【フォーミュラ1】 #064 - 「F1より速いのに、自動運転には使えない」——Formula Eが公道ADASの最前線に立つ逆説
ポルシェが2024年に発売した新型Cayenne Electricの自動緊急ブレーキには、Formula Eのレースカーが市街地コースを走りながら磨いたブレーキ制御のプログラムが直接載っている。F1ではなく、Formula Eのほうが市販車の安全技術に近い——これは感覚論ではなく、技術移転の実績だ。本記事では、Formula Eが公道自動運転と構造的につながる理由を技術の中身から追う。
本記事は、エンジニア&コンサルタントの著者が選んだ技術の最新動向をわかりやすく約3,000字で発信しています。もし記事がためになったと思った方は、高評価とフォローをお願いします。
自動運転エンジニアは、F1よりFormula Eを選ぶ
自動運転の開発企業が採用するエンジニアのキャリアを見ると、Formula E出身者のほうが即戦力として評価される場面が増えている。
理由は速さではない。自動運転が解かなければならない問いと、Formula Eのエンジニアが毎レース解いてきた問いが、構造的に一致しているからだ。「どこまで速く走れるか」を追求するF1と、「限られたエネルギーをどう使い切るか」「市街地でどう正確に止まるか」を追求するFormula E。この違いが、公道自動運転との親和性を決定的に分けている。
Formula Eは2014年に始まった純電動レースだ。専用サーキットではなく、市街地に設けられた公道型コースを走る。GEN3マシンのバッテリー容量は38.5kWhと上限が定められており、ドライバーは毎周エネルギー残量を計算しながら走る。「消費管理」が勝敗を左右する競技設計になっている。
F1とFormula E——「何を競っているか」が根本的に違う
F1は空力性能と高速コーナリングの極限追求が競争の中心だ。専用サーキットは路面整備が徹底されており、環境変数は最小化されている。2026年規定でも内燃機関とハイブリッドの組み合わせは維持される。
対してFormula Eは、市街地の狭い道幅・タイトコーナー・路面段差が当たり前の環境を走る。エネルギー残量・回生量・モーター効率をリアルタイムで最適化しながら、次のコーナーで正確に止まる必要がある。
公道の自動運転車が直面する課題はFormula Eの競技環境と構造的に重なる。交差点での低速制御、エネルギー残量と走行距離の予測管理、急な障害物への対応——これらは市街地コースのFormula Eが毎レース対処している問いだ。F1が最適化してきた「均一環境での高速極限」とは、根本的に異なる領域にある。
都市型サーキットが育てる「公道自動運転の基礎技術」
Formula Eと公道自動運転の技術的な重なりは、ポルシェの事例が最も明確に示している。Formula Eの99X Electricが習得した制動制御——減速時の運動エネルギーを電力に変換してバッテリーに戻す仕組み——は、新型Cayenne Electricの自動緊急ブレーキに直接転用された。最大600kW(一般的な電気自動車の急速充電150kWと比べると約4倍)を毎コーナーで精密に制御してきたノウハウが、公道の衝突回避システムに載った。レースの技術が市販車の安全機能に転用された最も明確な実例だ。
バッテリー残量・モーター出力・回生量をリアルタイムで統合管理するソフトウェアも、公道EVに直結している。ジャガーのFormula EチームJaguar TCS Racingは、パートナーのTCS(タタ・コンサルタンシー・サービシズ)とともに、レース週末に約3TB分のデータをクラウド上で解析している。この開発プロセスを通じて、市販EVのJaguar I-PACEの航続距離をソフトウェア更新だけで20キロメートル延長した。
3番目の領域は車両とインフラ間のリアルタイムデータ通信だ。走行中のマシンが外部システムとデータを交換する仕組みで、Formula EはAWSのクラウド上にデジタルツインを構築し、レース中に200チャンネル・ギガバイト単位のデータをリアルタイムで送受信している。このリアルタイムデータ交換の設計は、公道の信号機・他車両・歩行者とデータを共有するインフラと同じ問いに答えている。
自律走行レースカーはなぜ消えたのか——Roboraceの終焉と残した遺産
2017年から2022年にかけて、Formula Eのサポートシリーズとして「Roborace」が開催された。RoboraceとはAIだけで走る電動レースカーの競技シリーズだ。NVIDIA Drive PX2を搭載し、LiDAR・レーダー・超音波センサー・AIカメラをすべて統合した車両が、Formula Eと同じ市街地コースを走った。
しかし2022年5月、Roboraceは終了した。親会社Arrival社の経営悪化に加え、「人間ドライバーが持つ予測不能な判断と感情」がない競技にファンが集まらずスポンサーを獲得できなかった。技術的な限界ではなく、商業的な失敗だった。
Roboraceが残した技術は生き続けている。SLAM(走行しながら自己位置と周囲の地図を同時に作成する技術)とMPC(数秒先の車両状態を予測して制御を最適化する技術)の市街地環境での実走データが蓄積された。この知見は現在、米国の「Indy Autonomous Challenge(IAC)」と2024年に初のマルチエージェントレースを開催した「A2RL(Abu Dhabi Autonomous Racing League)」に引き継がれている。
F1側の反論——シミュレーション技術では世界最高峰、だから「追いつけない」
F1が自動運転に貢献していないわけではない。メルセデスAMGはNVIDIAと提携し、空力シミュレーションと車両デジタルツインを高水準で開発している。ウィリアムズ・アドバンスド・エンジニアリングはF1のシミュレーター技術を無人車両の試験に提供した実績もある。
しかしF1の「強さ」がそのまま弱さになる構造がある。F1が最適化してきた技術は、整備された専用サーキット・高速走行・均一環境に特化している。濡れた路面・急な割り込み・歩行者・低速での精密制御という公道の現実とは、解くべき問いが根本的に違う。
「F1の技術は使えない」ではない。「F1の技術が得意な環境と、公道自動運転が直面する環境が根本的に異なる」というのが正確な表現だ。ホンダがF1(アストンマーティンとビザ・キャッシュアップRBへのパワーユニット供給)に開発資源を集中させる一方、トヨタはTRI(トヨタ・リサーチ・インスティテュート)経由でADAS開発に独自投資を続けている。欧州メーカーのFormula E直結型技術移転とは異なる路線だ。
まとめ——速さの競技と、制御の競技
Formula Eの技術系譜は、「電動レースが自動運転技術の実証プラットフォームとして機能する」という命題を、一事例ずつ積み上げてきた記録だ。ポルシェのブレーキ制御移転、ジャガーの航続距離延長、Roboraceの市街地AI制御データ——それぞれが市販車と公道自動運転に向けた具体的なステップになっている。
自動運転エンジニアがF1よりFormula Eを選ぶのは、Formula Eのエンジニアが解いてきた問いが、公道ADASが解かなければならない問いと重なっているからだ。次に自分の車の自動緊急ブレーキが作動する機会があれば、その制動アルゴリズムは市街地レースのエネルギー管理から来ているかもしれないと意識すると、Formula Eの見え方が変わるだろう。
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参考文献
Advanced Sensor Configurations for High-Speed Autonomous Racing Vehicles
Energy Management Strategy for an Autonomous Electric Racecar using Optimal Control - arXiv
FORMULA E RACING MAKES AN IDEAL REAL-WORLD PLATFORM - TE Connectivity
Porsche's Tech Transfer from Formula E to Cayenne - Racecar Engineering
Revolution in testing as new Porsche Formula E car pushes boundaries
Roborace reveal first driverless electric race car - FIA Formula E
TCS drives digital transformation for Jaguar TCS Racing Formula E Team
Williams Advanced Engineering simulator technology for driverless cars
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