【映画】「バーニング・オーシャン」感想・レビュー・解説

人の命が掛かっている時は、リスクは常に過大に捉えておかなければならない、と思う。そういうことを、僕たちは福島第一原発事故で学んだはずだ。

アメリカ人も、この最悪の石油事故から学んだだろうか。

人間のやることに絶対はないが、安全な状態が長いこと続いてしまうとどうしても、このまま何も起こらないのではないか、と思いたくなってしまう。その気持ちは分かる。しかし、結局そう思うことで、僕たちはリスクを見ないようにしているだけだ。

『俺のじいさんと同じだ。虫歯が見つかるのを恐れて歯医者に行かなかった』

リスクを過小評価すべきではない、と考える現場の人間が、上層部にそう突っかかる場面がある。上層部は、あるテストをやらない、と決めた。それを、問題が発覚するのを恐れているだけだ、と指摘したのだ。

『希望的観測はしない』

同じく、機械の不備を指摘する現場の人間も、上層部に現状についてどう思うかと問われて、そう答える。

そういう人間がいたにも関わらず、事故は起こってしまう。

常に最悪の事態を考慮しなければならない。
福島第一原発事故を経験した僕たちも、きっとそのことを忘れがちだ。
だから、こういう映画を見ると、気が引き締まる。

内容に入ろうと思います。
ルイジアナ南東部78キロの場所に位置する、半潜水海洋資源掘削装置「ディープウォーター・ホライゾン」は、石油の掘削場所まで移動可能な“船”であり、126名が勤務する、海に浮かぶ要塞のような施設だ。チーフ技師のマイクと全体の安全管理を請け負うジミーは、着いて早々問題が起こっていることを知る。BP社がセメントを150m注入したのだが、その安全性を確かめるセメント・テストの担当者を帰した、というのだ。上層部は、既に作業が43日も遅れている事実を指摘し、テストなしでの掘削を指示するが、ジミーは、最低でも負圧テストはやると主張。そしてその負圧テストの結果、何かおかしな状況を予感させる数値が出たが、上層部は「ブラダー・エフェクト」という、そのおかしな数値を説明する理屈を持ち出し、掘削を進めるよう要求。ジミーとマイクは、「ブラダー・エフェクト」の説明に理が通っていることを認めながらも、釈然としない想いを抱えていた。しかし、最終的にジミーは、上からの圧力に屈するような形でGOサインを出した。
結果的には、その判断は間違いだった。
掘削作業前に、パイプから余分な泥水を排出する作業中にそれは起こった。圧力異常を検知し、泥水の排出を停止したのだが、圧力は一向に下がらず、ついにパイプから泥水が噴出してしまった。警告音が鳴り響く中、さらに大爆発も起こり…。
というような話です。

2010年に実際に起こった出来事をベースにした映画です。

前半は、事故に至るまでの人間模様が描かれてきます。観ている側は、これから事故が起こることを知っているから、上層部の態度にイライラすることになりますが、とはいえ、なかなか難しい判断だったとは思います。何せ、スタッフの安全を何よりも第一に優先するジミーが、渋々ながらもGOサインを出したのですから。もちろんそれ以前に、セメント・テストが行われていなかったこと自体が問題であり、ジミーに非があるとは思っていませんが、与えられた条件の元で正確な判断をすることが難しかっただろう、と思われる状況でした。

『BPの坑井 BPの石油 俺たちは雇われ』

ジミーがそんな風に言う場面があります。負圧テストの結果に納得が行っていないけれども、スケジュールの遅れを指摘され掘削を続行しろと言われている場面でのことです。ジミーら現場の人間は雇われの身であり、この“船”や石油はBP社のものだ。だから上の指示に従わないわけにはいかない、ということなのだが、ジミーにとっても難しい判断だっただろう。

後半は、事故が起こってからの、言い方は悪いがスペクタクルな映像が展開される。誰が見ても手の施しようがない、というような大惨事だが、それでもどうにか、被害を最小限に食い止めようと、救命ボートに乗ろうとせずに奮闘する面々の姿も描かれていく。

『私は祈った。妻や娘に、最善を尽くしたのだと思われるように』

映画の最後に、恐らく実際にあの事故から生還したマイクの言葉として紹介されたものだ。なるほど、この言葉を聞くと、逃げずに船内で奮闘した者たちが何故そんな勇敢な行動をすることが出来たのか、ということが腑に落ちる。我先に逃げた人間を非難する意図はないが、でも確かに、もし自分が我先に逃げ出していたとしたら、生き残ったとしても大きな後悔に囚われるだろうと思う。死者が出ているのだからなおさらそうだ。残った面々は、職業的な使命感ももちろんあったろうが、今ここで出来ることをやらなければ、生き残ったとしても後悔すると思って、無謀な闘いに挑んだのではないかと感じた。

実際に起こった出来事なのだと思うと壮絶なのだが、映画として観た場合、物足りなさもある。いや、これはこの映画だけの問題ではなく、実話をベースにしている映画すべてに当てはまる問題ではある。実話ではあるが故に、フィクションのような展開にはならない。もちろん、それこそがリアルなのだが、どうしても、物語のような展開を求めてしまう自分もいる。実際に起こった出来事を、「これが実際に起こったことです」と提示する映画は潔いし必要だとも思うのだけど、そうであるが故の物足りなさみたいなものはどうしてもつきまとってしまう、とも思う。

「これが実際に起こったことです」を少しだけ越えて、「この時、ではどうすれば良かったのか?」を、観ている者一人一人が問いかけることが出来るような、そんな映画であればより良かった、と感じられる。

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