スピン・四十九日の恋。(10)
時折社長の関さんからLineが来る。
待ってる、おしえてくださいっていうクマが手招きしているスタンプが連だされて、送られてくるメッセージ。
大輔の子供の名前は決まったんか?と、〆切の催促のように追いLineしてくる。ひまか。
月島さんは不安のせいか毎日連絡をくれた。
そして、出産は御産婆さんのいるところで産むのだと教えてくれた。一般家庭の住所が書いてあった。何度目かにあった時に、とてもでたらめな遊びで書いたような地図と、その御産婆さんの名前らしきものが吉越とだけ書いてあった。
月島さんは見かけよりも方向音痴で、地図書くの死ぬほどやり直したっていっていて。よくみると、小学生の答案用紙のごとく濃い鉛筆の消し跡が残ってるようなあいすべき地図だった。
海岸に続く階段のてっぺんに座る。波は穏やかでサーファー達は陽に灼けたひょろ長い棒のようになりながら、海の表面を縫ってゆく。
コンビニの袋がしゃりしゃり音を立てて、少し熱を持っているのがわかった。
ぎら、じりってあっちからも音が聞こえそうな太陽。
「顔をあげてごらん」
すぐそばで、誰かお父さんらしい人の声がした。海岸で遊ぶ子供連れの親が水に慣れさせるために海面のすぐ下に顔をつけさせているのが見えた。
我慢して頬を膨らませながら、水の中からゆっくりと顔をあげる男の子。
髪の先から雫が滴って、顔はびしょびしょに濡れていた。
よくみると小学1年生ぐらいの彼は、眼を赤く腫らして泣いていた。
我慢していたのだ。どんどんゆがんでゆく子供の表情を見て、父親らしき若いお父さんは高らかに笑った。
「どした? こわいの?」
子供の指が父親のバミューダパンツの裾をつかんでる。
顔を濡らす水が海なのか涙なのかわからないまま、彼は頬をぬぐった。
「大丈夫だよ。パパはここにいるから。ほらママだってあそこにいるでしょ。ねっ」
「どこどこ? ママはどこにいるの?」
「砂浜のパラソルの下。青い水着の。わかった? トモオは泣かないよ。はいもいっぺん、顔つけて」
パパはここにいるよ。ママもあそこにいるよ。ほら顔をあげてごらん。もう一度違う声が海辺のざわめきを縫うようにまっすぐ届いてきた感じがして、わたしはその声に促される。
顎をあげて、空を仰いだ。
<こわくないよ、ほらイメージするんだよ>
<パパもママもここにいるんだってことをトモオの頭のなかでちゃんとイメージするんだ。想像を飛ばすんだ。紙飛行機みたいに>
そこに父親になった大輔を重ねながら、知らない親子の会話を聴いていた。
<簡単なことだよ。空をみなさい。昼間の空をちゃんと見る。雲をみてごらん。止まってるようにみえても、刻々と姿を変えてゆくだろう。もとの姿なんて、あとかたもないよ。変わってゆくんだから、少しずつ慣れていけばいいよ>
いつだったか大輔と一緒に海に行った。うそみたいに電車が異様に込み合っていて降りられなくて、ま、いっかって何駅かを見送った。降りた駅ははじめて訪れる海の町だった。潮の匂いがする。近所でサザエのつぼ焼きが売られていた。
美味そうやつやんかって言った大輔の微笑みが浮かんできて、久しぶりに大輔に会いたくなっていた。
あることとないこと。
もともとあるものがないことと、もともとなかったものがあるって状態に置かれてから、それを失くすことは、あるものを失くしたことよりも、ないがあるになってさらに失くしてしまうことの方がかなしみの分量は大いに違いない。
御産婆さんの吉越さんのお宅は海側とは反対に位置しているらしく、幾分潮の香りが薄れた風が吹いている。どちらかというと緑の匂いがしている。
すこし肌がひんやりと樹々の呼吸に触れているような冷たさを風が孕んでいた。自転車に二人乗りしていたわたしはポプラ並木が流れる風景に心地よくなっていた。
自転車を必死に漕いでくれるのは立木さんだった。
月島さんの予定日のことを話していたら、自転車で送るからって行ってくれた。自転車に乗ってみたかったのはわたしのリクエストだ。
渡されたほんとにアバウトなフリーハンドの地図を持って。それをちらっと見た時、楽勝楽勝って立木さんが言う。この手の地図のほうがぼくには簡単かもしれないと。こんな大雑把な地図らしきものでも、その声を聴いていると吉越さんの家に迷わずに辿り着きそうな、予感がした。
その地図によると道がY路なのか、並行なのかさえあやふやなのにところどころに<犬に注意! 吠えだしたらそのまま鳴き続ける>とか<おばあさんが日がな一日手作りベンチに座ってて、ぼんやり外を眺めてる茶色い家>や<トトロの森っぽい樹の公園>とかが書いてあったので、そっちのキャプションのような説明文をたよりにしていたら、まぐれで着いてしまったという。
辿り着けたのは、ふしぎなぐらいだった。
そこは、ちいさなふるい一軒家だった。
屋根は緑で壁は黄色。自分たちで作りましたってオーラを放っていて、わたしは少しだけ不安になった。
「大丈夫、大丈夫。こういう家の持ち主はある意味神の手的な人おるかもやです」
立木さんは植物たちの声にならない声と接しているせいか人の気持ちをさっするのがうまい。いつも先を越されて何も言えなくなってしまう。息を盗まれれるみたいに。
やっとみつけた入り口のピンポンを鳴らそうとしたら、ようわかたねっていうカタコトが庭から聞こえた。
どっかで聞いたことのある声だった。
あ。
あ。
ふたりであ。の練習をしてるみたいな声がでた。
あの日大輔が死んでしまった日に路地で呼び止められた「易の人、マーサさんだった。
易と御産婆をしているマーサさんは、こちが本業よって言う。まだ産まれないヨ、たぶんねって言ってわらった。わたしたちに部屋に入るように促した。
その時、あんた最果てにいったか?
何かをすべて思いだしたみたいに、告げた。
最果て駅に降り立ったから、いまここにいるんだと。あれからどれだけサイコロを振ってその目の数だけ進んできたのか気が遠くなるほどだった。
そうか、よかた。
そう、よかたよ。って立木さんも呼応した。
月島さんが居る部屋に行くと、ガーゼの薄いケットの中で眠っている月島さんがいた。
おふとんをかけてもお腹の大きさは目に見えていた。
あのお腹の中に大輔の子供が大切に包まれている。
眠っている月島さんを起こさないようにわたしたちはそっとそこから離れた。
キッチンの窓のところにかかってるカフェカーテンのチューリップのレースをぼんやり見てた。レースから洩れる日差しが立木さんの手元に当たっていた。
どこに居たらいいかわからないから、産まれたらまた来るよって立木さんは所在なげに言った。
「そんな。不安の塊だからいっしょにいてください」
って言ったら栞ちゃんが産むんじゃないって言って思い切り笑われた。
「あんなにでたらめな地図なのにちゃんとここに連れてきてくれた立木さんだからいてほしいんです」
「ん?」
わたしも自分が出産でもしそうなぐらい支離滅裂だった。
ただ居てほしかった。理由はなんでも。
「何ごちゃごちゃ言ってる」
マーサさんがやってきた。
「うん? 今日のメニューか? ジャガイモとな人参キャベツとセロリやろうそれにあと何入れたろうかなって」
話が混線していた。
「え? ちゃうの? なんか言いたいことあるんか?何食べたい?」
素っ頓狂なアングルを持ったマーサさんに、ある種瞬間救われてもいた。
まな板の上で、人参とジャガイモがころころと音を立ててシンクの上に転がった。
作ろうとしているのはロールキャベツだった。
カフェカーテンが、西日にさらされたまま緑の風をまとったまま揺らされていた。
銅鍋で煮込んでる間に、マーサさんが冷蔵庫から出してきたのは冷えたグラスとホッピーと、キンミヤ焼酎。
デジャヴュかと思った。
最後に安い飲み屋さん街で大輔とふたりのんでいたのはこのお酒たちだったから。
テーブルの上に並んだ料理はどれもおいしかった。ホタテと大根のサ
ラダなんて、いつもリクエストしたくなるぐらい絶品だったと思う。ふたりでこうやってはじめての食事できることの幸せを十分にかみしめたいのに、立木さんとこうしてイレギュラーな感じで食卓を囲んでいることが不思議で仕方なかった。
間をつなごうとわたしはロールキャベツの思い出をいつのまにか喋っていた。
「栞さんのお母さんだった人のロールキャベツ?」
「わたしが熱を出したり、風邪を引くと必ずその初日にロールキャベツが食卓に並んだんです。野菜はただひたすらサイコロ切りにした人参やジャガイモと、これでもかっていうほどたくさんのキャベツの葉っぱでひき肉を巻いてあって、それがいつも鍋いっぱいに作られていました」
立木さんはおいしそうな顔でホッピーを注いでいた。
もう帰るなんていいそうな笑みだった。
「やさしいお母さんだな。」
やさしいお母さんだったのかもしれない。思い出があまりない。
「でもね、やさしいのは初日と次の日ぐらいで。後は日ごろの生活態度が悪いから風邪を引くって怒られた、いっつも」
「わかるわかる。母親ってそういうこと言うよね。いきなり水をさされるね。風邪ひいてる時も容赦ないからね」
ってじぶんのお母さんをを思い出してるように笑った。
わたしはそういえば立木さんの生い立ちはなにひとつ知らないことに気づいた。
お酒のせいで畳の部屋でうたたねをしていたら、ギャーという断末魔みたいな声が聞こえてわたしは怖い夢を自分がみてるのかと思った。
栞、産まれるぞ。栞、たらい。お湯。早く。
そんな声が追いかけてきてわたしは夢からさめた。
ほとんどわたしは何をしたのか覚えがない。ただひたすらマーサに怒鳴られて、時々そうそうとほめられて、その合間に月島さんの怒号が聞こえる。
バカなんで居ないんだよ。大輔出てこいって確かにそう言っていた。
え。わたしは意表を突かれて、呆然としていたらまたマーサに叱られた。
それは月島さんなりの哀しみ方だと思った。今月島さんは、大輔への思いを赤ちゃんと共にリリースしていると思ったら、いい。それでいい。思いっきりののしってもいいから、元気な赤ちゃん産んでくださいと思っていた。
そして嘘みたいな凪が訪れた。
その余白みたいな白い時間を突き破るみたいに赤ちゃんの泣き声が聞こえた。
生まれた。
大輔の子供が生まれた。
わたしが産んだんじゃないのにわたしは労働し続けた人のようによろよろで、ぼろぼろで疲労困憊していた。
泣くのはおかしい。順番としてきっとおかしいと思っていたら、部屋の外で待っていてくれた立木さんが、おめでとうっと言ってわたしは抱きしめられていた。
抗う余力もないままに、身を任せていたら。よく頑張ったね栞ちゃん。
そういいながら、立木さんはゆっくり息を吐いた。
ぼくはそんな栞さんのことをずっとね。四十九日の恋って名づけてたよ。
四十九日の恋?
その言葉を聞いてわたしはへなへなと脱力しそうだった。
もう一度強く抱きしめてもらった。
いつか名づけられないねって大輔と言っていた友達の定義のページに、立木さんがつけてくれた「四十九日の恋」というルビをふった。
たぶんそれは、外されることもないし更新されることもないけれど。
そのルビは嫌いじゃなかった。
四十九日までの休暇がもうすぐ明ける。これまで通り関さんの部下としてバリバリ働く所存だった。あの日と同じように最果て駅に立っていた。
住み慣れた最果て駅の夕方に吹く風はすこしだけ秋の気配をまとっていた。ブラッドオレンジの色味も少しだけ秋に傾いていた。
駅には立木さんがいた。胸には花束をもっていた。
百合子さんとはお別れ済みだった。快さんとも。マーサとも。そして庭園の正木さんとも。
僕のすきな花です。ルリマツリ。薄青い可憐な花束だった。
気が向いたらまたルリマツリで押し花つくってください。
はいと答えていた。
同じことをあの花火の日に言われた。これは「月がきれいですね」の類語なのかと思って、いやわたしにそんな、ありえないと陰キャ全開していたら、あの日のカルディの缶缶がガタっと音を立てて机の下に着地したような気がした。
こわ。
独りの部屋で声が響いた。
あ、大輔に伝えたいことがある。
めちゃめちゃあなたの恋人は無茶ぶりをされたんですが。なんとかクリアしました。あなたのはじめての子供に名前をつけろって、無茶ぶりして気絶しそうになりました。
あなたの血をわけた赤ちゃんのことこれからは、「とわ」君と読んでやってください。永遠と書いてとわです。べたですが、とわに幸せになってほしくって。人は誰かと出会ったら永遠に失うことはないと大輔が教えてくれたからです。以上です。
とわという名前をつけた季節にわたしはスピンを挟んでいた。
窓から吹いてくる風が秋をまとっていた。
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