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「やりたいことをやる」か「やっていることへの評価を求める」か

昔からよく考えていたことがある。「やりたいことが出来ている状態」と「やっていることが評価されている状態」のどっちがいいのだろう、ということだ。

もちろん当たり前の話だが、「やりたいことが出来ていて、それが評価されている状態」がベストであることは言うまでもない。しかしそんな状態、なかなか望めないだろう。少なくとも、誰もが目指せる状況ではないはずだ。であれば、「やりたいことをやる」か「やっていることが評価される」のどちらかを目指すことになると思う。

で、僕はやっぱりどれだけ考えても前者、つまり「やりたいことが出来ている状態」の方がいいな、と思う。

僕は運が良いことに、「文庫X」という自分の企画で、世間的に割と大きく評価されたという経験がある。つまり、「やっていることが評価される」という状態の結構良いレベルに辿り着いたことがあると言っていいと思う。そしてその時に僕は、「あ、これは違うな」と感じた。「『評価されていること自体』に喜びを感じることはなさそうだな」という感覚に至ったのだ。

もちろん、「評価されたこと」は様々な副産物を生み、それは自分にとって凄くプラスになった。興味深い人と出会う機会が増えたり、多少なりともお金を得られるような状況になったりしたことだ。ただ、そういう副産物はともかく、「評価されていること自体」に喜びが感じられたかというと、「そんなことはなかったなぁ」というのが僕の実感だ。むしろ、「どうでもいいな」とさえ感じていた気がする。それよりも、「自分のやりたいことを、制約なく自分がやりたいように出来ること」の方が重要だなと思う。

それが顕著なのが「文章を書くこと」だ。僕は文章を書くのはメチャクチャ得意だが、しかしこれを仕事にしようとはまったく思わない。もちろん、「すべてあなたの自由です。こちらからの制約は一切ないので、好きに書いてください」みたいな仕事があれば受けるが、まあそんなことはまずないだろう。それが仕事である以上、何らかの制約はついて回るはずだ。

また、どういう経緯だったかまったく覚えていないが、以前「元編集者だという人から『人に読まれる文章』にするためのアドバイスをもらう」みたいなことがあった(書店員時代に繋がりのあった人というわけではなく、何らネットで絡んだ人だったと思う)。で、その人から、「文章がとにかく長いからもっと短く」と言われたことがある。言ってることはよくその通りだ。僕の文章は異常に長い。のだけど、その時に僕は「うるせー」と感じてしまった。マジで、ンなアドバイス、クソどうでもいい。

他人から評価されて嬉しくないわけではない。ただ、その「評価」が何らかの形で僕の言動・思考・価値観を「制約」してしまうのであれば、その嬉しさは一気に消えてしまう。そんな「評価」なら、無い方がいい。

ただその一方で、マンガ家や小説家など「自ら『評価されること』に飛び込んでいく人」に対しては、勇敢さや称賛の気持ちを抱かされることもまた事実だ。「評価」が怖いわけではないと自分は認識しているのだが、さてどうなんだろう。僕は、ただ怖いだけなんだろうか。

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