さびしくならないサラダを探して<第六話>
ブースから出て、幾分笑顔の分量を多めにしてショーケースの表側に立つと、ケースの前で行ったり来たりしているおばさんがいた。
いやおばさんなんだけど、おじさんだ。いやおじさんだけど、おばさん。
お客様がおばさんでもおじさんでもどちらでもなくても、一向にかまわないけど。
「彼女」はいつも襟元がひらひらのワンピースを着ている。たいてい花柄だ。喉元を隠したいからなのか、なんなのかただ好きなのかわからないけれど。
大柄な「彼女」は、店員さんやお客さんからどうも距離を取られているらしく、そんな姿を何度か見かけている。見かける度に心が疼く。
彼女を<ベジルド>で見かけた時、あ、<さびしいおばさん>だって気づいた。
<さびしいおばさん>は、わたしが勝手につけた名称で、彼女を見かけるのはこれで2度目だった。
「彼女」はいつだったか、フルーツバーのバナナシェイクのストロー付きのカップを持ったまま、屋上のベンチに座っていたことがあった。
その時透と屋上で待ち合わせしていて、遅刻してくるのがあたりまえの彼をそこで待っていた。その時初めてみかけたのがそのおばさんだった。
そんなに暑くもない季節だったのに、彼女はそのシェイクを一気に飲み干すと溜め息とともに「さびしいわ」ってひとこと漏らしたのだ。
あきらかにわたしにではなく、そこらあたりの宙に放たれた言葉だった。聞いちゃいけない言葉を聞いたみたいで、そっといま耳に注がれてしまったこの言葉をこころの中にしまい込んだ。そして見てはいない風情でおばさんの喉元を見ていた。透とおなじぐらいの大きさの喉仏が喉にあって、そのちいさな石のような塊がシェイクを飲み干すたびに錨のように何度も行ったり来たりしていた。
わたしは透の喉仏を撫でるのが好きだった。撫でるとばかみたいに猫の鳴きまねをしてくれた。喉仏ってなんで仏なん?って聞いたら本の好きな透は、仏様が座禅してるような形してるからやって教えてくれた。
それを聞いてわたしはじっとしてって透に囁いた。その形を確かめようとしていた。そうしたら彼は「今やない」って言った。
なんが?
今、おれのこれが座禅の形してるんやないねん。
そうなん?
ほんならいつ?
火葬された時なんちゃうかな。
あの日の会話はなんか二人の間に天使が通ったみたいに、凪のような時間が訪れた。沈黙が濃かった。今でもそうなのだけど。あの時透が声にした「火葬」が思い描けなかった。
透が亡くなった時、お骨拾いには親族じゃないので参加させてもらえずにいた。ひたすら透の喉仏が座禅を組んでいるカタチを嫌というほどわたしは夢想しては失敗していた。
そして美味しいものがもう二度と透の喉を通らないことを知って、わたしは世界中のかなしみを引き受けてもかまわないぐらいの気持ちに駆られていた。
おばさんのようなおじさんの「彼女」は<べジルド>のショーケースの前で悩んでいた。
「そうねぇ、サラダね、いつもはお惣菜だしねぇ、こんなにぎやかな色は、敷居が高いっていうか、でも美味しそうね」と独り言が聞こえる。
ひとしきり言い終わって顔を上げるとわたしをみて、「おねえさん、ここの中でどれがいちばんカロリーとか低いわけ? いちばん体脂肪減らすのってどれ?」って訊ねてきた。
わたしは声が届きやすいように一歩前に踏み出す。
「いらっしゃいませ。えぇと、カロリーはこのプレートに表示してございますが、そうですね、ここに出てるものですといちばん低いのは、ベジルドスペシャルの6種類の野菜にキャロット、失礼いたしましたニンジンのドレッシングをかけてございますのが、いちばん低くなっておりますが」
誰とも目を合わさずに、ショーケースを食い入るように見入る。
「あぁ、このオレンヂ色は人参なのね。あ、ドレッシングはやっぱり油使ってるんでしょ」
「えぇ、でもご安心くださいませ。こちらは体脂肪をつきにくくするMCTオイルを使用してございます」
「あら、ほんと。へぇ。最近ここんとこ太っちゃって」
<さびしいおばさん>は二の腕とウエストあたりをつまんで、もううんざりよって顔をした。ショーケースの前でふたたび目線が動く。
ガーリックライスコロッケとポテトグラタンのところに目が泳ぎ、泳ぎつかれた視線がようやく<ベジルドスペシャル>に落ち着く。
「グリーンとオレンヂね、いいわね。これならさびしくならないわね」
わたしはテーブルの色どりの話だと思って、「そうですね食卓もにぎやかになりますからね」と精一杯答えたら、「彼女」の顔が一瞬曇った。
「ちがうのよ、ちがうのよ。おねえさん!色のことじゃないの。気持ちのことなのここのこと、ここよ」
割と厳しくそう言い放つと<さびしいおばさん>はふくよかな胸元あたりをじぶんで指さした。その時の指の仕草が美しくてわたしは一瞬目を奪われていた。
空耳かと思った。おいしいとか味覚に関することではなくて、サラダがさびしいかどうかなんて訊ねられたことははじめてだったので、耳を疑ったのだ。
その時となりで接客していた赤尾さんや声を張って売り口上にエネルギーを注いでいた黒木チーフもいっしょに振り返って、妙な視線を投げかけた。
まいったなって思いながらも、いま戸惑いながら受け取ったおばさんのボールを胸の前で受け止めて、そのまま体温を損なわないうちに「彼女」への胸へと投げ返した。
「そうですね、サラダがひと皿あるだけで心が華やぎますものね。だいじょうぶですよ。<ベジルドスペシャル>ならさびしくないですよ。ご安心ください」
わたしそこまで言うと<さびしいおばさん>、いやおじさん、いや「彼女」は、まぁおねえさんたら、と何に驚いたのか、とにかく驚いた表情をした後で、こころなしか安堵の表情を見せながらがま口の財布を開いて、5百円玉硬貨2枚をガラスケースの台の上に置いた。
後ろのスペースでレジを打ってる時、黒木チーフも赤尾さんもおまけにブースからやっと出てきた山根君も、なにかすっごく言いたげににやにやしながらわたしを見ていた。そして、黒木チーフが親指をたてて口元が「ナイスフォロー」と動いているのが見えた。
ナイスフォローとかいいからみんな逃げないでよ!ってわたしはマスクの中でひとりごちた。
その時心なしかハモったようにナイスフォローってしゃがれた声が重なって聞こえた気がした。
透の声に似ていた。これはもう空耳のたぐいだと思う。
今日の接客でよかったのだろうか。わたしはあの<さびしいおばさん>と食をつなぐ幸せのつなぎ手になれたのだろうか、皆目見当がつかなかった。
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