63. 安定した生活でしか、作品は作れない
作家の平松洋子さんが、動画のなかで、「わたしは安定した生活でしか、作品が作れない」という趣旨のことを話していた。それを聞いて、わかるなあ、と思った。
以前の私は、生活が落ち着いていないときほど、創作したくなった。気分の波が大きく、地に足がついていないような時期にも、創作熱だけは妙に高まることがあった。
ところが、そういうときに書いた文章を、あとになって読み返すと、どうにも落ち着かない。何かがおかしい。文章のなかにいる私自身が、じっとしていないのである。
絵も同じだった。そのときは「これはいいものができた」と思っていても、時間を置いて見ると、画面のなかのものまでそわそわしているように見える。
脳内で何が起きていたのか、私には詳しいことはわからない。医者ではないので、脳内ホルモンがどうこう、と断言するつもりもない。ただ、自分の作ったものを見ていると、生活の状態と作品には、どうも関係があるらしいと思う。
反対に、生活が安定しているときに作ったものは、アイデアそのものは、それほど斬新ではない。けれど、落ち着いている。書いた本人である私が読んでも、安心して読める。絵を見ても、どこかほっとする。
作品というのは、作り手の頭の中だけから生まれるものではないのかもしれない。毎朝何時に起きるか、何を食べるか、どのくらい眠るか。そういう一見、創作とは関係のなさそうなことまで、少しずつ作品の中に入ってくる。
最近、私の生活リズムは、ようやく一定になってきた。
朝は五時に起きる。三十分から一時間ほど、ジャーナリングをしたり、テーマを決めて、ノートに思いついたことを書いていく。頭のなかにあるものを、上から順番に取り出すというより、何層か重なった地層を少しずつ掘っていく感じだ。
六時になると、いったん横になる。noteやインスタグラムを眺める。そのあと、音楽を聴きながら、四コマ漫画のフレニアちゃんを二話ほど清書する。下書きを見ながら、線を一本ずつ入れていく。
七時半になると朝ごはん。朝食を作るのは、私のときもあるけれど、たいていは母か父である。
こう書くと、ずいぶん優雅な朝に見えるが、本人としては薬の影響もあり、毎朝それなりに眠かったりもする。朝食のあとは読書をしたり、用事をしたり、普通の一日が始まる。
エッセイは午前から夕方までのあいだに書き終える。夕方にnoteやインスタグラムを確認し、用事があれば出かける。たまに運動もする。
六時半に夕食を食べ、入浴。そのあとは寝支度をしながら自由時間。本を読むことが多い。
九時半になると、恋人と一時間ほど電話をする。そして眠る。寝つきはいい。
翌朝、また五時に起きる。この繰り返しである。週によって習い事や予定が入るから、まったく同じ一日を繰り返しているわけではない。それでも、大枠は変わらない。
以前の私は、もっと変化が好きだった。
ストリートピアノを弾きに毎日のように出かけ、そこで知り合った人と音楽をしたこともある。映画館に通った時期もあったし、カフェ巡りや買い物に頻繁に出かけた時期もあった。
事業所に毎日通ったり、ジムに通ったり、新しい楽器を始めたり、美術館や神社を巡ったりもした。
それらが嫌だったわけではない。むしろ、そのときどきで、それなりに楽しんでいた。ただ、いろいろなことをしてきたからこそ、今の自分の身体が何を望んでいるのか、少しわかるようになったのだと思う。
いまの私は、変化の少ない生活を好む。予定が詰まりすぎていないこと。眠る時間と起きる時間がおおよそ決まっていること。家に帰れば、いつもの場所にいつものものがあること。そういう小さな一定さが、思っていた以上に心地いい。
生き方はいろいろある。ずっと同じ生活を続けなければならないわけでもない。人間は変わるし、生活も変わる。だから、今の生活を「これが私の正解」と固定するつもりもない。
ただ、少なくとも今の私は、安定した生活リズムを意識して暮らしてみたい。医師からも療養するように言われている。これまで四度、緊急入院を経験した。
そういう経験をしてきたからこそ、自分にとって何が穏やかで、何が無理なのかが、以前より少しわかるようになった。
創作のために、もっと刺激を受けなければ。もっと外に出なければ。もっと新しいことをしなければ。
以前なら、そんなふうに考えたかもしれない。
でも今は、朝起きて、ノートを開いて、漫画を描いて、朝ごはんを食べて、本を読んで、文章を書いて、夜になったら電話をして眠る。そのくらいでいいのかもしれないと思う。
斬新な人生ではない。けれど、その生活のなかから、一つずつ作品が生まれてくる。それなら私は、かなり満足である。マイペースというのは、何もしないことではない。自分の歩幅で、毎日を続けることなのかもしれない。
そして、そんな毎日の積み重ねから、いつか一冊の本ができたり、一枚の絵が残ったりしたら。
それはなかなか、いい人生ではないだろうか。
