【映画】「私の想う国」感想・レビュー・解説
さて、観ようかどうしようか当落線上の映画だったのだけど、観て良かった。『時代革命』『理大囲城』『これは君たちの闘争だ』など、「民衆闘争」のドキュメンタリー映画を色々と観てきたけれども、そういう作品に連なる骨太の作品だった。
しかし、チリでこんなことが起こっているなんて、全然知らなかったなぁ。そして、ブラジルでのデモを記録した映画『これは君の闘争だ』と同じ南米で起こっているだけあって、やはり「音楽」が重要な存在となる。なんかやっぱり、「生活に”リズム”が根付いている」みたいな国民性の国のデモは、こんな言い方をすると良くないかもしれないが、観ていて楽しい。
さて、チリの首都サンティアゴにあるバケダノ広場に、2019年10月25日の金曜日、120万人もの人々が集まったそうだ。その時の映像が空撮で押さえられていたが、辺り一面人だらけという感じで壮観だった。120万人がどれぐらいか調べてみたが、「青森県や岩手県の人口」「さいたま市の人口」「令和4年の新成人人口」が120万人ぐらいだそうだ。まあ、そう言われてもあまりイメージは出来ないが、とにかくそんな凄まじい人たちが、バケダノ広場に集まったのである。
そのきっかけは、1週間前に起こったある出来事だった。10月18日、地下鉄の料金が30ペソ値上がりしたのだ。30ペソは、ネットで調べると、82円ぐらいらしい。そもそも、元々の地下鉄の料金がいくらで、何%の値上がりだったのか、みたいなことがよく分からないので実感しにくいが、とにかく市民はこの決定に猛反発した。皆が示し合わせたようにして、「地下鉄の料金を払わない」という行動に出たのだ。料金を支払わないことが、怒りや憤りを表す手段として、一瞬にして広まったのである。
そこには、チリの人々が置かれている苦しい状況が関係していた。年金制度は酷いもので、年老いた夫婦が路上で物売りをしなければ生活できない。学校に通っていた子どもが、家族の生活を助けるために学校を辞める。銀行から借り入れを拒絶された女性は、息子を学校に通わせられない。そういう窮状を語る者がたくさん出てくる。
作中にはジャーナリストも登場し(ちなみに、本作でインタビューを受ける人物は全員女性である)、「貧困世帯の大半は、1人で子育てをしているシングルマザー」「チリの子どもの73%は婚外子」「貧困世帯の6割以上の世帯主が女性」という現状について説明をしていた。チリではとにかく、女性がかなり厳しい立場に置かれていたのである。
そして国は、そういう貧しい世帯に対する政策を何も実行しようとしない。「政治家は私腹を肥やしている」と多くの人が考えており、実際、政治家は5つの派閥の親族たちで占められているそうだ。
チリでは1973年、ピノチェトがクーデターを起こし、軍事政権が誕生した。本作の監督は、クーデターによって追いやられたアジェンデ大統領を取り上げるドキュメンタリー映画を撮っていたこともあり、軍事政権になってから国外に亡命していた。それから2019年の「第2のチリ革命」を撮影するために祖国に戻ってカメラを回し始めたのである。
公式HPによると、ピノチェト政権は1988年に国民投票で敗北、1989年から民主化が進んだそうだが、憲法や社会制度は軍事政権下時代のまま継続され、権力を持つ者以外が搾取されるような構造が継続された。特にチリでは、家父長制が依然強く、そのせいで、女性が当たり前に有するはずの人権が迫害されてきたそうだ。
2019年10月18日の「地下鉄暴動」を機に、市民はリーダーもイデオロギーも不在のまま、ただ自身とその生活を守るために連帯し、市民デモを行った。それは、音楽を奏でながら主張を繰り返すような平和なものから、道路のコンクリートを砕いた石を唯一の武器に警察を闘うような激しいものまで様々だったが、中でも印象的だったのが、女性たちが口にしていた「詩」である。この詩は4人の女性(”ラス・テシス”と名乗っているそうだ)が考えたものだそうで、市民闘争の最中、多くの女性がこの詩を叫んでいた。
その中の一節に、こんな箇所がある。
『どこに居て何を着ていても私の罪じゃない』
これはつまり、チリの女性たちは、どこにいるか・何を着ているかによって迫害を受けているということだろう。この詩を一体となって叫んでいる女性たちは、とても派手な(というか、比較的布面積の少ない)服を着ていた。恐らく、普段であれば、街中でそんな格好をしているのは許されないのだろう。そういう服を敢えて着て、彼女たちは「お前たちには屈しないぞ」という姿勢を明確に示しているのである。
先ほど触れた通り、本作では基本的に「女性」に焦点が当てられる。デモに参加しているのは決して女性だけではないが、「家父長制を背景に、特に女性の怒りが爆発した運動」であることを強調しているのだと思う。73%が婚外子で、6割の家庭の世帯主が女性ということは、子育てしている人の過半数がシングルマザーということになるはずだ。それはちょっと、異常過ぎる状況ではないだろうか。しかし恐らくだが、当時の政権は、子育て支援などまったくしなかったのだろう。女性たちは、「子どもを預けるところがなく、だから仕事にも行けない」という、相当切羽詰まった状況にいたのである。
映画冒頭で登場した女性は、ガスマスクとゴーグルを付けたまま、「出かける時は、息子のことをよろしくと近所の人に毎回言う」と言っていた。投石などで警察と闘っている彼女は、自分がいつ家に戻れなくなるか分からないと考えているからだ。また、デモ開始直後から写真を撮り続けていたカメラマンは、「軍の攻撃が目に当たり、左目の視力がほとんど失われてしまった」と語っていた。恐らくだが、そのような「激しい攻防戦」はデモ開始当初がメインで、その後は武力衝突を伴わないようなデモが展開されたんじゃないかと思っているのだが(作中では、あまり具体的な状況説明がなされないのでよく分からない)、激しい攻防戦が繰り広げられる様を見た監督は、「まるで内戦じゃないか」とナレーションを入れていた。本当にその通りだなと思う。
若者たちが、「ジャンプしない奴は警察!」と声を上げながらジャンプしたり、あるいは、何の壁なのかよく分からないが、どこかの壁を多くの人が、鍋や石や様々なもので叩いては抗議の意思を示すなど、彼らはとにかく抵抗の意思を示し続けた。リーダーもイデオロギーもなく始まったこの抵抗は、やがてカビルド(住民集会)を生み出し、そうして人々は「改憲承認」を目標に一致団結し始める。ピノチェト政権下に作られた憲法が今も継続しており、その憲法を変えることこそが、新しい国づくりの第一歩になるというわけだ。
そしてなんと、市民の抵抗に屈する形で「改憲の是非を問う国民投票」が行われることになり、改憲支持に8割以上の票が集まった。そして実際に、制憲委員会が発足することになった。本作には、チェス競技者の女性も出てくるのだが、彼女も制憲委員会のメンバーの1人であるようだ。メンバーをどんな風に選出したのか分からないが、議場に集まった人たちの大半が女性であるように僕には見えた。
ちなみに、そんな制憲委員会が開かれている議会は、1973年のクーデターの時にピノチェトが議員を追い出してから、長い間空っぽだったとナレーションが付いていたと思う。クーデター当時を知る監督は、「まさかここに人が入るとは」みたいに感慨深げに話していた。
そしてその後、2021年に、36歳という世界で最も若いガブリエル・ボリッチ大統領が誕生した。市民デモの成果がここに結実したと言っていいだろう。映画で描かれていたのはここまでなのだが、その後については公式HPに書かれていた。制憲委員会が作った新憲法が2度国民投票に掛けられたのだが、なんと2度とも否決されてしまったそうだ。なかなか難しいものだが、国民の判断なのだから仕方ない。とりあえず改憲は実現していないわけだが、大事なことは国民がきちんと生活を整えられることであり、どうにかそういう方向では上手く進んでほしいものだと思う。
最後に、繰り返しになるが、不謹慎を承知で言うと、本作で映し出されるデモは陽気な部分もあり、楽しそうだった。僕はこの「楽しそう」という要素はとても大事だと思っていて、日本のデモはどうも楽しそうには見えない。国民性の違いと言われたらそれまでかもしれないけど、「自分も参加してみたい」と思わせるデモがどうやったら”デザイン”できるか(本作で映し出されるデモは決してデザインされたものではないが)みたいなことを、日本でデモを起こす(起こそうとする)人は考えた方がいいような気がした。なんにせよ、楽しい方がいいに決まっている。
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