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【ピリカ文庫】紙飛行機を聴いている。

きりんが深夜のビル街を沙漠のように歩いていた。
ひとり取り残された終電の後、駅の照明がひとつずつドミノ倒しのように消えていくのを栞は、深夜喫茶の大きな鈍い光の窓から見ていた。

彼らは水をもとめてひたすら彷徨う。
都会のオアシスなんてもはやどこにもないことを知ったかのようにゆっくり歩く。

ペットボトルの底に残った雫を長い舌で掬おうとしてあきらめる。
酔っぱらった誰かがきりんを見上げながら、残りのペットボトルを差し出す。

いらない。あなたのはいらないですというように、その場を去ってゆく。

そのあきらめ方が潔くてどこかで近い未来を見ている気もする。

「世界から弾かれたのはきみたちだけじゃない」

電子公告が誰をターゲットにしたのかさえわからないままの言葉がストロボライトの中で観るような光と共に放たれる。

きりんたちの背中が光る。その曲線には乾いた過酷な現実を背負っているようにもみえるけど。雨の降らない沙漠で骨だけになった仲間の姿を思い出しているのかもしれない。

そしてやっとみつけた、ビルの谷間の植栽。
彼らの背を超えるほどの高い樹木。

葉先に滴っているひとしずくを大切そうに長い舌でうけとめていた。

唯一の水飲み場に先客がいるとわかるとたたかうそぶりもみせずにそのオアシスをさらさらとみんなで後にする。

疲れたきりんは脚を折り畳んで地面へと近づいてゆく。
そのいちいちが、胸にしみてきた。

この間のちいさな戦争が終わった後、運がいいのか悪いのかサバイバーになってしまったことに気づいた時、栞はもう声を失っていた。
直前まで生きていた人は、読んで字の如くサイバー空間へと吸い込まれたらしい。
だからときどき触るスマホの中にあの人もこの人もいるんだと思いながら、モニターをみたりする。
追悼の気持ちではない。
いつかじぶんも吸い込まれてしまうであろう場所だから。どうでもよい感じでいえば、<待っててね>って感じなのだ。
栞は声をなくしたけれど。声をなくさなかったひとは、口笛吹きの人ホイッスラーになることに決まっていた。

ホイッスラーの人たちがたくさん通ってくるカフェに毎週水曜に来てる。

ここに来る前も雑踏でひとり口笛を、吹いているひとがいた。
スーツの男の人とすれ違う時、香水の<ZEN>に似ている香りがした。

なんのメロディだったかはわからなかったけれど、仕事帰りのひとはたいてい疲れている風情だし足取りも重かったり、ちょっといらいらしていそうだったりするのだけれど。その人は、どこかうきうきしていた。

いいことがありますように。

ゆきずりのホイッスラーは、耳が拾えるメロディではなくてふしぎな音の列を並べたような音階の口笛を吹く。
あのちいさな戦争からそういう人が増えた。なんだろうっておもっていたら、それはどうも言葉らしい。

口笛語のわかる教授がひとりいる。
コーカサス北西部のカルディ語の研究者だったその人が、口笛辞典を編纂したりして、少しずつホイッスラーの奏でる言語の訳者が増えつつあった。

ホイッスラーとすれ違うとき、栞はどきどきする。
今、すこしだけ好きなホイッスラーがいるからどの人もその人かもしれないと期待してしまう。
時代が変わってもタピオカラテばかりしか提供できないこのカフェに通っているのは、彼がそこの常連だからだ。

その人は、あのちいさな戦争なんてまるでなかったかのように、涼しい顔をして、いつもサンダルを履いていて風通しのよい足元で歩いている人だった。
近づきたいのだけれど栞はホイッスラーではないし。それにホイッスラー語がわからないからコンタクトのとりようがなかった。

つまらなさそうに暫くページをめくっていたら、栞の耳にサンダルを引きずる音がした。うっすらと振り返るとあの人だった。
いつものラテと<スカイドーナツ>を頼んで壁際の席に座る。
栞とは対岸の位置。
今日は声をかけてみたい。
どうやって?
実は昨日の夜からたくさんの白い紙を用意してあった。

その人は隣に座っているおじさんと互いに口笛で言葉を交わしていた。何を言っているのかわからないけれど、時折視線がこっちに放たれる。
どういう視線だろうってすごく気になる。
人生は短いのだから、ためらったもの負けよ。

唯一の肉親だった妹の蜜があのちいさな戦争で居なくなる前に言った言葉を思い出す。遺言は妹の蜜らしかった。
妹がすこしだけ頷いてくれそうなことをしてみた。

スカイドーナツってほんとうに空色しているんですね


みたまま。
バカだなって思いつつ、きっかけはなんでもいいって思って白い紙に書いて、飛行機の形にして飛ばした。
墜落することも予期して、いくつもの飛行機予備軍の白い紙を持参していた。飛距離を伸ばすため翼をちょっと逸らして投げてみた。これが記念すべき1号機。

きっかけはひょんでいい。

これも蜜の語録のひとつだった。
でもそのひょんなことから栞はその人とカフェでの距離が縮まっていった。
っていうのはちょっと端折りすぎで。つまり彼は言葉を書くことすべてを忘れてしまっていたので、読むことしかできなくて。だからふたりの間にインタープリターの人が入ってくれた。

つまり通訳のような人。

2号機は
ぼく、この間、しんきろうをみたよ。それでね、しんきろうをさわったよ、ゆびで

作り話ではない。
この期に及んで作り話などにかまけている場合じゃないので、リアルな会話を綴った。このカフェに来る前に、通りすがりに聞いた小学校の低学年生らしき男の子達の会話だった。
そう、あのちいさな戦争でなぜか子供達は傷つかなかったから、言葉を喋れるし口笛も吹かない。
その人は、ゆっくりと紙飛行機をひろげるとあきらかに眼尻が下がって、え? って顔ではにかみながらみたことのない指の仕草で微笑んだ。

それはサンキューの意味だよとインタープリターに教えてもらった。
収穫はその人の名前が、フェルナンドさんだったことと、そのちっぽけな紙飛行機を欲しいと言ってくれたことだった。
ちっぽけな紙は最早わたしの声なので、わたしはきみの声が欲しいと言われたことと同じだと思うと、胸が高鳴った。

彼のお父さんはリスボン生まれだったらしい。
いま、誰もが過去形で話す時はすべてあのちいさな戦争のせいだと思うことにしている。
近くで見ると、瞳の中に海を浮かべたような表情の人だった。
その眼の中で溺れてもいいって一瞬思った。
その瞬間インタープリターの人がなぜかサムアップしたので栞は心が読まれているのかと思って眼をそらした。

闇に包まれた日以来栞はその日がいちばん幸福だったのかもしれない。1週間その人に会ええなかったけど栞はそこに通い続けた。つまりタピオカラテを飲み続けた。

8日目。
一週間彼がカフェを訪れなかったのは、リハビリのせいだと知った。
口笛からはたぶん一生逃れられないらしい。

近頃はあのインタープリターのおじさんも一緒ではなくて、ふたりの力だけで言葉をじぶんの内に馴染ませようとしている。

ずっと一緒にいると、そういうことがわかってくるものなのだ。

風を肌で感じるような季節になっていた。
栞の声は相変わらず凪だった。ほんとうに生身だなって思う。身体と心のバランスなんてもしかしたら、とれていた試しがないのかもしれないし。それでも、ふちのふちから落っこちないように歩いてゆく術を、いつのまにか身に着けてしまったのかなとも思う。
それは、あのちいさな戦争とは関係ない。

ある日フェルナンドさんが港に行きたいといった。故郷のリスボンを思い出すらしい。
横浜の海だった。そこでは海がひとが、そらがふねが、かもめがことばを奏でているって彼が言った。

詩のような言葉だった。
ホイッスラーである口笛吹きと栞は違うから。
奏でる日常ではないところで、暮らしていることを如実に気づかされる。
だけどフェルナンドさんがそう言うと、まるで日々それぞれがなにかを奏でているかのような錯覚に陥りそうになる。
そしてそれは、もしかしたらどこかの国の誰かも日々を奏でて暮らしているんじゃないかと、まっすぐだまされていくことへの心地よさへとつながってゆく。

フェルナンドさんが栞を抱きしめた。口笛を吹きながら。
運命と覚悟がみなぎったひとの身体だった。
それは筋肉のついた精神を持っているような気がした。
彼の口笛が栞の耳をくすぐる。
拙いなりに訳してみた。

「海も鳥も空もことばを奏でているのは、あのちいさな戦争を越えた人達への希望の声なのです」

そんなふうにしか訳せなかった。
フェルナンドさんの腕の中から離れようとしたら、彼の鞄の中からあの日の紙飛行機が何機も落ちてきた。
かつての栞じしんの声と邂逅している気持ちになった。
それは紙飛行機だけど、まぎれもない声。

折り目がだらしなく開いて飛行機の形をなくして中に書いた言葉が見えていた。

<君はぼくに教えてくれた。高く飛ぶように深く沈めと。それでいい>

これは、栞の言葉ではない。
フェルナンドさんがある映画の主題歌の歌詞についてインタープリター付きで話してくれた時のものを栞が綴ったものだった。
ひとりの男の子が空に向かった視線をふいに海に投げかけてダイビングする。

あのうつくしいからだの曲線が忘れられないって言った彼の口笛の調べを思い出す。そして今ふたりの間には海があった。
まざまざと青い。

青すぎる刹那の物語が、誰にでもひとつはあるような気にさせられて。
空も海も人も。
出会ってしまうと、もう出会ったことがなかったことには、ならないことになる瞬間があることを、栞は痛いぐらいに気づかされていた。

たとえいまあの声を乗せた紙飛行機たちが空を舞おうとも、決して出会わなかったことにはならないと。

🦒      🦒     🦒      🦒      🦒

「ピリカ文庫」様にご依頼頂いて、お題「声」で小説を書かせて頂きました。思いがけなくてとても嬉しかったです。貴重な機会を頂きましてありがとうございます

そしてお暑い中ここまでお読み頂きありがとうございます。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。




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ゼロの紙 /歌人 いつも、笑える方向を目指しています! 面白いもの書いてゆきますね😊