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世界10ヵ国を巡って、わたしたちは家族になった。

第一章 出会い

愛読書は「静かな人の戦略書」。

大人数の飲み会苦手、人混み苦手、1人が好きだけど、孤独は嫌だ。
そんなわたしたちが出会ったのは、猛暑がすぐそこまで迫り来る5月下旬のことだった。

出会ってすぐ、好きな小説が映画化したので見に行った。気を使わずにただスクリーンを見ていればいい映画は非常に楽だった。

当時、彼は「正欲」を。わたしは「同志少女よ敵を撃て」を読んでいたので、互いに読み合いっこもした。ひとりの読書より、自分なりの感想を持たないといけない使命感で読書が非常に捗った。
会った日にはカフェでひたすら感想を言い合った。

2人で夜ご飯のお店を探していたところ、間違えて居酒屋に入ってしまった時があった。今思えば、ふたりして間違えて居酒屋だなんてただの言い訳に過ぎなくて、ただ、座って話せればどこでもよかった。
ふたりとも静かなはずなのに、ふたりだと話したくなった。話を聞いて欲しくなった。店内に入ると、わたしたちの苦手な沢山のジョッキがぶつかる音がして首をすくめた。

その次のデートではわたしが行きたいと言った美術館へ彼は快く一緒に行ってくれた。

帰り道、灯りの少ない小さな公園。ベンチに座って正式にお付き合いをしようということになった。照れ合いながら手を繋いだ。そんなロマンチックなひととき、わたしのスマホが鳴った。

当時働いていた職場からだった。
わたしは小さい販売店の店長をしていた。
いくら小さな職場とはいえ、いやだからこそなのか。責任者だったわたしは、休日だってお構いなく、何かあったらわたしに連絡が来るようになってた。

いいムードは風に吹かれ、彼からそっと離れた場所でわたしは電話に出た。電話口の従業員はもちろん今わたしに彼氏ができたとは知らない。いつも通りの語り口で、ミスがあったと報告を受けた。この電話ではどうにもならないと判断し、明日朝イチで職場に向かいどうにかするという対応で電話を終えた。

彼の元に戻る時、立ち止まった。
ふと、このままだったらどうしよう、と不安がよぎった。

今でこそ働き方が見直されているけれど、当時のわたしは9連勤、10連勤なんて当たりだった。両親も同じような職業でかつ同じような働き方をしていたので、これは普通なんだと思ってしまっていた自分もいた。

でも。もし。このままだったら。

自分の大切な日に、特別な日に、わたしはずっと仕事に縛られ続けるのではないか。

現に今だって。縛られているじゃないか。この電話のおかげで現実へと引き戻されてしまったじゃないか。

この先、何が起こるかわからないけれど…。

もし、プロポーズをするかされるのか、そんな特別な日に。夜景やら指輪やらちょっとうるうるした瞳とかが揃う、そういう一生忘れられない日があるとする。
わたしのスマホが鳴る。着信は案の定職場から。
責任者として無視はできない、電話に出る。
「お疲れ様です。お休みのところすみません!」
すみませんと思うならかけてくるなあ!
という怒りは抑え 
「もしもしお疲れ様です〜」
と仕事用ボイスに切り替える。
「レジ金、3000円合いません」
なんてこった!プロポーズとレジ誤差3000円が並ぶ前代未聞の状況。
隣を見るとキョロキョロして涙なんてもう引っ込んでる恋人がいる。
当然わたしも涙なんてどこにもなく、「プラスですが〜マイナスですか〜」なんて聞いている。
一生忘れられない日になるはずが、職場からの電話で、まあ悪い意味で一生忘れられない日になること間違い無いだろう。
すぐ後で「やっぱりレジ誤差±0でした〜」までセットで。

こんなのは嫌だ。

そして、わたしは決めた。

仕事、やめよう。

彼と手を繋いで帰ったその日、恋人ができた嬉しさと、仕事を辞めるという決断にわたしの顔は非常に凛々しかったに違いない。

就職して3年目だった。今思うと、毎日毎日休みなく働いた。それができたのは年齢もあったし、楽しいこともそこそこあったから。
そして良くも悪くも、社会を知らな過ぎたのだ。だから、そろそろ休みたくなった。

休んで知ってみたくなったのだ。

社会を超えて世界を。

その頃わたしは無性にフィンランドに興味があった。フィンランドって、偏差値ないらしいよ?大人になってからも勉強できる制度が整ってるらしいよ?税金高いらしいよ?でも幸せらしいよ?

仕事という逃げられない現実から、唯一非現実になれるのはわたしがフィンランドのことを考えている時だけだった。

よし、仕事を辞めたらフィンランドに行こう。
英語は不安だけど、まあどうにかなるだろう。

当時、彼もわたしも実家暮らしだった。

仕事でなかなか予定が合わず、そんな時に秘密基地として利用していたのがH♡telだ。

電話だけでは話し足りないことを話したり、お互い知らない過去の自分を紹介してみたり、もちろん、愛を深めたりもした。

ある日、いつものH♡telにて、何気なくわたしは言った。

「仕事辞めて、フィンランドに行こうと思ってるんだ〜」

本当に何気なく言った。別に答えを期待していたわけではない。

「え!じゃあ俺も行く」

という彼から予想も期待もしていなかった答えがかえってきた。

しかもだ。

「フィンランド行くならさ、ヨーロッパ周遊しない?フランスとかイタリアとか…」

わたしはびっくりを通り越して怖かった。
なぜかというと、本当に行けると確信したからだ。

わたしには一緒にフィンランドに行ってくれるような友達や家族はいない。だから一人で行くつもりだった。両親に1人でフィンランド行く!と言うと決まって
「絶対無理に決まってんでしょ!英語も喋れないくせに!行っても帰って来れないよ!」
となぜかキレ気味に言い返された。
両親の言っていることは正しくて、反論できなかった。

だがしかし。彼が来るとなると話は別だ。
実は彼、大学院生なのだ。わたしが仕事を辞めれば必然的に予定が合う。
そして彼は彼で、学生のうちに海外に行っておきたい、という思いがあったというのだ。

跳ね返りの強いH♡telのベットでわたしは嬉しくて嬉しくてジャンピングした。

H♡telを出て振り返り煌びやかな看板を見上げた。入ってきた時よりも、なぜか輝きが増していたように見えた。

恋人とフィンランドに行く作戦は無事成功!
彼の英語能力は正直不明だったけれど、
「彼は◯◯国立大学大学院生です。英語、話せないわけないでしょ?」
とここにきて娘の攻防。
両親はまさか自分らの娘がこんなにもsmartな人と付き合えるなんて思ってもみなかったようで、呆然と首を縦に振っていた。そんななか、母が言った。

「海外に行く前に、一度だけ会わせて欲しい」

わたしは唾をごくりと飲み込んだ。

彼にそのことを伝えると
「そりゃそうだよね、会ったことない男と海外なんて心配するよね」
とあっさり承諾。

母は、彼が食べたいお店に3人で行こうと提案してくれた。なあんだ。娘の彼となったら、父と母、そして姉を呼んで家で取り囲むことだってできたはずなのに。

でも、それが母なのだ。

彼の大好物、辛い辛い麻婆豆腐が有名なお店に行った。
母とわたしはヒーヒー言いながら、涙目で食べた。彼は美味しい美味しいと言いながらわたしたちの食べられなかった分まで平らげてくれた。

いつの日か、母は男の子のお母さんに憧れていたっけ。わたしは姉と2人姉妹。男の子用の大きなお弁当を作ってみたいと言っていた。わたしたち姉妹はその夢を叶えられなかったけれど、彼がたらふく麻婆豆腐を食べている姿を見ると、ちょっとだけ、近いことができたかな、なんて思ってしまった。

母と別れ、わたしと彼はもう少し寄り道して帰ることにした。ふたりで歩いている時、わたしのスマホが鳴った。母からLINEだ。

いい子だったね。会わせてくれてありがとう😽💗

オバさんオジさんたちがよく使う、デカくてカラフルな絵文字と共に書いてあった。

わたしは、母がそう言ってくれることをお見通しだった。よく食べるなんてアピールがなくたってこの未来が待っていたことを。
だって、それが母なのだ。
わたしを20年以上も育ててくれた母なのだ。

それから、H♡telで何度も話し合いをし日程を決め航空券を買い宿泊先を予約した。海外に行けることも、予定を立てることも、好きな人と一緒にいることも全てが楽しかった。

そしてこの時のわたしたちはまだ知らない。

これから訪れる世界ひとつひとつの場所が、ふたりを特別な関係にさせてくれることを。

第二章 旅路

フランス🇫🇷彼の存在に救われる

カーテンの隙間から差し込む太陽の光で目が覚めた。隣には彼がいる。

ここがパリだと気がついたのは、わたしたちのお揃いのバックパックが並んで置いてあるのが目に入ったからだ。

パリの景色が見たくなって、一気にカーテンを開けた。目の前が眩むほどまぶしかった。窓の外は外国の光で満ちていた。

ギラギラと輝くそこは、わたしたち2人だけの記憶にするには勿体なさすぎるほどだった。わたしは急いでカメラを向けた。

ヨーロッパ周遊を決めてから、ここまであっという間だった。
わたしは仕事を辞めるにあたり、同僚や上司に必死に引き止められた。(今思えばありがたい)
どうにか熱意が伝わり辞めることができたし、その熱意を伝える中で自分の本気度が見えてくるようになったのは良い経験だと思う。
彼も学校の授業などがあり予定を変更しつつも、無事にふたりの初めての海外旅行、ヨーロッパ周遊が叶った。

フランスに到着しバスに乗ってパリ中心街へと向かう。

飛行機に乗っている途中から薄々気づいてはいたけれど、聞きなれない外国語、見慣れない文字で溢れている。もうここは日本ではない。わたしたちが一歩も出たことのない海外だった。

パリで散策していると、彼が謎のステップを踏んでいて笑った。テンションが上がっているみたいでとてもいい笑顔で笑っていた。わたしもつられて笑顔になった。海外に着いた嬉しさと、これからしばらく彼とふたりきりで過ごせる嬉しさが爆発した。

パリの象徴エッフェル塔は想像していたよりもうんと重厚感があった。

あまり共感してもらえないかもしれないけれど、ショートケーキのような…。ホイップでデコレーションされた艶やかなケーキのようにも見えた。美味しそうだった。

歩いてエッフェル塔を目指す。
パリはスリに気をつけてとたくさんの人に言われて来ていたので、常に気を張っていないといけないのが辛かった。今思えばもう少しだけ、楽に、肩の力を抜いて歩いても良かったのかもしれない。

エッフェル塔がだんだん近づいてくるにつれ、わたしは心の中で叫んだ。
“チョコレートみたい”
なぜだろう。特別お腹が減っていたわけではないのに。

この色合いと、鉄骨が複雑に絡み合った感じ。
美しくて、繊細なチョコレートにしか見えなかった。

パリはどこを見ても光り輝いていた。歩いている人は皆胸を張って堂々としていたし、写真を撮ればそれはもう美術館に展示されている絵画のようだった。

絵画といえばルーブル美術館でモナリザを見た。

正直、思っていたよりもずっと小さくて驚いた。
そしてそれ以上に、この絵を一目見ようと、人が次々と絵の前に流れ込んできて凄まじかった。最前列に来ても押され押され、気がついたら端っこに。もう少し見ていたかったのに、1分もしないうちに流れに飲まれてしまった。

500年以上もの歴史を持つモナリザ。いつの時代もたくさんの人に見られ、時に盗難にあい、時にスプレーを浴びせられた悲惨な過去もある。
どんな時も世界を見ていたモナリザ。
今、この世界を見てどう思うのだろうか。

ヨーロッパ周遊中、少しでも節約しようと夜ご飯はスーパーで食材を買いわたしが料理を振る舞った。
Airbnbで予約したパリのアパートメントには、こんなに大きなキッチンがあって、わたしはときめいた。

得意のオニオンスープをこしらえる。

Airbnbのホストの方はとても優しく明るい方で、
「ご飯はテラスでもリビングでもいいしカウンターでも!もちろん自室で食べてもいいよ」
と言ってくれた。
わたしたちは迷わず自室を選んだ。海外に来たってやっぱり2人とも内向的なのだ。

彼に手料理を振る舞うのは初めてで、かなり緊張した。
ドキドキしながら大きな鍋にたっぷり作ったオニオンスープをお椀によそう。彼は美味しい美味しいと食べてくれた。お世辞ではないかと不安が募ったが、みるみるうちにスープは減り、わたしの分まで平らげてくれた時には感無量だった。

お腹いっぱいになって2人で眠りについた。
わたしは目を閉じてパリで見たたくさんの価値ある映像を思い出した。凱旋門やエッフェル塔。ベルサイユ宮殿やルーブル美術館でみた作品の数々。
でも、なぜかどんなに華やかで高価なものよりも、彼がオニオンスープをお腹いっぱい食べてくれたあの映像のほうがいつまでも心に残っている。

わたしの人生において、大切にしたいもの、大切にしたい時間は一体何なのか。それを教えてくれたのがフランスだった。

オランダ🇳🇱 ふたりで暮らすなら

オランダはアムステルダム。ここは日中賑わっており、東京の中心部を彷彿とさせた。

正直、この旅で訪れたフランス、フィランド、イタリア、ヴァチカンに比べてオランダの期待値は低かった。もちろん、ゴッホやフェルメールやレンブラントといった画家の作品を間近で眺めるのはとても楽しみだったし、空高くそびえ立つ風車にもワクワクしていた。けれど、街並みやそこに住む人の雰囲気などは全然知らず、「まあ、治安が悪くなければいいな」くらいの気持ちだったのは事実だ。

宿に向かうためアムステルダムから、電車で揺られ20分。ザーンダム駅に到着してわたしたちは目を見開いた。

色合いといい、ブロックをはめて作られたような建物といい、可愛すぎるではないか!

一応、オランダに来る前に地球の歩き方をしっかり読んだはずなのに、こんなに素敵な場所だなんて書いてなかった…!気がする。
いや逆に、その頁を読んでいなくて良かった。期待値が低くて良かったのだと今でも思う。

宿泊先は、ここからバスに乗った。

もうその頃には、わたしたちは胸躍らせながら向かっていた。スマホのアルバムを見ると、キラキラと目を輝かせながらバスの外を見ているふたりの写真がいくつもあった。きっと世界中探しても、あの日あの時、あれほど希望を抱いてバスに乗っている恋人はいなかったのではないかと思えるほどだった。

宿泊先である“ミッデル”に到着。
わたしたちは深く深く息を吸い、伸びをした。

空が広い。太陽がすごく近くにあるように思えた。

宿泊先までは徒歩で10分ほど。

人が全然いないのに、街並みは明るく輝いている。初めての海外で、人がいなさすぎるのも危ないとどこかで言っていたが、怖さは全くなかった。むしろ、その静けさがわたしたちの欲していたものだった。

日本で住んでいる場所は人が多すぎて窮屈だ。
ふたり並んで歩いていても、すぐに人とすれ違い、縦に歩かなければならない。並んだと思うと、またすぐにすれ違ってはの繰り返し。

でも、ここは違う。

思う存分ふたりで並んで歩ける。しばらくしてやっと人とすれ違うと「Hello!」と笑顔で挨拶をしてくれる。心の余裕があって素敵だ。

歩いていると動物とも出会った。みんなのんびりしていて、この街の雰囲気をそのまま体現しているようだった。

気がついたら、“いつかこんなところに住みたいね”なんて話をしていた、付き合って1年ちょっとのわたしたちだった。

実現するのは簡単なことではないけれど、このオランダで過ごした日々はわたしたちの必要な持ち物と、不必要な雑音を明確に線引いてくれた。

2人で暮らすため、家庭を築くための土台を、オランダの土地が教えてくれたのだ。

フィンランド🇫🇮憧れの場所で

念願のフィンランドに到着した。

ガイドブックやYouTubeで何度も見た景色がそこにはあったけれど、自分が実際に見た景色が1番色鮮やかで美しかったのは間違いない。

ずっと訪れたかったフィンランド。
ずっと憧れていたフィンランド。

最高の時間にしようと意気込んでいた最中、大事件が起きる。

彼と初めての喧嘩をした。

付き合って以来、初。

海外へと旅立って1週間ほど経過したということもあり、疲労もそこそこ溜まっていたのだと思う。

彼は「喧嘩してる時間が勿体無いよ」と何度か言ってくれたのに、わたしはプイッと振り向きもしなかった。

初めて訪れたエスプラナーディ公園。ヘルシンキといえばこれ!の詩人ルーネベリさんの銅像もわたしはなるべく見ないようにした。

もちろん見たかったので喧嘩中の彼にバレないようこっそりチラチラ見たけれど。

その後1時間ほどの話し合いを経て無事に仲直りをした。

旅の中盤で喧嘩して、ちゃんと向き合って本音で話ができて本当に良かったと思っている。

ずっと憧れていたフィンランドが、2人の絆を深めてくれたようだった。

そして翌日、わたしは24歳の誕生日を迎えた。

彼は2人で作成していたヨーロッパ旅のしおりに
“◯◯ちゃん(わたし)へサプライズディナー”
と書いていた。

わたしも読むしおりなんだけどなあ…と思いつつ嬉しくて見てないふりをした。

彼はそうなのだ。優しくて嘘がつけなくて、隠し事が下手で。だからわたしはそんな彼と一緒にいたいのだ。

用意してくれたサプライズはディナークルーズだった。

プレゼントしてくれた高級マリメッコを身に纏い、ヘルシンキの港を眺める。

毎日仕事に追われていた時、まさかこんな未来が待っているなんて思ってもみなかった。

この先一生忘れられない、特別な誕生日。

きっと来年も再来年も、気がついたら過ぎ去ってしまうだろう。時間はいくら願ってもお金を出しても有限だ。だから、行きたいところへ行こう。見たい景色を見よう。やりたいことはちゃんとやろう。

目の前にいる彼を見てわたしは心に誓った。

クルーズ船の窓から、力強く羽ばたくカモメがふたりの瞳に映った。

イタリア🇮🇹 同じ温度で過ごした時間

あつすぎる。

気温は40度を超え、わたしたちの肌を熱波が襲う。

その横では、道の真ん中でキスをするカップル。我々が後ろを歩いていても気にすることなく、抱き合う恋人たち。

あらゆるものが、情熱を放っているイタリア。

お揃いのハットを被り、キャミソールに短パン。2リットルの水を両手に、汗を拭いながら歩く。

ローマを観光するわたしたちに、おしゃれなんて微塵もなかった。

でも、そんな格好を見せられる相手が彼でよかったと思う。

暑さに息を切らしながらたどり着いた真実の口は、映像で見ていた何倍も荘厳で、神が宿っているかのような美しさを放っていた。

そして、巨大な円形闘技場コロッセオ。

2,000年近く前、この場所では人々が命を懸けて戦っていた。その事実を知っているのに、不思議と恐ろしさよりも美しさに心を奪われた。

暑さで感覚がおかしくなってしまったのだろうか。

いや、きっと違う。

あの美しさは、建物そのものではなく、2,000年という途方もない時間を越えてなお受け継がれてきた、人々の情熱だった。

情熱が歴史を紡ぎ、歴史が街をつくり、その熱は今もなお、真夏のローマで生き続けているのだ。

ローマで見たいものは、まだまだたくさんあった。

それでも、ふたり揃って頭痛に襲われ、あっけなくバテてしまった。

フィレンツェでは、街の華やかさにうっとりしながら、ジォットの鐘楼へ登った。

そこから広がる景色は、灼熱を忘れさせてくれるほど美しかった。

けれど見終えると、ふたりとも何も言わず宿へ戻り、そのまま長い眠りについた。

水の都、ヴェネチアでもそうだった。

大聖堂も、広場も、何度も迷った路地も、静かに流れる水路も、お揃いで買ったキーホルダーも。

振り返れば、どれも体力の限界ぎりぎりで見ていた景色だった。

予定を切り上げ、駅のベンチに並んで座り、帰りの列車を待つ。

それでよかった。

価値観が合うとは、こういうことなのかもしれない。

お互いまだ見たい場所はあった。行きたいところも、食べたいものも、きっとたくさんあった。

それでも、今日はもう帰ろうと思えること。
無理をしてまで見なくてもいいよねと、言わなくても理解し合えること。

あの灼熱のイタリアは、ただ暑くて苦しかった旅ではない。

暑さの中で、わたしたちは、わたしたちが同じ温度で生きていけると気がつかせてくれた旅だったのだ。

ヴァチカン🇻🇦世界の広さを知った

ローマテルミニ駅からメトロで6駅、オッタヴィアーノ駅で下車した。メトロの車内アナウンスは、埃を被ったような砂を含んだようなざらついた音で、なぜか今でも耳にこびりついている。

暑い暑いと嘆きながら歩いていると、壁にたどり着いた。今にも向こう側から巨人が現れそうな、分厚く堅牢な壁だ。

壁沿いに長蛇の列ができている。

無理だ…

わたしはつぶやいた。

連日の猛暑にやられ、しかもこんな屋外で並ぶことは、わたしたちの体力ではできない。

「大丈夫、チケット取ってあるからきっと並ばない」

そう彼に言われて、わたしは本当に彼の存在の大きさに気付かされた。

飛行機のチケットを含め、各場所のチケット、オンライン上での手続きはほとんどしてくれた。それが彼の得意なことであり、わたしの苦手なことだったからだ。

こんなに彼は2人のために時間を割いてくれるのに、わたしは彼に何をしてあげられているのだろう。

そんなことを考えながら、彼の隣に並んで入口へと向かっていった。

バチカン市国の一部、バチカン美術館の入り口は人でごった返していたけれど、スマホのチケットを提示したらすんなり入ることができた。

大きな荷物もいらない、パスポートもいらない。

世界最小の国であり、国全体が世界遺産である、世界で唯一の国、バチカン市国。

美術館の中は冷房が効いているわけでもなく蒸し蒸ししていて、歩くだけでかなりしんどかった。

なるべく人の少ないところへ入り込み、ストレス回避をしながら進んだ。

ふたりとも暑さを一瞬で忘れた場所があった。

地図の間だ。

イタリア半島の各場所の地図が、真っ直ぐそして両壁面にずっと続く部屋。

その上には、黄金に輝く天井装飾がびっしりと並べられている。

こんなふうに昔の人々は世界を広げていったんだ。これはイタリアの地図だけれど、それだけでも広すぎる。わたしたちはこんな広い世界に生まれたのに、まだ5カ国しか行っていない。
いいや、日本という国に生まれたのに、そんな日本だってまだまだ知らない場所はたくさんある。

いつまでも、どこまでも、旅をしたい。
旅をして生きていきたい。

わたしひとりではできないけれど、彼がいたら。
ふたりならきっとできる。ここまで来たんだ。絶対にできる。

わたしは、隣にいる彼を見た。

彼の瞳には黄金に輝く地図の間が、柔らかく反射して映っていた。

彼も同じことを思ってくれていたらいいな。

そう願ってわたしはもう一度、地図の間を見つめた。

香港🇭🇰 当たり前に感謝

ヨーロッパ5カ国周遊から約8ヶ月後、同棲してから2日目にわたしたちは成田空港にいた。

香港を経由してバリ島に行くためだ。

ヨーロッパにすっかり魅せられたわたしたちは、海外が好きになった。ヨーロッパとは別世界、そして手軽に訪れることのできるこの2カ国を旅することに決めたのだ。

香港までは飛行機で5時間。飛行機に乗り込むと、何と座席は最前列。

ファーストクラスもビジネスクラスもない。全部エコノミークラスの我々庶民にとって優しい飛行機だ。

万が一、この飛行機が事故にでも遭ったら、最前列だからきっと助からないだろう。そんなことを考えてしまった。でも、横に大切な彼がいるから。彼には申し訳ないけれど、道連れになってもらおう。そう思うと安心した。
わたしたちの斜め後ろには、日本人の4人家族が乗っていた。申し訳ないけれどご一緒に。
そう考えるとより安心した。

香港でやりたいことは
モンスターマンションを見る。
100万ドルの景色を見る。
飲茶体験をする。

この、3本立て。

香港は空港から中心部まで、とてもアクセスが良く観光しやすい場所だった。

目標だったモンスターマンションは、結構あっさり達成!

おしゃれな人たちがこの場所を背景に、かっこいいポーズを決めている写真をSNSで何度も見た。

人見知りで恥ずかしがり屋のわたしたちは、ぎこちないポーズと硬い笑顔でしか写真に映れなかった。

けれどそれがわたしたちらしくてずっと好きだ。

続いて、100万ドルの夜景を見にビクトリアピークを目指した。
標高552メートルから香港の夜景を見るのだ。

頂上まではピークトラムというケーブルカーに乗った。

急勾配をそこそこスピードを出して登るスリル満点のケーブルカーだ。
わたしはジェットコースターが少々苦手で、このビクトリアピークに搭乗中膝がガクガクと震えていた。

耳を澄ますと、車内のスピーカーから陽気な音楽が流れていた。

香港♪香港♪香港♪

一度聞くと耳から離れない。
ケーブルカーの恐怖と陽気な音楽で頂上に着いた時、わたしの自律神経がおかしくなってしまったようで寒気が止まらなかった。

もう少しゆったり夜景を見るはずだったけれど、あまりにも寒いので予定を前倒して再度ケーブルカーで下山した。

彼が探してくれたご飯屋さんで、飲茶に挑戦した時にはわたしの寒気はすっかりおさまっていたのだった。

この香港旅行が終わった後、彼はわたしに言った。

「オクトパスカードがあったからすごく観光便利だったね!ありがとう」

実は香港旅行中、日本でいうPASMOやSuicaのようなタッチ決済、オクトパスカードがとても充実していて、現金は一度も使用しなかった。

このオクトパスカードの存在を知ったのは、noteに投稿されていた記事をわたしが見つけたからだった。
その記事には登録までの手順や使い方まで載っていて、彼にも共有した。

わたしは正直、noteで記事を見つけただけだし、当たり前のことだと思っていた。

でも、そんな小さな出来事にさえ、ありがとうを惜しまない。それが彼なのだと思い、愛なのだと思った。

香港旅行中、ビクトリアピークで寒気を訴えたわたしを無理させようとせずすぐに下山したことも、食通の彼はいつだってご飯屋さんを自ら探してくれたことも、地図アプリを片手に、一緒に迷いながら案内してくれたことも。

当たり前のようで当たり前ではない。

何より、ふたりでまた海外旅行をするという選択をしてくれたことそれ自体が特別なことなのだと思える。

まだまだお互い知らないことだらけだろう。

でも、海外という広い世界を通して自分自身を知っていくように。

わたしたちも、旅を重ねるごとに、歳を重ねるごとに、お互いのことを知っていければいい。

インドネシア🇮🇩 守る強さを身につけた

インドネシアはバリ島。バリ島といえばハネムーンで訪れる方も多いようだけれど、わたしたちはまだまそんな予定もない。ただただ海外のリゾート地に行ってみたかった。

知り合いの知り合いのインドネシアの方が、日本は湿度が高いからすごく暑く感じると言っていたけれど、正直違いはわからずバリ島も十分暑かった。

バリ島到着、わたしたちが日本人だと分かるとすぐに現地の人々に囲まれた。勢いに負けてしまい、相場よりかなり高い料金でタクシーに乗りホテルに向かった。

もちろんわたしたちも同意の上で乗ったのだけれど、この土地の熱気と人々の逞しさにふたりして圧倒された。

そういう時は美味しいものを食べてリフレッシュ。

バリ島のご馳走はどれも味が濃くて最高に美味しかった。見た目以上に油の使用量が多いらしく、食べ終えた後、2人の胃はモッタリとした。

そしてこの違和感が、後々彼を徹底的に追い詰めるのだった。

バリ島には電車やバスといった交通機関がほとんどないので、日中はカーチャーターを予約し、行きたい場所へ連れて行ってもらった。

運転手兼ガイドさんは日本語も話せる方だった。旅の途中、ジャックフルーツをごちそうしてくれたので、敬意を込めてここでは「ジャック」と呼ぶことにする。

ジャックもまた、バリ島の熱い心を持つ人だった。

わたしたちがお願いした場所以外にも、コーヒーテイスティングやお土産屋さん、ジャングルの中を舞うブランコまで案内してくれた。

知らなかったバリ島を、惜しみなく見せてくれた。

そんな道中。

ふと隣を見ると、彼の顔が真っ白だった。
慣れない環境に加え、脂っこい食事や飲み慣れないコーヒーが重なり、体調を崩してしまったようだった。

そんなことも知らず、ジャックは次の観光地へ向かおうと、陽気にハンドルを握っていた。

わたしはは迷わず口を開いた。

「ジャック、ごめん。彼の体調が悪いから、このままホテルへ行ってほしい」

ジャックは「オッケー」と言って、それ以上は何も言わず、すぐにホテルへと向かってくれた。

実を言うと、ジャックは熱くて陽気でちょっとお節介な人だったから、スーパーとかドラッグストアとか体調悪いならここが良いよーとか言いながらアロマスパに寄ってしまうのではないかと緊張した。

実際そんなことは全くなく、わたしの声をちゃんと尊重してくれたのだった。

バリ島に着いたばかりの頃、わたしは人々の勢いに圧倒されていた。

けれど、この日初めて気づいた。

この国で大切なのは、大きな声を出すことでも威張ることでもない。

自分の気持ちを、まっすぐ伝えることだった。

そして、もう一つ。

あの日のわたしは、自分のためだったら、あんなふうに声を上げられなかったと思う。

彼を守りたかった。

ふたり旅だからこそ、彼を守れるのはわたししかいなかった。付き合って、海外へ旅して、同棲して、こうやって赤の他人だった者が少しずつ距離を縮めていくんだと実感した。

彼はすぐに休み、大事には至らなかった。
本当によかった。

バリ島で見た夕日は、なぜかいつも雲がかかっていた。今だからそれでよかったのだと思える。

本当に美しい景色は、二人とも元気な日に、また一緒に見に行けばいいのだ。

スウェーデン🇸🇪かけがえのない人

3度目の海外旅行はスウェーデンで幕を開けた。

彼は調査担当。わたしはコミュニケーション担当。

得意なことは得意なほうが担う。いつのまにかわたしたちの旅のスタイルが確立され、それが当たり前になった旅だった。

3度目の海外とはいえ、わたしの心配性はまだまだ健全だったため、安全面でも抜かりない。

暗くなったら外出しない、少しでも危険だと思ったらUber taxiを使う、1人行動はしない。

旅は慣れたら危険だと言うけれど、良い意味でふたりとも旅慣れしてきたように思う。

時差ボケで彼と朝4時に起きた。

ストックホルムでやりたいこと、行きたいとこを話しながら準備をする。今回もお揃いのバックパックが部屋の隅に仲良く並んでいる。

インナーは何を着よう。靴下はどれにしようか。そんな何気ないこの時間がすごく好きだった。

7時半ごろ宿を出発、8時に着いたガムラスタンは驚くほど人がいなかった。

人っ子一人いないこの場所は、まるで世界に二人だけが取り残されたような静けさだった。

思う存分手を繋いだ。
誰の目も気にせず笑い合った。

昨年から彼は就職して晴れて社会人となった。
この北欧旅行をモチベーションに日々働いてくれていたのだけれど、大変そうだと感じることがたくさんあった。

だからこんなふうに、これから先、毎日。
誰の目も気にせず笑い合えたらいいなと切に願った。

わたしが行ってみたかった、高台へと向かう。

足元は石畳。想像以上の坂が続いていて、途中何度か諦めそうになった。本当にこの上からガムラスタンを眺められるのだろうか。

ふと思う。もし、ひとりだったら、諦めていたかもれない。この高台へ続く坂道も。仕事を辞めることも、海外へ行くことも。

高台からは目覚めたばかりの静かなガムラスタンが目の前いっぱいに広がっていた。

美しすぎた。

不思議と、日本にいる家族にもこの景色を見せたいと思った。

海外へと憧れを持ったあの日、わたしは海外の景色をわたしがただ見たいと思っていただけだった。

旅を重ねるうちに、大切な人にも見てもらいたいとそう思うようになったのだった。

だからもし、わたしひとりで輝く太陽を見つけた時、いち早く彼に見てもらうだろう。

反対に、彼がひとり闇の中にいるのであれば、わたしもそばにいたい。きっとできる。できるからここまできた。

そうやって分け合えば、一人では越えられない坂も、きっと二人なら登っていける。

美しいことも、悲しいことも。

フィンランド🇫🇮日々の幸せが愛おしい

海外旅行初、2度目の滞在となるフィンランドに到着した。

2年ぶりのフィンランド。たかが2年、されど2年だ。この2年間、本当にさまざまなことがあった。

彼は大学院を卒業して就職。わたしは会社を辞め、アルバイトを2個ほど転々とした。同棲も始め、喧嘩して仲直りして家事もして、ふたりで夜ご飯を食べながらネトフリを観る。
そんな毎日だった。

そんな毎日だからこそ、海外旅行に行きたい思いはふたりとも日に日に募っていった。

2年ぶりのフィンランドは、季節以外何も変わっていないように思えた。

関わった人はみんな優しくて、明るくて、日本の窮屈な場所にいるわたしたちは本当にパワーをもらえた。

前回行けなかったカフェやレストラン、サウナを巡った。

美味しいねって彼と言い合う。2年前も言い合ったはずなのに、忘れてしまっている記憶がある。それがすごく寂しくて心がキュッとなる。

いま、この時間を大切に大切に生きようと思っても、気がついたらもう夜なのだ。

そんな寂しさを胸に、わたしたちは寝台列車でロヴァニエミに向かった。

サンタさんがいる街だ。

小学校低学年のころ、母の机からわたしが書いたサンタさん宛ての手紙が出てきて、サンタさんがいないことを知った。結構ショックで、あれからどうもサンタさんから距離を置いていた。

赤と白の組み合わせが光り輝くサンタクロース村。距離を置いていたはずだけど、ワクワクが止まらなかった。

1時間ほど並び、本物のサンタさんと対面した。

ボリュームのある真っ白いヒゲ。透き通った広い海のような美しい瞳。

サンタさんは本当にいる。あの時いないと泣き喚いたわたしを抱きしめたくなる。両親にも目の前にいるサンタさんにも謝りたくなる。

サンタさんはわたしたちを交互に見やった。そして低い声でゆっくりと話してくれた。

One Xmas Cookie every day very important

毎日小さな幸せを見つけること、それがとても大切だよ、と。

それはわたしたちが忘れていってしまう、過去の記憶と重なった。

時間と共に旅は終わる。美味しかったご飯も、美しい景色も、彼と笑い合ったひとときも。いつか少しずつ忘れていってしまう。

それでも、また新しい幸せを見つければいい。

彼と一緒に夜ご飯を食べること。
一緒にスーパーに行くこと。
一緒に映画を見ること。
夜、彼と手を繋ぎながら眠ること。

非日常の中でサンタさんは、日常の小さくて、そして大きな幸せを、わたしたちに気づかせてくれたのだった。

エストニア🇪🇪 生きる理由

力強い反戦メッセージの数々と、白い息を吐き出し立ち続ける1人の警察官。

そんな音のない声を横目に、わたしたちはカフェに入った。

茶色い木の温もり、真っ赤なレザーの椅子が目に飛び込む。

小さい頃、何度か連れて行ってもらった遊び場、ログハウスを思い出す。
赤い椅子はなかったけれど、そこにあったネットの階段やすのこ橋に飛び乗る嬉しさと、このお店に入ったときの喜びは同じくらいだったような気がする。
ネットに乗るとミシミシと音を立てて揺れる。時折、バランスを崩しては倒れ込む。
頬に触れたネットがひんやりと感じていたあの頃は、世界がこんなに広いことも、そんな広い世界に自分が飛び出す未来が待っていることも考えたことがなかった。

可愛くて、あたたかくて、甘い香りのするこのお店。名前はCafe Maiasmokk。
エストニアの首都、タリン最古のカフェだ。
地図上でエストニアを知ったのはいつだろう。中学生の地理の時間だったか?いや違う。ずっとずっと最近のことだった。

天井が高く、外を望める大きな窓がお店の中を広く見せていた。
朝一番で訪れるという選択は、先客とわたしたちだけの静かな空間を作り出してくれた。

彼と共に赤い椅子に腰掛け、
「シナモンロールを食べよう」
そう確かめ合った。

わたしが注文カウンターに行き、大小さまざまなパンの中からシナモンロールを探す。

何度、手書きの名札を読んでもシナモンロールが見当たらなかった。いや、エストニア語で書いてあったのなら見つかるはずがないけれど。

店員さんとの沈黙に耐えかね、目に入った名札に書いてある言葉を読んだ。
「カルダモンパン」
と日本語、そのままの発音だった。
正しい発音はわからなかったのに、聞き返されなかったのが可笑しかった。
たったこれだけのやり取りで、わたしは異国エストニアで生きていけるような気がした。

彼のホットコーヒーとわたしのホットチョコレート。そして、2人でシェアするカルダモンパンの乗ったトレーを、ゆっくりと彼の待つテーブルへと運んだ。

最初にカルダモンパンを口にしたのは彼。

おいしいだったかうまいだったか、一言目は思い出せないけれど、唇にカルダモンパンの粉をくっつけ、目をキラキラと輝かせている姿は今でも鮮明に目の前にうつる。

続けてわたしが一口。

サクッと小さな音を立て、口の中に広がるカルダモンパン。
クッキーのような外側とは裏腹に、しっとりと重厚感のある内側。

美味しいという言葉がこんなにも迷いなく綺麗にハマる瞬間は久しぶりのような気がした。

カルダモンというスパイスが飛び切り好きなわけでもない。むしろ、どんなスパイシーさを放つかなんてしらなかった。初めて食べたカルダモンパンにわたしは心を奪われた。

と、同時になぜか悲しい気持ちにもなった。

もうここへは来ないかもしれない。
もうこのカルダモンパンは一生食べられないかもしれない。
そりゃあ、行けるなら行きたい。
食べれるなら食べたい。

でも、必ずできるなんて保証はどこにもない。
今日が来たように明日が来るとは限らない。

ログハウスで遊んでいたあの頃から、わたしは気づいていたのかもしれない。
この世界はグラグラと揺れていることに。安定なんてどこにもない。不安定の中で生きているということに。

手についたカルダモンパンの欠片を、お皿の上で払う。ヒラヒラと落ち、時々テーブルの隅にこぼれた。

お互いのカップの中身が空になり、わたしたちはお店を後にした。

外には変わらず、たったひとり、警察官が立っていた。
お店に入る時より、鼻の1番高いところが赤くなっていたような気がした。

冷たい風がピュッと吹き、彼の手を握った。

「あたたかいミトンを買いにいこうか?」
「うん、お揃いのがいいな」

彼とここで食べたカルダモンパンは、一生忘れないだろう。

不安定の世界で、わたしたちはこうやって生きる理由を見つけているんだ。

ノルウェー🇳🇴 オーロラのもとで家族になった

まさか、自分がこんな遠くに来るとは思ってもみなかった。

北のパリとも称される、カフェやスーベニアショップなどが並んだ洗練された街。

ノルウェーのトロムソ。

地図を広げてみてもやっぱり遠い。
1度目の渡欧でフィンランドを訪れた時、日本からすごく遠いと思っていたけれど、それよりもっともっと遠い世界だ。

今回の旅、最後の場所。

やりたいことといえば、あとは、オーロラを見ること。それだけ。

神様、帰国したらちゃんと真面目に働くから。
どうか、見せてください。
そう祈ることしかできなかった。

トロムソで参加したのは少人数のオーロラツアー。約10人ほどを乗せてワゴン車がトロムソ中心から出発した。

正直、オーロラを眺める目的で北欧に来るまで、オーロラをなめていた。
中心部というか、ホテルの窓とか家の窓から眺められるものだと思っていたのだ。確かにここに住んでいるのならば、可能性はゼロではないのかもしれない。ただ、一発勝負の観光客となると、人口の光漂うところではほぼほぼ難しいのだと知った。

わたしたちを乗せたワゴン車は、真っ暗の森の中をぐんぐん進む。

時折、運転手兼ガイド兼カメラマンのお兄さんが夜空を確認するため車を停める。

何度か繰り返した末、納得のいく場所が見つかったようだ。1人ずつ車から降りる。

頭上いっぱいに広がるオーロラを想像して頭を上げると、そこには真っ暗の夜空しかなかった。

ああ、また見えないのか。

わたしは1人で落胆した。

隣の彼を見やると、彼はまだまだ力強い眼差しで空を眺めていた。

−15度の世界。雪の上ではパチパチと焚き火が揺れ、みんなで輪になってチョコレートやクッキー、ホットドッグを頬張った。

やがて「どこから来たの?」という話になった。

中国人のお姉さんが場を仕切り、
「日本から」と答えようとした、その瞬間。

「たぶん、みんな中国人だと思う!」

と、先に決められてしまった。

「違う違う!」と言えるタイプでもない私たちは、結局その夜だけは、偽中国人として過ごすことにした。

焚き火の熱は、わたしたちの体に届く寸前で、冷気にさらわれてしまう。冷気が先ほどの中国人のお姉さんと重なった。

ブルブルと震える体をさすっていた時、悲鳴とも歓喜とも取れる声が響いた。

遠くの空に、ぼんやりとオーロラが漂い始めたのだ。

ゆっくりと息をして目を凝らす。

みんな言葉を失って、その時を待っていた。

徐々に徐々にオーロラが近づいてくる。向こうにあったオーロラがもうすぐそこまで。

あっという間に目の前が光り輝くオーロラに包まれた。

彼とタリンで買ったミトン越しに手が重なる。お互い強く握った。空を見ていると流れ星が姿を現した。

「結婚しよう」

彼は何の迷いもなく言った。

「ありがとう、ずっと一緒にいたい」

まさかプロポーズをされるなんて全く考えてもいなかったわたしは、気の利いた言葉をかけることはできなかった。

彼の顔とオーロラを何往復も繰り返し見た。

嬉しくて幸せで、美しくて感動的で、ちょっぴり寒くて。

もちろん、この幸せな状況を現実へと引き戻す職場からの電話は一切無かった。

このオーロラツアーに参加していた人たちは、まさかここでプロポーズをしているなんて気が付かなかっただろう。

そのくらい静かな告白だった。
それが、わたしたちらしくて。
日本人と言えなかった自分たちがもうどうでも良くなっていた。

日本に帰ってから、時々思い出す。

星すら見えない夜空を見上げるたび、あの夜のことを。

首が痛くなるほど空を見上げたこと。
オーロラという大自然を前にして、自分が驚くほど小さな存在に思えたこと。
そして、その景色は、一人では決してたどり着けなかったこと。

あんな遠い場所まで行けたのだから。

あんな美しい景色を見ることができたのだから。

この先も大丈夫。

ひとりで無理なら、ふたりで挑戦すれば良い。
そう思える人が隣にいる。

そうやって、世界10カ国を旅して、わたしたちは家族になった。

あとがき


ノルウェーから帰ってきて3ヶ月後、彼は適応障害になり、働けなくなった。

家族になってから初めて、わたしたちは大きな壁にぶつかった。

彼は言った。
「こんなふうになって、ごめんね」
わたしは、とっさに「大丈夫だよ」と答えた。

あのときは、それしか言えなかった。

本当は謝る必要もなかったのに。
働けなくても、体調を崩しても、家族であることは何ひとつ変わらないのに。

支えることも、支えられることも、家族だからできることなのだ。

彼の存在に救われたフランス。
ふたりの暮らしを考えたオランダ。
時間の有限さを知ったフィンランド。
同じ温度で過ごしたイタリア。
世界の広さを知ったヴァチカン。
当たり前に感謝した香港。
守る強さを身につけたバリ島。
かけがえのない人だと気づいたスウェーデン。
日常の幸せが愛おしく感じた2度目のフィンランド。
生きる理由が見えたエストニア。
そして、家族になったノルウェー。

その、どれもがもう過去のものだけれど、行ったという事実は変わらない。ふたりで見た景色は色褪せない。

迷ったとき、苦しいとき、立ち止まったとき、わたしたちはあの10ヶ国という広い世界が味方にいてくれる。そしてこれからも、その数は増え続けるだろう。

このエッセイの中に書ききれなかった、世界中でわたしたちにあたたかい手を差し伸べてくれた人々。わたしをここまで育て、力強くわたしたちの背中を押してくれた家族。そして世界を旅して一緒に乗り越え家族になってくれた彼へ。

本当に、ありがとうございました。



最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

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