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【フォーミュラ1】 #042 F1縁石の赤と白――マールボロが塗り替えた路面の色と、命を守る「段差」の70年史

なぜF1のコーナーには「赤と白」があるのか

2019年9月、モンツァのコース上でアントアーヌ・ペローニが乗るマシンが宙を舞った。ピアノ区間と呼ばれるシケインの手前、路面の段差を踏んだ瞬間に車体が浮き上がり、フェンスへ激突した。ドライバーは奇跡的に軽傷で済んだが、映像を見た者は同じ疑問を持ったはずだ。「なぜあそこに段差があるのか」と。
F1のコーナー手前にある赤と白のストライプ模様の縁石は、世界中のサーキットで当たり前のように存在する。テレビ中継でも常に画面に映り込み、その配色は視聴者の目に刷り込まれている。多くの人は「視認性を高めるための配色だろう」と考える。黄色と黒のハチのような警告色に近い発想だ。
だが、この赤と白の起源に「視認性の向上」という意図はない。色は、タバコ会社のマーケティング戦略から生まれた。1970年代、あるタバコブランドが自社のブランドカラーをサーキットに刻み込んだ。そのブランドはとうの昔にF1から去ったが、色だけが「伝統」として世界中のサーキットに残り続けている。
赤と白の縁石が持つ本当の歴史と、段差が秘める機能と危険を、70年のタイムラインで追う。

赤と白の正体――マールボロが塗り替えたサーキットの景色

F1の縁石に色がついていなかった時代がある。
1950年代、F1世界選手権が始まった当初は、イギリスのシルバーストーンやイタリアのモンツァといった会場の多くが公道や飛行場を転用したコースだった。コースを区切る物理的な境界はほぼ存在せず、縁石という概念自体がなかった。ドライバーはコースの端を草と砂利の感触で知るしかなかった。
1960年代に入り、常設サーキットの整備が進むにつれて縁石が置かれ始める。この時期の縁石は機能優先の設計で、色はグレーや白が中心だった。コーナーの出入り口を視覚的に示す目的はあったが、「どの色にするか」に明確なルールはなかった。
転機が訪れたのは1970年代だ。タバコ広告の規制が緩やかだったこの時代、フィリップ・モリス社のタバコブランド「マールボロ」がF1への資金投入を本格化した。マールボロのブランドカラーは赤と白だ。同社はスポンサーとして資金を提供しただけでなく、サーキット施設そのものへの露出を積極的に求めた。縁石にブランドカラーである赤と白を塗ることで、コース全体を宣伝媒体として機能させたのだ。
テレビ中継が普及した時代に、コーナーごとに繰り返し映り込む赤と白のストライプは、試合中継の随所にブランドロゴを刷り込む手法と同じ効果を持つ。マールボロは2005年のヨーロッパ全域でのタバコ広告禁止強化によってF1から退いた後も、縁石の配色だけは「伝統」として残った。
現在、FIAのサーキット設計基準書は縁石の色について「赤と白または白と赤を推奨する」と記している。その根拠に「マールボロ」の文字はない。タバコブランドの痕跡は公式文書から消え、色だけがコース上に生き続けている。ブランドが去り、ブランドカラーだけが世界に広まったという、宣伝の逆説がここにある。
縁石の配色という細部に、F1とタバコマネーの蜜月関係が凝縮されている。ロゴは消せても、色は消せなかった。

縁石は1種類じゃない――5種の「路面装置」が持つそれぞれの役割

赤と白の縁石を一括りにしているが、実際にはF1サーキットで使われる縁石は5種類ある。それぞれが異なる設計思想を持ち、コースのどの場所に置くかで役割が変わる。
第1種:平坦塗装型
路面とほぼ同じ高さで、赤と白のペイントだけが施された縁石だ。段差がないため、タイヤが乗り上げても車体に衝撃は伝わらない。コーナーの入り口付近に多く使われる。コース外の境界を示す「ガイドライン」としての役割に特化しており、ドライバーが安全に縁石を踏んで走ることを前提にした設計だ。
第2種:ランブルストリップ型
路面に縦または横方向の浅い溝が刻まれた縁石で、タイヤが乗り上げると車内に振動が伝わる。「今はコース外にいる」という触覚的な情報をドライバーに伝える機能を持つ。一般道路で車線をはみ出しそうになったドライバーに気づかせるために路肩に刻まれるあの溝と同じ発想だ。段差は浅く、車体への大きなダメージは想定されていない。
第3種:ソーセージ縁石
路面から10〜15センチほど突き出した半円形の縁石で、断面がソーセージに似ているためこう呼ばれる。物理的な障壁として機能し、コーナー出口の縁石を大きく踏み越えることを強制的に阻止する。コース外へのショートカットを防ぐ「物理的なペナルティ装置」だが、後述するように低いF1マシンとの相性に深刻な問題を抱えている。
第4種:人工芝付き縁石
縁石の外側に人工芝のパネルを設置したタイプだ。タイヤが接地すると滑り、グリップが失われる。物理的な障害を加えることなく「踏んだら損をする」という学習効果を与える設計だ。ソーセージ縁石ほどの急激な衝撃は生じないため、車体へのダメージが少ない。縁石を越えて走ることをタイム的に不利にする、穏やかな抑止力として機能する。
第5種:金属製縁石
コンクリートや樹脂製ではなく、金属プレートを路面にはめ込んだタイプだ。耐久性が高く、長期間の使用に適している。ただし、接触時の車体へのダメージが大きく、タイヤの横面へのダメージリスクもある。使用頻度は低く、恒久施設の特定箇所に限られる。
5種は機能の段階に対応している。コーナーの性質や想定されるリスクに応じて使い分けられるが、設置基準の詳細はサーキットごとに異なる。一口に「縁石」と言っても、その設計思想は一様ではない。F1のコースを「ただの赤と白のペイント」として見ていた視点は、5種の機能を知ることで大きく変わるはずだ。

縁石は戦略ツールだ――ミリ秒を稼ぐための「攻め方」

縁石は安全装置だが、ドライバーにとって同時にタイムを稼ぐ道具でもある。
コーナーを速く走るには、曲がる距離を短くする必要がある。コーナーの内側の最も手前の点に向かって直線的に飛び込み、そこから直線的に加速する走り方が理想だ。この走り方をより徹底するために、ドライバーはコースの白線の内側ではなく、縁石の上ギリギリまで車体を寄せて走行する。
縁石の端をタイヤで踏みながら走ることで、コーナーの軌跡が数センチ〜数十センチだけ内側に入り、曲がる弧の長さが短くなる。たった数センチの差が、1コーナーあたり0.05〜0.1秒のタイム短縮につながる。60周のレースでコーナーが20か所あれば、1周あたり1〜2秒のゲインになりうる計算だ。
問題は「どこまで踏んでいいか」だ。縁石の端を踏むのはルール上許容されているが、縁石を完全に超えてコース外の舗装路に出ることは「コース外走行」として違反になる。違反の判断基準は「4輪すべてがコース境界線を超えたか否か」だが、高速走行中の映像から正確に判定することは難しく、判定基準の不統一が長年の問題になってきた。
2023年のオーストリア・グランプリでは、1レース中に1,200件以上のコース外走行が審判団によって記録された。違反件数が多すぎて全件を処理できず、審判団は最終順位に影響するケースに限定して対処せざるを得なかった。
1,200件という数字は、ドライバーたちがいかに積極的に縁石を攻めているかを示すと同時に、縁石だけではコース逸脱を止められないことを示している。縁石は「どこから出てはいけないか」を示すが、出ることを物理的に防ぐ力は弱い。ドライバーは違反を承知でギリギリを攻め続け、審判団は違反の海に溺れた。
縁石がタイム短縮の道具であり続ける限り、この構図は変わらない。縁石を「踏んでいい」と「踏んでよすぎる」の境界は、数十ミリ単位の世界にある。

安全装置が凶器になる日――ソーセージ縁石が生んだ矛盾

コース逸脱を止めるために設置されたソーセージ縁石が、事故を引き起こした事例がある。
2019年9月のモンツァでのペローニ事故はその典型だ。F2ドライバーのアントアーヌ・ペローニが乗るマシンは、シケイン手前のソーセージ縁石に乗り上げた瞬間に車体前部が浮き上がり、フェンスに激突した。ドライバーは軽傷で済んだが、マシンはほぼ原形をとどめないほど破壊された。
なぜ、コース外に出ることを防ぐための縁石が、マシンを空中に送り込んだのか。
F1マシンおよびその下位カテゴリーのマシンは、走行中に車体を地面に押しつける力を稼ぐために非常に低い車高で設計されている。路面に近いほど走行時に生まれる空気の流れが車体を下に押す力が大きくなるためだ。車体の底面と路面の隙間は数センチしかない。
この低い車体が、高さ10〜15センチのソーセージ縁石に乗り上げると何が起きるか。縁石の曲面が車体底面を後ろから押し上げ、マシン全体が前のめりに回転する力が生じる。縁石が「段差」ではなく、マシンを空に向けて押し出す台として機能してしまう。速度が高いほど、この効果は大きい。
2021年のイギリス・グランプリでも、マックス・フェルスタッペンとルイス・ハミルトンが接触した際に縁石が車体の挙動に影響した場面があった。縁石への乗り上げが接触後の車体の跳ね方に作用し、事故の拡大に関わった要因の一つとして議論された。
問題の本質は、ソーセージ縁石の設置意図が「ドライバーにコースから出ることを嫌がらせる」ことにある点だ。出たら罰則がある、という抑止力を物理的に作ることでコース逸脱を減らそうとした。しかし、F1マシンのような極端に低い車高のマシンに対して、縁石の高さが「ペナルティ」ではなく「危険」になる閾値が存在する。
安全のために置いた装置が、特定の条件下では安全を脅かす。縁石が抱えるこの矛盾は、2020年代になっても解決されていなかった。縁石の高さを上げれば抑止力は増すが、危険性も増す。高さを下げれば安全になるが、コース逸脱を止める力が弱まる。この二律背反の中で、サーキット設計者は答えを探し続けた。

アスファルトからグラベルへ――レッドブル・リンクが示した「自然な抑止力」

1,200件の違反と事故リスクという二重の問題に対して、FIAとサーキット運営者は2024年に新しいアプローチを試みた。
オーストリアのレッドブル・リンクは2024年のシーズン開幕前に大規模な改修を実施した。従来ソーセージ縁石が置かれていた複数のコーナーで、縁石の外側に幅2.5メートルの砂利エリアを設置した。
砂利エリアの効果はシンプルだ。タイヤが砂利に入った瞬間にグリップが失われ、車体がコントロールを失う。ドライバーはそれを知っているから、砂利に近い場所を走ることを本能的に避ける。罰則を与えて止めるのではなく、踏んだら物理的に損をするという環境を作ることでコース逸脱を防ぐ発想だ。
この発想の転換は重要だ。ソーセージ縁石は「禁止」を物理化したものだ。縁石を越えるな、越えたら車が跳ぶ、という恐怖で行動を制限する。対して砂利エリアは「損得」を物理化したものだ。砂利に入れば遅くなる、だから入らない、という計算でドライバーが自発的にコース内に留まる。縁石の高さでマシンを脅すのではなく、砂利の抵抗でタイムを失わせる。
FIAの声明によれば、2024年のオーストリア・グランプリでは改修後のコーナーでのコース外走行件数が大幅に減少した。前年に1,200件を超えた記録と比べて、抑止効果は明確だった。
ただし砂利エリアには別の問題もある。タイヤが砂利を撒き散らし、コース上に石が散布される。後続車のタイヤやブレーキに砂利が当たる。また、砂利に埋まった車を回収するために赤旗が掲示されレースが中断されることが多く、レースの展開を止めてしまう。このトレードオフは引き続き議論されている。
それでもレッドブル・リンクの改修は、縁石の高さと形を調整するのではなく、縁石の外側の環境を変えることで問題を解消しようとした試みとして重要だ。コース設計全体をどう安全に設計するかという問いに、縁石以外の手段で答えようとした。

まとめ――赤と白の縁石が語るもの

F1の赤と白の縁石には、三つの層がある。
一つ目はタバコブランドの遺産だ。マールボロが1970年代にサーキットに刻み込んだブランドカラーは、ブランド自体が消えた後も世界中のサーキットに残り続けた。現在のFIAが推奨する赤と白の配色には、その起源が記されていない。色だけが生き残り、理由が忘れられた。
二つ目は五つの機能だ。平坦塗装・ランブルストリップ・ソーセージ縁石・人工芝・金属製という五種は、それぞれ異なる役割を担う。コーナーの特性に応じて使い分けられるが、設置基準の詳細はサーキットごとに異なる。一口に「縁石」と言っても、その設計思想は一様ではない。
三つ目は戦略と安全の二面性だ。ドライバーは縁石をタイム短縮の道具として積極的に使う。1レースで1,200件の違反が記録されながら対処に追われる一方で、安全のために設置したソーセージ縁石が低車高のマシンを空中に送り込んだ。縁石は同時に攻め道具であり、罰則装置であり、危険源だ。
2024年のレッドブル・リンク改修が示した砂利という答えは、縁石の問題を縁石で解決しようとするのをやめた結果だ。コース設計の思想は今も更新され続けている。
次のF1中継でコーナーの縁石が映り込んだとき、その赤と白のストライプがたどってきた70年の歴史と、いまも続く安全への試行錯誤が重なって見えてくるだろう。赤と白の縁石は、F1の歴史そのものを路面に刻んでいる。

参考文献

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