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第102話:残り香と、赤いジャム

 扇風機の首振りの音が、規則正しく畳を叩く。


 小一時間ほど、深い眠りに落ちていたらしい。

 横を向いて寝ていた俺がゆっくりと目を開けると、至近距離にじっと俺を見つめるさっちゃんの瞳があった。


「……っ!」


 声を上げそうになる俺の唇を、彼女が人差し指でそっと抑える。


 静寂の中で、しばらく視線が絡み合う。

 夢の続きを見ているような、不思議な感覚。

 さっちゃんは音もなく、唇を動かした。


(…………)


 彼女が何を言ったのか、正確には分からなかった。

 けれど、さっちゃんは言い終えると、花が咲くように微笑んだ。

 And顔を真っ赤にして、パッと向こうを向いてしまった。


 入れ替わるように、今度は背中に柔らかな温もりを感じる。

 ハルちゃんだろうか。


 彼女は俺の背中に指を滑らせ、ゆっくりと、何かを刻み込むように綴っている。

 なぞられる指の感触がくくすぐったくて、熱い。

 何を綴っているのか、頭では分かっているはずなのに、俺はそれを認めるのが怖かった。

 一度だけ、顔を背中に埋めてきたような切実な重みを感じて、すぐに離れていったけれど。


(……これ、どのタイミングで起きればいいんだ!?)


 心臓の鼓動がうるさくて爆発しそうな時、外からブロローっと車が帰ってくる音が聞こえた。


「……あ、いつの間にか寝ちゃってたね」

 ハルちゃんが、何事もなかったかのように伸びをする。


「気持ちよかったなぁ、お昼寝」

 さっちゃんも普段の明るい声に戻っている。


「……うん。よく寝たわ」

 俺は平静を装って頷くのが精一杯だった。


「楓ー! 昼はジンギスカンだぞ!」


 父さんの張り切る声が響く。

 俺はレクレーションの時に作ったドラム缶コンロを出し、炭を熾した。

 女子二人が日焼けしないようにタープを張り、準備を整える。


「これ、朝もぎのトウキビだぞ。甘くて美味いんだわ」


 網の上でトウモロコシが転がり、香ばしい匂いが立ち込める。


「私、焼きトウモロコシってあんまり食べたことないかも……」

「炭を熾さないとなかなか食べられないからね。ほら、ピーマンも丸ごと焼くよ」


 母さんが丸ごとのピーマンを網に乗せる。


「切らないんですか?」

「種ごと食べるのが一番美味しいのよ」


 驚くさっちゃんを横目に、醤油をひと垂らしして炙ったトウモロコシを父さんがハルちゃんに手渡す。


「美味しい! 甘じょっぱくて、香ばしくて……最高です!」

「そうかそうか、嬉しいなぁ!」


 さっちゃんもピーマンをパクリと頬張り、「ジューシーで全然違う!」と目を丸くしている。

 何にでも全力でチャレンジするさっちゃんの姿に、母さんも満足げだ。


 昼食後は、保存食作りだ。

 さっちゃんはトマトジュース担当。専用のジューサーにひたすらトマトを押し込み、大鍋で沸かしては冷ます。


「こんな量のトマト、一生分見た気がするわ!」


 ハルちゃんはいちごジャム担当だ。

 ハネ品のいちごを丁寧に洗い、砂糖とレモン汁を入れてアクを取りながらじっくり煮詰めていく。


「いちごの海みたい……。甘い匂いでお腹いっぱいになっちゃいそう」


 二人が格闘しているのは、農家ならではの巨大な鍋。

 その横で、冷めるのを待つ間に最後の収穫を行った。

 一人一つずつ段ボールを渡し、好きな野菜を詰め放題にしてもらう。


「最初にスイカ一玉入ってるからな」


 父さんが言うと、二人はさらにテンションを上げた。

 トウモロコシも自分で収穫してもらう。


「葵がとったトウモコロシ、お母さんにあげるの!」


 ハルちゃんのテンションは爆上がりだ。


「ダメだよ! これ、お母さんのトウモロコシだよ!」


 さっちゃんもノリノリで応じる。

 トウモロコシを獲ると、そのセリフを言いたくなるのは、日本人の性(さが)だろうか。

 はしゃぐ二人が、たまらなく可愛く見えた。


 完成したトマトジュースをペットボトルに、ジャムを瓶に詰めて、すべての農業体験が終了した。


「この野菜とジュース、ジャムはお土産。家族のみんなと食べてね」


 母さんの言葉に、二人は大喜びで「ありがとう!」と声を揃えた。


「たった二日だったけど、父さんはすっごく楽しかったわ」

「本当ね……こんなに優しくて可愛い子たちに来てもらって。母さんは……」


 感極まってまた泣き出した母さんに、ハルちゃんまでもらい泣きし、さっちゃんは笑いながら涙を拭いている。


「お母さん、また絶対に来ますね!」


 帰り道、二人の家まで送っていく車中。

 野菜がぎっしり詰まった段ボールと手作りのジャムを手にした娘を見て、向こうのご両親も腰を抜かすほど驚いていた。


(良い思い出になってくれるといいな……)


 二人を降ろした後の帰り道。助手席の母さんが不意に口を開いた。


「……楓。で、あんたはどっちの子にするの?」

「へっ!?」

「どっちが本命なのって聞いてるの。二人とも本当に良い子だから、母さんはどっちが来ても反対しないよ」

「いや、そんなんじゃないから!」

「そうなのかい? でもね、どっちつかずは二人を傷つけるからね」

「……大丈夫だよ、そんなふうに思われてないから」


 窓の外には、街灯もまばらな暗い田んぼ道がどこまでも続いている。


 母さんの言葉を否定しながらも、俺の耳たぶと頬には、まだ消えない熱が残っていた。

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