【感想】ドラマ『冬のなんかさ、春のなんかね』の会話劇としての凄まじさ・面白さ(ガワで距離を詰めない会話)
ドラマ『冬のなんかさ、春のなんかね』の1話をもう一回観てみた。やっぱ凄いな。度肝抜かれた。
その凄まじさの根幹はやはり「会話劇の凄さ」にあると思うのだけど、僕はその「会話」の肝を「ガワで距離を詰めない」点にあると考えている。もう少し具体的に書くと、「『さん付け』『敬語』のまま、中身・雰囲気の距離だけを近づける会話」だと僕には感じられたというわけだ。
あくまでも僕の印象だが、人は概ね、誰かと距離を縮めたいと望む時、「ガワから攻める」ように思う。相手を呼び捨てや「ちゃん付け」にしたり、あるいは敬語からタメ口に切り替えたりする、みたいなことだ。こういうやり取りは、容易に想像が付くだろう。
ただ僕は、このやり方はあまり上手くいかないと思っている。というのも、「距離を詰めてきた」という事実が明白すぎるからだ。もちろん、それが良い風に働くこともあるだろう。しかし、現実世界では、そうではないことの方が多いと思う。特に「男が異性との距離を詰めようとする場合」においてはなおのことそうだろう。男側のスペックがよほど高くない限り、「ガワから攻める」というのはまあ上手くいかない気がする。
で、本作『冬のなんかさ、春のなんかね』の会話はそうなっていない。主人公たちは概ね敬語だし、「さん付け」で呼んでいる。さらに、「そんな会話をしている2人の距離感がかなり近づいていることにさほどの違和感を覚えない」みたいな感覚さえあるんじゃないかと思う。そしてその理由が、「ガワではない部分から攻めている」ことにあると僕は考えているのだ。
さて、これはまさに僕が普段から意識していることでもある。だから本作を観て僕は、「自分が喋ってるのか」と感じたぐらいだ。それぐらい、僕の普段の会話の仕方に近い印象だった。
さて、「ガワから攻める」のが上手くいかないのは、「勇気さえあれば誰にでも出来る」からだ(それを「勇気」を称していいのかは置いておくとして)。「呼び捨てにしよう」「タメ口に切り替えよう」と思いさえすれば、すぐに実行できる。そして、その安易さ故に上手くいかないのだと僕は考えているのだ。
一方、「ガワはそのままで、会話の中身や会話している雰囲気自体を変化させていくこと」は結構難しい。でも、結構難しいからこそ、相手を錯覚させることが出来る。
「ガワから攻める」場合には、「この瞬間から切り替わった」というポイントが明白だし、だからその前後で相手側も反応を変えやすい。しかし、中身や雰囲気を変化させていく場合、ぬるっと変わっていくことになるので、「あれ? 私たちいつの間にこういう会話の感じになってたんだっけ?」みたいに思わせやすいように思う。僕はそれを「相手の脳を錯覚させる」と呼んでいるのだけど、そんな風にして「はっきりしたポイント」を悟らせないようにして距離を詰めていく方が上手く行くんじゃないだろうか。
そして『冬のなんかさ、春のなんかね』の登場人物たちもそんな会話をしている感じがして、僕としては凄く親和性が感じられて嬉しかったのである。
ただ正直なところ、異性間でこういう会話が成り立つためには、「土田文菜みたいな変わった女性」の存在が必要不可欠であることも確かだ。普通に成り立つような会話ではないことは間違いない。作中でゆきおが何度か「怖い」という言葉を使っていたが、そう、文菜は結構「怖い」振る舞いをしている。人との距離感がバグってるというか、関係構築の手順をすっ飛ばしているというか、そういう存在なのだ。
そしてそんな文菜がいるからこそ成立する会話なのである。
では、そんな彼女の「変わってるポイント」とは一体どこなのか? それは、今後の物語の展開にも絡んできそうな気がするが、「自分の興味関心で動いている」という点にあるだろう。
今世間の人は、男女問わずだが、「自分がどう見られるか?」にかなりの関心を抱いているように思う。僕は何でもSNSのせいにしがちなのだが、やはりSNSの登場はそういう雰囲気を加速させただろう。SNSは一見、「自分の興味関心の発信」をしているようで、実はそうではない。「認識してほしい自分像」がまずあって、「『そういう見られ方になるためにどう振る舞うべきか』を踏まえた発信が行われている」というのが僕の認識だ。つまりは、「自分がどう見られるか?」に最大の焦点が当てられているというわけだ。
しかし文菜は、たぶんほとんどそういう観点を持っていない。「自分が興味関心を持てるか」だけが、彼女の行動原理に存在するように思う。そして、そういう視点に切り替えて彼女の行動を追えば、別段変わっているようには見えないだろう。「洗濯機が壊れた美容院でタオルを干す光景」とか「グイグイ踏み込んでも拒絶されない相手にどこまでついていけるか」みたいな関心からゆきおと関わっていたのだろうし、後半の山田という小説家とのやり取りでも、山田のあーだこーだした理屈をすべて吹き飛ばして、「(キスは)したいからしただけ」みたいに言っていた。まあそうなのだろう。興味関心があるからしているだけなのだ。
そして、彼女としては恐らくとても自然だろう行動原理に従って動いているにも拘らず、その行動はとても変わっているように見える。そのことが、本作『冬のなんかさ、春のなんかね』の面白さの一端になっていると言っていいだろう。
みたいなことを考えた。というわけで、2話以降も大変楽しみだ。ってか、マジで久々にド級のドラマに出会ったなぁ。いつぶりか思い出せない、こんな感覚。
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