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【本】安田依央「終活ファッションショー」感想・レビュー・解説

まずは、雨宮まみ氏の解説の文章から引用してみたい。

『私はあまり、死ぬのが怖いと思ったことがなかった。けれど最近、年齢の近い女性のライターが亡くなったとき、何年も彼女と会ってすらいなかった人たちが、ネット上で彼女と会ったときのことや、彼女が何を話したか、自分とどんな関係だったかを書き連ねているのを見た。
もう、最悪にぞっとした。何年も会ってないなら、それは別に仲の良かった友だちでもなんでもないだろうし、亡くなった本人が嫌っていた呼称を平気で使っていたりして、その文章を読んだ限り彼女の思想や考えを追っているとも思えなかった。そんなものが、「彼女を知る人の言葉」として広まっていく。死者のプライバシーは踏みにじられる。こんな目に遭うくらいなら誰よりもあとに死にたい、と初めて思った』

うわぁ、これは超分かるなぁ、と思った。僕も似たようなことを感じたことがある。詳しいことは書かないが、ある人物の死に対して、あくまでも僕の主観的な捉え方からすれば、その死んだ人を悼んでいるというよりは、故人に対してきちんと感情を抱いている自分を見せようとしているかのような言動を見聞きする機会があった。いや、そういう言動をしている人からすれば、それは本心なのかもしれないが、それでも僕は、うわぁーと思ってしまったのだ。

僕も、死ぬのが怖いと思ったことはないのだけど、確かにそんな風に、自分が生きた歴史みたいなものを改変されるようなのはゴメンだし、だったら出来るだけ後で死にたいと思う。

そして同じようなことは、通夜や葬式など、死後のイベント全般に対しても感じる。

個人的には、通夜も葬式も墓も要らない。死んだら死んだきり、何も残さず、何も構わないでもらいたいなと思う。もちろん、どうしたって死体の処理だけはしてもらわないといけないから、その部分だけはお願いする形にはなるけど、燃やした後の骨なんか適当に捨てといてくれて構わない―というぐらい、自分が死んだ後の儀式にはまるで興味がない。

とはいえ、もし僕が今、明確な意志を何ら残さずに死んでしまったとすれば、間違いなく葬儀は行われるだろうし、もしかしたら、葬儀はしないでくれと頼んでもされてしまうかもしれない。

でもそれは僕にとっては、雨宮まみ氏が嫌悪した故人への軽い言葉と同じような意味合いしか持たない。そうして欲しいと望んでいないことをやられる、ということは、そういうことだ。

僕は、「伝統」というものにまったく価値を見出さないような人間ではないつもりだ。昔から連綿と継続されてる「伝統」は、それがどんなものであれ、多くの時間と人を介して続いてきたという点で多大な価値があると思う。しかし一方で「伝統」というのは、ほぼ間違いなくある程度以上の個人の犠牲によって成り立っている。現行の葬儀やお墓の仕組みも、それを「犠牲」と感じているかどうかは別として、個人を「伝統」というものに縛り付けることによって成り立っている部分がある。それを一概に否定するつもりはないのだが、せめて死ぬ時ぐらい、そういう「犠牲」から自由でいたいものだよなぁ、と思う。

内容に入ろうと思います。
独立開業するつもりなどなかったのに、当時の事務所の上司と折り合いが悪く、結果的に司法書士の事務所を開いた香川市絵、34歳。彼女は、独立開業の資金などもちろん用意できなかったが故に、周囲から「幽霊屋敷」と呼ばれている、倒壊してもおかしくないような一軒家を事務所兼住居として使っている。そこに今は、基大と二人暮らし。基大は弟ではあるが、父の再婚相手の連れ子であり、しかも市絵が20歳の頃に半年ばかり一緒に暮らしたことがある程度の、要は他人である。今では、ファッションデザイナーとしてそこそこ名が知れた存在らしい。
宣伝費もないから、日がな一日一軒家の前に机を出して座っていると、やがて占い師だという噂が広まりちらほら人が集まってくる。そんな、何をしているんだか分からないような日々の中、ある日自殺しようとしている女性を見つけてしまう。
松江波津子と名乗ったその女性は、亡くなった姑が、死んだらこれを着せて欲しいと生前願っていた着物を着せられなかったことで、義姉らから責められており、死んでお詫びするしか…と言っている。なんだかよくわからないが死ぬほどのことじゃないと思った市絵だったが、その場を収めるために思いついたことを言ってみた。
「お棺に入る時に着せてほしい服を発表するショーを開きましょう」
そんなノリで始まった「終活をテーマにしたファッションショー」の企画が、市絵の周囲の年寄りや、さらに市絵自身も大きく変えていくことになる…。
というような話です。

これはなかなか面白い作品でした。正直物語としては、なかなかの「行き当たりばったり感」があって、その部分が良いんだか悪いんだかうまく評価できない部分はあります。解説で雨宮まみ氏も、『「終活」の本質とは何なのか、というテーマを打ち出したいがゆえに、登場人物や物語がテーマの脇役になっている感も多少あるが、』と指摘していて、分かるような感じもする。ただ、「終活」と最も縁遠いと言っていいだろう「ファッションショー」を組み合わせることで、「終活」の本質をあぶり出す、という作品全体の構成はハマっていると感じるし、多少強引な部分もあるかもしれないけど、よく書ききったなという感じのする作品だ。

そもそも本書の主人公が、「終活」にまったく向いていない存在だ。34歳とまだまだ若いし、まだ死を意識する年齢ではない、ということもあるのだけど、それだけではない。そもそも生きている気力みたいなものが強くなくて、将来どうなっていたいという展望はない。結婚は恐らくしないと考えているし、「大切なひと」も思い浮かばない。市絵はそんな人物だ。

そんな人物が、集まった参加者たちに「終活」を指南するのだ。この違和感がまず面白い。「終活」の何たるかを参加者はうまく理解できていないが、それは市絵の方も同じ。市絵にしてみれば、自殺志願者をとりあえず思いとどまらせようと口が滑った程度の話であって、「終活」を布教せんという強い意志があるわけでもない。ただの成り行きだ。成り行きなのだけど、どうにも流されてしまうというか、まぁいっかーという感じえずるずる行ってしまう感じが、「34歳独身女性が終活を指南する」という一見ありえない状況を成り立たせているようにも思う。

誰も「終活」というものをうまく捉えられていないから、色んな疑問や引っかかりや問題が生まれていく。それらはまず、参加者たちが何をすればいいのか、というところから生まれて来る。何をどうやって何のためにするのか、というところをみんなでちょっとずつ前進して行く。時に衝突したり、時に感情を揺さぶられたりしながら、なかなか日常の中で考えることのない「死」というものを考えていく。その過程が、読者を置き去りにしなくていいと思う。登場人物たちが悩んだり戸惑ったりしているところで、読んでいる方も同じように悩んだり戸惑ったり出来る。本書は、特にこれと言った正解を与えてくれる作品ではない。読みながら、彼らと一緒にウロウロするために読むのだ。

さらに面白いのが、「終活」を取り巻く問題が外部からもやってくるということだ。本書の舞台設定は、まだ「終活」というものが社会に定着していない世の中だ。だからこそ、無理解から来る問題が生まれる。詳しくは書かないが、やはりこれは「死」というものをタブー視する風潮から来るのだろう。その辺りのことに関しては、本書の登場人物の一人である、日本在住の米国人ライターであるレイモンド・ローズによるコラムが非常に面白い。日本人がどのように「死」と向き合っており、それが欧米諸国と比べてどう変わっているのかという部分を的確に掬い取っている感じがして面白い。

参加者たちは、未だ慣れぬ「終活」というものに対して、それぞれなりのアプローチをしていくのだが、そうやってそれぞれの人が新しい道筋を見つけて行けている展開が良い。「死」を考えることによって「生」が際立つということが、物語を通じてすんなり受け入れられるだろう。

『何かさ。私、やっと分かった気がするわ。終活ってのはさ、死ぬためのものだけじゃないんだよね。(中略)いつ終わってもおかしくないからこそ、生き切るためにするものなんだよね』

僕自身は、生きることにも死ぬことにもさほど関心がないのだけど、世の中そうではない人の方が多いだろう。今世の中的には「終活」というのは定着したように感じられるけど、とはいえいざやろうと思ったらどうしたらいいか分からないという人も多いだろうと思う。知識は実用書から得られるだろうけど、可能性や想像力は物語を通した方が理解しやすいのではないかと思う。そういう意味で面白い一冊だと思う。

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