第五話 軍鶏群 ―しゃもむらがる― (五)
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<五>
どうあれ、と咲保が言った。
「私には、ある日突然、会ったこともない外国人に、『おまえのいる国はもともと我が国の領土だから従え』とか、『崇める神が間違っているから改宗しろ』とか言われて攻めてこられても、言葉は悪いかと思いますけれど、国ぐるみで押し込み強盗されているとしか思えないのです」
「強盗……まあ、そうかな。規模が大きすぎるけれど」
予想外の答えに、梟帥はつい笑ってしまった。が、静かな咲保の表情を前に笑みを消した。
「私は、生まれつき他人の感情に過敏すぎるというのもありますけれど、何故かはわかりませんが、子どもの頃から物の怪やモノによく襲われますの。攫われそうになったり、食べられそうになったりとか、色々とございましたのよ」
「そうなの?」
さらりと言われたその話は、初耳だった。モノに好かれるとは聞いていたが、そんな危険もあったのかと驚いた。
「ええ、この『場』を作ったのも、最初はそういった時の逃げ場のためでしたの。まるおの勧めで」
「そうだったんだ」
「恐ろしくて……十かそこらの時に。その頃はもっと狭い、作り始めたばかりの自分ひとりがやっと入れる大きさで。そこで、まるおが迎えに来るまでひとりで震えていることしかできませんでした」
「そんな小さい時……怖かったろう」
「ええ。もし、まるおが迎えに来れなかったらどうしよう、万が一、両親が傷つけられて死んでしまったらどうしようって、不安で不安で……ここで一人ぼっちになってしまったらとか、嫌な想像ばかりをしてしまって。今でも思い出すだけで、すこし辛いです」
咲保の後ろで、その化け狸が片袖で目尻をおさえる仕草をしていた。梟帥の脳裏にも、薄ヶ原の真ん中でひとり蹲る少女の姿が思い浮かんだ。その風景はひどく寂しい。
不意に梟帥は、咲保が家の結界を通る人の気配を、敏感に察知していたことを思い出した。
(ああ、襲ってこないか確認していたのか……)
家にいても、安心していられないのだろう。それだけ長く危険に晒されてきた故の癖と思えば仕方のないことなのかもしれないが、気の毒でしかない。同時に、女性ながら、堪えるその精神の強さに感銘を受けた。
「これから先、あれと同じ思いをされる方が増えるかと思うと、それがどの国の誰であれ、やり切れませんわ。あんな思いは、経験しても良いものではありませんから……ほんとうは、誰にも戦って欲しくはないし、待ちながら不安に押し潰されそうになって欲しくありません。でも、それを理由に、自ら持っているものを譲って、誰かに差し上げることもしたくありませんの。そのせいで、どなたかが犠牲になったり間違っていると言われても。相手がモノでも人でも、外国の方であっても、この国の者であっても、です」
「うん、そうか……そうだね」
「この櫛や簪など、他人から見れば大した物ではないでしょう。でも、これらを奪われれば、私にとっては死ねと言われているようなものです。ですから、襲ってきたモノにそうしたように、戦えない私は身勝手と言われても、戦いに赴かれ守ってくださる方にお願いしますと頭を下げますわ。戦争は、理不尽に人が死ぬのは嫌ですけれど、矛盾しているとわかっておりますけれど、私にも許せない一線はございます。ですから、もし、お願いすべきどなたかの一助となれるならば、個人的には存じ上げない方であっても手をお貸し致します」
勇むでなく静かに、だが、きっぱりと咲保は言った。
「……ありがとう。お願いします」
梟帥は頭を下げた。
咲保はわかっていないかもしれないが、助ける相手を選別する傲慢さを共有してもらえたようで、それが嬉しかった。
「でも、ひとつ言い忘れておりましたが、札が効くか効かないかは、作る時の私の心持ちに左右されますの。努力は致しますが、私の天秤はとても不安定で、万が一、思わぬ方向に傾いたとしても、ごめんあそばせ」
「その時は天命だと思って諦めるよ。わかっている。そこまで依存はしていないよ。『もし、効くなら』ぐらいだから。望んだ結果にならなかったとしても、絶対に咲保さんを恨んだりしないと誓う」
誓うなどと大袈裟な言い方になってしまったが、他に言いようがなかった。札の内容は、最低限、命だけは守るもので、身に付けやすいようお守りの形にしてくれるそうだ。年内に出来次第、渡してもらう約束をした。
「それで、図々しい願いだとはわかっているけれど、もうひとつ聞いてもらえないだろうか」
『場』の作り方を教えて欲しい――いずれ必要になるかもしれないから、という曖昧な理由からのそれには、返事が貰えなかった。
「それは、お父さまたちに相談してみないと。暁葉や浜路にも。他の方に教えて作れるものかわかりませんし、教えて良いものかも判断がつきません」
毅然とした答えだった。咲保はこういうところが真面目だし、芯の強さを感じる。
「皇も『場』をもっているのだから、作り方を教えてもらう分には、問題ないんじゃないかな」
「あら、皇が祭祀でお使いになられている『場』は、もともと稻羽さまのご厚意で、『場』の一部をお借りしているものと聞いていますわよ」
「そうなの!?」
「そう聞いてますけれど……皇は『場』の管理をされているぐらいで」
いきなり爆弾が落とされた。唖然としていると、あら、と咲保は片袖で口を押さえた。
「これって、話してはいけなかったかしら……?」
「駄目というわけではございませんが、『場』を持てる人間は滅多におりませんので、皇も敢えて公言なさらないかと」
さりげなく女中のモノが横から口を挟んだ。
「そうなの? まあ、どうしましょう、ちっとも知らなかったわ。どうぞ、今の話は聞かなかったことにしてくださいませ」
化け狸の返事で慌てた咲保に、梟帥は笑い声で返すしかなかった。
「ここだけの話にしておくよ。そういう場所だしね」
「そうして下さいませ」
「お嬢さま、そろそろお戻りの時間かと」
「そうね」
時間切れの合図で湯呑みが片付けられ、行燈の灯が落とされた。
「お嬢さまを都合よく使おうと思うな、小僧。度を越せば、我が総力をもって貴様を潰す」
咲保の目を盗んで、ひっそりとそんな脅しも受けた。あまりの本気さ加減に闘争本能が刺激されたが、辛うじて堪えた。
「では、ごきげんよう」
「今日はありがとう。話せてよかった」
それでも、『あわいの道』に出て別れる時、本心からそう言った。話してはいけないことまで話してしまった気もするが、すっきりとした気分だった。下げる頭の顕になる頸《うなじ》が着物の赤に映えて、いっそう白くなよやかに見えた。
◇◇◇
元の『道』に戻ると、家まで送るという梟帥の申し出を断り、咲保はまるおを連れて家路に着いた。
咲保は『あわい』を歩くのが好きだ。不気味だし怖いからと言って好まない人間も多いようだが、咲保にとっては、静かな上にほとんど何も警戒する必要もなく安全に歩けるというだけで、素敵な場所だ。表では襲ってくる物の怪やモノたちも、何故かここでは手を出してこない。お守りもなにもいらないくらいだ。だから、歩きながらの思索にはもってこいの場所だ。
梟帥の悲しみは、驟雨のようだった。さっ、と強く降っては地面を潤し、気がつけば上がっているような。
(そういえば、あの方の素らしきものに触れたのは、初めてかも……)
友を助けたいのだ、と口にしたその刹那、よそ行きを身につけていても気づいたのだから、それだけ強い感情だったのだろうと思う。だが、それに気付いても、嫌な気分にはならなかった。それどころか、親しみを覚えたほどだ。初めて会った時、咲保の護身の法に興味を示したのも、このためだったかもしれない。神は人を守ることはしないから。
(案外、そういうところだったのかしら?)
もしかしたら、梟帥が苦手だと思ったのは、彼の心の在処がわからなかったせいかもしれない。笑っていても本心が見えず、何を考えているのかわからなかったところで、身構えもしたのだろう。
(そういう処世術なのかしらね……)
世間がきな臭くなるにつれ、周囲の空気も次第に悪くなっていっていることには気づいていたが、思っていたよりも悪いらしい。あの梟帥が真顔で『風当たりが強い』というのだから、兄なども咲保の知らないところで苦労を抱えているに違いない。自分こそが正義として疑わず、大声で多くの賛同を受けたがる者はどこにでもいる。感情の共有を強制される不快さも、咲保は知っている。
それにしても、兵隊にならないからと言って、一方的に責め立てるというのも妙な話だ。兵にならずとも、立派に国を守っている人々は沢山いる。それがわからない筈もないだろう。文句を言う者は、ただ気に入らないからといちゃもんをつけているか、他人を貶めて得られる優越感に浸りたいだけに過ぎないだろう。もし、本気で言っているなら、愚かだ。どうあれ、なんとも底の浅い、みっともない真似をする人間が増えたものだと思う。
(無粋……ああ、そうね。無粋な方たちだわ)
別の言い方をすれば、野暮だ。
栄扉の時代には民も粋を好み、野暮を嫌った。学のあるなしに関わらず面白いことや楽しい事を好み、美を愛で、次々と新しい価値観を生み出した。力で押さえ込もうとする政に危機感を覚えれば、誰かが絵草紙や歌などで揶揄い、腹を立てた幕府に禁止されても、また別の手で笑い飛ばした。それも禁止されればまた別の方法をと、手を変え品を変える柔軟さがあった。ひと捻り加えるのが洒落ているとされた。大声をあげて無礼討ちされないように、ということもあったろうが、そういった振る舞いが栄扉っ子の粋であり、誇りであったように思われる。どんなに貧しくとも辛くとも、その中に面白さを見出そうとしていた。栄扉の町人文化が花開いたのは、その積み重ねだったのではないかと思う。
それが、どうだ。たった数十年で、人の質もガラリと真逆に変わってしまったようだ。無粋な輩のはしゃぐ声ばかりが大きく聞こえる。即物的で実利ばかりを尊ぶ頭でっかちの集団が、我が物顔で通りを闊歩している。街中を歩いている間、まるで、身体を大きく膨らませた、雄の軍鶏の群れの中を突き進んでいるかのような気分だった。
(そういうところが、所詮、田舎侍って言われるのよね……教育って恐ろしいわ)
今の世のすべてが悪いわけではない。逆に、栄扉の風潮のすべてが良いわけではない。だが、偏重すぎる。何かにつけ、左右どちらかの答えしか選べないみたいだ。そこが気に入らない。そのせいで、多くの善き人や良き物が失われていくのは、笑えない。
「お嬢さま」
「なあに」
歩きながらつらつらと取り止めもなく考えていると、まるおから声がかけられた。
「あの者をあまり信用なさいませんように」
「梟帥さんのこと?」
「はい」
咲保は首を傾げた。
「前から聞きたかったのだけれど……あなたたちが、梟帥さんに対して妙に身構えるのはなぜかしら」
「それは……降ろされるのが天津神ですので」
「え、そんなこと!?」
モノたちの天津神嫌いは筋金入りだ。天孫降臨によって、それまで地を治めていた国津神が追われ、仕えていたモノたちもそれまでの暮らしを失った。長だった大国主命は国譲りに同意したにも関わらず、未だ天津神たちに軟禁されたままだという。
「あなた達に失礼ね。失言だわ。ごめんなさい」
咲保は素直に謝った。
「いえ、人の時の流れにおいては仕方ないことかと。ですが、いつかお嬢さま方を裏切るやもしれません。力尽くで、利用しようとするやも」
「ううん、そうねぇ……」
それに関してはどうだろう、と思う。利用されることはあり得るかもしれないが、梟帥が力尽くで、なにかを仕掛けてくることはないような気がする。どちらかというと、搦め手の方が得意そうに感じる。
「私たちにとっては、あまりにも遠い出来事すぎるから。不完全な記録や伝聞で知るばかりで、正直言って実感が伴わないの。祀る者としてはいけないのだけれど……梟帥さんに限って言えば、あの方も人で、降りてこられる柱がどなたであらせられても、あの方の人となりまで決めつける理由にはならないと思うのよ」
仲間内でも、個人を守護する柱の御名を尋ねることは、暗黙の了解で禁じられている。父の話では、なんとなくは「あの柱かな?」とだいたいの見当はつくそうだが、本人に確かめることはしない。やはり、降臨中は柱の性質に引っ張られるところもあり、明確にしてしまうと、本人の意志に関係なく連携にひびが入ることにもなりかねないから、だそうだ。嫌になるねちっこさだ。だから、祟るのだろうが。
「なんて業が深いのかしら……」
鶯に憧れる軍鶏はいないのだろうか?
いたらいいなと思う。いて欲しいと思う。
「お嬢さま?」
「いえ、そうね。でも、先入観には囚われたくないわ。でも、気をつけるようにするわ。お兄さまのこともあったし、人って見かけによらないってわかったから。できるだけ用心します」
「ならばよろしいのですが。くれぐれもお気をつけを」
「それより、今晩こそ、久しぶりの鰤大根よ。美味しく出来るといいけれど」
そのための大根の下茹でもすませてあり、用意は万全だ。
新鮮な鰤を買うにあたって、普段、家事のことをいっさい気にかけてこなかった桐眞には想定外のことばかりだったようだ。行商に頼るのではなく、早朝から自ら魚河岸まで足を運ぶしかないことも、一尾あたりの値段も。まるおに助けを求め、やっと、昨日、咲保との約束は果たされた。買ってきたばかりの魚を下げて浮かべていた兄の情けない表情は、思い出しただけで笑える。
その後、鰤はすぐに捌かれ、あらも丸ごと大事に『あわい』に設置した家の保管庫に移された。時のない『あわい』はこんな時にとても便利だ。これで、食べ切るまで、いつでも新鮮な鰤が食べられる。
鰤の一部は、すでに昨夜の夕食に刺身として出され、父が舌鼓を打って喜んだ。焼き魚をほぐして出されたみぃなどは、焼いている側からうるさいほどにせっついて鳴き、できあがれば、がっつきながらおいしいと鳴き声をあげていた。その様子は、嬉しくなるほど可愛かった。
こんな日常が続いて欲しいのに――。
そう思わずにはいられない。だが、人の世は留まることが許されない。今、咲保にできることと言えば、咲保が思う良い物をできるだけかき集めて、できるだけ長く留めるよう努力していくぐらいだ。大事な人たちが、すこしでも笑っていられるように。
ふ、と道端に白い花をつけた樹木に目が止まった。
「あら、百日紅。こんなところにあったかしら?」
「どこぞより移ってきたものでしょう。最近、草木も危機感を覚えるのか、多ございますから。ここでは花をつける時期も花次第なので、たまに妙な気分になりますよ」
「そうなの。確かに冬に夏の花とか、季節違いの花を見るのは変な感じがするわね」
「ええ、ひどい場所になると、四季の花が一緒くたになって満開になっていたりしますから。それはそれで綺麗ではありますが、情緒は感じられなくなりますね。匂いが咽せ返るほどであれば余計に」
「そうなの。そうかもしれないわね」
「栄扉の頃は、植木職人がさまざまな手法を凝らして、珍しい花の形や風景を作り競ったものでございますが、花の季節を変えることまでしなかったのは、そういう理由もあるからなのでしょう」
「ああ、朝顔とか菊とかは、今よりも花の数が多かったって聞くわね。でも、近頃は、朝顔でも、特別に珍しいと感じることはないわね」
「さようにございますね。せいぜい斑入りのものぐらいでしょうか」
「自然と消えていった花も多いのでしょうけれど、作る人が途絶えることでなくなった花も、きっと多いのでしょうね。そういう花も、『あわい』のどこかで咲いていたりするのかしら……」
木栖家の目印の梅の木が見えてきた。
