【映画】「ザ・ルーム・ネクスト・ドア」感想・レビュー・解説

これは実に面白かった。正直まったく観る予定ではなかった映画なので、思いがけず面白い作品に出会えてとても良かった。

本作は、劇場で予告編を何度も観たが、まったく観ようという気になれなかった。予告編ではどんな話なのかさっぱり分からなかったが、ただ、話の筋が分かったとしても、結局「観よう」とは思えなかったように思う。なにせ、テーマが地味過ぎる(「死」が扱われる話を「地味」と表現するのは適切ではないかもしれないが)。

本作で描かれるのは、「ステージ3の子宮頸がんと診断された女性が、『死』をいかに迎えるか考え、実行に移す」という物語だ。登場人物はほぼほぼ2人だけだし、物語も基本的に「いかに死ぬか」という方向にしか展開しない。めちゃくちゃミニマムな作品で、だからこそ、その魅力を伝えることが難しいとも言えるかもしれない。

本作の何が良かったというと、とにかく、癌を患ったマーサを演じたティルダ・スウィントンである。メチャクチャ良かった。ちょっとビックリしたぐらいだ。そして、マーサという役の設定と、ティルダ・スウィントンの演技によって、本作は実に興味深い物語に仕上がっている。

物語は、小説家であるイングリッドが書店でサイン会を開いているところから始まる。彼女は「死」をとても恐れているようで、そんな「死」への恐怖をテーマにした小説を上梓したばかりなのだ。すると、サインを待つ列に、旧友のステラがいた。別件でこの近くまで来ることがあり、立ち寄ったのだそうだ。そしてそこでイングリッドはステラから、「マーサがマンハッタン癌センターに入院していること」を聞かされる。イングリッドは、マーサが入院していることも、癌を患っていることも知らなかった。長いこと連絡を取っていなかったからだ。

イングリッドはすぐに、マーサが入院している病院へと向かった。ベッドには、やせ細ったマーサが横たわっていた。診断は、ステージ3の子宮頸がん。マーサは当初治療を拒否しようと考えていたそうだが、「まだステージを下りるタイミングじゃないかも」と思い直し、治療を受けている最中だ。

しかし彼女は、恐らく自分の癌が完治しないことを知っている。そしてそれ故に彼女は、「死を前にすると、生きることが残酷に思える」と口にしていた。親友の”弱気”な発言を聞いて勇気づけようとイングリッドは言葉を返すが、マーサは決して弱気になっているのではない。彼女は明確に、「どうせ死が回避出来ないのであれば、身も心も平穏なまま、少しの威厳を保ったまま穏やかに死にたい」と考えているのである。

その後、会っていなかった時間を埋め合わせるように2人は話を続ける。話題は、マーサの娘ミシェルについてだ。マーサはNYタイムズの戦場記者として長く働いてきたこともあり、「母親としては失格だった」と思っている。そして、ミシェルの方も、父親について教えてくれないマーサに対する苛立ちを募らせていたようで、マーサが当初「治療を受けない」と話をした際、ミシェルは「あなたの選択だから」と言ったそうだ。結局今も、娘との関係性にはわだかまりがある。

その後、自ら「実験台」と言っていたが、マーサは医師から進められた新しい治療法を試してみることにした。しかし、はっきりと効果がなかった。マーサは、「少しでも希望を抱いてしまった自分がバカだった」と嘆き、そうしてある大きな決断をすることになる。

しばらくしてイングリッドは、マーサから驚きの話を聞かされることになる。マーサは闇サイトで安楽死の薬を手に入れたという。だから、癌にやられる前に自分で始末をつけると決意している。一方、彼女はこれまで戦場で多くの死に触れてきたのだが、その際、必ず誰かが傍にいた。だから、自分が死を迎える時も、誰かに傍にいてほしいと思っている。

そしてそれを、あなたにお願いしたい。イングリッドはマーサからそう言われるのだ。

安楽死を手伝ってほしいわけではない。自分の死後も、イングリッドが警察に疑われないための最大限の準備はする。ただ、「The room next door.(隣の部屋にいてほしい)」だけだ。

「死」を恐れる気持ちを強く持つイングリッドは、親友からの頼みとは言え躊躇する。しかし彼女は、最終的にはその提案を受け入れる決断をし……。

というような話です。

内容紹介を読んでも、実にシンプルな話だと理解できるでしょう。物語の前半は「イングリッドがマーサと再会し、知らなかった様々な話を聞いた上で、死の直前まで一緒にいるという提案を受け入れる」という話で、そして後半は「2人が森の中の家で日々静かに暮らす時間」を映し出していく。ただそれだけの物語である。

ただ、とにかくマーサが魅力的な人物で、そしてそんなマーサをティルダ・スウィントンが見事に演じているため、とても素晴らしい映画に思えるのだ。

マーサはある場面で、こんな話をしていた。

【女性の戦場特派員はとにかく少ない。戦争は男のものだからね。ある意味では男として生きなければならなかったわけだけど、それは私にはとても簡単なことだった。】

マーサは、サイドを刈り上げたような短髪で、その風貌も合わせて実に男っぽい雰囲気を醸し出している。どこまで意図があるのか分からないが、そんな彼女が患ったのが「子宮頸がん」という、女性しかならない癌だったことも、とても示唆的と言えるだろう。捉え方によって、「男として生きてきた私が、まさか子宮頸がんになるとはね」みたいな「絶望」も、少し混じっていたりするのかもしれないとも思う。

さらに彼女は、「母親として失格だった」みたいな話もしている。彼女はちょっと色々あって、望まない形で10代の頃に妊娠・出産をし、シングルマザーとなった。しかしその後「ペーパーマガジン」を皮切りに夜のNYで記者として走り始め(イングリッドも恐らく、元々は記者かなにかをしていたのだと思う)、「子育てなんてしていられない」という状態になっていく。娘のミシェルは、父親の話ばかりを聞きたがり、そんなこともあってミシェルの父親であるフレッドのその後を調べることになった彼女は、フレッドが辿った大変な状況を知ったりもする。

と、少し脱線したが、とにかくマーサは「女性らしさ」みたいなものと自ら距離を取って生きていた(ただ、戦場で死の恐怖を紛らわせるために、セックスはたくさんしたらしいが)。だからなんとなく、その思考にも男っぽさを感じる。彼女が語る「死生観」は、イングリッドには許容しにくいものも多いのだが、しかし確かに理屈は通っている。というか、マーサの死生観には感情的なものはほぼ入りこまず、とにかく理屈が貫かれている。「男は理屈、女は感情」というのもステレオタイプではあるのだが、そんな理屈で押し通そうとするところも、マーサの男っぽさみたいなものとして感じられた。

恐らくだが、マーサの死生観には、フレッドのその後の話も関係しているのだと思う。フレッドと付き合い始めて数ヶ月で彼はベトナム戦争へと徴兵され、1年後に戻ってきた時には別人になってしまっていた。それもあって2人は別れることになったのだが、ミシェルに急かされる形でフレッドのその後を調べていたマーサは、フレッドが事故で亡くなっていたことを知る。フレッドの妻と2人でドライブ中に燃えている家を見つけたフレッドは、「中から人の声が聞こえる」と言って、燃え盛る炎の中に飛び込んでいく。後に消防が火を消し止めるが、中からはフレッドの遺体しか見つからなかったそうだ。

戦争によって人格を破壊され、その後遺症のせいで誰もいない廃屋から助けを求める声が聞こえてしまい、フレッドは命を落とした。そこには、微塵も尊厳など感じられないだろう。そして、これも恐らくフレッドのことがあって選択したのだろう戦場特派員という仕事でも、多くの「尊厳の無い死」を目にしてきたのだと思う。だからこそ彼女は、自らが死を目の前にした時に、何よりも「尊厳」にこだわったのではないか。そんな気がする。

彼女は、「上質な死を迎える権利がある」と言い、自らその方策を探し求めた。そんな話をしている過程で、彼女が口にした「病気と闘うこと」に関する話が興味深かった。

彼女は癌患者として、「周りは闘い続けることを望んでいる」と認識している。つまり、「治療を諦めることなく、病気と闘うべきだ」と皆が思っているというわけだ。しかし、長く戦場記者をやっていた彼女には、その言説は「善と悪の闘い」に似たものがあるという。

どういうことか。

病気でも戦争でも、「勝てば英雄」である。しかし、負ければどうなるか。「闘い方が足りない」ということになるのだ。あらゆる戦争を見てきた彼女には、そんな議論は不毛だと分かっている。「闘い方が足りない」なんてことはない。単に「勝つ」か「負ける」かだけなのだ。

彼女は、負けたくはなかった。この場合「負け」とは、「完治出来ないこと」や「治療の過程で耐え難いほどの苦痛に襲われる」ことなどを指していると考えればいいだろう。しかしかといって必ず勝てる保証はない。というか、癌に打ち克つのはかなり難しい。そのため、「勝つ」ためというよりは「負けない」ために、自ら死を選ぼうと考えているというわけだ。

メチャクチャ理屈が通っているし、メチャクチャ理解できる。僕も彼女と同じ状況にいたら、同じように考えるだろう。闇サイトで安楽死の薬を手に入れるほどの行動力まで僕には持ち合わせていないが、マーサの「死」に対する感覚は、メチャクチャ理解できてしまった。

さて、ここで問題になるのが、まさにタイトルにもなっている「隣の部屋にいてほしい」である。マーサが1人で死を迎えられるのであれば、何の問題もなかった。彼女は別に病院に拘束されているわけでもないので、好きなタイミングで安楽死の薬を飲めばいい。しかしマーサは、「癌より先に自分で始末をつけること」だけでなく、「死の瞬間には誰かに傍にいてほしい」という強い希望を持っていた。

これはなかなか難しい問題だ。何故なら、一歩間違えば「自殺幇助」として罪に問われてしまうからだ。

「自殺幇助」という犯罪がどのような要件で成立するのか知らないが(日本とアメリカでもまた違ったりするかもしれない)、マーサは万難を排す、つまり、どんな形でもイングリッドに容疑が向かないように準備をしていた。遺書として警察宛の手紙を残し、そこには薬の入手先などの情報をすべて書いておいた。さらに、イングリッドには「決行日」を伝えず、他にも知っておく必要のない情報は伝えなかった。とにかく自分の死後、イングリッドが「私は何も知らなかった」と言い張れるように準備していたのである。

しかし逆に言えば、それほどの準備をしなければ「自殺幇助」の罪に問われる可能性があったわけで、マーサはイングリッドにかなり危ない橋を渡らせていることになる。

そして問題はそれだけではない。これに関する描写はあまりないのだが、イングリッドはとにかく「死」に対する恐怖感が強いようで、だから普通なら「親友が死んでいく空間にいる」ことなど出来ない。しかしそれでも、ある種「戦友」と言ってもいいような間柄のマーサのたっての頼みだということで、無理やり決断するのである。

このように、「安楽死」「主たる登場人物がほぼ2人」という、目新しくない要素&ミニマムな状況ながら、マーサのキャラクター造形、警察沙汰になるかもしれないスレスレの計画、「死」への恐怖を強く抱くイングリッドなどが絶妙に絡まり合い、とても見ごたえのある作品に仕上がっている。

しかし本当に、「安楽死」というものがもう少し議論に上っても良いように思う。アメリカの場合、キリスト教の関係もあってより「安楽死」のハードルは高いと思うのだが、日本にはそういう宗教的な問題はないはずなので、もう少し議論が進んでもいいように思うのだが、どうなんだろう。

そのことは、マーサのこんな言葉からも考えさせられるのではないかと思う。

【すべての喜びが消えてしまった。もう、何に気を向けたらいいのか分からない】

マーサは読書が好きだったけど、今の身体では集中して本が読めないし、音楽は鳥のさえずり以外聴きたくない。自分の心が震えるようなものがもう亡くなってしまい、「ただ人の形をしてそこにいるだけ」みたいな状態になっているというわけだ。

正直なところ、こんな状態では「生きている」などとは言えないだろう。にも拘らず、「生きることを諦めてはいけない」などと言われるのは、本当にしんどいことだなと思う。

マーサからこのような「死生観」に関する話を向けられるイングリッドは、度々言葉に詰まる。恐らく、さほど関係の深くない人であれば、当たり障りのないことを言ったりも出来ると思う。しかし目の前にいるのは親友だ。そしてそんな親友が、「生きていることに喜びを感じられない」と言っているのだ。そんな彼女に、掛けられる言葉などあるだろうか? 

しかしそれでもイングリッドは、「マーサに生きていてほしい」という気持ちを持ち続けている。それはもちろん、当然の感覚だとは思う。ただ、その想いはマーサには届かないし、また、マーサがイングリッドに向ける気遣いもどこかズレていて、イングリッドとしては素直に喜べない。例えば、「死生観」のやり取りをして少し口論めいた感じになってしまった翌朝、マーサは「昨日の私は最悪だった」と言い、その上で、「ここに鎮静剤を入れておくから、私のおかしさに耐えられなくなったら飲んで」と言うのだ。マーサなりの配慮であることはもちろんイングリッドに伝わっているが、しかし「そういうことじゃないんだよ」とも思っていたはずだ。そういう些細な、しかし「死」を挟んでいるが故に大きすぎるズレが、少しずつ浮き彫りになっていく。

実際には本作で描かれているような「死ぬ直前まで隣の部屋にいてほしい」なんて状況は滅多に実現しないだろう。そして、そういうちょっと特異的な状況を設定したことによって、「死」に関するあまり考えたことのなかった問いが浮き彫りにされていく感じがある。静かに淡々と展開する物語ながら、その挑発的な感じは凄く良かったなと思う。

そしてラスト。それまで姿を現さなかったマーサの娘ミシェルが登場するのだが、まあ驚いた。マーサとそっくりだったからだ。僕は観ている間、「よくもまあこんなに似ている人を見つけてきたものだな」と思っていたのだけど、その理解は違ったようだ。ティルダ・スウィントンの一人二役だという。確かにそれなら納得だが、でも、「同一人物だ」と言われたらそれはそれで驚く。ティルダ・スウィントンは64歳だそうで、マーサの年齢は不明だが、大体同じようなものだろう。そしてそんな彼女が、恐らく40代半ばぐらいだろうミシェルの姿で登場するのだ。凄いものだ。本当にビックリした。

さて、後はいくつかどうでもいい話に触れて終わりにしよう。

まず、本作では、マーサとイングリッドの英語がメチャクチャ聞き取りやすかった。普段僕は、字幕を見ながらでさえ役者の英語が聞き取れないのだけど、本作は、マーサとイングリッドのセリフは大体理解できたと思う。もちろん、「子宮頸がん」のような知らない単語は聞き取れないが、割とシンプルな英語を聞き取りやすい発音で喋っていて、「全員がこういう英語を喋ってくれたら聞き取れるんだけどなぁ」なんて思ったりした。

あと、一瞬しか映らなかったので自信はないが、冷蔵庫の中に「お~いお茶」のペットボトルが入っていた気がする。ラベルには日本語で「お~いお茶」と書かれていた気がする。たぶん。

最後に、エンドロールを見ていて気になったこと。「2nd 2nd AD」という表記があって、「これは何なんだ?」と思ったりした。外国語のエンドロールは大体見ていてもよくわからないけど、たまーにこういうことがあったりする。

そんなわけで、思いがけず実に面白い作品だった。「どう死ぬか」について、改めて考えるきっかけになるんじゃないかとも思う。

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