え?難病者は「障害者手帳」を取れない?じゃあ就労・雇用は?「難病者の社会参加白書2025」を読んで分かったこと
難病者の友人から「障害者手帳を取れない」と聞いてビックリしすぎて、「難病者の社会参加白書2025」を読んでみた
つい先日、大学時代の友人10名弱で飲んだのですが、その中にかなり久しぶりの人がいました。「重い病気になって色々大変だった」みたいな情報だけはざっくり知っていましたが、その後詳しいことを誰かから聞く機会もなかったので、ホントに久々に近況の話をしたなという感じです。
で、彼女は「ネフローゼ症候群を患っている」「現在は、働く上で障害がある人の就労支援の仕事に携わっている」みたいな話をします。ふむふむ、という感じで聞いていたのですが、そんな会話の中で彼女が、
私は指定難病なんだけど、でも障害者手帳は取れないんだよね。
みたいなことを口にしたので「???」となったのでした。
どゆこと???
「指定難病なのに障害者手帳が取れないって、ンなアホな」って感じじゃないでしょうか? それで、さらに詳しく聞いてみました。
「障害者手帳」というのは基本的に、「生活上の障害が永続的に付随する人」に交付されるのだそうです。「目が見えない」とか「手足を切断した」とか「精神障害がある」などのケースは、「生活上の障害が永続的に付随すること」がはっきりしていると言えるでしょう(ただし、精神障害の場合は2年に1度くらい手帳の更新が必要とのこと)。なので、そういう人は「障害者手帳の交付」が認められ、様々な支援が受けられるというわけです。
一方で、「難病者」と呼ばれる人たちの場合、「病気がもたらす悪影響に波がある」といいます。例えばネフローゼ症候群の友人の場合、今は病状もかなり安定していて、フルタイムで働いているそうです。体調を崩すこともあるけど、長い付き合いだから「そろそろ崩しそうだな」みたいなことが分かるようにもなってきて、あらかじめ対処のしようもあるみたいなことも言っていました。
とはいえ、ネフローゼ症候群の人が皆そうというわけではなく、重い症状に苦しんだり、短い期間で体調が変動するような人もいるのでしょう。だから「ネフローゼ症候群だから」みたいな区切り方で「障害者手帳の交付」を判断することは出来ないというわけです。
ただ、病状が安定していると言ったって、通院や投薬は必要になります。友人は、「指定難病だから、医療費は3割じゃなくて2割負担になる」みたいなことを言っていたけど、ずっと付き合っていかなければならない病気なわけだから2割負担でもかなり厳しいでしょう(ちなみに、後でちゃんと確認したら、「2割負担」かつ「所得に応じた上限額までの支出」となるみたい)。さらに「障害者手帳」が交付されれば他にも色んな制度が活用出来るのですが、難病者はその恩恵を受けられないわけです(「指定難病受給者証」では各種割引が受けられないことの方が多いとか)。彼女も、一度「障害者手帳」の申請を出してみたけど、通らなかったと言っていました。恐らくですが、ネフローゼ症候群の患者で「障害者手帳」が交付される人もいるのだと思います。その人の病態次第ということなのでしょう。
それで僕は、こういう話を聞いてメチャクチャ驚かされました。僕はノンフィクションやドキュメンタリーに積極的に触れるようにしているし、テレビのニュース番組を流し見しているだけですが、世の中の情報もそれなりにキャッチアップしようとしています。でも、「指定難病なのに障害者手帳が取れない」なんて話はまったく聞いたことがなかったし、「それってメチャクチャ大問題では?」と感じたのです。
さて、友人とはしばしそんな話をしていたのですが、さらに彼女から「難病者の白書の作成に関わっているから気が向いたら読んでみて」なんて話が出てきました。それで「難病者の社会参加白書2025」を読んでみることにしたというわけです。244ページもあったので、さすがに全ページとはいかなかったけど、全体の8割ぐらいには目を通したと思います。
というわけで、「『指定難病なのに障害者手帳が取れない???』という事実さえまったく知らなかった僕が、『難病者』に関する白書を読んで気になった情報などについてざっくりまとめる」というのがこの記事の目的です。いやしかし、ホントに知らなかったことが満載で、こういう表現が良いかどうかは分からないけど、なかなか面白かったなと思います。
それではこれから内容に触れていきますが、最初に1つだけ。本白書は「社会参加白書」となっている通り、「難病者がいかに社会参加していくか」という問題意識で書かれています。ただ、割と冒頭の方でも言及があるように、「本白書の内容は、どうしても『就労』『雇用』といった内容に偏っています」という点には注意が必要でしょう。決して「就労」「雇用」だけが「社会参加」なわけではないけれども、あくまでも切り口の1つとしてこの白書では「就労・雇用」に焦点を当てている、というわけです。
さて、本白書には友人も寄稿しているのですが、その中でも、
社会参加が必ずしも就労とイコールであるとは私自身は考えていません。人それぞれにあった色々な社会参加の形が用意されていて、参加する・しないが自由に選択でき、希望する方はいつでも参加できる事が大事だと思います。
と書かれていました。本白書で取り上げられているのは、問題のごく一部というわけです。そのような認識を持っておくことも重要でしょう。
「難病者」という言葉のイメージ、そして現行の法律や制度の不備
本白書では、「RDワーカー」という新たな概念を提唱しています。これからこの言葉を定着させていきたいと考えているようです。「RD」とは「Rare Disease」の略で、英語では「希少疾患」を指す言葉のようですが、「RDワーカー」として使う場合にはもう少し広い範囲の人たちが想定されています。で、本白書には「指定難病」や「難治性慢性疾患(これは本白書独自の用語みたいです)」など様々な括り方についての定義が載っているのですが(これらの人々も「RDワーカー」の範囲に含まれます)、この記事では基本的に「難病者」という言葉で統一しました。僕が「難病者」と書く場合は、特に説明がない限り、「病気と診断されているが、障害者手帳が交付されていない人」ぐらいの意味に受け取って下さい(実際には「難病者」と呼ばれる人の中にも障害者手帳を持っている人はいるでしょうが)。
それで、本白書には度々「『難病』という言葉のイメージ」に関する記述が出てきます。
二つ目に、「難病」というと非常に重篤なイメージを持たれる企業・人事担当者が多い、という実感です。職場に医療の専門家がいないと難しいのではないか、と思われがちです。実は、少しの配慮があれば、一般の方のように働ける難病者も少なくありません。ご本人が医療機関と繋がっていれば、職場に医療の専門家がいる必要性は高くはないのです。
症状が安定してからは毎日深夜残業をしていた私のように、少しの配慮があれば十分に働ける難病者が少なくありません。また、難病者は自分で医療機関と繋がっているケースが多く、職場には医療関係者を必要としない場合がほとんどです。
この辺りのイメージに関しては僕も割と同じというか、「『難病』の人って、働くのとか難しいんじゃないの?」みたいに思っていたところがありました。あるいは本白書には、「難病者の就労の難しさ」について、
難病を開示して就職を希望する場合、(中略)高度なスキルや資格を有していない場合、企業側が慎重な対応を取ることも少なくありません。これは差別的な意図というよりも、企業側が難病に関する正確な情報を十分に得られておらず、不安や戸惑いを抱えることに起因していることが多いように感じます。
という文章があるのですが、確かにその感覚も分かるなと思います。いっそのこと「難病」という言葉を変えちゃえばいいんじゃないか? と思ったりもするけど、まあそう簡単にはいかないだろうなぁ。
で、「じゃあそもそも『難病』って何?」って話になると思うんだけど、実は医学的に定義されている言葉ではないみたいです。
「難病」という言葉は、一般的には「治りにくい病気」「治療法が確立していない病気」といったイメージで用いられることが多いものの、医学的に明確な線引きがある用語ではありません。難病かどうかは、その時代の医療水準や社会的背景によって変化し、また国よっても定義や対応は異なります。
つまり、「『難病』という言葉を僕らが勘違いしている」という側面ももちろんあるけど、むしろ「『難病』という定義の意味がはっきり決まっていない」ことの方が問題で、だからこそ余計に、「難病」という言葉のイメージギャップを埋めるのは難しそうだなとも感じました(ただ「難病」「指定難病」共に、「法律上の定義」は存在するみたいです。医療費助成の対象か否かの判断などに必要だからでしょう)。
では、「難病者」というのはどれぐらいいるのでしょうか? 本白書には以下のようなデータが載っていました。
●指定難病者:108万人
●指定難病以外の難病者:700万人
●(障害者手帳保持者):751万人
(ただし、「108万人」「700万人」「751万人」にはそれぞれ重複があるらしいので、その合計数1559万人が「障害を持つ人の総数」ではないようです)
本白書には、353人の難病者へのアンケート結果も載っており、それによると「就業中:64.6% 就職活動中:12.2% 休職中:23.2%」となっています。この割合をそのまま、「指定難病者」と「指定難病以外の難病者」の合計808万人に当てはめれば、286万人が「働いていない(働けていない)」ということになるでしょうか。結構なボリュームではないかと思います。
そして、「就労・雇用」に焦点を当てた本白書にはこんな文章もありました。
労働人口の減少から、柔軟な働き方は社会に一挙に広まっていくと考えられます。これまで働きたいのに働けなかったさまざまな人々が、労働市場に参入します。
この「働きたいのに働けなかったさまざまな人々」には、「難病者などの障害者」以外の人も含まれることに注意すべきでしょう。子育てや介護に従事している人なども同じ枠組みで捉えられると思います。機械化によってどこまで省人化が進むのかも大きく関わるので今後の社会変化の予測はなかなか難しいですが、いずれにせよ、世界最先端の「超少子高齢化社会」である日本の動向は、世界にも影響を与えるはずです。
少子高齢化が進む日本は、これからの「働き方」の先進モデルを世界に示すことができます。
そしてその上で、本白書中の次の文章はかなり重要な視点と言えるんじゃないかと思います。
私たちは、RDワーカーという存在は、単に支援される存在という意味合いを超え、誰もが働きやすい組織や社会を創り出す「先駆者」となる可能性のある存在だと考えています。
この文章を読んで僕は、昔読んだ『僕たちは島で、未来を見ることにした』という本のことを思い出しました。
島根県の離島にある海士町に移住した起業家が書いた本で、彼らの奮闘もあり、若い世代のIターン、Uターンがかなり盛んになっているみたいです。そしてそんな本書には、次のような文章がありました。
でも、この島には日本がこれから経験する、「未来の姿」がありました。
それは、人口減少、少子高齢化、財政難……どれもネガティブなものばかり。しかし、よくよく考えてみると、この島が今直面している課題は、未来の日本に到来すると言われ続けている課題と同じなのです。
もし、そうした未来のコンディションの中で、持続可能な社会モデルをつくることができたら、それは社会を変えるきっかけになる。社会の希望になれる。
「この島で起こった小さなことが、社会を変えるかもしれない」
「日本の過疎地で起きている現実は、今後日本を、そして世界を襲う現実であり、だからこそ、そこで持続可能なモデルを生み出せれば、世界全体にインパクトを与えられるかもしれない」というわけです。
そして同じことは「RDワーカー」にも言えるでしょう。労働人口が極端に減少すると予測されている日本には「RDワーカー」の需要はありそうだし、さらにその仕組が定着すれば、「難病者以外の人も働きやすい社会の創出」に大きく繋がるんじゃないかとも思うのです。
難病者が働きやすい社会は、高齢者にとっても、子育て世代にとっても、家族の介護を担う人にも、LGBTQの人にも、文化や習慣が異なる人にも、疾患がある人にも、すべての人にとって働きやすい、そして暮らしやすい社会になると考えます。
あるいは、もう少し身近な例を出すなら、「駅のエレベーター」を挙げてもいいかもしれません。今でこそ、駅のエレベーターはベビーカーを押す子育て世代には無くてはならないものでしょうが、元々駅にエレベーターはほとんどありませんでした。そしてその状況が変わったのは、車椅子ユーザーの人たちが懸命に活動・交渉を続けたお陰だと、以前何かで見聞きしたことがあります。つまり、「車椅子ユーザーによる利便性向上のための働きかけが、結果として、子育て世代にも恩恵をもたらした」というわけです。あるいは、「少し前に当選した『車椅子の国会議員』のために議事堂の改修が行われた」なんて話もありました。そして、同じようなことが「RDワーカーの就労」によって実現すると期待してもいいんじゃないかと思っているのです。
しかし現実には、「難病者の就労」には大きな問題があります。その最も分かりやすい話が「入口はあるけど、出口はない」という制度上の捻れでしょう。
例えば、指定難病の診断を受けていれば、障害者総合支援法による就労移行支援事業所に通うこと(入口)はできるのですが、法定雇用率に含まれないため就職先(出口)がない、というねじれ現象が起きています。またそれにより、難病者向けの就労移行支援事業所が少ないことも課題です。
さて、この話を理解してもらうためには「法定雇用率」いついて説明する必要があります。これは、障害者雇用促進法で規定された「一定以上の規模の会社は、一定以上の障害者を雇用しなきゃダメですよ」という制度で、全従業員に対する障害者の割合が「法定雇用率」です。ただ、ここでいう「障害者」とは「障害者手帳を交付されている人」のことを指します。だから、「障害者手帳を取れない難病者」をいくら雇用しても「法定雇用率」は上がりません。つまり企業には、「難病者を雇用するインセンティブ」(あまり気持ちの良い表現ではないですが)が無いというわけです。
障害者総合支援法の対象となっている難病者は、就労移行支援などの福祉サービスを活用してスキルや就労習慣を身につけることができますが、障害者手帳を所持していない場合、雇用促進法における「障害者雇用率」の対象とは現時点ではならないため、「障害者求人」に応募できないというギャップが生じます。
いまの日本では、障害者認定されていない難病者は制度のはざまにおり、雇用されにくい環境である。
ただ、本白書にはこんな記述もありました。
障害者雇用促進法では、「障害者」の定義として、「その他の心身の機能の障害があるため、長期にわたり職業生活に相当の制限を受け、又は職業生活を営むことが著しく困難な者」とされています。
厚労省の見解では、障害者雇用促進法に難病のある方も含まれるようですが、難病者の就労困難性を評価するための明確な基準が
現時点で存在しないことから、どこまでの範囲が定義に該当するのか、支援の現場では判断に迷うことがあり、結果として制度の間で十分な支援が受けにくい状況が生まれています。
「厚労省は『難病者も障害者雇用促進法の対象に含まれる』としているが、とはいえ実際問題、すべての難病者を対象にするのは難しい」という話なのでしょう。で、「じゃあどこで線引きするの?」という基準が無いから、「それなら運用上、難病者は一律で含めないことにしよう」みたいな話になっているんだろうと僕は理解しました。
さて、この「線引き」に関してはこんな文章もあります。
社会制度にのせる上で課題となるのが、症状や障害が固定せずに変動する難病者への判断基準を、当事者目線で新たに検討する必要性です(英国では「エネルギー障害」という新たな分野が研究されている ※出典略)。
ネットでざっくり調べてみると、「慢性疾患患者は、スタミナ、呼吸、疲労の障害であるとしてエネルギー障害と呼び、隠れた障害の1つである」というような考え方みたいです。つまり、「個別の病気として判断するのではなく、『エネルギー障害』という大きな括りを用意し、その中で様々な基準を作っていこう」みたいな提案なのでしょう。そうだとすれば「線引き」としてとても分かりやすい気がするし、1つの方向性として検討する余地はありそうな気がしました。
また、「制度の狭間」と同じような話ですが、「就労前の企業実習を行っている企業の多くが障害者手帳を持っている人を対象にしている」という問題もあります。難病者もやはり、就労前に実作業などを体験できるとミスマッチがなくて良いでしょうが、現状では難病者のための扉は存在せず、個別に自力でこじ開けていくしかないようです。この辺りは、「病気を開示してくれるなら、企業実習を受け入れる」みたいな形に出来れば現状より門戸は開きそうな気がするし、求職者も「病状を開示すべきかどうか」であまり悩まずに済むかもしれないと思ったりしました。
あるいは、「そもそも就労支援をどこに相談したらいいか分からない」という問題もあるようです。
難病者の就労支援の相談先には、ハローワーク、難病相談支援センター、地域障害者職業センター、障害者就業・生活支援センター、就労移行支援事業所、産業保険総合支援センターなど、異なる制度に基づく複数の機関があります。また、「就労支援」といっても、就職活動中の方と在職中の方では求められる支援の内容が異なります。
多くの難病者がまず相談するのは主治医や専門医ですが、医師は医療の専門家であり、就労支援に関する情報が十分に共有されていない場合もあります。そのため、「どこに相談すればよいのか」が分からず、インターネットで調べても明確な答えにたどり着けないことも少なくありません。
さらにこの点に関しては、次のような問題も指摘されていました。
ただ一方で、「相談に行っても、『難病の人の支援をしたことがないのでわからない』と言われた」という声を聞くのも事実です。大変残念なことですが、難病者が雇用のフィールドに登場したのはごく最近のことで、専門の支援者が育っていないといえます。
ちなみに、「就労・雇用」の話ではありませんが、本白書には「難病者は障害年金を活用すると良い」というアドバイスも載っています。
難病者が生活に不安なく働く方法として、障害年金を活用することを提案します。(中略)その名前に反して障害者手帳が発行されているかどうかも、指定難病に入っているかどうかも関係なく利用できます。がんも含めた病気全般がカバーされているので、私が知る限り、慢性疾患の方が利用できる給付型施策で最も幅広い間口の制度です。
ただ、「複雑な制度だし、障害者手帳が発行されていない慢性疾患の方の申請はかなりイレギュラーになるから、専門の社会保険労務士か弁護士に頼んだ方がいい」とも書かれていました。参考にしてみて下さい。
ちなみにですが、「障害者手帳を有していない難病者を法定雇用に含めれば問題は解決」というわけではもちろんないみたいで、友人によると、その辺りの背景には様々な課題がありそうでした。ただつい最近、厚労省が「2027年を目処に難病者を法定雇用に含める方針」を示したとかで、「難病界隈が盛り上がった」そうです。状況は少しずつ変わりつつあるということでしょう。
企業には何が求められているのか?
それでは続いて、「企業に出来ることは何なのか?」について触れたいと思います。
まず、本白書の中で多くの人が言及していたのが、「週5日フルタイムでの勤務が前提になっている雇用制度」についての問題意識です。健常者だって「週5は働きたくないなぁ」って感じだと思いますけど、病気を抱えて働く人の場合、余計そういう感覚が強くなるでしょう。「働きたいけど、週5フルタイムは難しい」という場合、そこで就労そのものを諦めざるを得ない状況も多々あるのだろうなと思います。
そんな中、世の中では様々な実際的な取り組みが行われているわけですが、本白書で紹介されているものの中で僕が最も感心したのはソフトバンクが行っている事例です。これはかなり実践的で、他の企業で実現可能性も高い取り組みという感じがしたし、同じようなモデルが他の民間企業に広まっても全然おかしくない気がしました。
さて、ソフトバンクが「ショートタイムワーク」という仕組みを導入したのには次のような背景があります。元々ソフトバンクでは「障害児の学習や生活支援を促進する」という目的の「魔法のプロジェクト」に取り組んできたわけですが、しかしその後、「このプロジェクトで学びを得た子どもたちの働く場所がない」という新たな課題が見つかりました。そこで、「彼らが社会に出た後で、それぞれの能力が発揮できる環境が必要だ」と考え、新たに「ショートタイムワーク」を導入したというわけです。
この仕組みの最大の特徴は、「仕事が先に決まる」という点にあります。概ね、タイミーなどのスキマバイトをイメージするといいかもしれません。
「ショートタイムワーク」というのは、東大先端研の教授が提唱した「超短時間雇用モデル」をベースにしているとのことです。そして「超短時間雇用モデル」では、以下の6つの要素が想定されています。
●職務を明確に定義する
●超短時間から働くことができる
●本質的業務以外は柔軟に考慮する
●同じ職場で共に働く
※仕事の内容やスキルの明確化
※人材の適正に応じた配置
その上で、ソフトバンクの「ショートタイムワーク」の仕組みは前半の4つ(●のもの)をベースに作られているとのことでした。
では具体的にはどのように運用されているのでしょうか。まずソフトバンクの社員に各自の業務内容を細分化してもらい、その中で「担当者が少し苦手とする業務」「他の人に分担してもらった方が生産性が上がる業務」などを洗い出します。そしてそうやって洗い出された業務をショートタイムワーカーが担う、という流れのようです。まさに「社内タイミー」みたいなイメージでしょう。
ソフトバンクでは2016年の導入以来、74人のショートタイムワーカーが67の部署で業務に従事したそうです。現在も、20代から50代までの常時20名ほどがソフトバンク社内で働いているとのこと。さらにソフトバンクでは今後、まったく同じ仕組みを使い、子育て・介護中の人も活用していく方針なのだそうです。
僕が最近ネットで読んだ記事では、サラダ専門店「クリスプサラダワークス」が「社内タイミー」のようなシステムを導入したという事例が紹介されていました。「どのアルバイトも、シフトに空きがあればどの店舗でも働ける」みたいな仕組みのようで、これで人手不足が大分解消されたのだとか。ソフトバンクの事例も、「難病者の就労」以外の部分でも活用が広がるシステムだと思うし、アイデア次第で面白い広がりが期待できるんじゃないかと感じました。
また本白書では、鎌倉市や世田谷区など様々な事例が紹介されているので、参考にしてみるといいんじゃないかと思います。
あと、これは企業が担うべきことではないとは思いますが、「壁打ち相手が大事」という話もありました。
難病のある方が就労するにあたって大切になるのが「症状についての話を壁打ちしてくれる相手」の存在だと思っています。弊所に通所されていた方の中には、疾患の認知度の低さや症状の分かりにくさから、ご自身の症状や精神的な辛さを内に秘めている方も多くいらっしゃいました。ざっくばらんに現在の症状や、自分が感じている気持ちについて話せる場が弊所のような就労支援機関だけでなく、家族や友人、同僚、ピアのつながりなど身近にあると良いなと思っています。
確かにその通りでしょう。また難病者に関しては、
特に難病者の場合、「わかりやすい障害」ではないために、何が合理的配慮なのか、患者自身も言語化が難しいことが多いように思います。
という指摘もあり、この点に関するサポートはやはりどこかしらが担った方がいいだろうなと思います。本白書を取りまとめた「両育わーるど」では「トリセツ」という自身の状態を他者に伝えるためのフォーマットをDLできるようにしていたり、あるいは本白書には「病状等の可視化トライアル」を行った結果も載っていました。こういう取り組みがもっと広がるといいのかもしれません。
https://ryoiku.org/wp-content/uploads/2025/07/torisetsu.pdf
さらに就労に関して言えば、
しかしながら、いわゆる、「難病」や「慢性疾患」「希少疾患」といったことに対して必要性は感じつつも、および腰の企業が多いように感じています。
ただ、同時にこれを単純に「理解不足」と嘆くのは企業にとっていささか気の毒にも思っています。というのは、「難病」や「慢性疾患」「希少疾患」についてその「センシティブ」な問題についての理解を深めようと思ってもその方法が分からなかったり、人事担当者の忙しさ等様々な事情も考慮する必要があります。
という指摘もあり、やはりある程度難病者側からの申告がなければ相互理解は難しいでしょう。とはいえ、
ともあれ、労働者になんらかの疾患や障害がある場合は、雇用主の責任で、職場において支障となっている事情の有無を確認しなければならない、というところまでは法律で義務付けられています。つまり、私の病気を理解してもらうための対話の場を設定するところまでは、法律で決まっています。あとは、その場でどう理解してもらうか。
ということのようなので、難病者の側は「とにかく話をしてみる」のが大事なんだろうなと思います。
また「『困りごと』を共有するだけではなく、そもそも『何ができるのか』を難病者は示す必要がある」というような指摘もありました(念の為書いておきますが、この指摘は身体障害者の方が書いていたものです)。
企業からすれば、難病者である前に、一人の従業員である。つまり、病気があることの前に、企業に対して賃金に見合った労働力の提供が必要である。
企業に対して合理的配慮を求めることは構わないが、それと同じくらい、企業に対して提供できる労働力が何かを明確にする必要がある。何もできないという人はいない。何もできないと思い込んでいるだけであり、客観的にはできることは山ほどある。自信をもって、それを口にしていく勇気がほしい。
逆に、「指示されたことは何でもやる」という難病者がいたが、これは何もできないと言っているのとさほど意味は変わらない。企業側が難病者の能力を見出すのではなく、自分が自分の技量を客観的に把握し、それを企業側へ伝えることができることで、長期的な就労が可能な状況を作り出せる可能性が高まるであろう。
この辺りはやはり、健常者の就労と変わらないでしょう。頑張るしかないなという感じです。
あと、これは文脈を無視して一部だけ切り取ると意図が正しく伝わらないかもしれませんが、一応、こんな指摘もあったという話に触れておこうと思います。
健常者にとって公平かもしれない競争は、難病の人にとって「排除」になりやすいです。雇用側には、難病者が働きたい部署を希望することを、甘えではなく「合理的配慮」の一環として受け止めてほしいと願っています。
というわけで、この辺りで「企業に出来ること/求められていること」の話を終わりにしましょう。
当事者が抱える様々な実感について
それでは最後に、本白書に載っている「当事者の様々な声」を紹介したいと思います。
多かったなと思うのが、「周囲の人間に話すかどうか」についての葛藤です。
病気のことは、なるべく人に知られたくなかったです。自分ができない事柄を共有することで、他者に気を使われてしまうのが嫌だったり、得られる機械を失ってしまうのではないかと考えていたためでした。
しかしある時から、逆に病気のことを打ち明けてみたところ、皆が気兼ねなく接してくれるようになり、気持ちが楽になりました。
友人に話したことから、自分にも気付きがありました。私は、病気や自分の手足に不便さがあることを知られるのは恥ずかしい、相手に気を遣わせてしまうと思っていました。しかし、相手からすると、どうしたらいいのか分からず、自分が配慮しないといけないことがあるのか、そしてそれを気にしていることを言っても良いのかなど考えてしまって悩んだとのことでした。私が自分のことを共有しただけで、友人も気が楽になったのでした。友人からも、「分からない方が気を遣うよ」と言われました。
友達については、はじめ仲の良いグループの友達に、病気のことを言えずにいたらすごく怒られました。「言ってくれなきゃわからないでしょ、手伝えないでしょ」と。このグループのお友達は重度訪問介護の資格を取ってくれて、一緒にハワイに行ったり、未だに国内旅行をしたりしています。
親しい間柄だとしても(というか、だからこそ)、躊躇してしまうのでしょう。ただこんな風に書いている人もいました。
基本的に職場・親族・友人には、病気のことをオープンにするスタンスでいます。就活時も含めて開示するかどうかで悩んだ経験がありませんでした。うまく言語化できていないのですが、「病気も含めて私と考えていること、今の私のあり方に病気が大きく関わっていること」が大きな理由かもしれません。周囲の人からも時々体調を気にかける言葉もいただき、本当に感謝しています。おかげで体調が悪化した際なども雑談ベースでライトに共有することができています。
また、僕の友人は「医師に対して伝える難しさ」を指摘しています。
私が通っている腎臓内科ではありませんが、残念ながら他病院の他科では未だに細かな説明を省いたり、質問をすると煙たがられてしまうなど、こちらに任せておけば良いのだと言わんばかりに、患者を置き去りにする医療機関もあると感じていますが、そうさせてしまう医療機関の背景にも目を向けたいものです。
患者はそもそも伝えるのが怖い、無理と言われてしまうだろう、最初から考えてもみなかった、すっかり諦めていた、など医師に考えや想いを伝えていない事があります。
そしてこのような話に関連して、シンプルにこんなことを書いている人もいました。
支える側の皆さんに知ってほしいことは、当事者にとって「ただ話を聞いてもらえるだけで救われている」ということです。「辛いね」「大変だね」と共感し、信じてくれるだけで十分なのです。
この辺りは、僕自身も意識しなきゃなと思います。
また、「自分が悪いと思わされてしまう」みたいな言及も多くありました。
障害者や難病者やひきこもりの人々にとって、「働かないのは悪である」「働かないのは怠けているだけ」「誰もが我慢して働いている」といった家族や親戚や世間の冷ややか目線や声は、非常に辛く苦しいものです。自分が悪いのだと思い込み、我慢して働いては余計に体調を崩してしまうというパターンは、難病者のあるあるです。
人の目を気にするあまり、休むことを後回しにしてしまうことは、今でも癖として残っています。自分の体を健康に保つことが一番大切なのに、健康な人の中に混ざってしまうと、休むことに引け目を感じてしまって、体を酷使してしまいがちです。そのため、持病のメニエール病や多発性硬化症を悪化させたりもしました。最近は段々と自分の体を大切にすることを覚えてきましたが、まだ十分ではないと考えています。
診断を受け、「自分のせいではなかった」と気付いたことで、新しい働き方を模索し始めました。
このような感覚は特に、「ALS・パーキンソン病・筋ジストロフィーなど、進行状況により外見上配慮の必要性が伝わりやすい人」以外の人が感じやすいようです。個人的にも、「見た目で分からない障害の人は別の大変さがあるだろうなぁ」と思っているのですが、この辺り、どんな風に相互理解が進むといいんでしょうね。簡単じゃないよなと思っています。
あと、本白書には様々な障害を持つ人が文章を寄せているのですが、「三叉神経痛」については全然知らず、「そんな障害があるのか」と感じました。これは「顔を刺されるような電撃痛」に襲われる病気で「話が止まるぐらい痛い」ようですが、ただ「痛みは長くても30秒程度。その後はケロッとおさまる」のだそうです。「30秒程度なら大したことなさそう」と感じるかもしれませんが、「エスカレーターに載っているときに痛みが来ると降りられず、自分も周囲の人も危険」「電車の中で痛みが起きて運行を遅らせてしまったことをきっかけに、職場近くに引っ越しました」とも書かれていて、メチャクチャ大変そうだなと思います。「痛みそのものと同じくらい、痛みが来るかもしれないという怖さが厄介です」という点は本当にしんどいでしょう。ホントに色んな障害が存在するものだなと感じました。
このように、「障害」といってもその中身は様々で、症状も向き合い方も人それぞれです。そのようなことをすべて知るのは不可能ですが、「知らないことは山ほどある」と意識しておくだけでも意味があるかもしれません。
最後に
というわけで、長々と書いてきましたが、どうだったでしょうか? 難病者にとっては「当たり前の話」ばかりでしょうが、恐らく健常者には「まったく知らなかった話」ばかりのはずだし、「そんな状況なんだ!?」と驚かされるような話も色々あったんじゃないかと思います。
それがどんなジャンルのものであれ、なかなか「白書」を読む機会はないでしょうが(僕もたぶん、初めて読んだんじゃないかな)、白書よりは僕のこの記事の方が短いと思うので(笑)、何かのきっかけになればいいなという感じです。ここまで読んでくれた方、ありがとうございました。
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