藝術と生存の極北 ー舞踏ラウンドテーブル「未踏開拓」記録 ー
登壇者
点滅
川本裕子 (東雲舞踏)
若羽幸平 (ワカバコーヒー・ヲズメ)
カナキティ
石井則仁 (舞踏石井組・山海塾)
記録日:2026 年 4 月 28 日
主催:DEVIATE.CO
第一章:ロストカルチャーの淵で
― 派閥の解体と、日本という「現場」への回帰 ―
石井:本日はご来場いただきありがとうございます。
舞踏ラウンドテーブル「未踏開拓vol.1 - 舞踏で生きるとは- 」のラウンドテーブルのお話を進めていきたいと思いますが、どうぞよろしくお願いします。
まずスタートに伴いまして、今回皆さんにこの会の共有をしておきたいのですが、今日登壇している4名の方と僕もそうですが、今までやってきた舞踏のルーツ・流派が結構違います。
正直、昔の昭和平成の時代は、いろいろ派閥争いやいがみ合いなど、いろんなことがありました。ですが、今日はこれが舞踏だこれが舞踏じゃないという話は、今日は一切しません。
ですので、そういう舞踏精神論ということをメインにした話し合いではないということを、先に共有させていただきます。
今回、僕が主催しようと思ったのは、海外の方ではBUTOH/舞踏というものが海外ではどんどん広まり、踊り手が現状増えていますが、日本で生まれた舞踏という踊りが、この文化が、日本人の踊り手が結構減少してきていることで、ロストカルチャーになりつつあると僕は正直感じています。
今後、もちろん社会・世界情勢が変わっていく中で、適応していかないといけないのは正直あるんですけども、いろんな方と今回お話をしてみたいと思ってこの会を発足させて頂きました。
今日お話をするのは、舞踏とは何かとかメソッドの違いとかってことは一切話をせずに、今までの過去のことや仕事やお金のこと、どういう活動ができているのか、フェスティバルを主催してる方もいますので大変だったこと、カンパニー育成の部分で身体言語での共有の難しさだったり、そして若手育成だったり。あとは今後十年、何を目指すのかなど、様々なお話をできればいいなと思っております。どうぞよろしくお願いします。
まずは今回登壇していただく4名の方に自己紹介をしていただけたらと思います。
では、点滅さんからお願いします。
第二章:五つの身体、五つの軌跡
― 土方・大野の残響から「ギャルシャーマン」まで ―
点滅:どうも、点滅です。よろしくお願いします。
1993年にアスベスト館という土方巽さんが作られたところに行ったんですけど、僕が行った時にはもう土方さんは亡くなられて7回忌くらいだったんです。
その当時は奥さんの元藤燁子さんという方が仕切っていて、その元藤さんがいろんな当時の大野一雄さんや笠井叡さんや和栗由紀夫さんなど、錚々たるメンバーを集めてワークショップをやっていました。
そこで初めて舞踏に触れて、そのあと元藤先生について公演に出させてもらったりしてから、3年くらい経った後に、赤色彗星館っていう舞踏デュオを作って、路上とかで踊り始めたり公演をやったりして、それを10年くらい続けてきました。その後、10年ほどソロ活動をしたのち、寺山修司の演劇をずっとやってる劇団で舞踏を取り入れてやるB機関っていうのを7年やり、それが3年前くらいに終わって、また今一人でやってるって感じです。よろしくお願いします。
若羽:私は若羽と申します。
ここにいる方が居づらいぐらい錚々たる皆様で、何か話すのは大変心苦しいですけれども、私は17、18年くらい大駱駝艦に在籍しておりました。5年くらい前に辞めまして、3年くらい前にワカバコーヒーという団体を作りまして、ぼちぼちとやっているという形です。
私の活動の軸になるところとしましては、舞踏と他の表現技法などを混ぜていこうと。他の表現技法の中に舞踏的な解釈、美学というものを入れていこうというようなことを、自分の活動のメインにしております。なので、大道芸とかそういうところで仕事をしてますけれども、ポピュラー寄りというか、軽めと思われるかもしれません。そういうようなことをやっております。
川本:こんばんは、よろしくお願いします。川本裕子と申します。
私は1991年に和栗由紀夫さんという土方さんのお弟子さん、最後のほうのお弟子さんなんですけども、和栗さんのところに行きまして、9年ばかりそこで毎日のように舞踏を学びました。その時は土方舞踏譜というのを毎日毎日やっておりまして、1998年から和栗さんの元を離れて2000年に、東雲舞踏というものを作り、現在に至ります。
メンバーは最初3人で作ったんですけれども、入れ替わり立ち替わり、今も3人ですけど、初期のメンバーは、もう舞踏の世界を離れて個人の仕事をしていたりします。
よろしくお願いします。
カナ:私は、カナキティと申します。
私は師匠を持たず、自分で古来のシャーマニズムと日本のギャルカルチャーを掛け合わせた「ギャルシャーマン舞踏」というのを作りました。
師匠は持たなかったのですが、若い時に大野一雄舞踏研究所の皆さんにはお世話になっております。2016年にキッドアイラック・アート・ホールで働いていましたので、そこに出入りしている舞踏家の皆さんにもお世話になり、その中で自分の舞踏を探っていきました。
作りたいと思って探ってきたという感じです。
現在はSNSやYouTubeなど、現代のメディアを使って舞踏というものの認知を広げたいというのが、自分の活動の中で主軸にあります。2022年にはInstagramで「舞踏Info」というアカウントを作り、毎日世界中から問い合わせが来ます。どこで舞踏が見られるのか、どこで舞踏のワークショップがあるのか。
私自身が学生の時に舞踏と出会った時、一体どこで見られるのか、学べるのかというアクセスが全然なかったんです。そういう思いがあったので、みんなが情報を選べるようなプラットフォームがあれば良いなと思って立ち上げてみました。
基本的にはソロ活動ですが、今は若羽さんと女性舞踏グループ「ヲズメ」を、のり君(石井)とは、Love癇癪というデュオをやっていて、そういうマルチな媒体になればいいなと思っております。よろしくお願いします。
石井:僕の自己紹介がまだでした。
主催者の石井則仁です。僕自身はストリートダンスから踊り始めて、コンテンポラリーダンスを経て、2010年に舞踏カンパニー山海塾に正式メンバーとして所属をしました。今でも現役で研修期間を含めたら約18年ぐらい山海塾に所属しています。
その中で今回主催しているDEVIATE.COという団体を2012年発足しまして、ダンス全般・舞踊文化全般の様々なコラボレーションやオーガナイズ・キュレーションをしています。
2020年には「舞踏石井組」を正式に発足し、活動しています。どうぞよろしくお願いします。
いろいろ話をしていくと、話が飛び交って予定している話を全部話せない可能性もあるんですが、その辺はご了承ください。
まず「過去と仕事」というところの題材を目的に、いろいろお話をしていきたいなと思います。ソロで活動している方もいれば、カンパニー活動をやったり、それこそ川本さんはフェスティバルを主催してるとか、点滅さんの大所帯のB機関とか、皆さんいろいろやっていると思うんですけど、その辺のお話を伺いたいと思います。
B機関とかは何名だったんですか?
点滅:プロジェクトによって人数が違うんですけど、スタッフとかを合わせたら50人以上いるっていうのはあるんですけど、出るのは20人とか、結構ちょっと大きくなっちゃいますね。
石井:ヲズメは今何名なんですか?
若羽:踊り手が5名。
石井:で、カナちゃんは、ソロと、ヲズメと僕とのデュオ?
カナ:あと一応、最近スコットランド人の日本在住のミュージシャンの人と組んでます。
所属むっちゃ多いって感じになっています。
第三章:マネジメントという名の孤独
― 全員がセルフ、その過酷な現実 ―
石井:皆さん、各々活動をするときのマネジメントは、セルフでやっているのか、誰かに頼んでいるのか、その辺の話を聞いてみたいんですけども。
じゃあ川本さん。
川本:セルフでやっております。めっちゃ大変ですね。
石井:大変ですよね。わかります。逆にセルフじゃない方っている方いますか?
(一同、無言)
現実ですね~。
若羽:点滅さんくらいの規模でもセルフで回せていたんですか?
点滅:もう全部自分で、プロデュースから宣伝から演出から構成から全部自分。
それってあんまり良くないことだとは思うんですけど。
石井:そうですね。良くないとは思いながらも、やっぱり金銭面の問題で人に仕事を振れないというのはやっぱり現実的にあると思うんですけど。
助成金を得ているのは?
ワカバコーヒーも得ているんですよね?B機関もですか?
点滅:いや、コロナの時だけです。
石井:東雲は?フェスティバルの時もですか?
川本:はい、そうです。
石井:僕も、舞踏石井組とDEVIATE.COの方で助成金を頑張って取って、興行している現実ではありますけど。
この辺の資金繰りに関して、新しいトライをしてみてこうだったみたいな、もし何かあれば。
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