【映画】「君の名は。」感想・レビュー・解説
何かを変えるものは結局、行動しかない。
たとえそれが、自らの意志によるものではなかったとしても。
彼は、行動に移した。
彼はその時、失われたものがなんだったのか、理解できていなかった。
喪失感だけが、彼の内側に残っていた。
ただの夢だったのだ、と思うことも、彼には出来た。
ただの妄想だったのだ、と片付けることも、彼には出来た。
しかし彼は、動いた。
初めは、風景だった。
彼の内側に、確かに残っていたものは。
そして、彼を強く惹きつけたものは。
輪郭だけ残った喪失感の狭間に、ひっそりと残っていたその風景が、彼を突き動かした。
しかし彼は、気付いていたのかもしれない。
その風景の奥にあるものに。
東京に住む自分には、ついぞ感じられなかったものに。
東京では、意識しなければ出会えないものに。
それは、線だ。
無数の点が、意志を持っているかのように整列することで生まれる、線だ。
東京は、散漫な点の集まりだ。
星を見て星座を見つけるように、人々はその散漫な点を無意識の内に結びながら、そこに何かを見る。
だから、皆が違うものを見ている。
東京では、人は、同じものを見ることが出来ない。
糸守は、整列した点の集まりだ。
普段は散漫に散っている点も、瞬間瞬間でその線に引き寄せられる。
彗星のようにくっついたり離れたりを繰り返しながら、長い長い尾を引いて、過去から現在に、そして未来に至る長い長い線だ。
そしてその線は、「伝統」と呼ばれている。
人々はその伝統に沿って、同じものを見る。
彼は、その伝統を見た。
糸守が受け継ぐ伝統行事の中に。
その伝統に触れた。
遠く離れたご神体の中で。
そして、時間の流れそのものである組紐が、すべてを繋ぐ。
彼は、伝統という、組紐という、彗星という線に囚われながら、あの一瞬を生きた。
それぞれの線が、日常を作り、非日常を作り、何かを生み、何かを壊し、何かを繋ぎ、何かを引き裂く世界を生きながら、彼は、東京にいる点である自分の存在を、その小ささを、その儚さを自覚する。
彼女も、行動に移した。
彼女は、東京に憧れていた。
東京に生まれ、東京に暮らしたいと思っていた。
伝統と狭すぎる人間関係に押し込められた日常にうんざりしていた。
東京での暮らしを思い、彼女は涙する。
結局囚われたままである自分の境遇に、彼女は涙する。
線にぐるぐる巻きにされていた彼女は、点になりたかった。
誰も、他人の人生を生きることは出来ない。
与えられた場所で、なんでもないことの連続である日常を生きるしかない。
でも、何かを変えるために行動することは出来る。
彼女は、時間の流れを守るために行動に移す。
自分の未来を変えるために行動を起こす。
それは、自分のことを信じてくれた誰かがいたから出来たことだ。
一本の組紐が、時間の流れそのものとなって二人を繋ぐ。
二人にしか出来ないやり方で、新しい時間の流れを生み出そうとする。
二人が出会った点から、線が生まれる。
そんな風に人生が繋がっていくことが、小さな歴史となっていく。
やがてそれが、伝統と呼ばれる悠久の時間の堆積になるかもしれないし、
彗星と呼ばれる大きな自然となっていくのかもしれない。
立花瀧は、東京の高校に通い、夜はイタリアンレストランでアルバイトをする高校生。美術や建築に興味がある、どこにでもいるような男だ。
ある日瀧は目覚めると、女性の身体になっていた。
冷静に状況を考えてみると、どうやら誰か別の女の子の身体の中に意識が入り込んでいるみたいだ。
瀧はその日、宮水三葉という女子高生として過ごした。
宮水三葉はその日朝から、色んな人に「今日は普通だね」と声を掛けられた。三葉には、なんのことか分からない。友人に聞いてみるとどうも、昨日の三葉はまるで記憶喪失みたいに変だったという。
そういえば三葉自身も、長い夢を見ていたような気がする。詳しく覚えていないけど、東京の高校生の男の子になった夢だったように思う。
糸守に代々続く神社の娘である三葉は、母の死後家を出た現町長である父とは今も良好な関係とは言いがたい。祖母から、組紐の編み方を学ばされたり、伝統行事に従事させられたりしており、三葉は、この狭い糸守という町をあまり好きにはなれない。本屋も歯医者もなく、コンビニが9時で閉まるような町はさっさと抜け出したいと思っていたし、神社の娘であり、町長の娘でもあるという自分のしがらみに嫌気も差している。
瀧と三葉は、しばらくの入れ替わりのあと事態を認識し、入れ替わっている間のダメージが最小限になるように協定を結ぶ。お互いにその日の出来事をメモに残し、禁止事項を伝え合い、どうにかこの入れ替わりの生活を乗り切ろうとしていた。
1200年に一度地球にやってくるというティアマト彗星が地球にやってくる日が迫っていることが度々ニュースで繰り返される。その当日、三葉は祭りに誘われて、友人と一緒にその彗星を見ることにするが…。
というような話です。
物凄く良い映画でした。
冒頭は、身体が入れ替わっちゃう、みたいなよくある話から始まります。前半は、ストーリーだけ抜き出せば、かなりよくある話として展開していきます。身体が入れ替わっちゃったらこんなことになるよね、というあるあるを入れ込み、それと同時に主人公二人のキャラクターを描いていく、という形です。よくある展開ではありますが、東京と田舎というギャップ、男女というギャップをとても巧く描いていくし、東京に憧れ続けた三葉の高揚や、伝統が色濃く残る日常を生きる瀧の動揺など、心の動きも繊細に描き取っていきます。
そしてある瞬間から、まったく違う物語に変貌します。そして後半の展開を知れば知る程、ありきたりな物語として展開していた前半部分に、後半に繋がる様々な伏線が隠れていたことに驚かされます。
後半で物語がどんな風に展開されていくのか、ここでは当然触れないのであまり詳しいことは書けないのだけど、運命のイタズラに翻弄された前半とは違い、自らの行動によって状況を動かしていこうとする彼らの姿がとても印象的だ。二人は、微かな記憶と淡い希望だけを携えて、不可能とも思える闘いに挑んでいく。二人が出会ったことの意味が、そこにすべて集約していく。二人が入れ替わる謎めいた現象の背後にある絡まりが徐々に解けていき、一つの時間の流れの中に着地させる手腕は実に見事だ。
瀧が風景に囚われたことで動き出さなければ何も起こらなかったし、三葉が瀧の言葉を信じなければ何も起こらなかった。崩壊がもたらす絶望と、頑張れば掴み取れそうな未来への希望が入り混じり、東京という散漫な点の集まりでしかない土地で育った瀧が、糸守という伝統の地で、形あるものを、そして形のないものを残すために奮闘する姿は、実に感動的だ。
あの彼は誰時の場面。実に印象的だった。本当の意味で初めて出会った二人は、その僅かな時間で想いを通じ合う。名前を忘れてもなお残る想いが、手のひらに温もりとして存在することを確認する場面も、とても好きだ。
物語は、身体の入れ替わりという、実際にはありえないだろう要素を含む。しかし、それでもなおこの物語が圧倒的なリアルさを兼ね備えるのは、身体の入れ替わり以外の細部から徹底的に違和感を排除しているからだろう。生活スタイル、会話、相手によって変わる反応、街の景色、美しい自然の風景、彗星の設定、大事件の後の反応。そういった、この映画を構成するありとあらゆる要素が、とてもリアルに構築されている。物語を支える土台が、細部まで徹底したリアリティを備えているが故に、唯一組み込まれている身体の入れ替わりという違和感が物語をグッと締め付けているような印象を受ける。身体の入れ替わりという要素が、この映画がアニメであるということの意味でもあるように見える。実写でもやれる物語だろうが、ここまで美しい仕上がりにはならないだろう。
映画を見ながら僕は、「レヴェナント」という映画の美しさを思い出した。「レヴェナント」は自然光のみで撮影された、大自然を舞台にした映画で、その映像はとても美しい。「君の名は。」も、東京の街並み、湖の風景、紅葉、林の中、彗星の描写、篝火、電車からの風景など、背景描写のすべてが美しい。「レヴェナント」は全編自然を舞台にした物語だったからこそ、実写も可能だったに違いない。「君の名は。」は、東京の街並みも登場する。糸守の描写だけであれば、実写でも美しい映像に出来るかもしれない。しかし、東京の街並みも含めてあれだけの美しさを作り出すのは、実写ではきっと出来ないだろう。
アニメは、絶望的な光景でさえも、美しさをまず観客に届けることが出来る。絶望の瞬間や、絶望に襲われた跡地でさえも、美しい風景として切り取ることが出来る。悲壮感は、セリフや声のトーンや音楽などで感じさせることが出来る。
まず絵が美しい。
そのことが、この映画が持つ可能性そのものなのだろうと感じた。
あれほど美しい絵でなければ、まったく同じ物語であっても、ここまでの感動はなかったかもしれない、とさえ思えるのだ。
伝統、というものに対して生理的な拒否感がある僕でも、この映画で描かれた伝統には強く関心を抱けた。言葉は失われても形だけは残す、という伝統。継続していくことこそに意味を見出すという行為は、現代では失われつつある。伝統というものを、時間の流れそのものと捉え、大きな時間の流れの中に組み込んだ少年少女に伝統というものの存在を意識させる。そういう意味でも、この映画はとても興味深かった。
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