの何かが腑に落ちない】という理由で、編集長にアストロズを取り上げるよう説き伏せたという。凄い話だ。
さてもう一つは、カイケルという投手についてだ。
この投手は、ルーノウがアストロズのGMに就任した当初から、アストロズに所属していた。しかし、球速は140キロ台という、パッとしない選手だった。これと言った球種もなく、常に名前の呼び方を間違われるような、目立たない選手だった。ルーノウはカイケルをトレードに出そうとしたが、誰も欲しがらなかったのでアストロズに残っていたに過ぎなかった。しかし2015年には、その年の最高の投手に与えられるサイ・ヤング賞を受賞し、アストロズの主力と言える投手になった。
何故か。
そもそもルーノウのアストロズ立て直し策は、「年俸の高い選手を放出し、有望な若手を取る」のと同時に、「元々アストロズにいる選手から資質のある選手を見つけ出す」というものもあった。ルーノウは、オーナーであるクレインと共に、「たった一度勝つため」ではなく「勝ち続ける」ためにチーム作りを行うことに決めていた。だからこそ、チーム内から有望な若手を見つけ出すことも重要だった。
シグは、どの選手をスカウティングすべきかを導き出すためにシステムを洗練させていったが、その同じシステムに、同じチームの選手のデータも入力していった。チーム内の選手であれば、データも取りやすい。そこから、より正確データ分析が出来るようになる。
そういう中で、アストロズのデータ分析者たちは、負け続きのアストロズに選手に「守備シフト」を提案する。今となってはあらゆる野球チームが採用しているものだが、アストロズが最初に採り入れた。これは、対戦相手の選手の打球が飛ぶ方向などを分析したデータから、打者毎に守備位置を大きく変えよう、というものだ。そして、この「守備シフト」に実は反対だったカイケルにとって、この「守備シフト」が生命線となっていく。元々、異様なほどの正確なボールコントロールが出来る投手で、球速がなくても、データの力と適切な指示によって、相手を抑え込めることが証明できたのだ。
他にも面白いエピソードはたくさんある。マルティネスという選手にまつわる「失敗」は非常に印象的だし、ヴァーランダーという選手の獲得の舞台裏はかなりドラマティックだ。また、ハッキングなどの映画のような展開もある。
さて、これで本当に最後だが、このアストロズというチームに関しては、残念な情報もある。ワールドシリーズを制覇した2017年に、電子機器を用いて相手チームの捕手のサインを盗み、球種を打者に伝えていたという告発があり、2020年1月に、メジャーリーグのコミッショナーはこの疑惑に対して、不正行為があったと断定した。本書の訳者もあとがきで、
【不正行為があったと知ってから読むと、本書の内容の一部の信憑性に疑問が出てくることは否めない】
と書いている。まあ確かにそうだろう。しかし、ルーノウやシグは関わっていなかっただろう、と見られているようだし、この一件で、彼らがメジャーリーグの世界で成し遂げたことがすべてゼロになってしまうのはちょっと正しい評価ではないように感じる。
「ビッグデータ」が人類にとって最良の結果をもたらすために何が必要か、本書を読めばすべて理解できるだろうと思う。そういう意味でもやはり、本書は「野球」の本ではないと思う。
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