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コンサータを飲み始めて2年経った|当時と今の感想

私は新卒で適応障害になり退職の後、2社目で一部関係者にADHDをオープンにしつつJTCで働いているアラサー会社員だ。
引越しクライシスをきっかけに、ADHD治療薬のコンサータを飲み始めて早2年になる。2023年当時の文章を発掘したので載せつつ、2年経った今の感想も書きたいと思う。

2023年振り返り原稿より抜粋 :

薬始めました 人間始めました

今でこそおうちに愛着のある暮らしを送っているけど、引っ越し前後はとにかく苦しい毎日が続いた。
振り返ると自分は結構なADHDで、そこそこ勉強ができるせいで怒られながらも高校時代までは問題視されてこず、大学から徐々に雲行きが怪しくなり、ついに社会人で顕在化して破綻した、我ながらよく聞くタイプの人だと思う。数年前に適応障害になったとき試したストラテラの副作用がひどくてそれ以降は薬も飲まず、発想力が必要な自分の仕事においてはとがった特性の恩恵もあったことからこれまでは放置していた。

ただ、引越しというのは決まった期日までに計画的に大量の荷物を仕分け・断捨離・梱包しなければいけないイベントであり、メルカリのブラックリスト入りしそうな自分がまともに準備できるはずもなかった。当時めずらしい出会いもあり、引っ越し準備もせず遊び回っていたら当たり前に怒られ、怒られを避けるために家に帰らなくなる悪循環が起こった結果、パートナーに多大なる負担がかかり離婚危機に陥った。
これはあかん、ということで再発防止策としてのADHD治療についに踏み切り、治療薬として有名なコンサータを飲み始めた。

ADHDの人の脳内(物理)をすごく雑に説明すると、脳の指令を受け取るのが下手で、無駄に指令が乱れ打ちされている状態らしい(ネットワークが重いとき、何回もクリックしちゃうみたいな)。
なんならまだ受け取られてもない指令が帰りま〜すつって元来たところに戻って行き、タイムアウトエラーにカウントされている。
それが様々な情報や社会ルールの把握ミスや計画性の欠如などの困りごとにつながっている。うっかりすることは誰にでもあるからこそ、悩んでいることを知った人には大したことないよと慰められるけど、決定的な違いはその連続性と被害規模だと思う。

持ち前のバイタリティだけで5000のヒヤリハットを全て潰すのは、無理。日々身を削って致命的なミスを減らしながらも、健常な人との常識の解像度の違いから小さな信用を失い続け、それが積もり積もって人から見放されていく。そんな社会生活で実際に支障をきたしている人にADHDという診断がつく。
前試したのは脳の指令を受け取る側の機関をパワーアップする薬で、今回は勝手に帰ろうとする奴の扉をブロックして指令の交通をシンプルにする薬。飲み始めたところ、泣くほど世の中の見え方が変わった。実際に何度も泣いた。
自分は特に聴覚・視覚情報の優先順位付けに難があり、うるさい居酒屋や物量の多いホームセンターや百均に行くとちょっとしたパニックだったんだけど、それが明確に緩和された。ZOOM越しの声も、自分が何を喋っているかも理解できる。この時間からアイシャドウを塗り始めたら出発に間に合わなくなるということも、この言葉を言ったら相手は嫌なのかもってことも理解できる。これまで情報処理だけで脳のキャパが埋まっていた状態から、薬を飲むことで客観視能力がついたように思える。何もかも分からず引きずられるように生活していた今まではなんだったのかという気持ちになった。

治療のきっかけがないだけだったり、そう見えない人でも特性があったり、人によって環境や得意不得意が違うのは当然なんだけど、それでも、今までの仕事も生活も、ものすごいハンデの中やってきたんじゃん、ふざけるなよと一時期ちょっと腐った。

生活のためにコンサータを飲み始めたので、もちろんそこも好転している。家事をしないと気持ち悪い人の気持ち、一生理解できないと思ってたのになんと服薬中にちょっと分かった。コンサータを服用している間は、目的や目標物がゲームみたいに自動エイミングっぽくなる。またはカメラのオートフォーカスでそれだけピントが合う状態で認識されているので、それを処理しないとちょっと気持ち悪い。目の前に転がっているゴミや目についた食器を早く片付けたくなる。こんなことはありえなかった。だからこそ、薬が切れてるときでも何か指摘されたら素直にごめんと言葉が出る。目についたタスクを放置する歯痒さを初めて味わったから。

他の人に対してもそう。自分はコンサータを飲んでやっと「仕事スイッチがオンのときに人並みの事務処理ができる」程度らしいけども、オフでもマメな連絡や整理や申請ができることが常識として世界が回っているのなら、そのルールに合わせて来ない私に対して、「適当に捉えたり雑に扱われている」と思われても仕方ないよねと思うなどもしている。学生時代から気づいて治療していれば人格形成とか職業とか、人生単位で別人になってただろうと思う。まあ今までのことがなかったらこんなに懐の広いバター湖にはなってなかったから、もういいや。

興味深かったのは、薬を飲んでADHD特性はマシになったけどASDみがわかりやすくなってしまった。どうやら今までADHDのひどさが目立ちすぎて取り沙汰されてこなかったらしい。よりシンプルにクリアになった脳で、自分がしゃべりたいことを出力し続けてしまう。そして、この言語化欲みたいなものはこうして文字でバーっと書くことでもわりと満たされるみたい。2024年はもっとここのコントロールをしていきたい。

2025年1月
コンサータ飲んで2年経った

あれから2年、コンサータを飲む暮らしにも慣れてきた。ADHD治療薬は(世の中が見えるようになる)コンタクトレンズのようだと言うが、まさにそんな感じで必要な見え方によって度を上げたり(量を増やしたり)、オフの日は眼鏡でリラックスして過ごしたり(飲まない)いいことも悪いことも一通り経験してちょうどいい付き合い方が分かってきた。

2年の経過によって、当時より冷静に思ったことや変化があったことを書き出しておく。

健常者の思考トレース

最近こんなニュースを見た。「外骨格ロボット」を人間の手に装着し、ロボットの動きで指を高速に動かすピアノ練習を行うと、今まで会得していなかった技能が向上するトレーニング法を発見したらしい。

これを知ったとき、コンサータを飲んだ状態の自分に似てるなと思った。コンサータを飲んでいるあいだは、健常者の思考・事務処理能力をトレースしている状態になっている。つまり平日の業務時間帯(12hほど)のスケジュール管理やタスク処理に関しては、健常者との能力差が薬によってかなり埋まっているということだ。
このような生活を続けていると、薬が切れた時間帯や薬を飲んでいない休日でも、だんだん薬を飲んでいる状態のときに脳や体が覚えた「健常者仕草」を真似ることができるようになってきたと感じる。「先に○○やっといた方がいいな」とか「こまめに○○しとけば苦しまないんだ」みたいな、親やパートナーに言われ続けてきたようなことを身をもって理解し実行に繋げやすくなった。そんな簡単にできたら苦労しないよと放置することもあるけど。

性格が変わったかと言われると?

そんなに変わった自覚はないのだけど、コンサータを飲み始めた当初は性格がきつくなったと言われた。また、喋りすぎてうるさいと言われた。おそらく、脳内が生まれて初めてクリアになったから何が起きているのか言語化して喋りたくなったり、健常者の思考に触れることにより今までの言動について解説したくて言い訳がましくなったり、ASDみが強く出て喋りたいことを喋り続けてしまう癖が出てきてしまったのだろう。

自覚的な面では、陽気さやおおらかさはたしかにちょっと減った気がする。今まで、いろんなことが見えてなかったし人のことはどうでもよかったから人に対しての厳しさがなかった。明るさの部分は自信の無さから来る取り繕いやポーズみたいなものもあったと思う。自分のミスがうっかり可愛げのある天然さとして許してもらえるのか、いい加減で信用ならないやつとして処理されるかどうかは、組織内でのキャラクターや役割・関係性によって決まるといっても過言ではない。ADHDという概念を知る前から「おおざっぱだけどいいやつ」を演じないと自分にもまわりにも説明がつかなかった。自分の個性だと思っていた部分は脳の働きの傾向でしかなく、薬でそれを操作できると知ってからは自分のアイデンティティが失われ動揺したけど、今はそれらも自分を形作ってきたものとして受け入れ、自分の一面のままとしている。

性格に影響するレベルではないかもしれないが、気が付くようになったから、たまにイラっとする瞬間を覚えるようになった。ルールを守る要素が強い人が見せるきつさはそういうことかと初めて納得する。今でもADHDっぽい(無対策)の子の社会への適合しなさにうんうんと共感しながらも、規律が守れる側の人の「こうするのが正しいのに」という部分もちょっとわかるようになったし、とはいえ多数派のために作られた訳分からんルールを勝手に少数派に押し付けて、合わせて来ないやつは排除、みたいなのはちょっと傲慢すぎないかとは思う。

「まあこれなら出来るか」のその後

コンサータによって、ADHD特有の無茶ができるという強みは少し減ってしまったように感じる。実現可能性や計画性を無視して何かをぶち上げてゴリ押しで達成する、ということは健常であれば躊躇する場面が多いんじゃないだろうか。今の自分は破天荒さが減ったというか、現実的になったというか。自分自身に「小さくまとまりやがってよォ!!!」と悪態をつきたくなる日もある。でも、地に足がついてきているということ。それは悪いことではない、大人になったと雑に解釈しておくこともできる。

また、計画実現能力が先立って、クリエイティビティの勢いは減ってしまうので、クリエイティブ職の人がコンサータをあえて飲まない選択をすることがあるというのには頷ける。
自分の仕事は発想力が要るとはいっても、それはプラスアルファの差別化ポイントにすぎなくて、本領はオーケストラの譜面みたいにいろんな人のスケジュールを把握して追っかけて収集しないと詰む職務である。コンサータの力を借りないと厳しい案件もあるので、仕事中は特にあってよかったことしかない。いろんな部署の人が集まる場とか、懇親の場は好奇心が発揮できるほうが得なので薬を飲まないようにして行ってる。

クリエイティビティが減ったと書いたが、ADHDならではの発想力(というか思考のとっちらかり)で得られたアイデアを、これまでADHDならではの実行障害が打ち消していた。コンサータで発想力がちょっと減ったとしても実行能力はぐんと上がっているため、やりたいと思ったことを実現できることが増えた。先ほど書いていた破天荒で無茶な計画ではなく、「まあこれなら出来るやろ」が大量に積み重なっているイメージだ。
別の記事で詳しく書くけど、コンサータに加えて筋トレによる体力増加と指令系の強化によって、思考の多動性を肉体がすべて叶えてくれるようになってきている。つまるところ、今までは無かった思わぬ負担が体にかかるようになっていると感じる。
長時間の残業、休日連日の予定、何かの会に出席したいとか、記事を書きたいとか、休日に家事を消化したいとか、動けるコマ数がまるで違う。でも、うしろを振り向くと内臓がついてきていない。

例えば、自分はnote記事を書いたり仕事をしたり過剰に集中しているときはまばたきを全然してないらしい。目を使う時間が増えた分、目に激痛が走って使い物にならなくなるときがある。残業や連泊しているとその日は倒れなくなったが、のちにどかんと風邪を引いたりする。胃腸がやられる。
実行できるからといって自分の元の体の使い方を踏まえずに好きなだけ動かしてしまうと耐えられないので、無理のないよう意識的に休みながら自分の期待に応えてあげたい。

なんか落ち着いた締め方になった。自分のこの特性と向き合ってより良くしていく作業は本当に奥深くて、まだまだやれることがありそう。自助会に参加したり、知人で困っている人の相談に答えたり、当人同士の情報交換でアップデートできる機会も増えてきたので、これからもADHDについては書いていきたい。


追記
ADHD関連の記事は以下のマガジンにまとめております↓↓なにかご参考になれば。

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