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【番外編】「助け合いが苦しくなるのはなぜ?」自死や不登校の先にある、弱さが愛されるまちづくり

今回は、「ヨリアイ」の活動から少し離れて、一つの「番外編」のレポートをお届けします。
先日、豊前市沓川にある対話の拠点「利他庵(りたあん)」にて、ある大切な対話の場が開かれました。

テーマは、「助け合いが苦しくなるのはなぜ?」

日常のなかでは少し身構えてしまうような「自死」や「不登校」という言葉。しかし、参加した方々がじっくりと言葉を重ね合わせた先に地続きで見えてきたのは、私たちが目指したいこれからの地域や、まちづくりの温かい姿でした。

当日の様子を、そこで生まれた言葉とともに振り返ります。

1. 「相談できない」をつくる、社会のタブーと力関係

今回の話題提供者は、利他庵の宿主であるオイエマン(尾家満)。
自身の生い立ちや、かつて直面した家族の自死という経験が、飾らない言葉で静かに語られました。

「日本の自殺対策のポスターには、よく『相談できます』って優しそうなタッチで書いてあります。でもそれって、どこか上から目線に感じませんか?
『国は相談窓口を作ったのに、相談しないお前が悪い』という、自己責任の裏返しのように聞こえてしまう。本当に強い人の言葉は、一番苦しい人には届かないんです」

世の中には、家族の病気、いじめ、不登校、そして自死など、他人に言えない「家庭の秘密」やタブーがたくさんあります。
周囲の目を気にして「迷惑をかけたくない」「嫌われたくない」とギリギリまでいい子でいようと我慢し、誰にもSOSを出せないまま孤立していく。それは個人の弱さではなく、社会の関係性がそうさせているのではないか、という深い問いが投げかけられました。

2. 安心して自分の心と向き合える「場づくりの工夫」

「自死」という非常に強いテーマは、一歩間違えると場を緊張させ、参加者を身構えさせてしまいます。だからこそ、今回は参加者が安心して自分の心と向き合えるよう、特別な仕掛けが用意されていました。
進行(ファシリテーター)には、各地で対話の場づくりを実践されている津屋崎ブランチの山口覚さんを招聘。オイエマン自身は一人の話題提供者に徹しました。

ファシリテータは津屋崎ブランチ代表 山口覚さん

さらに、表現アーツセラピストである山口さんのパートナーの方に、対話の背景でピアノの生演奏をしていただきました。
美しいピアノの音が空間を優しく包み込んでくれたおかげで、重いテーマでありながらも不思議とドスンとした暗さはなく、参加者全員がリラックスして、自分の心に浮かんできた言葉を探せる時間が流れていきました。

3. 剥き出しの本音と、重なり合う「気づきの言葉」

後半のワークでは、小さなグループに分かれ、模造紙を囲んでペンを走らせながら、まとまらない頭のままで対話を深めていきました。そこで交わされた、参加者の生きた言葉をいくつかご紹介します。

💡 「正しさを押し付ける会議」の限界

長年、教育の現場で活動してきたという参加者の方は、自身のこれまでの歩みを振り返りながら語ってくれました。

「若い頃は熱意のあまり、『これが正しいんだ、正義なんだ』と周りに意見を押し付けてしまっていた。法的な支援や枠組みも大事だけれど、それだけでは届かない部分があると分かった。
今日お話を聞いてすごく楽になったのは、意見はそれぞれ違っていいし、『あの人のあの意見には、そういう背景(わけ)があったんだな』と分かるだけで、人間関係がとっても楽になるということ。学校の授業でも、こういう楽なやり取りを子供たちと作っていかなきゃいけないね」

💡 「○○支援」が生まれた瞬間に、人は他人事になる

ロンドンに住む友人の話を例に、日本の「システム化された優しさ」への違和感を語る声もありました。

「日本はバリアフリーが進んで、駅にエレベーターがどんどんつく。でもその結果、誰も車椅子の人を手伝わなくなり、関心が薄れていく。
逆にロンドンは段差だらけだけど、車椅子の人がいたら周りの人がパッと寄ってきてみんなで抱える。『何々支援』という枠組みが生まれた瞬間に、それに携わっていない人は『あそこに任せればいいや』と他人事になってしまう。もっと、僕たちの日常の地続きの中に必要な繋がりがあるはず」

💡 まとまらないままで、人間を生きる

不登校支援の活動をしている方は、「誰も孤立しない地域づくりの前に、自分自身を幸せにできていない大人が多すぎる」と言います。人は人によって傷つくけれど、結局、回復できるのも人との繋がりでしかない、と。
また、趣味で小説を書いているという若者は、「全然まとまってないけれど、人の話を深く聞く中で、自分は今まで記号ではなく、ちゃんと血の通った『人間』を書こうとしていたんだな、とハッとさせられた」と、個人的な深い気づきをシェアしてくれました。

4. 結び:場所に人が集まるのではない、人が「居場所」になる街へ

最後に、オイエマンがこの利他庵の活動を通じて、本当に作りたい地域の姿を語りました。

「この利他庵で活動を始めた時、地域からは『そんな病んだ子が来たらどうするんだ』と反対もたくさんありました。でも、一人ひとりと対話をしていくうちに、みんな心の奥底では同じものを求めていると分かった。
僕は、立派なハコ(場所)を作いたいわけじゃない。『場所』ではなく『人』を作りたいんです。
あちこちの道端にベンチがあって、そこに話し相手のおじいちゃんやおばあちゃんがいて、『お、今日元気?』って声をかけ合える。それだけで、もう特定の居場所なんていらないじゃないですか。
弱さがただ受け入れられるだけでなく、『弱くていいんだよ』と愛してもらえるような地域。そんな日常のコミュニケーションが溢れる街になれば、そもそも『自殺予防』なんていう大げさな言葉すら要らなくなると思っています」

自死や不登校という、一見すると個人的で重たい問題。
しかしそれをタブー視せず、みんなで日常の実感を持ち寄って話していくと、それは自然と「どんな地域ならみんなが呼吸しやすいか」という、あたたかいまちづくりの話へと繋がっていきました。

完璧な正解や結論は出ません。
でも、お互いの違いを否定せず、緩やかに重ね合わせながら、この街や人をちょっと愛おしく思える。日常の小さな関わり合いや、お互いに「助けて」と言い合える関係性を、どうやって日常の中に編み込んでいくのか。

オイエマンの、そして利他庵の探求は、これからも地域のなかで続いていきます。

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