見出し画像

やがて、ブランケットになってゆく言葉。

夜おそくに目が覚めて
がばりと起きて
カーテンをめくると
霧がでていた。

向いの家の屋根や電線が
すこし遠くにみえる
隣町の緑色の六角屋根もぜんぜん
視界のなかにみつからない。

降りすぎた雨がどうしようもなくなって
しらない時間にこっそり
霧になっていたんだと思うと
すこしだけ昂揚した。

いつか信州を旅行していたときに朝霧を
みたときは、とても不安に駆られた。

ひとりひとりの顔や体のりんかくが
消え入りそうで、なんだかその場所に
ひとり残された気がしたのだ。

白樺の木立がつらなっていた高原が
あたりを白くぜんぶを隠してしまう。

とつぜんわたしを呼ぶ声だけが
聞こえてきて
一瞬の心許なさが洗い流されて
あぁそこにちゃんとみんな存在
しているんだと
安堵したことを思いだした。

今は霧に出会ったぐらいでは
ふあんになったりしない。

家並みを、空のさかいめを、電柱を
しらない人の住むガレージを
マンションを、アスファルトを
包み込む夜霧にちょっとだけ
そそのかされそうになっていた。

昔知り合った人に、言われた。

あなた、もやってるって。

もやってあのもやかな?って
思いながらもそのひとはわたしに
そのことをほめてるわけでも
けなしてるわけでもなく
自分が戸惑ってるんだっていう
風情で話してくれた。

中心線が揺らいでいる。

とも言われたことがある。

その頃はとても反発したしなんなら

あなたの中心線もみせてほしいと

心の中でたぎっていたことも

あるけれど。

くゆったり

くすぶったり。

誰かからみた自分をはじめて

認識した。

その人は物を書いて暮らしている

人だったから、わたしのことを

彼なりに描写してくれようとして

いたんだなって思う。

いつか彼の小説の中の登場人物として

もやっていると形容をされている

女の人が登場していた。

文字で見た「もや」に狼狽えた。

そしてそれはいつか耳で聞いた言葉が

文字となってわたしの前に現われていた。

でも、もうそれはきっとわたしのことでは

ない。

モノガタリの中にまぎれることで

もうわたしではなくなるのだ。

誰かに言われた言葉に心痛めたりした

ことも頭の中で再現する時それは

音になる。

意味から逃れた音になる。

そんな言葉の音たちが幾度か連鎖する。

そばにいても音楽はたちまち消えてゆく

ように。

立ち止まらない音になって一瞬一瞬

消えてゆく。

決してなくならなくはないけれど。

それは霧の中にいるときの気持に近い。

だしぬけで、

ときどきひょんな感じに甘くて、

たちまち消えて、霧をみたんだという

からだで感じたことだけが残り香の

ようにとどまってゆく。

昔、「気づくとは傷つくことだ」

という短歌を読んだことがある。

まさしくそうなのだ。

それはそうなのだけど。

気付いたら傷つきっぱなしって

ことでもないんだと思う。

ほんとうに彼がどんな意味をこめて

言ったのか定かでもない。

でも、いまはあの言葉。

まるで気候現象に近いそれにも

ちょっと親しみを感じてる。

窓のむこうの夜霧の中をあてもなく

散歩したくなっていた。

わたしの住む町はよく「もや」が

でる。

半ば仲間だなと思いながらあの言葉を

くり返す。

そして。

体の何処にもそして心の中にも

あの言葉が傷になっていないことを

確認してゆっくりと眠る。

言葉はふいにブランケットになって

くれる時がある。




    


 

いいなと思ったら応援しよう!

ゼロの紙 /歌人 いつも、笑える方向を目指しています! 面白いもの書いてゆきますね😊

この記事が参加している募集