【私の4年間の実話】ポップな私とASDっ子たろう君
「ポップに生きよう」
いつからだろうか、わたしの生き方の指針になった言葉だ。
ポップであかるく、あそび心のあるデザインに惹かれるのだ。
2019年 初夏
わたしは、くらい世界にいた。
過度なノルマ、終電まで対応、終わらなければ休日出勤。
わたしが派遣で入ったプロジェクトは悲惨だった。
システムエンジニアであるわたしは、一人お客様先に入った。
転職したばかり、何もかもがわからない。
終わらない仕事。
あれは夏だった。クーラーが聞いている部屋
でも、不思議とわたしには寒さがわからなかった。
ただ、「作業のノルマを終わらせなきゃ」と考えて、
背中に嫌な汗がながれていた。
「早く帰りたい、妻に電話したい」
その時、妻はお腹が大きく、実家に帰省していた。
2019年 夏のある日
「うぎゃー」
とはならなかった。逆子で帝王切開だったからだ。
でも、保育器に入れられた小さな生命は確かにそこにいた。
でも、わたしはその時、何の感動もわかなかった。
ただ生まれたんだなとホッとした。
連日の仕事で、私の心は折れていた。
既に私はくらいせかいの住人だったのだ。
灰色の世界の中、彼の手はちっちゃくてかわいいと思った。
ああ、この時もっと感動できてたら、どんなに素晴らしかっただろうか。
2019年 心療内科
こどもが生まれて、やっと私は病院に行くことができた。
不眠、自分がこの世界にいない感覚、背中の脂汗、不安
「こころが疲れてますね、まず1か月休養しましょう」
うつ病と診断された。
でも、私は休むのではなく働くことを選んだのだった。
2019年 赤ちゃんとの生活
赤ちゃんとの素敵な生活をつづりたい。
でも、私は灰色の日々を、ただ仕事に追われ、悩み。
夜遅く、家に帰り、育児を少しだけ手伝う。
休みの日も、常に仕事の事を考え、やすめない日々だった。
ただ、ちっちゃくて、丸くてかわいいな
そういう理解はしていたかな。
2020年 転々とする日々
仕事の方は散々だった。
まえのプロジェクトは変えてもらい、別のところに派遣されたものの。
そこも火を噴いたプロジェクト。
お客さんとの話はおおもめ、残業の日々。
いよいよ私の心はつかれた。
1か月休職したいと社長に願い出た。
「やすみの理由ならいつでも、つくれる」
「やすんで本当に1か月でもどれるのか?」
「他に転職した方が賢明ではないのか?」
辞めた。
この時、どうこどもと過ごしたのだろうか?
耳の病気で、たしか入院したんだっけ。
そんな大事なことも記憶にないぐらい切羽詰まっていたんだな。
2020年 転々とする日々②
転職しました。
抗うつ剤、精神安定剤をのむ
私は、うつを隠した。
でも、仕事でパフォーマンスだせるわけない。
不安症がで始めた私は、毎日が不安。
くるまでの通勤、きこえてくるラジオのCM
今でも、そのCMを聞くとぞっとする。
あかるいCMなんですけどね。
失敗続き。
こいつはつかえないとレッテルを張られ。
先輩社員に面談された。
もう耐えられない。
私の不安や恐れはピーク。
休職した。
ゆっくり休めましたかって?
体調わるいのに、会社に呼び出され。
「うちはちいさな会社
あなたを雇う余裕はない
今すぐ出社できないなら
自主退職してくれ。」
1か月の休職後、辞めた。自主退職で。
この時、妻から言われた言葉が耳に残っています。
「今休むと一生、会社もどれなくなるよ。」
ハイ、戻れませんでした。
この時は、不安症がマックス。
たろう君が体調をくずさないかばかり心配していた。
2021年 無職はあるいみ育休?
無職になった。
病院の先生に一筆書いてもらい、
自主退職でも失業保険はすぐもらえた。
たまにハローワークにいって
戻ってくる日々
妻は働きに出た
その間、たろう君とふたりっきり
離乳食つくったり
ベビーカーで公園にいったり
散歩したり
ふと気づきます
たろう君のおかしなところ
ある大雨の日
たろう君が時々ピタッと動かなくなる
その場から一歩も動こうとしません。
私は雨の中どなってしまった
たろう君は大泣き
でも動こうとしない
頑固に抵抗
私は雨の中ずぶぬれになりながら
たろう君を抱えて家に帰った
いま思えば、このこだわりの強さ
やっぱり変だったな
ことばの発達は遅れていた。
まだあまり話せなかった。
なんとかなると自分に言い聞かせながら、
背中に嫌な汗を感じたのだった。
わたしは、じだらくな日々
ライトノベルをみたり。
アニメ動画をみまくったり。
Twitterに熱中。
本も同じ本を何度も読んだ。
「道は開ける」
この時の私は、毎日が不安不安の嵐
ちょっと話せばすぐキレる
あたまのいかれた奴だっただろう。
妻との関係もこのころから冷え込んだ。
この時の一番の癒しは何だったかな?
息子と一緒にお昼寝すること。
あのすやすやとした寝息は、
うつ病で不眠の私でも寝れるふしぎなまほうだった。
2021年 就労移行支援に通う
ハローワークに精神専門の相談員がいた。
その人の紹介で、就労移行支援に通うことになった。
その際、手帳があった方がいいということで、障がい者手帳を取得
りっぱな精神障がい者になった。
週に何回かかよう。
そこにはいろんな人がいた。
車いすの人
うつっぽい人
ADHDの人
双極性障害の人
内臓がわるい人
みんな障がい者。
精神の人は、休んだり出たり
私は不安症が強いのみで、
毎日こわい、こわいと言い続けるのみ
体調も良く。何回も通った。
私の症状は軽いのだとわかった。
とっても優しい職員の人達だった。
未だに人生であんなにやさしく接してくれたのは
あそこの事業所だけだと思っている。
訓練の内容は
ワード、エクセル
DMの封入作業
ビジネスマナー
とくにワード、エクセルなんか超簡単すぎ
わたしエンジニアでそんなの使い倒している
でも、DMの封入作業は単純すぎて超いや
周りの人は必死で楽しそうに作業してました。
職を探す
「ぶんさん体調もいいし、仕事を探しましょうか?」
事業所の人に言われ、職をさがしはじめた
私は不安で不安で仕方なかった
この時、体重が激減した。
(今は中年ぶとりだ。)
オープンとクローズド
障がい者が働くさいに気にする用語。
障がいをオープンにすれば、障がい者雇用
障がいを隠せば普通の雇用
前職でうつ病を隠して痛い目に合った私は
オープンを選んだ。
障がい者雇用説明会
たくさんの障がい者が職をもとめていた。
コロナ下の中でも大盛況だった。
職を探す人に比例して、参加企業はちょっとだけ
説明会も人気企業と人気ないところの真っ二つ
説明を聞いていると、あまりの給料の低さに驚いた。
採用枠も1人か2人
現実はきびしい。
採用面接
いくつか、障がい者雇用に応募した。
障がい者雇用の履歴書は不思議な感じ
落ちて落ちて落ちて
クローズドも受けましたが、面接は散々だった。
で、就労移行支援の所長さんから紹介があり
ある企業をうけました。派遣会社。
人事のサポートとして採用されました。
障がい者雇用される
無職は辛い。
半年無職でした
働けないことがこんなにつらいなんて
やっと働ける、喜んだ。
「パパは頑張るよ」
入った会社
障がい者雇用担当の方は、なぜかすぐ退社しました。
以前から辞める予定で、私は身代わりだったのだ。
誰も面倒をみなくなりました。
私は薬でふらふらしながら部長に仕事をきき
まじめに仕事をやっていた。
がんばったつもりだった。
契約期間満了、延長なし宣告
ひ・せ・い・き・こ・よ・う
死の宣告
雇用保険も使い切って
今すぐみつけなければ、貧窮する。
やばい
精神安定剤の力でぼーっとしながらも
そのあまりのやばさに駅の前で立ち続けた。
急いで、やったことは求人サイトに応募、応募、応募
がむしゃらに応募した。
2社うかった。
システムエンジニアなのでスキルはあるのだ。
専門的なスキルもちは最強。
もしもスキルをもってなかったら
100%の貧困がまっていたと思うとぞっとした。
システムエンジニアに戻る
妻からは大反対された。
だが、他に選択はない。
ハロワークの精神障がい者担当のかたに相談
「とにかくいますぐ入社しなさい」
「3ヶ月ぐらい在籍して、失業手当がもらえるように
なったら、再度別の会社に移ればいい」
「それに働きながらいい職場をみつけたほうがいい」
いや、もっともだった。
やんでるとはいえ、家計をささえる必要がありる。
妻がおさなごの育児しながら、
ちょこっとパートでは
この世の中生活できない現実、
わたしが働かなきゃ
このころは、やっと自分も職がみつかって安心し、
活動的になったときで、
こどもとよく公園にいった
いろいろあっても、こどもが楽しそうに
ゆうぐであそんでいる姿をみるといやされた。
じゅんすいに、たのしむっていいな。
2022年 不安な仕事
ふあんでした。
とくかくこわい
会社にいくのがこわい
安定剤のまなきゃ
ふあんふあん
毎日こういって通勤していた。
新しい仕事の1つ一つが不安
Java書けって言われたらどうしよう。
納期おくれたらどうしよう
不安ながらも一生懸命
とにかく必死に働く
正社員だけど、SESという派遣に似た業種
短期契約が続き
いろんなお客様先を点々とした。
薬を飲んで、ふあんをこらえて
抗うつ剤と精神安定剤のみながら
パフォーマンスはわるい。
あまりいい評価は得られなかった。
とりあえず、いわれたことをやり。
とにかく早くかえる
そういう毎日
はたらくってこんなに大変なんだ。
子供はどんどん成長していく。
2歳ぐらいになると、
発語もできてくる。
でも、この子はなんかへん。
あまり話さないし、
よく引っ張っていかれて、あれあれという
言葉の量がすくない。
トミカをきれいに一列に並べる
好き嫌いが多い。とにかく嫌だとおもったら食べない
音に敏感。家の近くにドクターヘリのヘリポートがある
大音量でやかましいが
息子は尋常じゃない行動をする。
発達しょうがい?
WEBでしらべて、しらべて
本をなんさつか買って
小児科の先生にもいわれる
「この子は、かんしゃくがひどい」
(びょういんが嫌で、なきさけび、あばれまわりったのだ)
「一度、発達の相談を専門の機関にしたほうがいい」
でも、相談しにいった妻がいわれたのは
「発達がおくれるこはいるものです。」
もう少し大きくなるまでまちましょう。
この子は発達障がいだな
そう思っていましたが、もやもやがその先つづきました。
3歳児検診
わたしの毎日は
朝起きて、
仕事が不安だ、行きたくない
そういって仕事に行き。
不安ながらも淡々としごとをし。
帰る日々だった。
ストレスからか、はぎしりがはじまった
その後ずっとつづいた。
よるは寝れないので依存性がない睡眠薬を
のんでねる。
もう何年もやっている習慣
3歳児検診がはじまった。
うちは、4歳になるギリギリぐらいだったかな。
3歳児検診受けたのは。
「おなまえは?」
「・・・・」
「何歳?」
「・・・・」
絶望的でした。
あと一番困ったのは検尿でした。
とにかく暴れまくる。
寝る時にとれるやつ使っても失敗
ということで、遅れにおくれた検診だった。
このころぐらいから、
私は発達障がい関連の本はよまなくなった。
だって、書いてあることどれも同じ。
たろうは全部あてはまる。
もはや確信だった。
ただ、ストレスなのは確定がないこと
人間、はっきりしないことほどストレスなことはないのだ。
2023年 確定
4歳児になって、
妻が、福岡市の保健福祉センターに相談にいったことで
療育センターをしょうかいされた。
そこで、医師や専門のスタッフがいて、
発達の診断もやってもらえるということだった。
診断の最中
たろう君は
診断の担当の方が、
絵を指して、やってみてといっても
「公園に行きたい」
「お名前は?」
「公園に行きたい」
この絵はなに?
ネコの絵なのに
「イヌ」
えっと、確定かな。
医師からの診断。
「お子さんは自閉症スペクトラム障害です。」
・・・
「あと知的しょうがいが軽度~中度の間です。」
でも発達の差があり
年齢とともに、再度診断していく必要があるとのこと
知的しょうがい
自閉症スペクトラム、つまりASDは確信していた。
だけど…
知的しょうがい
うるっとした。
2024 療育手帳と回復
診断がおりて、しばらく
妻は療育センターのアドバイスをもとに
療育手帳の申請をした。
手帳はあっさりと届いた。
それから、たろう君は定期的な療育にも通った。
通ったからといって、急によくなることはなく
かんしゃく
こだわり
思うようにならないことは続く。
うつ病が回復して、
「もう人生終わりだ」
「つまらない人生」
「いつ死んでもいい」
から、
「何か人生の終わりにやりたい」
と意識が変わったのは、
息子の療育手帳が家におくられてきたときからだ。
「わたしはもういつ死んでもいいけど
こどもの事は心配だ
わが子は将来しあわせに生きれるだろうか?」
という思いのと共に
もう一生出てこないとおもっていた生きるエネルギーがわいてきた。
ポップに生きる
わたしはポップが好きだ。
ポップとはポップデザイン。
わたしは副業でWEB制作をしようとおもって
システムエンジニアとしてのスキルをいかし
勉強し始めた。
どういったデザインでホームページつくればいいか
そういったなかで
とっても気分が明るくなるデザインがあった。
それは、保育園のホームページだったかな?
カラフルでかわいらしいデザイン
明るく、楽しい雰囲気
皆がが幸せそうな感じ
なんとなくだけど
今からはこういう生き方がしたいな
そして、わが子が
いろんなやさしい人に囲まれ
あかるく幸せそうに
生活する姿
そういうものが連想された。
人生は山あり谷あり
ある点だけみれば
人生はわるいことばかり
続いているようにみえる
でも、ほんとうは
よいこと半分、つらいこと半分
だと私は思っている。
読んでくれたあなたは、
私とたろう君の人生はつらいと思います?
いえ、
わたしたちはポップにいきるんだ。
つらいことは乗り越えて
いろんな人生のいろどりを楽しむんだ。
おしまい。
