【感想】稲差依村「呼吸器/コキユウキ」感想
生きづらさは、目に見えない。
【メガネみたいなものだと思うんだよね、<呼吸器>って。つけてると、つけてることを忘れちゃうっていうか】
メガネを掛けている人がいれば、「あぁ、目が悪い人なんだな」と思う。そのメガネには、実は度は入っていないかもしれないが、しかし「メガネを掛けている」という事実が、「視力の悪さ」という印象を与える。
しかし、生きづらさの場合、そういう見た目で分かるようなものって、ない。
【実際、もう少し小さくしようと思えば出来ました。覚えているかもしれませんが、最初期は、より小型の目立たない製品も発売されていましたし。ただ最終的には、我々が開発した<呼吸器>がスタンダードになりました。それは、「装着していること」が傍目からはっきり分かることに、特に親御さんが価値を感じてくれたからだと思うんです】
人間は、見て分かることには反応しやすい。見て分かる「大変さ」には、手を差し伸べやすいだろう。しかし、見るだけでは分からない「大変さ」には、同じ「大変さ」を共有する人でなければなかなか理解が及ばない。「朝起きられない」という人は、起きることへの辛さを感じ、またそれ相応の努力をしているだろうが、しかし傍目からは怠けているようにしか見られない場合もあるだろう。
昔から、生きづらさが目に見えたらいいのになぁ、と思うことがあった。僕は、しんどいなぁ、と思いながら若い頃(まあ今もだけど)過ごしていた。そのしんどさの正体みたいなものは、うまく説明できなかったけど、色んなことに対して「辛い」「嫌だな」「やりたくない」と思っていたし、それらは、仮に自分なりに説明できていたとしても、「やる気の問題」「やる前から諦めるのは良くない」「頑張れば出来るって」みたいな、全然違う受け取られ方をしてしまっただろうと思う。
【不思議だよね。昨日までは“障害者”だったのに、今日から僕らは“救世主”なんだってさ】
どう捉えられるかによって、人の行動は大きく変わっていく。同じ行動をする場合でも、「怠けている」と思われればプラスの感情を持って取り組みにくいし、「しょうがない」と思ってもらえれば頑張ろうと思えるかもしれない。
【コキのことを息子同然に育てるようになってから、考えるようになったよ。「生かされている」ってこういうことなのかなって。】
世の中には様々な人がいて、一人ひとり得意なことや不得意なことが違っている。誰かの当たり前は、他の誰かの当たり前ではないし、「普通」という言葉で括ることが出来る価値観なんてあり得ない。ただ、「目に見えないこと」が邪魔をして、様々な場面で「当たり前」とか「普通」という言葉が、暗黙の了解として力を持ってしまう。
【これは罰なのだろうか、と正樹は思った。罰だとするなら、誰にとっての罰なのだろう?6600万年前、隕石の衝突によって恐竜が絶滅した。ヴァランスショックが現実に起こるとして、隕石もヴァランスショックも地球の怒りなのだろうか?あるいは、自浄作用とでも呼ぶべき対抗策なのだろうか?人類は、そこに創造主の意図を感じ取るべきなのだろうか?正樹は、そんな非科学的な考えを押しやろうとするが、コキタイプの存在を合理的に考えようとすればするほど、非合理的な思考で頭が満たされてしまう。】
ある意味で“生きづらさの視覚化”をテーマにしているとも捉えられる本書は、「誰かと違うことの本質」を突きつけてくる。「違う」と主張するためには「基準」の存在が必要不可欠だが、しかし「基準」そのものが間違っている/狂っている可能性を、常に想定しなければならないはずだ。そういう、意識から排除されがちな大前提について、本書は目を開かせてくれる。
【生きているのが正解なんだったら、ウチら、間違いってことになっちゃうんじゃない?】
「生きる」ということについて、明確にラインを引かれ、二分されてしまった人類の物語を通じて、「生きづらさ」という目に見えないものへの感覚への理解が、もう少し広まってくれるといいと思う。
内容に入ろうと思います。
本書は、5編の短編が収録された連作短編集です。
まずは、全体の設定から。
20年ほど前、生まれたばかりの乳幼児がすぐに死亡する事案が大量発生した。日本だけで、3ヶ月で7万人。実に出生者数の1/4以上に上った。日本だけでなく、世界で同時多発的に発生し、その原因はしばらく分からないままだった。世界中が大パニックに陥ったが、しばらくして日本の医師がその原因を突き止めた。ちょっとした偶然から、生まれたばかりの男の子の呼気に含まれる酸素濃度が異常に高いことが判明したのだ。そこからその医師は、「もしかしたら、二酸化炭素を吸い、酸素を吐き出すのではないか」と考え、二酸化炭素濃度を高くした空気を吸わせたところ正常に呼吸するようになった。この発見により、乳幼児の大量死は収まることとなった。
なぜ突然、二酸化炭素を吸う子どもが生まれるようになったのか、その原因は未だに解明されていないが、生まれてくる子どもの1/4ほどがそういう性質を示した。最初に生き延びた男の子が「コキ」と名付けられたことから、二酸化炭素を吸う人類は「コキタイプ」と呼ばれるようになり、それにともなって酸素を吸う人類は「現タイプ」と呼ばれることとなった。
毎年「コキタイプ」が増えることで、社会は少しずつ変化していく。幼稚園や学校は「コキタイプ」への対応を迫られ、「コキタイプ」を障害認定しようと社会運動も起きた。また、空気中の酸素を二酸化炭素に変換して肺に取り込む「携帯装着型呼吸器(通称<呼吸器>)」が開発され、それまで病院や自宅など、特殊な設備を設置した環境にしかいられなかった「コキタイプ」が、多少の不便はありつつも通常通りの日常生活を送ることが出来るようになった。
まだまだ問題は残りつつも、制度や設備が少しずつ整い、「コキタイプ」は「現タイプ」と大きく変わらない生活を送れるようになっている。
そんな世界が舞台の物語だ。
「深紫」
高校生の外村善生は、公立高校に通っている。少子化の影響で運営が厳しくなっていた私立の学校が自主的に「コキタイプ」への対応を進めた結果、私立の学校には「コキタイプ」が集まり、一方公立の学校には金銭的な事情などから私立には通えない「コキタイプ」が少数通うという状況になった。善生は母子家庭であり、公立高校しか選択肢がなかった。公立高校では、少数派である「コキタイプ」がいじめに遭うケースが多く、社会問題となっていたが、善生は学校ではうまく振る舞っていた。学校で一番仲の良い齋藤伊梨香は幼馴染であり、「現タイプ」だったが昔からお互いに気が合う関係だった。伊梨香がいたから、善生は公立高校に抵抗なく進学することが出来た。ただ、伊梨香が5人組アイドルグループの一員として活躍する「コキ」の大ファンだ、という点だけは、本人には言ったことはないが、モヤモヤした感情を抱いている。
そんな彼らの関係は、あるニュースをきっかけに大きく変化していく。フランスのとある研究機関が、「10年以内に、地球の大気の30%以上を二酸化炭素が占め、酸素濃度は劇的に下がる」という予測(ヴァランスショックと呼ばれる)を発表したのだ。この発表に社会は大パニックに陥った。“障害者”という扱いだった「コキタイプ」は、この発表を受けて一転、次世代を生き延びる新人類と見られるようになり、善生と伊梨香の関係も大きく変化していく…。
「自己吸収」
善生の母親である京子は、「ヴァランスショック」を報じるニュースを眺めている。世の中ではこの発表を受けて、年金の未払いや犯罪の増加、銀行預金の急激な引き落とし、集団自殺など、自暴自棄になった人々の問題行動が頻発している。また、<呼吸器>を付けなければ生きられない「コキタイプ」を「現タイプ」は劣った存在として扱ってきたが、逆に「現タイプ」の方が<呼吸器>を付けなければ生きられない未来が確実視されたことで、あらゆる場面でヒエラルキーの逆転が起こっている。しかし京子は、そんな世の中の動きを冷静に見ている。20年前、マスコミに追われ続け、世の中の熱狂にうんざりし続けてきた彼女は、何も起こらない日常を求め続けてきたし、その延長として、生きることへの意欲が徐々に薄れていった。「ヴァランスショック」をきっかけとして、今でも唯一連絡を取り続けている新聞記者と久々に会うことになったが…。
「男公達」
厚生労働省の役人である瀧石透は、「ヴァランスショック」を受けてその対策に追われていた。総務省や経済産業省などとも連携し、社会のパニックを沈静化させようと躍起になるが、まるで追いつかない。政府は「非常事態宣言」を発令し、マスコミへの報道規制や、銀行からの引き落とし制限、SNSの利用制限など手を打つが、すべて裏目に出る。世界各国でも同様のパニックが起こっており、アメリカでは世界中の米軍基地から軍人が無断で帰国し、中国では国外逃亡する富裕層が続出した。誰もが「自由」をより強く求めて行動するようになったのだ。誰もコントロール出来ない状況の中、ネットを中心に「コキ」への期待感が高まっていくことになる。終末感漂う世界の中で、「コキタイプ」「現タイプ」問わず、「コキ」をまるで教祖のように崇めるような風潮がジワジワと広がっていったのだ。透は、一縷の望みを掛けて「コキ」の力を借りて世の中の沈静化を図る策を練り始める。しかしそのためには、兄と連絡を取らなければならない…。
「生まれ故郷」
<呼吸器>の開発者である瀧石正樹は、ある判断を迫られていた。<呼吸器>は、「コキタイプ」用のものであり、つまり酸素を二酸化炭素に変換する。しかし、「ヴァランスショック」によって、今後「現タイプ」のための、二酸化炭素を酸素に変化する<新・呼吸器>が求められることは明白だ。彼が所属する「イバトミケミカル」は、<呼吸器>の開発・販売により巨万の富を築いた会社であり、今でも<呼吸器>によって莫大な収益をあげている。彼は社長直々に、<新・呼吸器>の開発を命じられた。正樹は、<新・呼吸器>を必要とする人数が莫大であること、さらに、短期間で開発し、大量生産・大量販売しなければ間に合わない現実を踏まえ、<新・呼吸器>の特許を無償開放すべきと進言するが、社長はその意見を受け入れるつもりがない。彼はそれを受けて、独断で<新・呼吸器>の特許の無償開放に踏み切るべきかどうか悩むこととなる。
そんな折、「コキ」と話をしたいと弟から連絡があり…。
「人工呼吸」
アイドルとして活動するコキは、戸惑っていた。「ヴァランスショック」を境に、最初の「コキタイプ」として世界中に知られている自分の名前が、ネットを中心に飛び交っていることを知ったからだ。その流れは濁流のように大きくなり、アイドルとしての活動に支障が出るどころか、日々マスコミに追い回されるような状況だ。ネット上ではキリストの顔にコキの顔がコラージュされた画像が拡散し、世界中の人から事務所を通じ「お布施」のような莫大な額のお金が集まることとなった。コキは、まるで望んでいないにも関わらず、「世界を救う教祖」のような扱いをされるようになってしまう。
叔父からも、世界規模のパニックを沈静化させるために力を貸してもらえないかと連絡が来る。そういうことを言う人ではないから、恐らく本人の意思ではないのだろう。
コキは、まるで世界の命運を託されたかのようなプレッシャーに押しつぶされそうになりながらも、人づてに聞くことになった母親のある言葉を受けて、やがて一つの決断をする…。
というような話です。
なかなか面白い作品でした。
「二酸化炭素を吸う人類」という、現実にはあり得ない設定の世界観を提示することで、冒頭でも書いた“生きづらさの視覚化”が実現できているように思いました。また、<呼吸器>をつけているかどうか以外、身体的にも精神的にも何も変わらないのに、そこに絶望的な境界を引かれてしまった人々の苦悩を描き出す物語は、考え方の異なる人々が分かり合うことの困難さを見事に描き出していると思いました。世界的に、「分断」というキーワードで社会を読み解くことが出来るだろう時代において、「違い」に着目するのではなく「共通項」に目を向けることがいかに大事であるかを強く訴えている作品でもあると感じました。
物語は、「コキタイプ」と「現タイプ」が混在する世の中を生きざるを得ない人々を描き出すが、やはり冒頭の、善生と伊梨香の物語は、非常に切なく感じた。幼馴染であり、同じ価値観を共有しながら育ってきた2人は、お互いがフラットな関係であると思っていた。しかし、「ヴァランスショック」によって、彼らの内面に大きな変化が宿ることになる。善生は、<呼吸器>なしでは生きられない自分を受け入れ、そのことを殊更マイナスに捉えることなく、個性の一つと思うようにしてきたが、しかし、10年以内に<呼吸器>なしで生活できる予測が打ち出されたことで、自分で自分の感情を抑えつけていたことに気づく。今後の地球環境の変化に適応できるのが自分たち「コキタイプ」であることを誇らしく感じてしまっている自分に、そして、これから<新・呼吸器>をつけざるを得ない伊梨香に同情心を抱いている自分に気付いてしまい、そのことで自らを恥じている。
一方で伊梨香も、「コキタイプ」に対して偏見の目を持っていないつもりだったが、いざ自分が<新・呼吸器>をつけなければ生きていけないという現実を突きつけられたことで、それまで自分が意識せずとも「コキタイプ」を下に見ていたことに気付かされてしまう。作中では、生まれつき目が見えなかった人と、最初は見えていたがやがて見えなくなった人の比較が語られる。どちらの方が辛い/辛くないという議論は無意味だが、しかし伊梨香は、元々持っていたものを手放さざるを得ない状況への絶望から逃れられないでいる。それまで、お互いの(ある意味)“勘違い”によって穏やかな関係を続けることが出来ていた善生と伊梨香は、お互いに相手にどう接していいか分からなくなり、ギクシャクしてしまう。その過程は、読んでいて辛さを感じるほどだ。
京子の物語も、非常に難しい。ネタバレになってしまうのでここでは詳しく触れないが、京子はかつてマスコミから追い回され、その結果、家族の形を解消せざるを得なくなってしまう。その当時、そうするしか選択肢がなかったとはいえ、今でもずっとその選択を後悔しており、そういう状況へと追い込んだ社会への恨みを持ち続けている。しかし一方で、その最初の引き金は、誰に責任があるわけではないとも理解している。命を救ってもらったのは確かだし、そのことには感謝しかない。ある意味で偶然、自分にくじが回ってきただけに過ぎない。もしかしたら別の人であれば、もっとうまく立ち回ることが出来たかもしれない。そうすれば、社会の整備ももっと早く進んだかもしれないし、「ヴァランスショック」によってこれほど社会が混乱することもなかったかもしれない。しかし、いくら振り返ってみても、あの時はあれが限界だった。そういう葛藤を常に抱えながら、静かに、でも常に支えであろうと陰ながら思いを馳せる“母親”としての生き方に、多くの人はきっと共感することだろう。
社会の混乱を収めようとする透の奮闘や、倫理と利益の狭間で苦悩する正樹の葛藤についても非常に面白いが、しかしやはりなんといっても本書は「コキ」の物語である。生まれた時から世界中の注目を浴び、そのままある意味必然的にアイドルになっていったコキは、その出生の特殊さを除けばごく普通の青年だ。「コキタイプ」の象徴的な存在として、その動向が注目され、コキの発言や決断によって社会の方向性が決する場面も確かにあった。しかし、それは「コキタイプ」全体の利益のためにやらなければならない仕方のないことだという程度の認識だったし、自分が自然と選択してきたことが結果的に社会全体のためになるのであれば別に良かったし、大きなプレッシャーを感じるような場面もそうそうなかった。
しかし、「ヴァランスショック」以降、状況は一変してしまった。コキは、全然知らないところで祭り上げられてしまい、コキの言動一つで、世界の紛争・暴動・混乱の行方が大きく変化する、という状況に置かれてしまう。
【目の前に爆弾があって、赤と青の導線があるとするよね?なんか、どっちを切っても爆発するような気がしちゃうんだよね】
アイドルとしての活動を休止し、マスコミや熱狂的な人々から逃れるようにしてあちこちを転々とする生活に段々と嫌気が差していく。ネット上には、誰が書いているのか知らないが「コキが発言したこと」として言ったこともない言葉が氾濫し、それらの解釈を巡って争いが起きるという不毛な論争で溢れかえっていた。コキを語る人物がファンからお金を騙し取り、コキを教祖に据えたと主張する宗教団体が続出し、信頼していた人物の裏切りが明らかになるなど耐え難い状況が頻発したことで、コキは表に出る決意を固める。
また、ここでは詳しく触れないが、その背景には、母親の言葉も影響していた。長らく連絡を取らないでいた母親のある行動を知り、コキは勇気を持って、痛みを伴う決断をする…。
【誰も傷つけない決断なんか、意味がないんだ】
コキの決断を、あなたはどう感じるでしょうか?
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