【映画】「遠い山なみの光」感想・レビュー・解説

広瀬すず、二階堂ふみ、吉田羊、松下洸平などキャストの演技はとても良く、だから見入ってしまった。のだけど、正直なところ、ストーリーがよく分からなかった。僕の感触では、最後の3分ぐらいで「え?え?え?」みたいな展開になる。まあ確かに、作品全体を振り返ってみれば、「こういうことかな」みたいな仮説が浮かばなくもない。のだけど、それは映画の中で的確に表現されているとは言えない気がするなぁ。確かに「違和感」は色々ありはするが、ただ脳内で「まあこういうことか」ぐらいに補完できてしまう程度の「違和感」であり、だから最後の3分間の「え?え?え?」は、個人的にはちょっと受け入れがたかった。

というわけで、今説明したような理由から「ストーリー的には許容しにくい」と感じる映画だったのだけど、ただとにかく役者の演技が良いので、全然観れるし、不満があるわけでもない。

まあさらに言えば、本作の場合、エグゼクティブプロデューサーに原作者であるカズオ・イシグロが名を連ねているわけで、「原作者公認の脚本・映像」ということになる。まあだとすれば、それは物語の形として1つの正解なのだろうし、「好き嫌い」はあるにせよ、少なくとも「原作を的確に映像化出来ていない」みたいな批判は的外れなのだろう(ちなみに僕は、原作は読んでいないと思う、たぶん)。

まずは本作全体に対して、そんなことを感じた。

物語は2つの時代を行き来する。1952年の長崎と、1982年のイギリスだ。物語は1952年の長崎から始まるが、ここでは1982年のイギリスの物語から紹介を始めよう。

ロンドンに住むニキは、久々に実家に戻ってきた。母一人が暮らす郊外の家を売りに出すことに決めたという話を聞いたからだ。母の悦子は、戦後長崎からイギリスに渡ってきた。終戦後であれば特に、日本への嫌悪感を抱く欧米人も多かったはずだ。そんな時代にイギリスにやってくるのは並大抵のことではなかったはずだ。

ニキは今、大学時代の友人で既婚者である編集者と不倫しており(そのためにニキは大学を辞めたそうだ)、その編集者に「家族史を書いたらいい」と勧められている。母親が長崎出身だと聞いて、興味を抱いたのだ。母親は積極的には渡英前のことを話したがらなかったこともあり、ちゃんと話を聞けたことがない。そこでニキは母親に、「この家がまだある内に、ちゃんと話を聞いておきたい」と母に話を促すのである。

悦子の記憶は1952年の長崎に飛ぶ。悦子は妊娠中だった。夫からは「お前が被爆していなくて良かった」と言われていた。放射能は、子どもにも影響するから、と。

忙しい夫を家で待つ悦子は、ある日、佐知子という女性と知り合う。彼女が住む家には時折米兵が訪れていて、近所で噂になっていたのだ。とはいえ、悦子が最初に知り合ったのは万里子、佐知子の娘の方である。橋の下でいじめられていた万里子を家まで送り届けたのだ。

佐知子はどこか不思議な雰囲気の女性で、凄く気が合うというわけではない(というか、むしろ合わない)のだが、それでも、近所に同年代の女性があまりいないこともあり、2人は仲良くなった。

それと前後するようにして、悦子の家には、夫・二郎の父・誠二がやってきた。しばらく滞在するという。仕事で忙しいと言って父親と関わろうとしない夫に変わって、悦子が誠二の相手をしている。実は、結婚前の悦子は音楽教師をしており、その学校の校長を務めていたのが誠二だったのだ。

原爆で街も人もズタボロにされた長崎を舞台に、未だ傷の癒えない者たちが寄り添うように暮らしている。そしてそんな日々を、イギリスにいる悦子が娘に語って聞かせているのである……。

というような話です。

本作のメインビジュアルには「その嘘に、願いを込めた」と書かれていて、だから「誰かが嘘をついている」という事実は明らかにされていると言っていいでしょう(僕はそれすら知らないまま本作を観ましたが)。でまあ、誰が嘘をついているかという話になるんだけど、そりゃあもちろん「イギリスにいる悦子」でしょう。

ただ、そこまで分かった上で観たとしても、「悦子がどう嘘をついているのか」はなかなか想像出来ないんじゃないかと思います。小説ではどういう話になっているのか分かりませんが、映画化する上でこの点は結構ネックになった部分なのかもしれません。

本作でその「嘘」をどう表現しているのかには触れませんが、「こういう描写はアリなのかなぁ?」と感じたりはしました。うーん、どうなのかなぁ。ちょっと何とも言えない。「こうするしかなかったんだろう」という感じはするのだけど、それでも「これでいいのか?」とはやはり思ってしまう。というわけで、何度も書いているが、物語としてはちょっと不満がある。

ただ、やはり役者の演技がとても良く、特に広瀬すずと二階堂ふみはやはりさすがだったなと思う。この2人が画面の中にいるだけで、画として成立する。だからまあ、ストーリーがどうだろうと、まあ別に大丈夫という感じはある。

そして吉田羊もとても良かった。全編英語(彼女が喋った日本語は「いただきます」と「紅葉」ぐらいじゃないだろうか)で、大変だったと思うけど、凄く良い雰囲気だった。英語の発音も良かったし(これはつまり、「僕には聞き取れなかった」という意味なのだが)、また「何をしでかすかわからない」みたいなちょっと危うい雰囲気を絶妙に醸し出していて、とても良かったなと思う。

なんというか、悦子が”騙って”いるのは、「そうでありたかった人生」なんだろうなという感じがするし、だからこそ「ややこしいながらも、家族のあーだこーだ」が色々描かれるのだろう。つまり悦子には実際には「そういうことさえなかった」ということなのだろう。

そんなわけで本作は、「描かれなかった部分」への想像を強く促す物語だなと思う。

ストーリー的にもう少し納得感があったら良かったのだけど、そこはちょっと残念。ただとにかく、役者の演技が大変良かった。


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