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第四話 朔風花払 ―きたかぜはながはらう― (一)

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<一>


 くしゅんっ!
 
 きざしなく出たくしゃみに、咲保さくほは鼻をおさえた。手を離してしまった竹箒たけぼうきは、咄嗟とっさに肩で支えてかろうじて肩先に引っかかったが、ぶるり、と身震いが出た拍子に地面に落としそうになるのを慌てて掴んだ。すると、竹箒の長い柄の先が、こつん、と額にあたった。痛い。恥ずかしい。まわりに誰もいなかったのは幸いだ。

(いやだわ……)

 風邪だと困る。体力のなさだけには自信があるから、困る。今、寝込みでもしたら、よりせわしなくしている家族に申し訳がたたない。咲保は懐から取り出したチリガミで、ちん、と鼻をかんだ。
 竜田姫たつたひめが静々と退場する季節に至って、やれやれと小休止がつけた咲保だったが、両親と兄はそれからが本番だった。毎年のことであるが、深秋しんしゅうから初冬にかけてのこの時期は、師走しわすを待たず、複数の神事が重なる一年で最も忙しい時期だ。父などは、新嘗祭にいなめさいを頂点としてバタバタとあちらの祭礼こちらの例祭へと走り回ることになる。祭祀の準備段階からの指導を行い、夜も明けきらない内から始まる祭儀もあれば、夜中までかかる例祭もあり、泊まりがけも多い。しかも、狩衣かりぎぬはけして暖かい装束ではない。身体を壊さないかと心配だ。
 母と兄は、その父の穴埋めや補佐にいそしんでいる。まるおも同様に、手伝いに駆り出されていたり、また。モノとしての自分の方の祭の準備で、咲保でさえここのところあまり姿を見ていない。そんな一年に一度の正念場とも言える時期を迎えていた。
 そんな中、咲保にできるのは、できる範囲で家の事をこなしながら、弟と妹の面倒をみるくらいだ。

(でも……)

 咲保は、ふ、と空を見上げた。くっきりとした鰯雲いわしぐもが一面に広がっている。気がつけば、あれだけいた赤蜻蛉あかとんぼは姿を消し、家の周りの田んぼも、株ばかりが並ぶ寂しい風景に変わっている。時が過ぎることの、なんという早さだろう。足元で転がる落ち葉の乾いた音に、途端、心の中にざわざわとしたした気持ちが広がっていく気がした。一人だけ、置いてけぼりにされたような心持になる。

(そんなガラじゃないわね)

 寒くなると心細さがつのるのか、妙に感傷的になりすぎる。気持ちを振り払うようにして背を張ると、箒のを握り直した。

(秋刀魚があるから、大根おろしつけて、あとお芋を煮たのとほうれん草の胡麻和えかしら……あ、茄子があったわ。焼くよりも煮浸しね。生姜あったかしら? お味噌汁は……そろそろお豆腐屋さんが回って来る頃ね)

 掃きながら夕飯の献立を考える。それに佃煮つくだにや漬物を加えれば、皿数は揃うだろう。小皿でも皿数が多い方が喜ぶ父は不在だが、ひさしぶりに兄が帰ってくるため、手抜きはなしだ。と、門から人が入ってくる気配があった。また、近隣の農家さんが、畑の余り物をお裾分けに来てくれたのかもしれない。
 急いで玄関に向かえば、門から玄関のちょうど真ん中あたりに向かい合って立つ、書生らしき姿の青年と妹がいた。

「ねえさま」

 瑞波みずはからは、まだ慣れないだろう客の応対に、僅かな困惑とおびえの表情が見てとれた。たまたま行き合ってしまったようだ。
 墨色のかすりの着物にはかま、中に丸首の立襟のシャツを着込み、上からやはり墨色のトンビと呼ばれるコートを羽織っている。まぶたの厚い吊り目がちにエラの張った四角い面立ちで、初めて見る顔だ。

「どちらさまでしょうか」

 誰何すいかすれば、青年はぺこりと頭を下げた。

「こちらは木栖きすみ桐眞とうまくんのお宅でしょうか」
「さようでございますが、兄にご用でしょうか」
「失礼しました。妹さんでしたか。クロタケと申します。今日、たまたまこちらの方に来る予定があったものですから、預かり物をお届けにあがりました」

 そしてポケットから取り出した四角い小包みは、片手にも乗る大きさで、薄い茶色の紙に包まれた上から、麻紐で十字に括られていた。

「それは、わざわざありがとうございます。生憎あいにく、兄は所用にて不在にございまして、戻りもいつになるか……申し訳ございません」 
「そうでしたか。こちらも急なおとないでしたから仕方がないです。では、これをお渡し願えますか」
「はい、お預かりいたします」

 手にした包みは、大きさの割に重量があった。

「挨拶する機会はまたあるでしょう。よろしくとだけお伝えください」
「承りました」
「では、失礼します」
「どうぞ、お気をつけて」

 下駄の音を鳴らして颯爽さっそうと去っていく青年の後ろ姿を見送っていると、瑞波が袖の先を引いた。

「桐眞兄さまにって、何かしら? お菓子?」
「さあ、何かしらね。でも、お菓子ではないと思うわ」
「残念」
「お腹が空いたなら、台所にふかしたお芋があるわよ」
「そうじゃなくて、ええと、旗! 旗を片付けに出たら、あの人がいたからびっくりしちゃって」

 旗は、祝日に門扉もんぴに飾る国旗のことだ。いつからか祝祭日には飾るようにとのお達しで、各家々に配られたものだが、飾る時間は決められていない。そうするお上の意図はよくわからないが、言われたからにはそうしている家が大半だ。木栖家もそれにならっている。片付ける時間はそれぞれの家次第。短くて、午前中だけで片付けるところもある。
 瑞波はそれを自発的に片付けようとしてくれたらしい。それで外に出た途端、ばったりと訪問客と出会ってしまい、おどろいてまともに対応できずに困っていた、ということのようだ。要は、「きちんとできなくて、ごめんなさい」だろう。

「失礼がなかったのならいいわ。旗の片付けをお願いしてもいい?」
「わかったー」
「こら」

 途端、裾も気にせず、門に向かって駆け出しそうな瑞波を、咲保は軽く押し留めた。

「おしとやかにね。あと、言葉遣いも」
「ごめんなさぁい……じゃなくて、ごめんなさい。でも、なんか恥ずかしいの。気取ってるみたいで」
「そうよね。でも、繰り返すうちに慣れるわよ。自分も周りもね。あ、あとお豆腐屋さんが来たら、木綿を二丁買ってきてくれる? きゑさんに言えば、お金を渡してくれるわ」
「わかりました」
「よくできました。じゃあ、お願いね」

 打って変わって、静々と歩き始めたちいさな後ろ姿を眺める。行儀作法はまだまだおぼつかないが、妹もやれば出来る子だ。先日、十歳に迎えたことを機に、ぼつぼつ本格的に行儀を覚えさせようと、母が決めた。基本的な所作は、すでに始めている神事に関わる諸々もろもろの練習で身についている。あとは、普段でもそれを持続させられるか、という話だ。言い方は悪いが、いかに長く猫をかぶっていられるか。将来、公の場で瑞波が要らぬそしりを受けないためにも必要なことだろう。しかし、妹は、まだ竹馬にのったりケンケン遊びで元気に跳ね回っている方が好きなようだし、またそれが妹らしいとも咲保は思う。恥をかくよりはましだろうが、形ばかり重んじる礼儀作法に、妹の良いところが削がれてしまいそうで、少しだけ寂しく感じた。

「ただいまぁ」

 玄関脇の松の木の隙間を抜けるようにして、弟が帰ってきた。その後を追うようにして、裁着袴たっつけばかま姿の高い背も現れる。

「おかえりなさい。お疲れさまでした」
 
 咲保は、二人を出迎えた。だいぶ絞られてきたのだろう。弟の額にうっすらと汗がにじんで見えた。心なし、筒袖の木綿の着物もくたびれているようだ。

「お腹減った。何かある?」
「台所に蒸したお芋があるわよ」

 帰るなりの弟とのこのやり取りは、定番になってしまった気がする。最近の磐雄いわおは、びっくりするほどよく食べる。おかげで、一日に炊く米の量も一気に増えた。それでも合間に腹を空かせているのだから、すごい食欲だ。咲保の倍以上を、ぺろりと平らげる。急に身長も伸びて、今はまだ咲保の目線より下だが、すぐにも追い越されるだろう。今は桐眞のお下がりや直しで誤魔化してはいるが、新年までに、着物の仕立て直しや新調もしなければならないから、大変だ。

饅頭まんじゅうは? 父さまのお土産の」
「何いってるの。きのう、あなたたちが全部食べちゃったじゃない」
「ちぇーっ」
「ちゃんと、手を洗いなさいよ。身体も冷やさないようにね」

 不満そうにしながらも勝手口の方へ駆けていく弟に、声だけ追った。

「咲保さん、お母さんみたいだ」

 やり取りを見ていた梟帥たけるが、またなにが面白いのか笑う。そんなに所帯染しょたいじみて見えるのか。まだ十八だというのに、なんとなく不愉快だ。
 熾盛しじょう梟帥は、弟の臨時の講師兼木栖家の留守番の守役を請け負っている。この時期、家にいるのが、女子供ばかりになることを危惧きぐしていたところ、話を聞いてすぐに、暇だからと手を挙げた。
 男手なら六蔵りくぞうがいるが歳であるし、また先だってのような騒ぎがあったとしても対処できない。それだけなら断っただろうが、磐雄が、自分も輝陽きょうの祖父のところへ修行に行きたい、と言い出していた。兄と梟帥の鹿のモノとの戦い振りを間近で見て、発奮したらしい。その辺は、やはり男の子だ。
 それには両親も、そうしても良い時期だろうと反対することはなかった。一応、祖父にも伺いを立ててみれば、いつ来ても良いと歓迎の返事があったようだ。桐眞が通わなくなって、すこし寂しかったらしいと、父は笑っていた。
 しかし、問題もひとつあった。輝陽との往復には『あわいの道』を使わなければならない。桐眞は磐雄の年には当たり前に使えていたが、それは咲保の事情に絡んで、早く習わざるを得なかったせいだ。それなりの体力と分別がついた磐雄ぐらいの年で習いはじめるのが、普通だ。『あわい』は便利ではあるが危険であるし、人にもよるが、現世うつしよと違う感覚に慣れるまでには時間がかかる。だが、今は、それらを付き添って教える余裕が、誰にもなかった。

「じゃあ、僕でよければ、基本的なところを教えますよ。輝陽には大学で毎日みたいに行き来していますから、安全な道もそうでなもない道のどれも知っていますし、磐雄くんが通うようになっても手助けできるでしょう」
 
 と、申し出たのが梟師だった。それには両親も迷ったようだが、結局、お願いすることになった。礼は不要とのことだったが、そうはいかない。話し合いで、報酬は咲保の作った護身用の札数枚となった。不本意だ。不本意だが、仕方がない。弟のためだ。

「先輩は? まだ戻ってない? やっと、今日で出无いずもも終いだろ」
「ええ、でも、まだ、もう少しかかるんじゃないかと思います。今晩、古式新嘗祭もあるので、その準備とかで」
「ああ、そんなのあったな。それには出ないんだ」
「そちらは毎年、輝陽のお祖父さまが行かれる事になっているんです。十日後の第二陣のお見送りも。お兄さまは来週から大学の試験がはじまるので、学業優先で」
「ああ、そりゃあ大変だ」
「梟帥さんも大学でもおありでしょ」
「あるけれど、まあ、その辺は適当で」
「まあ」
「こう見えて、けっこう優秀なんだよ?」

 いたずら小僧のような笑顔に、咲保は呆れて見せる。とはいえ、茉莉花まつりかの話では、それなりに優秀なのは本当らしい。「憎たらしいぐらいに要領がいいんですの」と、半ばふくれっ面で言っていた。

「それにしても、二週間は長いよなあ。家の付き合いとはいえ、学業と二足の草鞋わらじはきついだろうに」
神在祭かみありさいですから、長いのは仕方ありませんわ。暦の関係で、今年は、表の新嘗祭が重なったのは大変ですけれど。期間中は周辺の社でもいろいろな祭祀さいしがあるので、人手はいくらあっても足りないのだとかで。手を抜くわけにはいきませんし」

 神を正しく祀らなければ、どんな天災が振り掛かってもおかしくはない。遥か昔の神代じんだいが神話となり、公家から武家の支配する世に変わり、武家の世が終焉しゅうえんを迎え元号を明峙めいじと改めた今の世であっても、どのように人の世が移り変わろうとも、このことわりは変わらない。
 しかし、世が複雑になるにつれ、神事を執り行う皇族の在り方もまつりごとかたよるようになった。次第に神の威光は薄まり、まつりがおろそかにされるようになって、世は乱れた。天災が起こり、それに伴い人心はすさんでいく。そして、更に世は乱れていく。故に、政に携わるみかどとは別に、密かにすめらぎをたてることになった。国の象徴として政の一環として形ばかりの神事を行う帝に対し、皇は決して表舞台に立つことはない。が、正しい祀りをり行うことで国を支えている。木栖家も代々皇を支える家の一つとして、今もある。

「ふうん。まあ、でも、今日で帝の方の関連の行事も終わるし、あとは皇の方だけだろ。一息つけるな」
「えぇ、あと明日のお見送りまでと相嘗祭あいなめのまつりだけですから」
「それが大変なんだけれどな。皇の方の相嘗祭は年末ぎりぎりだし、新嘗祭は来年持ち越しか」
「えぇ、おかげで慌ただしくて、落ち着きませんわ」
「そう考えると、新しい暦に変更するのもにかなっているんだよな。神様にはこっちの都合なんて関係ないってだけで」

 そんなことを話していると、旗を抱えた瑞波が戻ってきた。

「姉さま、これどこに片したらいいの?」
「ああ、ありがとう。旗は竿に巻いて、玄関の隅にでも立てかけておいてくれる? 後でしまっておくから」
「はあい……じゃなくて、はい」

 瑞波は、苦笑を浮かべる梟帥にすまし顔でひとつ会釈をすると、すたすたと家の中に入って行った。
 


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