「コロナウイルス」より「人間の恐怖」の感染の方が怖い

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こういう文章を書くのは怖い。

それがどんな文章であれ、書かれた文章は、読み手の解釈に委ねられるし、書き手はその解釈を否定できない。きっとこの文章も、もし多くの人に読まれることがあれば、批判や非難を受けることになるだろう。

それでも、こうして誰かに読まれる前提で文章を書くのは、どんな受け取られ方をされるのか興味がある、という気持ちもあるからだ。自分の考えや価値観が、世間とどれぐらいズレているのかを確かめたい気持ちは、いつも持っている。

僕は別に、誰かを批判したり、何かを否定したり、あるいは何らかの提言をしたいわけではない。僕は、自分の頭を整理するのを第一の目的に、この文章を書く。



コロナウイルスの感染が拡大している。そして、それを抑えるための対策が様々に取られている。それらに効果があるかどうか、はっきり分かるにはまだ時間が必要だろう。

政府や専門家が、何を最大の目標に据えて対策を講じているのか、僕は正確には知らない。企業や個人も、自分たちに出来る範囲でやるべきことをやろうとしているだろうが、どこを目指しているかについて、多数の意見を知っているわけではない。しかし全体的に、テレビやネットなどを見ている限り、僕が感じることは、

「コロナウイルスに感染しないための措置・行動(以下「感染しないための対策」)」

を、国・企業・個人がそれぞれに講じ、実行し、また望んでいる、ということだ。まあ、当たり前の話なのだが。

しかし、この「感染しないための対策」について、僕には2つの疑問がある。

1つは、「感染しないための対策」をどの程度まで行うか、ということについて。
もう1つは、「感染しないための対策」を“何故”行っているか、ということについて。

前者から行こう。現在、「感染しないための対策」として、イベントの自粛や、学校の休校など、多方面に大きな影響が出る対策が取られている。確かにこれらは、「感染しないため」という観点からだけ見れば、どの程度かという点は別として、成果はあるだろうと思う。

しかし、この「感染しないための対策」によって、別のマイナスが引き起こされる。イベントの中止で借金を背負うとか、休校によって親が仕事を休まざるを得ない、などだ。大小様々なマイナスが含まれうるが、「死亡する」というマイナスも当然可能性として存在する。例えば、「イベント自粛などによる借金や倒産を原因とした自殺」「献血の不足によって輸血が出来ない状況が発生した場合の死」などが考えられるだろう。

確かに、「感染しないための対策」によって、コロナウイルスに感染することによる死者数は減るかもしれない。しかし、「感染しないための対策」を講じ”すぎる”ことによって、その対策を遠因とした死者数が増える可能性は十分にあり得る。

後者の死者数は、実際のところ、数字で把握するのは不可能だろう。ある程度の推測は出来るかもしれないが、ある自殺が「感染しないための対策」を遠因としているかどうかなど、確定させようがない。だから、現実的にどちらの死亡者数が多いかを想定して比較するのは困難だろう。とはいえ、今回行われているような「感染しないための対策」は、恐らく日本では過去に参考にできるような例が存在しないのではないかと思う。だから、「感染しないための対策」によってどんな影響が出るかは未知数だ。

もちろん、未知数という意味では、コロナウイルスも同じではある。妊婦や乳幼児への影響なども含めて、これから研究がなされる部分も多いだろうし、どんな悪影響が出るのかは分からない。しかし、死者数や死亡率については、それなりに分かってきているのではないかと思う。現在、「感染が判明している人の数」で死者数を割った場合の死亡率は、数%程度だと思う。しかし実際には、感染しても症状が出ない人も多くいるとされている。そういう「感染しているだろう人の数(もちろん、この数を正確に把握する手段は存在しないが)」で死亡率を出すとすれば、もっと低くなるだろう。

実際の数字はともかく、コロナウイルスによる直接の死者数についてはざっくりとだがある程度予測がつく。しかし、「感染しないための対策」による死者数は、まったく予想がつかない。その場合、コロナウイルスによる直接の死者数を徹底的に低減させるために、「感染しないための対策」をどこまでも行う、というやり方には限界があるだろう。

未知の感染症を前にして、無傷で闘いに勝利することは、非常に困難ではないかと思う。残念なことだが、コロナウイルスによって亡くなるかどうかはともかく、一定数の人が何らかの形で亡くなってしまうことは避けられないはずだ。その場合、「どちらがより死亡リスクが高いのか?」という観点から対策を決定しないと、コロナウイルスによる死者数が減っても、「感染しないための対策」による死者数が増えるだけ、ということにもなりかねないと思う。多くの人が、同じような危機感を抱いていることと思うが、僕も、コロナウイルスに関する騒動について、まずこの点が気になる。


さて、もう1つの、「感染しないための対策」を“何故”行っているか、について書こう。

まず、僕なりの答えを書いておこう。それは、

「コロナウイルスに感染する恐怖に対応するため(以下「感染する恐怖に対応するため」)」

である。つまり、「感染する恐怖に対応するため」に「感染しないための対策」が取られている、というのが僕の認識だ。

もう少し具体的に書こう。例えば現状、感染者を出した小売店や飲食店などは、しばらく営業を停止することが多い。この対策は果たして、「コロナウイルスに感染しないため」に行われているのだろうか?

もちろんそういう側面はある。実際にそこに勤務していた人が感染者であるなら、店内にコロナウイルスが残っている可能性はあるし、そこから感染が広がる可能性ももちろんあるだろう。

しかし、「店内にコロナウイルスが残っている可能性」など、全国どこの小売店にも飲食店にもある。というのは、今回のコロナウイルスは、特に若者は症状が出ないとされており、自覚症状がなく他人に移している可能性があるそうだ。であれば、感染者が出た店舗”だけ”閉めたところで、もちろん無駄なわけではないが、効果的かと言われればそうではないと思う。自覚症状のない感染者が、全国の様々な場所にいて、そういう人たちがありとあらゆる店舗を使っている可能性があるのだから、「店内にコロナウイルスが残っている可能性」に対処する、という意味であれば、感染者が出た店舗だけ閉めても意味がないと思う。

また、普通に考えれば、店内の消毒が済めば、営業は再開してもいいはずだ。消毒業者が捕まらない、という可能性はあるかもしれないが、ある程度時間が経っても、営業が再開された、という話を聞くことは少ない。

だから僕は、店舗を閉めるのは「コロナウイルスに感染しないため」に行われているのではなく、「感染する恐怖に対応するため」だと考えている。経営者は、「感染者が出たのに店を開けているなんて」というクレームを恐れて店を閉めるのではないか、と僕は推測する。

そして、今行われている「感染しないための対策」の多くが同じ理由、つまり、「感染する恐怖に対応するため」に行われている、と僕は考えている。

この2つは切り分けて考える必要があるはずだ。つまり、「感染しないための対策」は「コロナウイルスに感染しないため」に行い、「感染する恐怖に対応するため」には、別種の対策を講じるべきだと思うのだ。この点が、混乱の要因の1つだと僕は思う。

「感染しないための対策」は、恐怖には対応すべきではない。疫学的に効果的とされる対策を、費用対効果や実行可能性などを考慮して行えばいい。

では、「感染する恐怖に対応するため」には、何をしたらいいだろうか?

ここでさらに問題を掘り下げたい。つまり、「感染する恐怖」とは何か、ということだ。

もちろんこれは、様々なものが入り混じったものだ。「未知のものであること」「ワクチンが存在しないこと」「後遺症が残るのではないかということ」など、いろんな「恐怖」があるだろう。しかし、僕の解釈では、大きく2つに分けられると思う。それは、

「誰か別の人に感染させてしまう恐怖」
「感染によって死亡する恐怖」

である。

この2つの「恐怖」を減じることが出来れば、「感染する恐怖に対応するため」の対策としては上出来ではないかと思う。

(もちろん実際には、上記2つ以外にも、「未知のものであり、何が起こるか分からないという恐怖」もある。しかし、はっきり言ってこの「恐怖」は、コロナウイルスの研究がある程度進まないと対処出来ないので、現状では対策は存在しないだろう。)

ここからは、現実的かどうかではなく、あくまでも論理的にどう考えるべきか、という話を展開する。

「誰か別の人に感染させてしまう恐怖」を減らすためには、「他人と長時間接触しなくても生活が可能な環境」を保証するしかない。具体的には、自宅で仕事が出来るようにするとか、仕事を休まざるを得ない人への金銭的な補償を行うとか、病院に行かなくても薬がもらえる仕組みを整備するなどだ。財源との兼ね合いは当然あるだろうが、「他人と長時間接触しなくても生活が可能な環境」が保証できれば、「誰か別の人に感染させてしまう恐怖」は大きく減らせるだろう。

「感染によって死亡する恐怖」を減らすためには、とにかく情報が重要だ。どういう人が重症化しやすく、亡くなるリスクが高いのか、あるいは、そもそも身体の免疫力を高めるために何をすべきかなど、「感染しても、どうやったら死亡しない可能性が高まるか」という情報を出す必要がある。しかし今世の中では、「いかに感染しないか」という情報ばかりが流れる。すると、「感染すること=怖いこと」と認識されてしまう。そうではなくて、「感染しても死亡しない」ということに関する情報を、もっと出していくべきだろう。もちろん、コロナウイルスについての研究が進んでいない中で確定的な情報を出すことが難しいのは理解しているが、「感染によって死亡する恐怖」を減らすためには、多少不確実な情報でも出した方がいいのではないかと個人的には感じている。

また、少し方向性はズレるかもしれないが、「コロナウイルス以外の死亡リスク」に関する情報を知ることも、恐怖を抑えることにつながるかもしれない。

例えば、以下の記事によると、日本では1日50人以上、インフルエンザで死亡している。しかも、インフルエンザで入院したが、持病の心不全などで亡くなった場合はインフルエンザが死因とは記録されないので、インフルエンザを原因とする死者数は実際にはもっと多いはずだ。

日本の交通事故死者数は約3000人、自殺者は約2万人。最終的にコロナウイルスによる死亡率がどの程度になるか分からないが、コロナウイルスを怖がるのと同程度には、インフルエンザや交通事故や自殺を怖がってもいいはずだ。逆に言えば、インフルエンザや交通事故や自殺による死をそれほど怖がっていないとすれば、コロナウイルスによる死を過剰に怖がる合理的な理由はない、とも言えるだろう。

とはいえ、「恐怖」というのは感情的なものなので、こういうデータや理屈を知ったところで怖いという感覚が消えるものでもないというのは分かっている。しかし、僕が指摘したいことは、

【みんなが「怖い」と感じすぎることで、「感染する恐怖に対応するため」に「感染しないための対策」が行われてしまい、それが過剰になりすぎると、「感染しないための対策」によって死亡する人も出てきてしまうだろう】

ということだ。厳しい言い方をすれば、多くの人が「恐怖」を抱くことで、そのことが遠因となって、別の形で誰かを殺してしまう可能性がある、ということだ。

僕は、「コロナウイルスに感染すること自体はそこまで大事(おおごと)ではない」という情報を、もっと積極的に出していかないと、「コロナウイルス」よりも「人間の恐怖」の感染の方が広がりすぎて、取り返しのつかないことになるのではないか、という不安をいつも感じている。もちろん、「コロナウイルス」は、可能な限り抑え込んだ方がいいし、感染する人が少なくなるような対策を講じた方がいい。当たり前だが、感染するより感染しないに越したことはない。けれども、「感染したという事実」が、あまりにも「恐怖」と共に拡散されている現状を見ると、「感染してもそこまで大したことはない」という方向に意図的にでも少し戻していかないと、「コロナウイルス」よりも「人間の恐怖」の方が人を殺すことになってしまうと思っている。

確かに、コロナウイルスによって亡くなる人はこれからも出てくるだろうし、それはとても不幸なことだ。しかしだからといって、そのことに過剰に「恐怖」を感じたり、コロナウイルスによる直接の死者数を減らすための過剰な対策を講じてしまうと、そのことが引き金となって、また別の死を生み出してしまいかねない。

そうならないための意識を持つことが大事ではないかと、ここ最近いつも考えている。

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