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2024→2025人里に降りなくても山楽しくね?(心)

23:27。年末から現在進行形で大料理と掃除に追われ、ほんとうは寝なければいけないけど正月時差で寝れないこのタイミングで2024年を振り返り、2025年について予想します。(私のベスト入眠時間は22:30です)

人里に降りる→山で楽しくやっていく(人を招待してもよし)


社会に出て以降、自ら友人に声掛けして遊んだりサークルをやったりと、人と交流する行為を「人里に降りる」と表現していた。改めて言語化すると恥ずかしいけれど、人との違いやマイノリティ性に苦しむ自分の本来住む場所は、みんなが暮らす村ではなく深い山なのだろうと思っている。料理が好きで、人は殺さない気さくな熊です私は。ひょっと人里に顔を出している期間はSNSを頻繁にやったり、ちょっとした創作を楽しむ時期でもある。人里に降りて、くるみ餅を売る。人は殺さないしくるみ餅も売る気さくな熊です私は。でも、人里ステイは長くは続かない。保存食のドライ鮭だけ携えて来ているので、そろそろエネルギー切れ、ごはん代と旅費どうしよう……。となり、程なくして山に帰っていくのだ。そして、「自分に人里は早かった」としばらく寝込む。だいたい半年とか1年で人里に降りるサイクルが来ていた。

ところが、2024年は激務で追い込まれすぎたためか、比較的ぬるい自分のプライベートを直視する余地ができたのかもしれない。
ふと、「山が楽しくて、それが良くね?」と思ってしまった。人里に対する印象が下がったのではなく、山のポイントが勝手に上がるポジティブな心境の変化だった。小川に足をひたし、土を掘って匂いを嗅ぎ、くるみ餅を丸め、竹笛を吹くとき、間違いなく私は生きている。楽しんでいる。それを逐一人に教えたり、共有してあげなくてもいいんじゃないの?という気持ちが芽生えてきた。これまで人に壁打ちした言葉で喜びや悲しみを認識していた感じ??わざわざ人や発語を嚙まさなくても、美味しいものは美味しく、綺麗な景色は綺麗だと思った。そうなってくると今後は不思議なもので、うーーーんじゃあそれを人にも共有してもあげてもええかな、と思うようにもなった。そうなってからは私は楽しい山に人を招待したり、くるみ餅を山から人里に餅まきのように撒いたり、自分のホームで地に足つけて栄養を吸収しながら動いている。ハッピーライフ、ハッピーホーム。「ウェズレーの国」って絵本知ってる?そんな感じです今。

楽しかったことや買ってよかったものはいっぱいあるので、1ヶ月前に再度書き始めたこのnoteで個別に紹介していけたらいいな。ここは山なので追記するかもしれないけど。

2025年は(もう眠くなってきた)

ぱっと思いつく感じでは、このへんに注力したい

強化系:ピアスホール増やす、まとめ髪マスター、英語
買い物:電動自転車、電動歯ブラシ
実績解除系:松本清張、アイクリーム、一人海外

2024年を踏み台(物理的)にして、2025年はもっといけると思う(地熱)

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