号泣する覚悟はできていたのに。
人と出会ったり別れたりはささやかながらも
重ねてきたけれど。
死別で苦しんだのは十年前に一度経験しただけ
だった。
死別は失恋に似ていると書いてあるポストを
Xで拝読したことがあった。
編集者であるその方の文章を拝読してからどこかで
ずっとその言葉は予行練習のようにわたしの頭の
片隅にあった。
死別は失恋なのだと。
その方はお父様を亡くされて、会いたい時にもう
会えない感覚が失恋に似ているとたとえられていた。
誰かに先立たれるということは、急に誰かに振られることに似ていると。
そしてかつて経験していた「失恋」は死を受け止める覚悟のための準備だったのだと。
そんなことが書かれていた。
若い頃のあの「失恋」のうらっ側に人の死が隠されているなんて思いもしなかった。
世の中の不条理はどこかで円環をなしてるのかもしれない。
わたしはかつて経験したはじめての失恋を思い出していた。
生まれてはじめて年上のボーリング場の受付の男の人にチョコレートをあげようと思って近づいたら
同じ受付の知らない女の人に、あの人には恋人がいるからと言われて、横入りされて遮られた。
わたしの気持ちが無造作な置き配の荷物のように道端に追いやられて、そのなんか自尊心が初めて傷つけられたみたいになって、悔しかった。
これが俗にいう失恋なのかと思った。
いつもは動かない心の位置がちょっとずれたみたいだった。
大阪の北摂にあるボーリング場で、フラれたその場でともだちの隣でワーワー泣いたことがあった。
ボーリング場から離れた広場の生垣のへりに移動して座りながら。付き添いの友達とあげられなかったチョコレートをふたりで泣きながら食べた。
なぜか友達も泣いていた。
それからはなるべく失恋しないように生きてきた。
負荷がかかるのがめんどくさいから。
自分から誰かを好きになるのはやめて。
好きになってもらったら好きになるというちょっと省エネな心のまま起動させていた。
失恋をすると心の位置がずれる。
だから泣いて、それを修正するのだ。
でも大人になると、生き別れのほかに死に別れも
頼んでもないのにもれなくついてくる。
これについては、十年前に立ち直れないんじゃないかと思うぐらいに、存分に味わった。
好きだった。好きすぎた。
四十九日までを懸命に共に生き抜いた。
こんな悲しみが世の中にあるのかというぐらい一瞬心中でもしたほうがましだったとさえ不謹慎にも、そんな思いがよぎった。
その時支えになってくれたのは、母だった。
彼の死を一緒に悼んでくれた。
ご飯をなるべく一緒にたべて。わたしの生存を守ってくれた。
亡くなった人は、名付けにくい関係の中学生の頃からわたしの成長を父の代わりに見守ってくれたような人だった。
そんな母がこの間、四月十九日の未明に亡くなった。
母という存在はどこかでずぶとくてなんだかんだいってもこの高齢化社会に馴染んで、百歳近くまで生きるんじゃないかと高をくくってた。
母がじぶんの手相をみながら。ほら生命線がこんなにとぐろを巻いてるぐらいだから長生きするよってけらけらしていた。
わたしもその手相のことをまんざらでもないと信じていた。
でも母にも死が訪れた。この二年余りは脳梗塞のために在宅介護でそれなりの健やかな日々を送っていた。
高熱がでて二月に入院をした時には新たな病もみつかって余命宣告を受けた。そして快復の兆しもみせてくれたけれど4月19日に亡くなった。未明だった。御前三時。家族で駆け付けたけど間に合わなかった。
今わの際には間に合うとこれも高を括ってた。
ぜんぜん間に合わなくて十五分遅刻した。
待ち合わせだとしたら失礼極まりない遅れ方だ。
あんたたち遅い!ってきっと内心怒っていたに違いない。
そして二日後に家族葬を済ませた。
棺の中にありったけのお花をレイアウトして。
家族たちがみんなデザインとかそういうことにもうるさい人ばかりなので。色の配分とかそれぞれにこだわりがあって、甥っ子もダメ出しを母親にされながら言うことを聞いていた。
またもや不謹慎だけど、花をあしらうことが
楽しかった。
そしてきれいに手向けた花に囲まれるように母は
そこにいた。
わたしはこの文章の導入を、ストレートにカミュの
『異邦人」の冒頭の「ママンが死んだ」みたいに
書くべきなのか、寄り道するべきなのか迷って
やっとここにたどり着いた。
その間に、内田也哉子さんが樹木希林さんを亡くされた後にお仕事された対談集『Blank PAGE』のインタビューを読んだりして、そっと気持ちを重ねた。
お母様を亡くされた時の様子を空白のページとたとえられていることに、わたしは勝手に共鳴していた。
漠然とした不安や寂しさを感じているのだけど、どのように向き合えばいいのか分からない。それこそテストでよく見る「空白を埋めなさい」という問題の答えが分からなくて呆然としている状態でもありました。
内田也哉子さんは、強烈なキャラクターのお父様とお母様を亡くされて、背負う荷物が大きかったと語っていらっしゃる。
だから、ご両親の死は喪失でもあるけれど。その荷物を降ろしてその空白を埋める旅のはじまりだとも比喩されていた。
「空白を満たしていく」という光を感じるような表現もされていてそこに凛としたたたずまいと同時に救いも勝手に感じていた。
肉親の死、いきなりいなくなる感じは、いきなり振られる失恋じゃないかとたとえられて冒頭の言葉も、わたしにはもうはるかそれは昔なのでその痛みを覚えていない。
覚えていない癖に母がもう生身の母じゃないことを知った時、これならあの失恋の方がずっとましだと思ったし。
あの失恋砲ならこの先何発だって喰らってもたいしたことないじゃないかというぐらいに、母の死はわたしの心をがらんどうにした。
わたしは遺族になってまだ一週間経ったぐらいの新米なので。
まだちゃんと泣けないまま心が自堕落などうしようもない日々を送っている。


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