【映画】「LAMB/ラム」感想・レビュー・解説

なっかなかやべぇ話だったな。

物語は、会話も説明もほとんどされないまま展開していく。だから、「なんなん???」という部分は多い。ただ、その状態で成立している映画でもあると感じた。

公式HPに多数の推薦コメントが載っているのだが、その中に小説家の乙一もいる。なるほど、たしかに乙一っぽい世界観だと思う。映画は、アイスランドの人里離れた山奥だが、舞台を日本的にアレンジしたら(あるいは、舞台がどこなのか分からないような設定に変えたら)、乙一の小説みたいな雰囲気が出る作品だと思う。

まずはネタバレなしで物語に触れておこう。
イングヴァルとマリアの夫婦は、アイスランドの山奥で羊を育てて生計を立てている。彼らの元を訪れる者はなく、2人の人間と、たくさんの羊、1匹の牧羊犬、1匹の猫、そして雄大な自然だけが、彼らの生きる環境には存在している。彼らは、羊舎の掃除をし、餌を与え、時に羊の出産を手助けし、広大な敷地で野菜などを育て、静かに生活をしている。
ある場面でイングヴァルが、「理論上タイムマシンが実現可能なようだ」と話をする。彼は、「自分は未来を知る必要はない。今が幸せだから」と答えるが、マリアは、「過去にも行ける?」と聞く。それだけの会話ではあるが、少なくともマリアには「やり直したい過去」があるのだと示唆される。
ある日、いつものように羊の出産を手伝う夫婦だったが、その日はいつもと違った。顔が先に出て、それを2人で引っ張るのだが、生まれた「それ」は彼らをとても驚かせるものだったのだ。2人は「それ」に「アダ」という名前を付け、大事に育てていく。
夫婦の生活は、その大きな衝撃以外、何も変わることはなかった。
しばらくして、イングヴァルの弟ペートゥルが彼らの元へとやってきた。どうやら何度かこの羊舎に出戻りしているようだ。借金なのかなんなのか、状況が切迫していることが分かっているイングヴァルは、いつまででもここにいていいと彼に言う。
「ただし、俺たちのことに口出しするな」
というような話です。

羊というモチーフや「アダ」という名前は、旧約聖書(創世記)を連想させるものだろうし、恐らく他にも、僕が気づいていないだけで、様々な場面に何らかの暗喩があるのだと思う。そういう、何らかの神話的背景をベースにした「狂気」が描かれていく。

観客が抱く疑問に対して、明確に答えを返してくれるような描写はほとんどない。だから、「アダ」が何故生まれたのかとか、「アダ」を夫婦がどういう存在として捉えているのかとか、ラストのアレは何なのかとか、そういうことはよく分からない。そういうことがはっきりと描かれないからこそ、「狂気」に支配されているはずの空間がなんとなく正常運行しているように見えるのだし、一方で、はっきり描かれないからこそ「狂気」が増幅している部分もある。僕には無理だが、知識がある人にはなかなか考察しがいのある映画なのではないかと思う。

僕が理解したいと感じる場面は、ペートゥルがアダを連れて釣りに出かけたさい、イングヴァルとマリアがセックスをしている場面。彼らの過去についてはほぼ描かれないので、「アダ」を迎え入れるという決断の背景にあるはずの過去がどのようなものだったのか分からない。ただ僕の勝手な予想では、それ以来彼らは「子どもを持つ」という選択から遠ざかっていたのではないかと思う。

そして、ペートゥルとアダが釣りに出た際のセックスが、久しぶりのものだった、というのが僕の解釈だ。きっと、「子どもを持つ」という気持ちに変わっていったのではないかと思うし、そのきっかけが「アダ」だったということではないかと思う。

さて、問題はここから。確か僕の記憶だと、釣りに行った帰りにトラクターが故障しているはずなので、つまり、「釣り・セックス」からラストシーンに至るまではすべて同じ日の出来事だと思う。だとすると、最後の最後、マリアが自分のお腹を見るシーンで終わるのがなかなかどういうことなのかと思ったりした。これも旧約聖書とかと何か関係があるのだろうか?

個人的には、マリアが銃を持ってしたある行動には驚かされた。「え?」って感じだった。これも、旧約聖書的に何か対応するような描写があるんだろうか? マリアがそんな行動を取る必然性が僕には理解できなかったのだけど、それを含めてマリアの狂気なのか、あるいは何らかの必然性があるのか。

あと、イングヴァルが羊舎にソファを持ち込んで寝泊まりしているみたいな描写があったんだけど、あれもなんだったんだろう? そんな行動を取らなければならない必然性がイマイチ理解できなかった。

というように、分からないところは多々あるのだけど、しかしそういう「分からなさ」は、ラストに出てくる「アレ」の存在ですべて吹き飛んだと言っていい。正直、僕の基本的な「物語を捉える際のルール」みたいな基準からすると、ラストに出てくる「アレ」はちょっと唐突過ぎて受け入れがたいと感じることが多いように思う。でも、この映画ではそんな感覚にはならなかった。何故だろう? まあ、映画全体が常に「狂気」に包まれているから、もはや何が違和感なのか見失ったということなのかもしれないけど。ラストシーンでも「え?」って思ったけど、あまりにぶっ飛んだ衝撃的な展開すぎて、「ほぇ~~」って感じで観てた。

ちょっと僕に知識がなさすぎて、あれこれ書けないのだけど、「雄大な自然をバックにした、ノマドライフ的な夫婦生活」をのんびり描いているかと思いきや、「狂気」に満ち満ちた作品であり、そのぶっ飛び方には結構驚かされた。ただ、映画が始まってからしばらくの間、物語がまあ動かないので、ちょっと眠くなってしまった部分もある。もし、この映画を配信で観る場合、結構な人が途中で諦めるのではないか。「アダ」が生まれてからも、「アダの特異性」が判明するまでまだしばらく時間が掛かるので、その辺りにやきもきして飛ばして観る人も出てくるだろう。そんな気がした。

あと、私が普段観る映画は、映画館の観客席にいる人が結構年配の人が多いのだけど、映画『LAMB/ラム』は、普段と比べると若い世代の人が結構多く、驚いた。私が観るような、決してメジャーとは言い難い映画の場合、若い人を見かける機会はそう多くないので、何か若い人の間でこの映画はちょっと話題になってたりするんだろうかと思ったりもした。まあ、たまたま若い人が多かっただけかもしえないけど。

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