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ライターが生成AIを使うことはもう「あたり前」の時代だとして、問われるのは「その後」じゃないかと思った話

先日、ライター仲間から「生成AIをどこまで、どう使っていいのか」という趣旨でイチ編集者の私個人という観点で話をして欲しい、というご依頼があり、オフラインの場でお話をする機会がありました。このとき、結局全く違う角度でお話をすることになったのですが、その内容が自分自身、モヤモヤを整理できて興味深かったので、もう一度考える意味でも書いてみます。(オフラインの場を主催してくださったライター仲間にはOKをいただきました)

「AIを使って書いたものをどう読み直すか」が大事なのでは…
私の周りだけかも知れませんが、さまざまな媒体の編集者さんと話していると、「これまでお願いしていたライターさんが、AIを使うことで原稿の質が落ちた」「事実か分からない内容が混ざっている」「原稿や企画にそのライターさんの視点や所感が失われた」といった話をよく聞きます。そして私個人も、編集者として感じることがあります。

そういったことが続くと、どうなるか。これはあくまで私個人の感覚なんですが、「次はそのライターさんに発注しない」という事態が起こり得るのではないかと思っています。私自身も書き手として発注される側でもあるので、ひとごとでなく…。じゃあ、どうすればいいのか。

ここでいただいたお題、「生成AIをどこまで、どう使っていいのか」を言えればよかったのですが、どこにどこまで使っているかは千差万別ですし、「AIを全く使わない」というのは今や非現実な気がします。万一「ここまで」とルール決めたとしても、誰もチェックできないのではと思いました。じゃあ、どうするのか。そこで考えたのが、「AIを使っても原稿のクオリティが落ちないためにどうすればいいのか」です。現時点での私の答えは、「AIを使って書いた原稿をしっかり読み直す」でした。その方法について具体的に考えたことをお伝えしたいです。

1.「嘘がある」と思って読む
多くの人が言っていることで「今さら」と思うかもしれませんが、AIは、それらしい固有名詞・数字・日付などを平然と置いてきます。だから「嘘がある」と思って読むことがまず一番大事だなと。それから、固有名詞・数字・日付などを使うとき、一次資料や音声起こしと照合する作業をはしょらないことも大事だと思います。それさえしていれば、たいていの嘘は見つけられるのではないかと。

2. 「大げさ」があると思って読む
AIを使っていると、「革命的」「唯一無二」などの表現や、当たり前のことを大きく言われる瞬間があります。知っているジャンルなら、「いやいや、それ普通やん」と突っ込んで終わりですが、知らないジャンルだと気付けないこともある。すると、「普通のことをさもすごいことみたいにいう」原稿が出来上がってしまうわけです。たとえば、「アイスクリームは甘かった!!!」みたいな。オソロシイ…。

それを防ぐには、自分の感度、尺度を持って、「なんか引っかからないか」考えながら読むのが大事ではないかなと。あと、新聞やニュースで時事ネタに触れたり、本を読んだり、自分が関わるジャンルがあるならその業界誌などを読んで、「相場感」を持っておくのも有効ではないかと思います。

3. 「まぎらわしい」をみつける
ここ、見つけるのが難しいポイントかもと思うのですが、AIを使っていると、事実と推測の境界があいまいなことってありませんか。たとえば、出典の主語が曖昧だったり、2つの事実同士の誤った因果接続をつくってしまったり。たとえば、Aは○、Bも○、でも「AだからB」ではないのにつないでいる、みたいな。

あと、これはオフラインでお話した後に、友人とメッセージをやりとりしていて気づかせてもらったことでもあるのですが、AIを使うと「ニュアンス」が大きく変わることがあるなあと。私はビジネス取材をすることが多いのですが、そのなかで、「社長さんが肯定はしなかったけど否定はしなかった」みたいな事態がよく起こります。それがAIを通すと「肯定していた」になっていたり、「5段階の2くらい肯定していた」が「5肯定していた」になっていたり…。ここ本当に危険で、読み返したときに見つけたいポイントです。それには、取材音声を聞き直す、または音声起こしを読み返す、しかないのかなと思います。

それ以外にも、「まぎらわしい」にはいくつかパターンがあります。
たとえば、古い情報が現在形の顔をして出てくる。社名や役職、店舗数、価格あたりは要注意で、数年前の情報が「現在の話」として平然と書かれていたりします。

近いけど意味が違う言葉のすり替えもあります。「売上」が「業績」に、「前年比(前の年1年間との比較)」が「前年同期比(前の年の同じ期間との比較)」に、いつの間にか置き換わっていたりする…。数字自体は実在するので、照合しても気づきにくいのがコワイところです。それから、一般論の個別事例化。「町工場の多くは後継者不足に悩む」という業界一般の話が、「同社は後継者不足に悩んでいた」とすり替わっている、とか。その逆もあります。

4. 段落や章や全体を俯瞰して読む
私はものすごくよく見るのですが、AIに同じ主張の言い換えによる水増し、されていませんか。そこまで強調したい部分ではないのに、同じことを何度も言ってしまっているという現象です。

わりとさらっと入っているので気づきにくいのですが、章や記事単位、全体を通して読むと気づきやすいと思います。あと、段落と段落、章と章、文と文のつながり・関係性にも注意して読むといいのではと思います。めちゃくちゃそれっぽい顔をして、全く文脈に関係のない言葉や段落が差し込まれていること、AIではよくあります。そうすると何が起きるかというと、論理破綻です。「なんのためにこの言葉、この章、この段落があるんだっけ」と考えてみるのが大事ではと。

最後に、2つの視点で見直したい
さて、AIの書いた文章そのまま、または、ここまでお伝えしたようなことを全部確認して修正すると、こんな疑問が湧きがちです。

あれ? この文章って「誰に、何を」伝えたいんだっけ?

一番大事なことなのに、そこが不在になるのです。あらびっくり。なので最後にもう一度、「誰に、何を」という視点で見直したいところです。

あと、もう1つ大事な視点だと思うのが、「自分」は本当にそう思ったのか? と疑うということです。たとえば取材したカフェ、本当に「木目がナチュラルな癒しの空間」だと感じたのでしょうか。AIがつくった定型句ではないでしょうか。感じたなら、どこをどんなふうに? 

AIの書いた所感は、もっともらしいけれど誰のものでもありません。取材で「読者視点を持ったライターさん本人」が面白いと思ったこと、五感で感じたこと、引っかかったことを書いてほしいと編集者は、少なくとも私という編集者は求めていまして。

と言っても、原稿に感想を入れたらいいという話ではなくて。ライター自身が「ここがいい」と思ったことは、たとえば膨大な取材時間から選ぶ内容、書く順番なんかにも現れてくるものだと思います。だから同じ店、会社を取材したとしても、一人として書く原稿が同じにはならないと思うんですよね。そこを手放さずにいることが、主語がでかいですが、人間が書く意味につながるんじゃないかなと。

最後の最後に、おたずねします
最近、書く力、考える力が衰えていませんか…?
「AIを多少なりとも使って原稿を書き続ける」または「AIで疑問、悩みを解決する」をやりつづけるとあっという間に衰えてしまうのでは…と自分自身、かなり怯えています。そこをどうするかは、これからも考え続けないといけない課題だと思っています。


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