【映画】「ニューオーダー」感想・レビュー・解説

相当イカれた映画だったな。どう評価すべきか悩む。

内容に入ろうと思います。
結婚式という晴れの舞台を迎えた新婦のマリアンは、父が知られた実業家であることもあり、多数の来賓客を呼んだ盛大なパーティーの中で最大の幸せに浸っていた。パーティーにやってくる者が、「空港で足止めを食らった」「警察の検問に捕まっていた」などと口にするが、状況はよく分からない。金持ちである彼らにはメキシコで今起こっている出来事など興味はなかったのだ。実は彼らが目を向けない場所で、貧富の差に対する抗議運動が暴徒化していたのだ。
その余波を食らった人物が、結婚パーティーに顔を見せた。かつてマリアン邸で使用人をしていたエリサの夫だ。なんでも、デモでの怪我人を優先して入院させるために、手術を待つエリサが退院させられてしまったそうだ。手術には20万ペソ必要だそうだが、そんな大金工面できるはずもなく、思い悩んでかつての主人の元へ足を運んだのだ。
何人かにつれない対応をされた後、マリアンは今日集まった祝儀の一部を彼に渡そうとするが、そうこうしている内に自宅に戻ってしまったと聞かされる。マリアンは、良くしてくれたエリサとその夫を見捨てることなど出来ないと考え、結婚パーティーの主役であるにも拘わらず、マリアンの家から車で20分ほどのところにある彼の家まで、今の使用人の息子と共に向かうことにした。
そしてまさに、そのタイミングを狙っていたかのように、結婚パーティーの会場を悲劇が襲う。
しかしマリアンも無事ではない。荒れ狂う街から安全に脱出出来るようにと、兵士が彼女を自宅まで送り届けてくれることになったのだが……。
というような話です。

映画を観て一番感じたことは、「これ、86分の映画だったのか」ということ。体感ではもっと長く感じられた。それは「冗長」とか「間延びしてる」みたいなことでは全然なく、「濃密すぎて、たった86分の上映時間だったとは信じられない」というような感覚だ。体感では、2時間ぐらいの映画だったし、そして変な表現だが、「その2時間があっという間に感じられた」。「濃密さ」で言えば「長い映画」に感じられるが、「スピード感」で言えば「短い映画」に感じられ、トータルの体感が「2時間ぐらい」という感じだ。

映画は全体的に「よく分からない部分」が随所に残る。何がどうなっているのか、そもそも状況を的確に把握するのが難しい。しかし、背景となるものがきちんとどっしり描かれているので、「確証はないが想像はできる」というレベルの「よく分からなさ」に留まっているとも言える。

その背景というのが、「貧富の差に対する貧者の怒り」と「軍部の暴走」である。後者の「軍部の暴走」については、背景としての輪郭もそこまで明確ではない。なぜ軍部が暴走しているのか分からないし、そもそも彼らの振る舞いが「暴走」と呼ぶべき行為に当たるのかどうかも映画を観ている限りはっきりとは定まらない。しかし、この映画では概ねこの2点が背景に置かれていると理解すればいいのだろうと受け取った。

そして、「貧者が支配する世界」「法ではないものが支配する世界」を描いているという点で、この映画は「ニューオーダー(新秩序)」というタイトルがつけられているのだろうと感じた。そして、「もしも一夜にしてそんな『新秩序』に置き換わったとしたら、世界はどうなるだろうか?」をリアルに描きだそうとしたのがこの映画なのだろう。

映画を観ながらそこまで考えられなかったが(正直、「なにこれ???」という混沌状態で映画を観ていたので、思考はあまり働いていない)、今映画を振り返ってあれこれ考えてみると、「『両極』にしか答えが存在しない世界」は嫌だなと思う。「『金持ち』と『法』による支配しか存在しない世界」には確かに嫌気が差すことは多い。しかしじゃあ、「『貧者』と『法を逸脱した何か』による支配しか存在しない世界」の方が良いかと言えば、もちろんそんなことはない。

どっちもクソくらえだと思う。

ただ、時代はますます「極端な論調」が受け入れられやすくなっているとも感じる。というか、「極端な主張でなければそもそも人々の視界に入らない」と書くべきだろうか。目の前にA・B2つの選択肢がある場合、「AでなければBだ」「BでないならAだろう」みたいな主張が当たり前にまかり通ってしまう。本来であれば、「AでもBでもない、Cという選択肢もある」という意見が出てきてもいいはずなのだが、それはなかなか世の中では注目されない。「AでなければBだ」という、「何かを明確に否定し、断言する力強さ」に、人々は希望を見出したがっているように感じてしまう。

だから、この映画で描かれる世界は、「今私たちが住んでいる世界」の延長線上に確実に存在し得ると感じた。「AでなければBだ」という言説が当然のようにまかり通る世界は、容易に「『両極』にしか答えが存在しない世界」に行き着いてしまう。この映画に対して感じる「恐怖」は、この映画が描き出す「怒り」「暴力」「理不尽」「不寛容」などに対してのものではなく、「こんな『あり得ない世界』が、僕たちが進んでいる道の先に間違いなく存在している」という予感に対するものではないかと僕は思う。

映画の中では、誰もがほとんど「躊躇」をしない。そこには、「恐怖や抑圧などにより、躊躇している余裕などない」という状況も描かれるのだが、一方で、「残虐性を発揮することに対して何の躊躇も抱かない」という、「新秩序」側の有り様も描かれる。

理由はともあれ、映画の中でほぼ誰も「躊躇」しないことが、「圧倒的なスピード感」に繋がっていると思う。普通であれば、躊躇し、葛藤することでそこに物語が生まれるはずなのだが、この映画ではあらゆる場面から「躊躇」をつまみ上げてポイッと捨てているみたいに感じられる。そしてそれ故に、この映画には、「人間らしい物語」が存在しない。

公式HPには、「第77回ヴェネツィア国際映画祭で審査員大賞など2冠を受賞しながらも、各国の映画祭で激しい賛否両論を巻き起こした本作。」と紹介文がある。恐らく、「『人間らしい物語』が存在しない」という点に否定的な意見が出るのではないかという気もする。

僕の場合は、物語や登場人物に「共感できるかどうか」は、物語全体の評価にさほど大きく影響しない。最近では、「共感できる=素晴らしい作品」「共感できない=ダメな作品」みたいな短絡的な評価をしがちな人が多い気がするが、もしそういう判断をするのであれば本作は「ダメな作品」となるだろう。

確かにこの映画には、「人間らしい人間」がほとんどいないように感じられてしまう。意識的に「人間らしい人間」として描かれているのは、マリアンとエリサの夫の2人ぐらいではないだろうか。この2人以外の登場人物には、なかなか「共感」は難しいだろう。

しかし僕は、「これだけ多数の『人間』が生きる世界を描いているのに、そこから『人間性』が容赦なく剥奪されている」という点にこの作品の凄さを感じたし、評価できるポイントなのではないかと思う。それはつまり、「『社会』は容易に『人間性』を奪い取ることができる」というメッセージでもあるだろうし、僕たちや僕たちが生きる社会への警鐘なのだとも思う。

僕でも分かるくらい、ちょっとCGのレベルが低い気がして、そこはちょっとマイナスに感じられてしまったが、濃密さと疾走感は凄まじかったし、「社会よ、頼むからこうはならないでくれ」という祈りを捧げたくなるような作品だった。

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