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ホオジロザメ

ホオジロザメ

これは、今から
五年前のはなしである。

若林源治、豊後の国、大分県は佐賀関の漁師である。
82歳になるが、まだ現役である。

ここ佐賀関一尺屋は、戦国時代九州のキリシタン大名として知られる
大友義鎮(宗麟)の家臣若林鎮興の所領であり、大友水軍衆の中核を担っていた。
若林家は後、転封されるが、家来衆が苗字を下賜されたのか、
水軍衆の水主(かこ)達の末裔が明治政府の苗字義務令の折、
昔の主君を偲び、そう名乗ったのか、現在でも若林姓が多い。

 さて若林源治、地元の漁師からは「源爺」と呼ばれ、一目置かれている。
彼は、右足を引きずるようにして歩く。
四十年程前に、誤って船から転落し、ホオジロザメに右足のふくらはぎあたりを食いちぎられたのである。
 幸いにも、仲間が投げたロープに掴まり何とか一命はとりとめた。

以来、源爺はホオジロザメを宿敵のように考えたか・・・
そうは、ならなかった。
 なんと、船に乗るたびに餌を撒くようになったのである。
別に大したものではない。
安物の肉のようなものであった。
自分の肉を食いちぎったような奴らだ。このような物で十分だろうとでも思ったのか・・・

 当然、漁師の間で評判になる。
ある日、漁師仲間が「源さんよ、お前さんに食いついたような奴らに、どうして餌付けなんてしているんだよ?」と問う。

 源爺「俺のように、海に落ちる者がまた出ないとも限らねえ、連中は腹が減ってなきゃ、滅多に人間を食ったりするもんじゃねえんだ。
空腹にさせねえこった」
 「なるほどなあ、そういうことか・・・」
それ以来、漁師仲間もそのことはあまり気にとめなくなった。

第一に、漁師は船から落ちるようなことは無いという本能のようなものがあるせいかも知れない。

 源爺には、一緒に漁をする孫が二人いた。
竜一、竜二、二歳違いの兄弟である。
彼らの両親は、15年ほど前に交通事故で亡くなっている。
息子二人が漁師になった矢先の出来事だった。

 兄弟二人で話し合ったものなのか、それ以来二人の仕事ぶりが、がらりと変わった。
源爺から見ても驚くほどの集中ぶりなのである。
源爺は、そんな二人が愛おしく、また頼もしくもあった。

二人の性格は真反対で兄の竜一は、口数が少なく源爺に似たところがあったが、弟の竜二はやんちゃであった。
髪を金髪に染め、両耳にはピアス、なんと両肩には竜の彫り物といった具合である。
「漁師はよお、舐められたら仕舞なんだよ」が口癖であった。

 源爺の船の船尾には、黄色地、〇の中に源の赤文字の小旗が掲げてあった。
「これを掲げてりゃ、餌を撒く前から奴らが寄って来るんだ。それから餌を撒きゃ無駄が無え」という。

 サメは、一般的に目が見えないというのが通説である。
しかし、近年オーストラリアの研究チームが、サメには視覚認知機能があるのではないか・・・
誤食すると死につながるウミヘビ(赤地に黄色の縞模様)を避ける傾向があるという研究結果を発表した。

 もちろん、源爺はそのようなことを知る由もないはずなのだが・・・
〇源の旗なのである。

常々、竜二は「爺っちゃん、サメなんかに餌をやってどうするんだよ」と言ったが、源爺がそれに答えることはなかった。

 数年後、源爺は眠るように亡くなった。やるべきことは全てやったと言いたげな大往生であったらしい。

竜一、竜二の兄弟も親を早くに亡くしたせいか、比較的冷静に源爺を看取った。
 現在、兄弟は律儀にも源爺の遺言を守り、〇源の旗の掲揚、サメの餌やりを続けていた。
兄弟にとっては、ごく普通の儀式のようになっていた。

 今日も兄弟船は佐賀関の荒波の中で漁をしている。

「兄貴、雲行きが怪しいな。そろそろ引き揚げねえか」
「そうだな、そうするか」

豊後水道、潮の流れが速いことで有名である。その潮流にもまれて育ったのが、関鯵・関鯖のブランド魚である。

海の天候、ことさら潮流は激変する。
漁港に帰り着くまでの時間を考慮すると一刻の猶予もままならない。
板子一枚下は地獄、漁師であれば骨身にしみている。

竜二は自信のかたまりのようなところがあり、この日も、軽やかな身のこなしで漁仕舞をしていた。

上手の手から水が漏れる・・・
竜二、掴んだつもりの舷側のへりが滑った。

「えっ!?」

気付いた時には、船から二十メートルも離れていた。
潮流は早い。

「兄貴いー!」

「竜二!」

ぐんぐん船から離されて行く。
波間に船が見え隠れするような状況である。

「俺、死ぬのか?」

これまで考えたこともない死の恐怖が、頭の中をよぎる。
泳いで船にもどることが不可能であることは本能で分かる。
出来るだけ海水を飲まないようにと思うのだが、意に反して海水は容赦なく口に入ってくるのである。

「溺れるというのは、こういうことなのか・・・」
冷静さと死に直面する恐怖が交錯する。
背伸びをするようにして、船の方を見る。

「な、何!・・・背びれ・・・サメか?!」
全身が硬直する。
体長五メートルは、あろうかというホオジロザメである。真っ直ぐ、こちらに向かって来る。

「て、てめえ今朝エサをやったばかりじゃねえか!
恩を仇で返そうってのか?!」

あまりの絶望的状況に竜二は気を失った。

明るい。眩しい。

「気がつかれましたか?」
女性の声。目の前に白い物体が動いている。

「俺は、死んだのか?天国?」
「ん?・・・天使じゃない、おばさん・・・生きているのか?俺・・・」

「はいはい、生きていますよ。おばさんでごめんなさいね」
「点滴だけで三日三晩ですよ。お腹すいたでしょ」

「竜二、漁師が溺れてんじゃねえよ」と竜一。

「おめぇよお、覚えてねえだろ。
爺っちゃんが手なずけたサメが、おめえを船べりまで押して来たんだ。
早く、こいつを助けてやれってな」

「しばらくは、腰が抜けて動けなかったけど、何がなんだか分からねぇうちに、お前を助け上げてたんだ・・・あのサメ、源爺だったのかもな・・・」

その後、退院した竜二は髪を染めることを止め、ピアスをはずし、月命日には兄竜一と共に源爺の墓参りをするようになった。

 今日も、佐賀関沖の海上を〇源の旗をなびかせた兄弟船が疾走している。


文酔人卍

※尚、イメージ画像は
nietagiru_gobou 氏の作品を使用させていただきました。
感謝


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