【フォーミュラ1】 #063 - Formula Eエンジニアが自動運転企業に引き抜かれる理由——人材の移動経路が示す、次世代モビリティ覇権の地図
F1がモータースポーツの最高峰であることは、誰もが疑わない。だが、自動運転企業のWaymoやMobileyeが採用で最も目を向けるサーキットは、F1ではなくFormula Eのパドックだという。誰があなたの次のEVを設計するのか——その答えは、意外にも電動フォーミュラカーのピットウォールに埋まっている。
本記事は、エンジニア&コンサルタントの著者が選んだ技術の最新動向をわかりやすく約3,000字で発信しています。もし記事がためになったと思った方は、高評価とフォローをお願いします。
F1とFormula E、何が本質的に違うのか
F1とFormula Eは、一見すると「速いレースカー」という共通点で括られがちだ。だが、エンジニアが日常的に扱う問題の性質が根本的に異なる。
F1はエンジン(内燃機関)が主役だ。電気系統はブレーキで回収したエネルギーを一時的に使う補助的な仕組みに過ぎない。走行中の制御の中心は、エンジンの燃焼効率や空気力学の最適化だ。
Formula Eは電力だけで走る。バッテリーの残り電力を計算しながらレース全体を設計し、回生ブレーキでどれだけ電力を回収するかを毎コーナーで判断し、出力をリアルタイムで調整する。電力が尽きればリタイアになるため、バッテリーの残存量管理が直接勝敗を左右する。これは「燃料を燃やしながら走る」という発想ではなく、「電力という限られた資源をどう配分するか」という問題だ。
この違いが、自動運転技術との相性を決定的に分ける。自動運転車はカメラやセンサーのデータを毎秒処理しながら、バッテリー残量を管理し、走行経路を計算し、制動系を制御する。Formula Eのエンジニアが日常業務として扱う「低遅延のフィードバック制御」「バッテリーの熱管理」「回生ブレーキの最適化」は、そのまま自動運転の核心的な技術課題と重なる。では、採用企業はFormula Eエンジニアのどの経験を具体的に評価しているのか。
採用企業が求める「経験」の正体
MobileyeのキャリアサイトにはC++とPythonの深い知識、深層学習、コンピュータビジョン、複数のセンサー(LiDARとレーダー)を統合して周囲を認識する技術の経験が必須要件として明記されている。
WaymoのMotion Controlsチームの求人では、時速240キロ以上での走行中に安全な制御を実現するアルゴリズム設計能力と、車両全体のパフォーマンスを統合的に管理するシステム思考が問われる。
Formula Eのパワートレイン制御エンジニアは、まさにこの条件に日々晒されている。ひとつのコーナーで、バッテリー残量・モーター出力・回生量・路面状況・後続車との間隔を統合的に判断し、数十ミリ秒以内に出力制御へ反映させる。この「低遅延でシステム全体を制御する」感覚は、自動運転車が歩行者を検知して制動を開始するまでの時間を短縮する問題と構造的に同じだ。
一方でF1エンジニアの多くは、内燃機関の燃焼制御や空気力学のシミュレーションを専門とする。これらはモータースポーツの中では最先端だが、電動系制御やバッテリー管理への直接的な転用は難しい。自動運転企業が「Formula Eの経験者を歓迎する」と明言しているのは、こうした技術適合性の差による。
実際に動いた人と組織の軌跡
具体的な人材移動は、複数の経路で確認できる。
日産では2021年、Tadashi Nishikawa氏が市販車のパワートレイン開発担当からFormula Eチームへ異動し、チーフパワートレインエンジニアに就任した。量産車(スカイライン・リーフ)の開発で培ったシステム思考をレース環境で極限まで鍛え、得た知見を再び量産車に還元する双方向の経路だ。この事例は「レースは市販車開発の実験場」という考え方を、電動化時代に再定義したものだ。
MIT Driverlessは学生主体の自動運転レースカー開発チームだが、ここから輩出されたエンジニアはWaymo・Tesla・Zoox・Motional・Aptivへと就職している。彼らが評価される理由は、物体の検知・経路の計算・車両制御のアルゴリズムを実際に開発し、競技環境でテストした経験を持つためだ。
地理的に見ると、英国オックスフォードシャーが人材流動の集積地になっている。NIO・Mahindra・AndrettiのFormula Eチームが拠点を置き、同じ地域に自動運転ソフトウェア企業のOxaとStreetDroneが立地する。さらにWrightbusは電動バス「NewPower」の立ち上げに際して、McLaren・Land Rover・BMWからシニアエンジニア65名を集めた。オックスフォードシャーはFormula Eチーム・自動運転企業・大学研究機関が密集する地理的インキュベーターとして機能している。
Formula Eの苦境が生んだ人材供出の逆説
だが、この「人材輩出源」という見方には、シリーズ自体の苦境という文脈も重なる。Formula EはGen4車両の開発コスト増大と視聴者数の伸び悩みにより、マクラーレンのようなチームが撤退を選ぶ状況が続いている。シリーズの縮小がエンジニアの流動性を高め、自動運転産業への供給を加速しているという皮肉な構造が生まれている。
Formula Eを「人材発射台」として利用している代表格がNIOだ。NIO 333 Racingをイノベーション実験室として活用しながら、ベルリン・ミュンヘン・英国オックスフォードにR&D拠点を設けて欧州の優秀なエンジニアを直接獲得する戦略をとっている。一方でBYDは欧州初のバッテリー製造工場(子会社FudiBattery)の設立に向けて、シニアプロジェクトマネージャーやプロセスエンジニアを積極採用している。中国のスマートEV業界では、高スキルエンジニアへ最大50%の給与引き上げを提示するオファーが相次いでいる。
Formula Eのパドックを出たエンジニアが次に向かうのが「WaymoかBaidu Apolloか」という問いは、単なる転職市場の動向ではない。2030年代の自動運転技術が西側の標準で動くのか中国の標準で動くのかを決める人材争奪戦の最前線だ。中国企業が千人計画以降も米国・欧州の技術者を継続的に引き寄せている現実は、技術系譜の地政学的な分断を静かに進行させている。
まとめ
Formula Eエンジニアの転職先の地図は、次世代モビリティの技術覇権がどの企業・どの国に集まるかを映す鏡だ。低遅延の電力制御・バッテリー管理・システム全体の統合最適化——これらの経験を日常業務として持つFormula Eエンジニアが、自動運転産業にとって最も求めやすい人材になっている。だが、彼らの移動先が欧米の自動運転企業なのか中国の巨大テック企業なのかで、2030年代の技術地図は大きく変わる。
Formula Eが「自動運転産業へのキャリアスタート台」として機能しているという事実は、シリーズの衰退を示すだけでなく、量産技術への橋渡し役という新たな存在意義でもある。あなたが数年後に乗るEVのソフトウェアを書いたエンジニアは、今日のサーキットで低遅延制御と格闘しているかもしれない。
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参考文献
(hu)Man vs. Machine: In the Future of Motorsport, can Autonomous Vehicles Compete?
Indy Autonomous Challenge - Autonomous Race Cars at the Handling Limits
From road car engineering to Nissan Formula E powertrain design
Formula E Technology Supports NIO New Projects in Electromobility
China's electric vehicle makers woo engineers amid skills shortage
The Auto Industry's Talent War: Winning the Race for Skilled Workers
McLaren exit poses uncomfortable questions about Formula E bubble
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