【映画】「ツイッギー」感想・レビュー・解説
これは面白かったなぁ。これまで、オードリー・ヘプバーンとかマリリン・モンローのドキュメンタリー映画も観てきたけど、この2人の人生は割と「しんどい」もので、そのしんどさに焦点が当てられるものだった(もちろん、それはそれで興味深かったが)。本作『ツィッギー』の最後には、「ツィッギーも、オードリー・ヘプバーンやマリリン・モンローと同じく、世代を超える魅力を持っている」と語られていたが、そんなツイッギーの人生は、先の2人のものと比べれば随分楽しいもので(もちろん色々ありはしたが)、なかなか珍しく「全般的に楽しさに貫かれたドキュメンタリー映画」という感じだった。
僕は相変わらずだがツィッギーのことは別に全然興味がない。僕の記憶だと、初めてツィッギーの存在を知ったのは、飛鳥井千砂という小説家の『学校のセンセイ』という小説だったはずだ。その中に、どういう登場の仕方だったか覚えていないが、「ヴェスパ」と「ツイッギー」が出てきたのだ。何でそんなこと覚えているかというと、当時書店員で、バイトの子にこの小説のPOPを書いてもらったのだけど、ヴェスパとツイッギーの絵も載せてもらった記憶があるからだ。
僕のツイッギーとの接点はそれぐらいで、後はもちろん、彼女が「これが私の一番有名な写真になってしまった」と語っていた(本作には、現在のツイッギーも登場し、様々にインタビューに答えている)「モデルとして最初の写真」も出てくるのだが、それを含めたいくつかのツイッギーの写真は見覚えがある。まあそれぐらいかな。
そもそも僕は「ツイッギー」を本名だと思っていたぐらいである。これは「小枝」という意味で、新聞の見出しになった彼女のキャッチコピーだった。そう、彼女は、そのキャッチコピーが広く知られ、そのままの名前で活動を続けたのだ。そんな例、他にあるかなぁ。僕にはちょっと、パッとは思いつけない。
しかも彼女、なんと最初にメディアに載ったのが新聞だったのだ。作中で誰かが「新聞が見つけた存在に『ヴォーグ』が飛びつくなんて変よね」と言っていたが、そう、彼女はファッション誌ではなく、ニースデンの地元紙(かどうか知らないが、少なくともニースデンで手に入る新聞)でデビューを飾ったのだ。
しかも、その新聞に載った3週間後には既にトップモデルになっていたというのだから、いかに彼女がとんでもないスピードで人気を博したのかが理解できるだろう。彼女を新聞に起用した編集者は、「新聞に掲載された後、競うようにしてほぼすべての雑誌社から彼女との連絡方法を聞かれたわ」と語っていた。
しかしそんな彼女は、当時の「モデル」の常識から逸脱しまくった存在だった。というわけで、彼女が新聞に載り、一瞬で世界的スターになったその過程をまず書いていくことにしよう。
イギリス・ニースデンの労働者階級に生まれたツイッギー(本名じゃないけど、この記事ではこの呼び名で通す)は「母親が(今でいう)双極性障害だった」と点を除けば幸せな子ども時代を過ごした(母のその性質も、ツイッギーには大して大きな影響を及ぼしはしなかったようだが)。それで、彼女が幼い頃に、バーバラ・フラニッキが作った「BIBA」というファッションブランドがツイッギーの世界を塗り替えた。「若者のための服というコンセプトが突然現れた」と誰かが評していたが、彼女はBIBAの店に通い好きな服を買っていた。また、お気に入りの人形に触発された特異なアイメイクをしていて、印象を残していたようだ。
恐らくだが、彼女はBIBAの服に触れることでモデルになりたいという希望を持つようになったのだと思う。
さて、彼女は15歳の時に、25歳のジャスティンと出会った。どこで出会ったか忘れたが、「兄弟を送りに来た時」みたいな説明だったと思う。最初はただの友人だったが、しばらくしてジャスティンから「デートに誘っていい?」と言われる。付き合ったのは16歳の時だ。母は、ツイッギーとジャスティンとの年齢差もあったのだろう、この付き合いに当初は難色を示していたようだが、ジャスティンの優しさや人の良さが母の不信感を溶かしていったそうだ。
ツイッギーは、ジャスティンが働いていた(だったか、関わりがあった)雑誌社でモデルになりたいという話をしてみたのだが、編集者からは、背が低いし細すぎる、胸が小さいし曲線美もないと、モデルとしての素質はないと言われてしまった。そもそも当時は、モデルは「上流階級の仕事」と認識されていたようで、労働者階級出身のツイッギーはそういう意味でもお呼びではなかったのかもしれない。
しかし「顔がいい」ということで、モデルとしての撮影をしてもらえることになった。しかし「髪がボサボサだ」と言われ、レオナルドにヘアメイクをしてもらうことになった。ツイッギーはちょっと整えるぐらいだと思っていたのだが、結局ヘアメイクに7時間も掛かったそうだ。その後、まだ新人だったバリー・レイトガンが彼女の写真を撮った。それが「この写真が一番有名になっちゃった」と言っていたモノクロの写真である。
さて、その写真は、レオナルドのサロンに飾られることになった(そう、雑誌に載せる用に撮られた写真ではないのだ)。そしてそのサロンに髪を切りにやってきたのが、新聞社の編集者だったのだ。彼女はツイッギーの写真を見て、新聞への掲載を決める。その新聞の見出しに「ツイッギー(小枝)」と書かれていたのだ。そしてその写真を見たあらゆる雑誌が彼女にオファーをしたのである。
ツイッギー自身は、「新聞に載ったのが本名だったら、そんなにインパクトはなかった」と言っていた。が、ツイッギーから新聞に載るという話を聞いていた父親が3週間毎日新聞をチェックしており、ある日「丸々1ページの特集だぞ!」と言って部屋に飛び込んで来たそうなのだが、まだどこの誰でもない16歳の女の子で1ページドーンと特集を組むというのも破格な感じがするし、そしてそんな期待に応えるように一瞬でトップモデルへと駆け上がったわけだから、先見の明が凄まじかったということだろう。
ツイッギーに関しては、「60年代のアイコン」「常識を覆した」「業界がひっくり返った」「ミニの女王」「若者文化の体現者」など様々な形容がなされていた。また「そばかすと大きな瞳が印象的で、中性的で妖精のよう」「イタズラ好きの少年っぽさとクールな印象」のように、「中性的・少年的」みたいな評価も多くあった。それは当時の「性解放運動」とも呼応していたようだし、「性別の境界を曖昧にし、固定観念に囚われないファッションを広めた」とも言われていた。ある人物は、「ツイッギーを語るには、当時の時代背景に触れないわけにはいかない」と言っており、「時代のトップに立つモデルは、その時代が求める何かを有している」みたいなことも話していた。
さて、彼女がもたらした変化は様々にあるようだが、「笑顔」と答えている人がいて印象的だった。どうやら当時の常識では「モデルは笑わないもの」だったようなのだ(まあ、今ももしかしたらそういう印象の方が近いかもしれないが)。しかしツイッギーは、どんな時も笑っていた。それは「破顔」と言っていいような表情で、ある人物が「トラック運転手のように豪快に笑っていた」と話していたぐらいだ。
そしてもう1つ、僕はこちらの方が驚かされたが、「ツイッギーの活躍によって、労働者階級出身の人たちが人生を謳歌するようになった」というのだ。ファッションや音楽の世界で、労働者階級出身者の声が反映されるようになったそうである。同じく労働者階級出身のビートルズも同じぐらいの時期にデビュー、活躍していたはずで、イギリスではこの時期に「階級」的なものに関する大転換が起こったのだろう。
作中ではツイッギーが記者から「仕事をする上で、労働者階級出身だという肩書きを邪魔に思うことはあるか?」というアホみたいな質問をしている映像が使われていたのだが(しかし、当時としては必要な質問だったのだろう)、彼女は当然「そんなこと、考えることもない」みたいな返答をしていた。彼女は別の場面で、「あなたにしかない特別な魅力は?」「美人だと思う?」と聞かれていて、それらにも「そんなのはない」「別に」みたいに返していた。現在のツイッギーが「自惚れることもあった」みたいなことも言っていたが、彼女自身は、自分がどういう立ち位置にいるかみたいなこととは関係なしに、常に自然体でいたんだろうと思う。「大きな野望を抱いていたわけじゃなかったし、だから今の状況に一番驚いてるのは私だと思う」みたいなことも言っていた。
こうしてツイッギーは、16、7歳にして世界的大スターの仲間入りを果たしたのである。
ただ、もちろんついこの間までただの少女だったわけで、この急激な変化は彼女を戸惑わせた。元々「社交的じゃない」とかで、人が大勢いる場では「胃がキリキリしていた」という(トラック運転手のように笑っている姿からは想像出来ないが)。また本作に登場した人物(モデルかな?)が「常に見た目で判断されるし、それは若い人には辛いことだ」みたいなことを言っていた。時代もあって、ツイッギーはテレビのトークショーみたいな番組で男性から、「ビキニの写真はないの? 見たいなぁ」と言われていて、その映像に対して誰かが「不快ですよね」と辛辣なことを言っていた。まあ、確かに不快でしかない。
また、結構印象的だったのが、まだ有名になる前のウディ・アレン(僕はこの人、映画監督だとしか認識していなかったのだけど、本作では若手コメディアンと紹介されていて、そうか最初はコメディアンだったんだと思った)と対談をしている映像だ。これは少しだけ、予告映像でも使われていた。当時は「モデルや女優が軽く扱われていた」そうで、そんなステレオタイプを踏まえてウディ・アレンが「真面目は話なんか出来ないんだろうね。例えば、好きな哲学者はいる?」みたいなことを聞いていた。この映像に対しても誰かが「上から目線で相手を見下そうとする」と辛辣な表現を使っていたが、まあ確かにその通りだろう。
この時のことについて振り返ったツイッギーは、「頭の中はパニックだったけど、『泣いちゃ駄目』とだけ言い聞かせてた」と言っていた。そしてその後、実に皮肉的な展開になる。ツイッギーがウディ・アレンに「あなたは誰が好きなの?」と問いかけるのだが、なんとウディ・アレンがこれに答えられないのだ。「みんな好きだよ」「ギリシャとかの哲学者」と曖昧な返答をするんだけど、ウディ・アレンは最後まで特定の人物名を挙げなかった。ダサすぎだろ。「そんなこと、突っ込まれるとは思わなかった」ってことだろうし、それぐらいツイッギー(というか、若い女の子のこと)をナメてたんだろうなぁ。なかなか痛快な場面だった。
さて、その後彼女はキャリアの絶頂でモデルを引退し、役者へと転向する。まあ普通は、なかなか成功するものじゃないだろう。しかし彼女には役者を目指そうとしたきっかけがあった。
ツイッギーは『ボーイフレンド』という舞台を観に行ったそうで、それで、一緒に観に行った(んだったはず)ケン・ラッセル監督とその後話している時に、べろべろに酔っ払った監督から「映画での主演は君だ!」と言われたのだという。もちろん、お酒の席での話だと思っていたのだが、その後シラフのケンから改めてオファーをもらい、彼女は初映画で初主演という、これまでの歴史の中でもごく僅かしかいないチャンスを手にする。
『ボーイフレンド』はミュージカル映画であり、歌と踊りがあった。そもそもケンは映画会社に「ツイッギーを主演に『ボーイフレンド』を撮る」と提案したのだが、映画会社からは難色を示され、数カ月闘ったのだという。そしていざ撮影となったのだが、ツイッギーは「そこで、私には歌も踊りも出来ないことが判明した」と笑っていた。
ツイッギー以外の出演者は、ダンサーかダンス経験者であり、ダンスの素人はツイッギーだけだったそうだ。しかし、「最後に『ボーイフレンド』に参加することが決まった」と言っていた役者は、「稽古場でツイッギーが◯◯(『ボーイフレンド』の主演の男性だろう)と踊っているのを観た時、衝撃を受けた」と、ツイッギーのダンスの成長っぷりに驚かされたそうだ。
さらにケンはツイッギーについて、「私はこれまで、彼女ほど完璧な役者に出会ったことがない。素直で正直で実に誠実なんだ」と大絶賛していた。ケンは役者も恐れるほどの完璧主義者だったようで、そんなケンがここまで絶賛するのだから、素晴らしい演技をしたのだろう。ケンは「演技素人」であるツイッギーを主演に据えるという多大なリスクを背負いながら、原石を磨き上げて最高の作品を生み出した。映画『ボーイフレンド』でツイッギーはゴールデングローブ賞の新人女優賞と映画部門主演女優賞を受賞したそうだ。
こうして順調なスタートを切った役者人生だったが、思いがけない余波が生まれた。ジャスティンとの関係悪化である。
ツイッギーのモデル活動には、常に恋人であるジャスティンがマネージャーとしてついて回っていた。ある人物は「ジャスティンは幼かった彼女を守っていた」と評価していたが、当時は「マネージャーがとにかくウザかった」みたいな評判も立っていたようだ。ツイッギーは有名な写真家4名から出禁にされたことがあるらしいのだが(ツイッギーは「自分の功績じゃないから嫌だったのね」みたいに言っていたが)、その中の1人もマネージャーであるジャスティンに対する憤りみたいなものを表明していた。
ジャスティンは自己顕示欲が強いタイプというわけではなく、ちゃんとモデルとしてのツイッギーを支えていたようなのだが、彼女が役者の道に進み始めてから状況が変わってくる。それまでは「モデル」という、ジャスティンの意志でコントロール可能な世界にいたのだが、「役者」の世界はまったく勝手が違い、ジャスティンはド素人同然だった。ある人物は「主導権を失うことを恐れ、現状を維持しようと考えていたのだろう」と話していた。またツイッギー自身は、「ジャスティンはたぶん、私が彼から離れようとしていると考えていたのだと思う」みたいに言っていた。
結局ジャスティンとは別れてしまうのだけど、まあ難しいよなぁ。「世界的大スターになる前から知っている」みたいなのは凄く良い感じするけど、ただ、お互いの立場があまりにも違いすぎてどうにも上手くいかないみたいなことも全然あっただろう。そのまま2人がゴールインとかなれば物語としてはなかなか綺麗だったが、まあさすがにね。
その後の恋愛や結婚の話も描かれるのだが、その辺りのことはそんなに興味がなかったので割愛。個人的に衝撃的だったのは、「世界的な音楽プロデューサーであるフィル・スペクターに自宅に呼ばれた話」だ。フィル・スペクターのことを全然知らなかったので、「えっ!? そんな展開になる???」と驚かされてしまった。
そんなわけで、個人的には実に興味深い作品だった。やっぱりドキュメンタリーは面白いなぁ。久々に「書きたいことが溢れる」みたいな感じで、感想も長くなってしまった。もっとドキュメンタリー映画が観たい!
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