【映画】「新世紀エヴァンゲリオン Air/まごころを、君に」感想・レビュー・解説
というわけで月1エヴァ2回目。月1と言いつつ、10月は2回あるのだ。
前回観た『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 シト新生』は、僕の理解が合っていれば、「TVシリーズ最終話である劇場版の製作が間に合わなかったので、その代わりに作ったTVシリーズの総集編的な作品」で、そして今回観た『新世紀エヴァンゲリオン Air/まごころを、君に』がTVシリーズの最終話ということだと思う。
「これは昔観たことあるんだよなぁ」と思ってたんだけど、どうやら僕が観たのは『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 DEATH(TRUE)2/Air/まごころを、君に』らしい。で、「DEATH(TRUE)2」というのが『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 シト新生』(の一部???)なのかな、そんな感じらしい。うーん、分からん。まあとりあえず今回観たのは、「TVシリーズの最終話」というわけだ。
TVシリーズを録に観ていないの最終話もクソもないし、もちろん意味不明だったのだが、でもこれ、TVシリーズをちゃんと追ってたって意味わかんないだろって感じがする。まあエヴァンゲリオンは「意味わかんないことを楽しむ」のが作法だと思ってるから全然いいんだけど。面白かったし。
さて、月1エヴァでは毎回冒頭に、関係者の音声コメントが流れるのだが、今回は碇シンジの声を担当する緒方恵美。彼女もまた、前回の『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 シト新生』の音声コメントの人(鶴巻和哉監督)も同じことを言っていたが、まず謝罪から始まった。「劇場版の製作が遅れて申し訳ない」と。でさらに、もう1つ謝罪をしていた。小さいお子様向けに、「冒頭のシーン、ごめんなさい」と言っていたのだ。何のことかよく分からなかったが(前に観ているはずなのにもちろん覚えていない)、観て「なるほど」となった。緒方恵美は、アフレコ台本を受け取った時に「ショックだった」と言っていた。
あと話していたことで印象的だったのが、「配信がなかったから、舞台挨拶はロケバスを借りてあちこち回った」という話。確かに今はライブビューイング的な仕組みがあるから1箇所でやればいいが、当時はそんな仕組みはなかったので、「新宿だけで8回、あと池袋、秋葉原、渋谷とか色々回った」みたいな感じだったそうだ。そりゃあ大変だわ。お疲れ様である。
さらに、「碇シンジを演じる上で大変だったこと」として、「シンジ君は『もう1つの14歳の時の自分の記憶』だから、公開直後は封印しちゃったりもしていた」みたいな話をしていた。そもそも自分の記憶は封印している(辛いことがあったんだろうか)そうだが、さらにそこに「シンジ君の記憶」が積み上がり、そしてそれが自分の記憶と重なる部分があったみたいなことなんだろう、演じた後で封印してしまった、というわけだ。
彼女は「随分時間が経った今振り返ってみると、頑張ってたんだなととても感慨深い」みたいなことを話していて、演じていた時と捉え方が変わったのかもしれないなと思う。まあ確かに、エヴァンゲリオンは「演じる側」にもダメージを与え得る作品って感じがするし、彼女の話その一端なんだろうなと思う。
というわけで、冒頭の音声コメントの話は終了。
で、まあこれ以降の本編については、ぜーんぜん分かってないので書けることはほぼないが、まず、「一度観ているはずなのに、ラスト付近で突然『実写映像』が出てきて驚く」なんてことがあった。ホントに、昔観た記憶をするっと忘れてるんだよなぁ。だから何回観ても面白いって側面もあるんだと思うけど。
あと、これは『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 シト新生』の冒頭で鶴巻和哉が話していたことなのだけど、あの有名な『魂のルフラン』は『シト新生』でしか流れないそうだ。本作『新世紀エヴァンゲリオン Air/まごころを、君に』には一部、『シト新生』と被っている部分があり、そして『シト新生』の方ではまさにその共通部分で『魂のルフラン』が流れるのだが、『Air/まごころを、君に』では流れなかった。そうなると、これは『シト新生』の感想の方にも書いたのだけど、「僕を含めた多くの人は、一体『魂のルフラン』をいつどこで聞いたのか?」はやはり謎のままじゃないかと思う。みんな知ってる曲だと思うのだけど、一体どこで耳にしているんだろうなぁ。
さて、内容的な話にも少し触れると、まず『Air/まごころを、君に』では、主人公であるはずの碇シンジがほぼ何もしない。ここまで何もしない主人公もなかなか珍しいだろう。黙って座ってたり、嫌だ嫌だと駄々をこねたりしかしてないし、エヴァには乗るものの結局何もしない。よくもまあそんな物語が成立するものだなと思う。
さらに本作には、碇シンジ(のってことでいいんだよな)の回想シーンが随所に出てくるんだけど(たぶんTVシリーズのシーンなんだと思う)、その中で「誰か僕に構ってよ」みたいなことを言ってたりする。これも凄いセリフだよなぁ。普通、アニメだろうがドラマだろうが、登場人物がこんなことを言わせたりしないと思うのだけど、エヴァンゲリオンではこういう感じのセリフが結構出てくるんですよね。
ただ、全然ちゃんとは説明できないけど、エヴァンゲリオンってたぶん「何か目的があるゼーレと、その計画を逆手に取って人類補完計画を進めようとする碇ゲンドウのバトル」なんだと思ってるんだけど、その「人類補完計画」ってのが「完全な単体としての生物の進化を目指すもの」だそうで、要するに「個人って概念を無くしてみんな1つになろう!」みたいなことのはず。そしてさらに、エヴァンゲリオンのバリア的な意味で出てくる「ATフィールド」が、実は「人が誰しも持っている心の壁」的なものだと明らかになり、その上で「その心の壁を壊して、みんな1つになりましょう」みたいな話になっていくのだ。
そしてそういう構成の物語だからこそ、「個々人の他者との関わり」と「人類補完計画」がまさに補完し合うような関係となり、だから「誰か僕に構ってよ」みたいなセリフも成立しちゃう感じがするというわけだ。極大と極小が一致するというか、本作にも「始まりと終わりは同じだ」みたいなセリフが出てきたりするが、そういう構造は綺麗だなと思う。
あと本作は、実に印象的なセリフで終わる。「終わる」というのは、そこからエンドロールが始まるとかではなく、文字通り映画が終わるのだ。だからエンドロールが物語の中盤(25話と26話の間)にある。この「エンドロールを中盤に持ってきて、ラストをクソ印象的なセリフで終わらせる」という構成も凄く良かったなと思う。メチャクチャインパクトあるな、これ。
で、僕は割とエンドロールの中身をちゃんと見てるんだけど、今回は「友情編集」って表記があってこれはとても気になった。「友情出演」というのはよくあるが「友情編集」なんてあり得るんだなと思う(しかし、どういう状況かイマイチ想像出来ないが)。こういうよく分からないものが目に入ったりするので、エンドロールを観ていると楽しいこともある(大体つまらないが)。
エンドロールの話をもう1つすると、「協力:昭島市立拝島保育園」って出てきて「???」って感じだった。ネットで調べてみると、どうやら「作中で流れる『むすんでひらいて』の歌をここの園児が歌ってる」ってことらしい。凄い形の「協力」の仕方があるものだなと思う。その当時「むすんでひらいて」を歌ってた園児も、まさかエヴァンゲリオンで使われているとは思わないだろう(ってかさすがに保育園児はエヴァンゲリオンを観てないか)。
最後に。エヴァンゲリオンを観ているといつも思うのだけど、「作画をしている人は物語を理解してるんだろうか?」ということだ。理解していなくても指示通りに描けばいいんだろうけど、さすがにそうもいかないのかな。でも、理解できなきゃ描けないとしたらハードル高いよなぁ。とか思ったり。
まあそんなわけで、いつもながら全然意味分からなかったけど、いつもながらとても楽しかった。ホントに、なんとも変な作品である。
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