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映画『聴く隣人のいるところ』

いい映画だった。
生きることや、愛している隣人が生きていくことが、限りなく怖くなることがどうしても多いこの数年の世界のなかで、この映画に身を開示してくれたひとびとのことを忘れることはなかなかできないだろう。

生きることとは怖い。その不安をこの数年隠しきれない。
戦争、SNS、AIによる生成が心を浸食していくなかで、私がこの数年思うこととは“人間は人間を簡単にやめられる”ということである。

映画『聴く隣人のいるところ』の学校のひとびとは、手さぐりで実直な対話を日常的に行う。
いいな…と映画を観ていて思うが、それがはじめはなにに起因するかはわからない。なにしろこの映画は、島根県江津市、 全寮制の「愛真高校」がどういう教育信条のもと、いかなる環境や背景を背負っているかほぼ説明されない。10代のひとびとの日々のあり方をただ観ていくということになる。それでも心が明確に動いたと感じたのは、「空いている男子、スポーツをしませんか」と誰かが誘い、夜の体育館に連れ立っていったときだ。ああ、いいな…と思ったのだ。誰かが誘い、誰かがついていくこと。それがどれほど尊いのか。

この映画は、愛真高校出身である早川嗣(はやかわ・ゆずる)監督によるドキュメンタリー。
監督が在籍していたのは16期というから、36期生である映画の人々は20年後の生徒ということになる。私はこの高校のことを、この映画を観るまで知らなかった。知ってから調べている。サイトをみればまず「日本で一番小さな全寮制高校」であり「キリスト教」の高校とある。すぐに思い出したのは、私の青森の小学校の記憶だった。私が通った小学校は信仰はなかったが、一学年2クラス。1クラスは30人ほどしかいない(現在はそのクラスももう1つしかない)。そしてああいった机を囲むように、全クラス員で話すことが度々あった。話したことは学級会の議題や、なにを出し物でつくるか、都度都度の課題であった。ある生徒が置かれている問題についても話した。少年期の原初の記憶のようなものとして残っているがやがて中学、高校に進むにつれクラス数は横並びに増え、高校のころには昼食を囲む4人ほどの友だち、勉学を争う数人の友人、放課後は部活の同輩、と時間帯で付き合う層が分かれていった。
否、付き合うといった主体的なものでもない。正確には、私には身を置かせてもらえる、関係が持たせてもらえるそれぞれの時間や分野、ということだった。学年は当然のこと、クラスで一度も口を利かなかった方も多い。おとなになるとはそういうことだと思っていた。

早川監督は、この映画を“学校の案内”にしたくなかった、と壇上や記録で語る。そのことを大事にする。映画で大事にしたかったのは、彼らの人間関係のすがた、そのものであると。

学校についてさらに調べれば、6つのポイント「祈り」「芸術」「自然」「学び」「生活のための仕事」「人間関係」とある。私の高校の時期、眼の前に確実にあったものは「自然」と「学び」だった。それ以外「祈り」「芸術」「生活のための仕事」「人間関係」は個々人が学校の内外で選ぶはずのものだった。同級生が日々幼い弟のために家で米を研いでいる、という光景をある日みれば驚き、信仰や芸術を日夜研鑽していた友人がいたことは、20代にも30代にもなってから知ることになる。愛真高校ではそれら6つを隣人すべてに開示することを、大事にしようとする。隠さない。(スマフォなどに)自己展開しないということをおそらくやるということだ。それはひとつに無防備なことでもあり、ひとによっては「なぜ」ということでもあるかもしれない。
しかしその日常を経てでしか得られない「スポーツをしませんか」のシーンのつきぬけるような輝きがあったと思う。ピアノを弾く女性の佇まいの凄さ。いきなり始まる歌声の、空気を震わせるような響き。演劇をつくる脚本と監督との対立。そうしたことはこの日々の、隣人への開示の連続によるものであろうと思える。でなければああした声の響き、旋律の凄さにはならないと私はいまでも思う。
私は10代「知りたかった」し「知ってどうしていいかわからない」ものばかりがあった。なにより自身「隠しておきたい」ことの方が多かった。しかしそうした習性はおとなになってからもなかなか抜けないものであるし、隣人を遠ざける遠因でもあることを思う。

「祈り」について個人的なことを最後に書きたい。
「共通の教義」を規律とし、話し合い、誰かと生活をするということ。私がそうした生活をしたのは10代の4、5年ほどだった。そして40半ば過ぎのこの年齢まで重ねた内省や『聴く隣人のいるところ』を観るなかでいまさらながら改めて気づくこととは、祈りとひととの出逢いは、それぞれ違うということだ。
ひとつには「祈りの尊重された伝承」がある。親愛なる隣人から、お互いを尊重した形で祈りが手渡され、成長するにつれ理解が深まり、あるいは反発を生むときもあり、生命とともにあるということ。親子関係でも、友人関係でもあり得る関係。“尊重された”とするのは、「祈り」の継承が支配関係や、戸籍上の自動的なもの”のみ“であってはいけないのでは、という私個人の考えによるものである。人間はしかし生老病死を経験し変化していく生命であるから、「祈り」と生命との関係、「祈り」と社会・世界との関係、あるいは変わらなさに苦しむこともあるだろう。「祈り」はただそばにあるだけのものかもしれないし、なにかを確実に変えていっているが、私たちの生命がそのことに気づかないだけであるのかもしれない。
そしてひとつには、「祈りを求めざるを得ない心」。どうしようもない絶望。いわば“底つき”のようなことに、祈りが眼の前に現れることもある。高橋和巳『邪宗門』の冒頭の一節は、おそらくどんな生の変遷を経ても、ずっと私の心のどこかにある。

この町は元来、宗教が盛んで、禅宗や日蓮宗をはじめ稲荷や八幡、黒住教や天理教、そしてキリスト教などの寺社が多くあったのだが、それらの門を半狂乱の女がつぎつぎと叩いて回る姿がみられた。病いを治してくれというのでもなく、自分が救われたいというのでもなく、奇妙な質問を執拗に発しつづけるのである。
六人の子を生んで、四人に先だたれ、残った子にも背かれた母親の命になんの意味があるのだろうか、と。なぜ長男は戦死したのか。なぜ長女は娼婦になり病毒におかされて死んだのか。なぜ次男は行方知れずになったのか。なぜ次女は地主の納屋で首をくくったのか。なぜ三女は末子を餓死させたのか。その三女は山でどうなったのかを彼女は言わなかったが、それよりそんな奇妙な質問にまともに答えてやる者はだれもいなかった。宗教家の所だけでなく、教育者や社会事業家、あるいは政党の演説会にも、その乞食女は現れて、弁士に向って、とつとつと、しかしある迫力をもった声で同じことを問いかけるのだ。
ただ一人、浄土宗の僧侶がまじめに彼女に応対した。前世の因縁や浄土の救いを説いてもあんたの耳にはとどかんだろう。わしにはあんたにしてあげられることは何もないが、どうしてもその五つの問いを解かずには死ねんと言うのなら、自分でものを考えすすめるよすがに、文字を教えてあげようと僧侶は言った。それから彼女の四十の手習いがはじまる。

高橋 和巳『邪宗門』より

思い返せば“底つき”になど至るだいぶ手前の10代、隣人に渡された「祈り」。私はそれに対し初心のままであったと思う。初心の私は、隣人たちの目は教義をみているのであって―自己(私も、もしかしたら、彼ら自身さえも)をみていない、ということをただ暗く考えていた。それは哀しい肥大化した自意識、承認慾、不信であり、―なにより“底つき”に至った隣人と当時の私との、切実さの違いであったかもしれない。

私はそもそもこの年齢まで“底つき”を経験しただろうか。あの瞬間、この瞬間、生を必死に軌道修正させようと手脚を精一杯伸ばしあがいた瞬間はあったが、それがもしかしたらそうであったかもしれず、その瞬間に「祈り」は現前になかった。そしておそろしいことだが、生きていれば未来にまたなにがあるかはわからない。

この映画のなかで神について、人間の生まれながらの罪について、聖書の一句について、ひとつひとつ憤る彼の言葉がある。私にはいまでも少しわかる気がした。自己の生命のみで輝きを手にすることができない、と反芻し生きることとは、ある意味(特に若い)生命にとっては非常に酷なことではないか。なぜ祈り、神の赦しを通してでなければ、光に向かって生きられないのか。生まれながらにして、なぜそれほど不完全なのか。しかし(特に若い)の私の保留、特権化も非常に一辺倒である意味傲慢で、緩慢な滅びを老いとともにまとい出した生はようやく「祈り」に理解を示せる、という理屈も、どこかありきたりである。答えはまだみつからないのだ。

同じ「不完全な生命」を前提として生きるなら、自由に価値観や発見をみいだせ、交錯できる「芸術」の方で生きる方がよくはないだろうか。20歳になる直前の私はそう思ったのだ。そしてあれから20年、その信じた自由、対話の繰り返しで創造と「生活のための仕事」を生きてきた。そして40代半ば過ぎのこの年齢にして実感することとはひとつに、「祈り」を規範にし生きる人々のあり方に、俗世で離れ生きてきたと感じていたとしても、どれだけ支えられ、救われていたということだった。これもいまさら過ぎるのだが、社会や世界、生命同士はどれだけ離れていたとしても、つながり、形成されている。

「祈り」を規範に生きている人間には、できないことがある。
そして“できないこと”とは、芸術や政治にとって、絶対に必要なことなのだ。仁、博愛、慈愛、倫理…対話の術―を規律に生き、“できないこと”を生きてきた人間のあり方とは、芸術、政治、医療、農作業…さまざまなことに必要とされることなのだ。それは信徒/非信徒の垣根を越えて、そうであるのかもしれない。

映画の最終盤、卒業の場で「自由」についてひとりの少年が語る。その言葉に静かに涙する同胞がひとり、またひとりといることは、映画を観る私たちはわかっても、そのそれぞれの真意を言葉にすることはできないだろう。彼が語る「自由」の難しさ。それはおそらく、これから世界で生きていくことの難しさにもひとつに向き合っている。ただ自分ひとりが生き得る自由ではないはずだ。
―あの彼が語る自由の難しさ、対話の尊さに、私もまたいま違った涙を流す、ということに、この映画とあの山の高校の時間が、時空を超えて語りかけつづけていること。気づけばそのことを、ただ呆然と実感するのである。


6月6日(土)よりポレポレ東中野ほか全国順次公開

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