第104話:甘噛みの熱と、届かない四文字
「はぁー……楽しかったなぁ」
自分の部屋に戻り、ベッドに大の字になる。
今まで味わったことのない濃厚な二日間。
終わってしまうと、それはあっという間に消えてしまいそうな、儚い夢のような時間だった。
もちろん、農業体験はしっかりやってきた。
でも、せっかくの機会だもん。楓にもしっかりアピールしたつもりなんだけどな……。
お風呂上がりに接近して目を合わせようとしても、すぐに逸らされちゃうし。
相変わらずガードが固いというか、天然というか。
楓もそうなんだけど、竜胆家の人たちって本当に明るくて、面白おかしい。
でも、ただ楽しいだけじゃない。何か一本、芯が通っている。
自分たちの目で見、手を動かし、作ってきた人だけが持つ、経験の重み。
あと、楓って意外と物知りなんだよね。
野菜のことはもちろん、鰊御殿の歴史とか。
……まあ、あのお経に関しては最悪だったけど!
あの時までは、最高だったんだよ?
真っ暗な廊下、トイレまで手を繋いで歩いてくれたこと。
あれはマジでヤバかった。
「怖い」「トイレに行きたい」「手を繋ぐ」。
この三つの要素が重なって、まさに感情のマリアージュ……。
なのに、その直後だよ。
トイレの外から聞こえてきた、あの不気味な読経。
楓の声だって分かってたけど、本気で腰が抜けるかと思った。
「ないわー。マジないわー……」
その後。
勢いで「お仕置き」って言っちゃったけど、正直、何をするか迷った。
別に、本気で意地悪をしたいわけじゃない。
キス?
いや、それお仕置きって言われたらウチの心が折れる。
もし拒否られたら、ウチ、一生立ち直れないし。
ハグ?
お仕置きって感じじゃない。
そこから鯖折りでも仕掛けりゃお仕置きになるだろうけど、色気も何もないし。
……ここは、勝負。
楓の背中に腕を回して、その体を引き寄せる。
ゆっくりと顔を近づけて、耳元で囁いた。
「お仕置きだよっ……」
はむっ、と、柔らかい耳たぶを噛む。
「ふぁっ!」
楓が変な声を上げた瞬間、恥ずかしさとドキドキが一気に押し寄せてきた。
(どうしよう、このまま楓が本気になっちゃったら。押し倒されちゃう……!?)
もうダメ、限界!
ウチは精一杯、微笑んで「おやすみ」を告げて、逃げるように自分の部屋へ戻った。
多分、微笑みっていうより、だらしなくニヤけてただけだと思う。
感情のタガが外れていた。
でも、確信した。
不意打ちのハグに、甘噛み。アプローチとしては百点満点だったはず!
……と思ったのになぁ。
翌朝の楓は、信じられないくらい普通。フツーなんだよな。
だから、悔しくて。
お昼寝のとき、寝ている楓の顔をじっくり眺めてやった。
葵も寝てたし、実は楓にちょっと触ったりもした。
頭を撫でたり、頬を突っついたり。
……変なことは、断じてしてないから!
そうこうしてるうちに楓が目を覚まして、驚いて声を上げそうになったから、人差し指を彼の唇にあてた。
二人の時間が、少しでも欲しかったから。
そしてウチは、音を出さずにつぶやく。
『だ・い・す・き』
……きっと、気づかないんだろうな。
あまりに鈍感な彼を見ていたら、おかしくて微笑んでしまった。
でも、真剣に見つめ返す楓の顔が、思っていたよりずっと近いことに気づいて、急に恥ずかしくなって背中を向ける。
(ああ……やっぱり、ウチ、楓のことが好きなんだ)
自分の気持ちを、改めて確認する。
中学の時、楓に伝わらなかったウチの告白。
今度は届くといいな。
窓の外、夜の闇に浮かぶ自分の顔を眺めながら、そんなことを願った。
――どうか、明日の朝。
隣を歩く楓が、ほんの少しだけでも、ウチを意識してくれていますように。
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