顔も名前も知らないあなたに贈りたい。言葉にできなかった「ありがとう」。
<世のなかには、毎朝目がさめるとその目ざめるということがおそろしくてたまらないひとがあちこちにいる。ああ、今日もまた一日を生きていかなければいけないのだという考えに打ちのめされ、起きだす力も出て来ないひとたちである>
今年の4月30日の新聞。
これは、精神科医でもあった作家、神谷美恵子の『生きがいについて』の冒頭を随筆家の若松英輔氏が記されていた。
そう、もう忘れてしまいそうになっているけれど。
その日付の頃は、緊急事態宣言されていた真っただ中だった。
たぶんわたしが、記事のそこに赤丸で囲んでしまったのは、
そういう気持ちがみなぎっていたからなんだと思う。
むかしもそういう季節があった。
朝が来るのが、こわくて仕方なかったあの頃。
朝が来ても、起き上がれるのだけれど。
心の中がしーんと静かすぎて、からっぽで。
気持ちがなにも動かない。
あまりに晴れない日々が続きすぎていつしか、
そういうことを飼いならす術も覚えて、
仕事の打ち合わせや書道などの稽古事にも行けたけど。
無理した結果、そのしっぺかえしはもっとひどい鬱が
襲ってきてしまうという始末。
時折、わたしはかつて鬱を患っていたあの日々を
思い出すことがある。
今でもたしかにそういう朝の迎え方をしている人は、
かならずいるということを、ちゃんと心の片隅にでも
書き留めておかなくてはいけないと思ってる。
いつだって、すぐそこに戻ってしまうかもしれない
いつも危うい足場に立っているのは、変わらないのだから。
そして、この間。
で、『PING ピン!』と出会った。
副題は「あなたの こころの つたえかた」
訳は、わたしの大好きな内田也哉子さん。
帯には、気持ちについて考える絵本と題されていて。
わたしは、夢中になってページをめくった。
夢中になってページをめくっている時は、じぶんが探したい
なにかのことの解決法が、そこにあるかもしれないと
探りたくてしょうがない時だからだと思う。
絵本って、はじまりのことばに心動くと
磁石でゼムクリップをつなげるみたいに
次のページへといざなわれるものだったりする。
この絵本では、
ねぇ、いきるってさ…
で、はじまる。
子供も読む絵本で、生きるってさって言われたらちょっとぽかんと
してしまうけど。
子供だって、日々いろいろなことに悩みながら生きているわけで。
この冒頭はとても、健やかに正しいと思う。
そして次につながることばは。
ぼくらは、ピンって、するだけ。
って。
いきるとピンってなんだろうって思っていたら
そのページの絵は
ピンポンするほっぺも赤いかわいいキャラの子が描かれてる。
ピンのピンはピンポンのピンのことで。
ポンって受けるんだろうなって思っていたら
ポンっと するのは あのこしだい
って、ちょっと膝カックンされたみたいにかわされた。
ピンとポンは、ふたつでひとつだけど。
ピンと、自分のこころを投げたらあとはじっと待つだけでいい。
ピンする誰かのことをかけがえなく思ってピンすればいい。
絵本のページをめくりながらそんなことを思う。
そして、こころを伝えるって、言葉だけじゃないってことも
時にはあるし。
こころの形は、
想いにならない想いのときもたくさんあったりする。
ピンすることに焦らなくてもいいし、ポンも思いのままでいい。
あの頃わたしは、たえず心のことを気にしながら暮らしていた。
この絵本のピンポンのしろい球をじぶんの心だと思い描いてみると。
たぶん、あの時って。
投げられることさえなくなってしまった白球が
卓球台の緑色の台の上にぽつっと転がっていた
そんな感じだったのかもしれない。
今のわたしは今年の6月にnoteを知って、
いつもだれかに心を伝えたがっているじぶんに気づいてる。
わたしがピンってことばを投げたら
いつも誰かがポンって、やさしい言葉と共に返してくれる。
ひとって、ほんとうにピンとポンで日々成り立っているんだ
なって気づいた。
この絵本は、声にできなかったありがとうがつまってる。
言えなかったありがとうが、ピンちゃんとポンちゃんの
姿になって伝えようとしてくれている。
今この本を、密かにプレゼントしたい人がたくさんいる。
あったこともない人。顔も知らないし、本名も知らないけれど。
わたしのピンにいつも答えてくれるすてきな人たち。
そう、いつかあの人に
アニ・カスティロさんの絵本『PING ピン!』を贈る日をゆめみてる。
ひとしずく うつわをみたす うつつのような
しゃぼん玉 虹が映した ふたりのような
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