【映画】「プロミシング・ヤングウーマン」感想・レビュー・解説

なるほどなぁ。正直観る予定のない映画だったのだけど、なんとなく評判が良さそうな雰囲気を感じて観に行った。そして、評判が良い理由が分かるような気がする。僕も、結構好きだ。


僕は、大前提として、「復讐や報復は無意味だ」と考えている。「目には目を」とか「やられたらやり返せ」みたいな話には、あまり賛同できない。もちろん、自分が「大きな問題の被害者」になったことがないからそんなことが言えるんだろうし、自分が「大きな問題の被害者」になった場合にどう行動するかは分からない。しかし一応、今の自分は、復讐の連鎖みたいなものは自分が断つべきだよなぁ、と考えている。

しかし、「復讐や報復は無意味」と考えるのには、ある大前提が存在する。それは、「元となる問題が周知の事実になっていること」だ。

例えば、自分の大切な人が殺され、犯人が分かっているとする。この場合、「自分の大切な人が殺された」ということは、周知の事実だといえる。この場合、復讐や報復というのは「自分だけの問題」になる。自分の内側にある怒りや悲しみとどう向き合うのかで、復讐・報復という行動に繋がるかどうか決まるだろう。

しかし、自分の大切な人が行方不明になったとしよう。そして自分だけが、「既に死んでいる」という事実を知っており、さらに誰が殺したのかも分かっているとする。この場合は、復讐もやむなし、と考えるかもしれない。

というのも、「復讐という行為」が「問題を周知の事実にする」という効果も持つからだ。

自分の感情”だけ”で復讐に動くことは、やはり正しくないと感じてしまう。しかし、「世に知られていない事実を明らかにする」という動機があるのなら、僕は許容してしまうかもしれない。社会にそれを許容しろ、と主張するつもりはないが、僕自身は僕自身の価値観に従って、そのような理由で僕自身が復讐という行為をすることも、誰かが復讐という行為に及ぼうとしていることも、良しとしてしまうかもしれない。

みたいなことを、この映画を観て実感させられた。

この復讐の話とも絡んでくると思うが、「遠い過去の過ちによって、今断罪されること」についても考えさせられた。

この記事を書いている今は、東京オリンピック2020の真っ最中であり、その開会式を巡って様々なゴタゴタが起こった。その中で、「大昔の過ちを、今の基準で断罪するのは正しいのか」という議論も一部出たようだ。

僕は、「直接の被害者が存在し、その被害者が加害者を許していない(あるいは、許していないだろうと強く推定できる)出来事」であるならば、それがどれだけ大昔の出来事であろうが、いつでも断罪されて仕方ない、と思っている。

脱線になるが、「直接の被害者が存在し、その被害者が加害者を許していない(あるいは、許していないだろうと強く推定できる)出来事」について少し説明しておこう。

例えば「不倫」というのは、結婚している人であれば「直接の被害者」は「配偶者」ということになるが、その「配偶者」が「相手を許していない」かどうかは常に不明だ。特に芸能人の不倫では、直接相手のことを知る機会はなかなかないから余計推定は難しい。そういう状況であっても、「不倫をした」という事実だけで世間が騒ぐのはおかしい、と思っている。

あるいは、「不適切な言葉を発した人物」がいるとして、「不適切な言葉を発した」という事実だけで責められることもあるが、「直接の被害者」が存在するのかどうか精査されていないケースも多いと感じる。

このように、僕なりの基準で例外は存在するが、基本的にはそれがどれだけ昔のことであっても、それが発覚したり広く知られた時点で断罪されて仕方ない、という意見である。

そして、この2つの観点、つまり「周知の事実になっていない場合の復讐は許容する」「昔の出来事でも今断罪されるべき」という理由で、僕は、この主人公の行動は正当化できる、と考えている。

なぜこんな風に理屈をつらつら並べたかと言えば、彼女の言動は、言動だけ捉えれば明らかに「アウト」だからだ。普通に考えて、許容されるものではない。

そして、「社会秩序」という名の元に、彼女の言動を社会は許容すべきではないだろう。それを公的な存在が「良し」としてしまえば、社会は成り立たない。社会はあくまでも、彼女に「NO」と言わなければならない、と僕は考えている。

ただ、個人は彼女を許容していいと思うし、「あなたのことを許容する」と大声で叫ぶべきではないかと思う。

そうしなければ、世の中は何も変わらないからだ。

「復讐」という行動によってしか社会が変わらないとするならば、それはとても低俗で残念な話だけれども、「何と闘えばいいか分からないほど複雑に入り組んだ物事」に対しては、わかり易く恐怖で迫っていくしかない、という側面もあるだろう。

実際に主人公は、「男」に復讐をしているわけではない。「前途有望な青年の人生を台無しにしない」ための世の中のあらゆる「見えない力」に抗おうとしているのだ。もちろん「前途有望な青年の人生を台無しにしない」ために女性が協力することもあり、主人公はそんな女性に対しても牙を向いていく。

彼女に牙を向かれた者たちは、本来的な意味での「問題」を理解していないだろうと思う。もちろんそれは、僕もきっと同じだ。主人公と同じレベルの解像度で、世の中を眺めたことはない。

そして、「本来的な意味で問題を理解していない人間」を「改心」させることは不可能だ。

だから彼女は、「恐怖」を与える。それが人間を、「問題がなんであるかを理解できてさえいない人間」を、「改心」へと導く可能性がある細い細い道だからだ。

世の中に存在する様々な問題が、「男女格差」や「ジェンダー」の問題として捉えられることは多い。それは確かにその通りだし、間違っているわけではない。しかし結局は、「男だから」とか「女だから」という話の前提として、「何を正義と捉えるか」という問題が横たわっているのだ、と僕は思う。

この物語を、「女の復讐物語」と捉えるのは間違いだろう、と思う。

内容に入ろうと思います。
キャシーは、30歳にして実家暮らし、友達も彼氏もおらず、訳合って医学部を中退してからは、しけたコーヒーショップでアルバイトをして平凡な生活を続けている。実家から出ようともせずにぼんやりと生きている娘を、特に母親は分かりやすく嘆いている。
キャシーは、毎週バーで”酔ったフリ”をしてバカな男を誘惑し、お持ち帰りする男に制裁を下していた。彼女にとって男は、「簡単にヤれると思って近づいてくるアホ」でしかない。
そんなある日、コーヒーショップに一人の男性がやってくる。キャシーは気づかなかったが、彼は医学部時代のクラスメートのライアンだった。学生時代からキャシーに恋をしていたという彼は、乗り気ではない彼女をデートに誘い込む。キャシーの方も彼に好意を抱くようになるのだが、大学時代のクラスメートであるが故に、当時の知り合いの話が嫌でも耳に入ってくる。
アル・モンローの名前も。今度結婚するのだそうだ。
ライアンと再会したことで、キャシーの復讐心に再び火がつくことになる。ニーナ・フィッシャーの敵討ちだ。

映画としても面白かったし、色々と考えさせられた。

映画を観ながら考えたことは冒頭であれこれ書いたが、映画を観始めた当初は、キャシーが何をしているのか(しようとしているのか)全然分からなかった。バーでお持ち帰り男に制裁を下すのはいいが、その動機がまったく分からなかったからだ。しかも医学部を中退しているという。夜な夜な謎めいた行動をする彼女に、何か深い理由があるのだと思いながらも、それが何なのかさっぱり分からないというちょっとモヤモヤした気持ちを抱えながら映画の展開を待つことになった。

興味深いのは、キャシーが自分の行いに関して、「一点の非もない」という雰囲気を滲ませている点だ。彼女がしていることは、お世辞にも褒められるようなことではないと思うが、彼女自身は自分の行為を悪いと考えていない。そういう点からも、彼女が、何か強い意思を持ってそんな行為をしているのだ、ということが伝わってくる。

それから、アル・モンローの名前を耳にしたことをきっかけの一つとして、彼女の復讐劇は始まっていくのだが、やはりここに至っても、彼女の動機は少しずつしか分からない。小出しにされていく感じだ。

そして、彼女の動機が少しずつ明らかになっていくのに比例するようにして、彼女の行動がどんどんと「正しいもの」に見えてくる。これまでは、理屈の整わないある種の狂人のような振る舞いにしか見えていなかったものが、彼女がその内側に抱えているものの正体を知ることで大きく見え方が変わる。

もちろん、だからといって、冒頭で書いたように「社会は彼女の行動を許容してはいけない」と思うが、僕は彼女に賛同したいと思う。彼女は、知られるべき出来事を周知の事実にするために闘うし、どれだけ昔の出来事であろうと許さないという固い決心をしている。そしてその態度は、とても誠実に感じられた。

主人公がある人物(彼女が誰なのか、予測はしているけど、はっきりとは分からない)から、

【Move on , for all of us(前に進んで、私たちのために)】

と言われる場面がある。確かに主人公は、他人のために時間を使いすぎで自分を大事にしていない。「私たちのために」と言うことで、キャシーの負担を軽くしたい、という善意からの言葉だろう。

それにしても、そう簡単ではない。その理由は、映画のラスト近く、キャシーの最大の復讐が実行に移されている場面で語られていた。キャシーにとってニーナの存在はとても大きかった、ということが伝わる場面だ。

他人がどう見るかはともかく、キャシーにとっては、決して悪くない結末だったのではないか、と思う。

あとは、決して恋愛映画というわけではないのだが、映画の中で重要な要素を果たすライアンとの恋模様もなかなかスリリングだ。色んな理由があって、彼らの恋愛は幾度も崩壊を経験することになるのだが、それもまた、物語の本筋と絶妙にリンクしているので、上手いなと思った。

非常に現代的なテーマを、かなりチャレンジングな方向から抉る映画で、賛否分かれそうな作品だが、問題提起として非常に優れていると思うし、映画としても面白い。

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