【映画】「1975年のケルン・コンサート」感想・レビュー・解説

これは面白かった! ホント冗談みたいな話なのだが、実話がベースになっているそうだ。後でも触れるが、物語の展開的にも「これは実話なんだな」と感じるものがあり、「ホント、ムチャクチャすぎる」という感じだった。

ちなみに、最近「なんでこの映画が劇場満員になるんだ?」と感じることが多いのだけど、本作もそうだった。割と広めの劇場がほぼ満員で、驚かされてしまった。やはり観客はかなりの年配の人で、「キース・ジャレットのケルン・コンサート」のことを知っている世代なんだろうなと思う。ちなみに、もちろん僕はそのコンサートのことも、っていうかキース・ジャレットのことも別に知らなかった。

さて、本作では、冒頭で「事実に基づく物語」と表記されたのだが、英語では「Inspired by a true story」となっていた。僕が映画でよく見かけるのは「Based on a true story」である。日本語の場合、「事実に基づく」と「事実に触発された」は大分イメージが違うが、英語だと大差ないのかなぁ。その辺りは何とも分からない。

ただ、間違いのない事実は、映画のラストに字幕で表示されたことだろう。ケルンで行われたキース・ジャレットのコンサートは録音され、同年発売された。そしてそのレコードは広く名作と評されたそうで、さらに、ジャズソロアルバムとして史上最も売れたとのこと。そして、そんなコンサートを実現に導いたのが、高校生プロモーターだったのである。

ではまず、本作冒頭の展開から触れることにしよう。まさにこの冒頭が「これは実話なんだろうな」と感じさせるものだった。

高校生のヴェラ・ブランデスは音楽が好きで、ナイトクラブに入り浸っている(高校生なのにタバコも酒もがんがんやっていた)。で、「アイス屋」(という表現が作中何度か出てくる)でライブをしていたロニー・スコットというジャズミュージシャンをちょっとたぶらかして食事に誘わせた(25歳だと嘘をつく)。「あなたのバンドはドラムが悪い」などと歯に衣着せぬ物言いも気に入られたのだろうか、別れ際ヴェラはロニーから「ツアーのブッキングをやってくれないか」と頼まれる。もちろんヴェラは「何で私が?」と聞く。ツアーのブッキングなどしたことないし、したいという話もしていなかったからだ。するとロニーは、「誰も君の誘いを断れないからだ」と口にした。それでヴェラは、親友や転校生や彼氏を動員しながら、やったこともないツアーのブッキングのアルバイトを始めるのだが……。

物語は、こんなところから始まる。この冒頭の展開は、時間にして5分程度だったかな。とにかくサクッと話が進んでいく。しかし、こんな展開、普通はあり得ないだろう。これがもしもフィクションだったら、もう少しリアリティを出すために描写を重ねるんじゃないかと思う。でも本作では、「あ、これ、実話でしたんで」みたいなノリでサクッと進む。もしかしたらそういう演出でこの描写はフィクションなのかもしれないが、僕はこの冒頭の描き方から「これが本当に起こったことなんだなぁ」なんて感じたりした。

というわけで、ここからどんな風に話が進んでいくのか、もう少し内容に触れておこう。

彼女の父親は厳格な歯科医であり、遊び呆けている娘に厳しい振る舞いをする。そしてそんな父親への対抗心も相まって、ヴェラはプロモーターの仕事にのめり込んでいく。最初は、自宅と繋がっている歯科医の電話からあちこちに連絡をしていた(当然、スマホなんか無い時代である)。しかしその後彼女は、稼いだ金でオフィスを借り、友人たちとそこを拠点にツアーのブッキングを行うようになる。彼女はまたたく間に注目の存在となり、取材を受けることも多かった(しかし、ある瞬間まで、両親にバレずにプロモーターとしての活動をしていたようで、そのことにも驚かされる)。

さて、当時世界では既にジャズは下火だったようだが(確かそんな説明があった気がする)、ベルリンはジャズが全盛で、盛り上がっていた。ベルリンジャス祭は世界一だと言われていた。そしてそんなジャズ祭でヴェラは運命の出会いをする。キース・ジャレットだ。

初めて彼の演奏を間近で体験した彼女は、「キース・ジャレットのコンサートを企画する」と誓う。しかもそれをオペラ座でやろうというのだ。1902年に作られたオペラ座は、大戦で大破し再建されたものの、歴史と伝統を重んじるところであり、だからジャズのコンサートなど絶対に行わない。のだが、ヴェラは支配人にまとわりつき説得、そして「23時から、セットも音響設備もPAもなし、1万マルクの前払い」という条件でオペラ座を押さえてしまう。

とはいえ、1万マルクを支払う当てはない(AIに1975年時点のレートで換算してもらったら、80万~100万円だそうだ。高校生に払える額ではない)。とはいえ、両親に頭を下げればどうにか……とも考えていたのだが、それもある事情から不可能になってしまう。

しかし走り始めたからには止まれない。彼女はどうにかこうにか公演当日を迎えた。しかしここに来て最大の問題が発生する。オペラ座が用意すると約束していたピアノを用意しておらず、舞台にはリハ用のボロピアノが置かれていたのだ。知識のない彼女は事前にそのことを理解しておらず、音チェックにやってきたキース・ジャレットが「このピアノじゃ弾けない」と言ったことでようやく事態を理解した。「もしこれが世界最後のピアノだとしても、絶対に弾かない」というぐらいの代物だったのだ。

この時点で公演まであと7時間。金曜の夕方で、頼みの支配人は捕まらない。さて、どうする……。

というような話です。

どこまで事実か分からないものの、「女子高生がキース・ジャレットの公演を企画し大成功させた」っていうのは紛れもない事実だろうし、それだけで十分ぶっ飛んでいると言える。また、Filmarksの他の人の感想をチラ見すると、「ピアノが指定のものと違っていた」というのも事実だそうで、だとすれば、本作で描かれている当日のドタバタも概ね事実に沿っていると考えていいんじゃないかなと思う。ホント、冗談みたいな話である。SNSとかスマホとかある現代なら全然あり得ちゃうかもしれないが、1975年のエピソードとしてはやはりぶっ飛びすぎているだろう。

というわけで、本作はまず、ヴェラの奔放さと奮闘がなかなか面白く観られる作品である。

で、個人的に凄く良かったなと思うのは、「作中に『キース・ジャレットの凄さ』が知識ゼロの人間でも理解できるような描写がある」ということだ。

こういう映画の場合、ありがちなのは、「ジャズやキース・ジャレットに関する知識はある程度持ってる」みたいなことが前提になっている作りだ。僕は基本的に、全然興味・関心のない対象が描かれる映画も観に行くので、「基本的な知識を持ってること」が前提の映画では振り落とされてしまうことが多い。まあ、仕方ないよなぁ、と思いつつも、もうちょっと知識ゼロの人間にも優しくてもいいんじゃないかと思ったりもする。

しかし本作は、その辺りの処理がとても上手かった。

本作には、登場人物の1人として「ジャズ評論家」みたいな人が出てきて、物語の展開をぶった切らないような形で時々「ジャズの基礎知識」を説明してくれる。そしてその1つが「キース・ジャレットがいかに凄いか」だったのだ。それを「排除の進化」という言い方で説明していた。

「ジャズ=即興」というイメージは多くの人が持っているだろうが、この「即興」には様々なレベルがあるのだそうだ。例えば最初は、曲はあらかじめ作曲されていて、バンド内での割り振りも決まっていた。ソロパートも決まっていたとかで、「それなら一体何が『即興』なんだろう?」と思ったのだが、とにかく最初はそういうものだったという。

しかししばらくして、「決まったコード進行の中で即興演奏をする」ようになっていく。コード進行だけは土台として決まっているというわけだ。そしてその後さらに、「ベースとなる曲(スタンダード)に合わせる」という形になっていく。作中では「スタンダードを土台に絵の具を投げつける」みたいな表現がされていた。

さらにその後、そのスタンダードさえも排除するジャズが生まれたが、それでもバンドとして、つまりセッションする相手がいる状態で行われていた。そしてキース・ジャレットは、そんな「スタンダードさえも排除したフリージャズ」をたった1人でやっているのである。

これがいかに難しいかも説明された。作中に「譜面を見ながらクラシックの演奏をするピアノ奏者」が出てくるのだが、ジャズ評論家がその譜面を取り払い、奏者に「今まで誰も聴いたことのない音楽を即興で弾いてくれ」という。その奏者は困った顔を見せ、評論家は「どれだけピアノが上手い人でも、普通そんなことは出来ない」と説明していた。

で、キース・ジャレットはそんな「完全に即興で行う演奏」を、1時間リピートなしで、しかもひと晩ごとにやり続けているというのだ。「そんなこと、まず出来るものじゃない」という説明には「確かにそうだろうな」と実感させられた。

というわけで、そんな「キース・ジャレットのフリージャズの凄さ」がちゃんと説明されるところが、知識ゼロの僕には凄く易しくてありがたかった。

で、本作ではヴェラだけではなくキース・ジャレットの描写も結構あるのだが、そんな凄まじい演奏を続けていることの代償は大きかった。とにかく腰痛が酷いそうで、医師の診察を受けたキース・ジャレットは「60歳ぐらいの背中だな」と言われていた(1975年時点で彼は30歳だったようだ)。歩くのもしんどいという感じだった。

また、キース・ジャレットにはマネージャーみたいな人物がいるのだが、彼が「あれだけの演奏をするには凄まじい集中力が必要だ。そして同時に完全なリラックス状態である必要もある。そんな状態では、どんな些細なことであっても音楽に影響する」と言っていたのも印象的である。その一例として、「シャッター音は頭への殴打だ」という表現をしていたし、キース・ジャレット自身は「客がセキでもしたら演奏を止めるからな」と毒づく場面もあった。

まったく何もないところから、誰も聴いたことのない音楽を1時間も即興で生み出し続けるという狂気はやはり、奏者の狂気から生まれているのだろうし、そのことが、本作での描写から若干伝わってきたのも良かったなと思う。

また、「キース・ジャレットがどうして”そんな”ライブをしているのか?」という話も興味深い。「そんな」というのは即興演奏のことではなく、「欧州のあちこちを飛行機を使わず車で移動する」というスタイルである。

キース・ジャレットは3歳で神童と呼ばれ、15歳で自分の倍の年齢の者たちとツアーをしていたという。さらに、あのマイルズ・デイヴィスからの依頼を2度断り、3回目でようやく共演をOKしたというから凄いエピソードである。もちろんアメリカでも絶大な評価を受けていたのだが、しかし彼は結局NYを離れ、コロンビアレコードからも離れ、飛行機代をケチってまで車で移動してライブを続けているのだ。その事実に対する「どうして?」である。まあこの点に関しては、キース・ジャレットの信念も凄いが、ずっと付いてきているのだろうマネージャーの存在もかなり凄いと思う。よほどキース・ジャレットの才能に惚れ込んでいないと、そんな選択は出来ないだろう。この関係性もいいなと思った。

そんなわけで、実話とは思えないような冗談みたいなエピソード満載で、そういうドタバタも面白かったし、キース・ジャレットの天才性みたいなものも垣間見れて良かったなと思う。実に興味深い作品だった。


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