第55回:タロットカードと占い――ゲームから占い道具への転身
はじめに――タロットは占いのために生まれたのか
「タロットカード」と聞けば、多くの人は薄暗い部屋、揺れる蝋燭、机の上に並べられた「死神」や「運命の輪」、そして未来を告げる占い師の姿を思い浮かべるだろう。現代では、タロットは占い道具の代表格である。一般の書店にも初心者向けの解説書やカードが並び、恋愛、仕事、人間関係、人生の方向性などを読み解く手段として広く知られている。
しかし、タロットは最初から占いのために作られたカードではない。
タロットの原型が十五世紀の北イタリアに現れたとき、それは貴族たちが遊ぶための豪華なカードゲームだった。現在「大アルカナ」と呼ばれる絵札も、未来を予言する神秘の記号ではなく、ほかのカードより強い「切り札」として加えられたものである。タロットが占いや神秘思想と本格的に結びつくのは、その誕生から三百年以上も後の十八世紀末であった。メトロポリタン美術館やモーガン・ライブラリーも、初期のタロットを宮廷の技量ゲームであり、占いやオカルトとの結びつきは後世に成立したものと位置づけている。

では、なぜ一つのゲーム用カードが、やがて「運命を映す鏡」と考えられるようになったのだろうか。
そこには、単なる用途の変更ではなく、ルネサンスの寓意画、十八世紀のエジプト熱、カード占いの流行、十九世紀のオカルティズム、出版技術、そして二十世紀の芸術と心理文化が重なり合う、長い「意味の上書き」の歴史があった。
1 十五世紀イタリア――宮廷ゲームとしての誕生
タロットの成立地は、十五世紀半ばの北イタリアである。ミラノ、フェラーラ、ボローニャなどの宮廷社会では、すでに杯・剣・貨幣・棍棒という四つのスートをもつカードが遊ばれていた。そこへ、通常のスートとは別に、寓意的な人物や場面を描いた特別な絵札が加えられた。
これらの新しいカードは、当初「カルテ・ダ・トリオンフィ」、すなわち「凱旋のカード」と呼ばれた。「トリオンフィ」とは、古代ローマの凱旋行列や、徳・愛・死・名声・時間などを擬人化して順番に登場させる文学・美術上の表現とも関係する言葉である。後にこのゲームとカードは、イタリア語で「タロッキ」と呼ばれるようになった。

現存する最も著名な初期作品が、ミラノのヴィスコンティ家とスフォルツァ家のために制作されたヴィスコンティ=スフォルツァ系のカードである。金箔を施した厚紙に、宮廷人、皇帝、教皇、恋人たち、戦車、徳の擬人像、運命の輪、死、天使、世界などが描かれている。これらは安価な日用品ではなく、婚姻や祝祭、権力の誇示にも関わる豪華な美術品だった。十五世紀半ばの三組の高級タロットが現在まで部分的に残されており、その一部はモーガン・ライブラリー、イェール大学、ベルガモのアッカデミア・カッラーラ、ミラノのブレラ絵画館などに分蔵されている。
重要なのは、これらのカードに古代エジプトの文字も、占星術の対応表も、カードごとの未来予言も書かれていなかったことである。描かれていたのは、当時の教養あるイタリア人にとって比較的理解しやすい社会的・宗教的な寓意だった。
2 タロットをタロットにした「切り札」
後に標準となったタロットは、四スート五十六枚と、二十一枚の切り札、そして「愚者」一枚を合わせた七十八枚で構成される。

各スートには一から十までの数札に加え、王、女王、騎士、小姓の四枚の人物札がある。通常のトランプより人物札が一枚多い点も特徴である。ただし初期のカードには例外も多く、女性の騎士や侍女を加えたもの、通常とは異なる徳目を含むものなどがあり、最初から完全に統一された七十八枚構成が存在したわけではない。
ゲーム上で決定的だったのは、二十一枚の絵札が恒常的な切り札として働くことである。
通常のトリックテイキングゲームでは、特定のスートがその勝負で強いスートに指定される。これに対してタロットでは、スートから独立した二十一枚の切り札が常に存在し、多くの場合、通常のスート札より強い。つまり、皇帝や教皇、戦車や運命の輪といった絵柄は、その象徴的意味だけでなく、勝敗を決定する階級を示していた。
「愚者」はさらに特殊だった。後世の占いでは「零番」とされ、旅立ちや無限の可能性を表すことが多いが、ゲームでは単純に最弱の切り札だったわけではない。地域やルールによって異なるものの、手札から出してもトリックに取られず、持ち主のもとへ戻すことのできる「逃げ札」に近い役割をもつことがあった。

タロットは、絵柄の神秘性によって成立したのではない。ゲームとしての核心は、切り札の序列を読み、いつ強い札を使い、いつ温存し、相手の手札を推測するかという戦略にあった。メトロポリタン美術館も、タロットを本質的にトリックテイキングゲームと説明している。
3 カードに描かれた「世界の縮図」
それでも、タロットが普通のトランプより占いへ転用されやすかった理由は、やはり二十二枚の絵札にあった。
初期タロットの切り札を眺めると、そこには一人の人間の人生というより、中世末からルネサンス期にかけての社会と宇宙の秩序が描かれている。

大道芸人あるいは手品師のような低い身分の人物から始まり、女帝、皇帝、女教皇、教皇といった世俗・宗教の権威が現れる。愛、戦車、正義、節制、剛毅などは、人間の選択や徳を示す。その後には、運命の輪、老い、処刑、死といった、人間の力では避けられない変化が続く。さらに星、月、太陽、天使、世界へと進み、個人と社会の物語は宇宙的・宗教的な完成へ至る。
ただし、初期にはカードの名称や順序が地域ごとに異なっていた。「世界」と「天使」のどちらを最上位に置くかも一定ではなく、現在よく知られる番号順が最初から存在したわけではない。ヴィスコンティ系のカードには、信仰・希望・慈愛という神学的徳を加えた例もある。
この絵柄の列は、秘密結社の暗号というより、当時の人々が説教、祭礼、凱旋図、宗教画、文学などで繰り返し目にした寓意の集積だった。
しかし時代が下り、カードがイタリアからフランスなどへ広がると、絵柄を生み出した社会的背景は次第に忘れられていった。由来の分からない古い人物、奇妙な姿勢の吊された男、崩れる塔、角をもつ怪物――それらは、十八世紀の人々には「失われた何かを伝える謎の図像」に見え始めたのである。

タロットが占いに向かう第一歩は、カードの中に新しい秘密が加えられたことではない。むしろ、もともとの意味が忘れられたために、別の意味を書き込む余白が生まれたことだった。
4 タロット以前に流行したカード占い
ゲーム用カードを占いに利用する発想そのものは、タロットから始まったわけではない。
十八世紀のヨーロッパ、とりわけパリでは、通常のトランプを使って恋愛、結婚、金銭、旅行、病気などを占うカード占いが流行していた。カードを一枚だけ引く方法だけでなく、複数のカードを一定の形に並べ、隣り合うカードの関係から物語を読む方法も発達した。

ここで重要なのは、占いのために特別な絵柄が必要だったわけではないという点である。
ハートの十、スペードのエース、ダイヤの七といった普通のカードにも、「幸福」「知らせ」「障害」「金銭」「若い人物」といった意味を割り当てることができた。カードが正位置に出たか逆位置に出たかによって意味を変える方法も考案された。
タロットを使った占いの早い例としては、十八世紀中頃のボローニャで、タロッキーノの札に簡単な占い上の意味を割り当てた文書が知られている。ただし、これは地域的で断片的な記録であり、体系的な神秘思想として広く出版されたものではなかった。タロット占いが社会的な影響力を得るには、フランスで「このカードは古代の秘密の書である」という新しい物語が作られるのを待たなければならなかった。
5 十八世紀のエジプト幻想
転換点となったのが、フランスの学者アントワーヌ・クール・ド・ジェブランである。

ジェブランは、人類の文明には失われた共通の起源があり、神話、言語、象徴を解読すれば、その太古の知恵を復元できると考えていた。彼の時代のヨーロッパでは、古代エジプトは神秘的な知識の源として強い憧れを集めていた。しかし当時は、まだエジプトのヒエログリフを正確に読む方法が確立されていなかった。ロゼッタ・ストーンが発見されるのは一七九九年であり、シャンポリオンによる本格的な解読はさらに後である。
一七八一年、ジェブランは大著『原始世界』第八巻でタロットを取り上げた。
彼はタロットの絵柄を見て、これは中世やルネサンスの娯楽として作られたのではなく、古代エジプトの神官が残した秘密の知識であると主張した。カードは古代の叡智を図像として保存した一冊の書物であり、長い時代を生き延びるために無害なゲームの姿を装ったのだ、というのである。ジェブランと同巻の論者たちは、タロットを神話、古代宗教、ヘブライ文字などと結びつけて解釈した。
この説を裏づける歴史的証拠は存在しない。初期タロットは十五世紀イタリアのカード文化から成立しており、古代エジプトから直接伝わったものではない。

しかし、歴史的に正しくなかったからこそ影響が小さかった、というわけではない。むしろジェブランの説は、タロットの運命を変えるほど魅力的だった。
ただの古いカードゲームが、一瞬にして「失われた文明の書物」へと変わったのである。
6 エテイヤ――思想を実際の占いに変えた人物
ジェブランがタロットに壮大な起源物語を与えたとすれば、それを実際に占える体系へ作り替えたのが、エテイヤである。
エテイヤは本名をジャン=バティスト・アリエットといい、「Etteilla」という名は姓の綴りを逆から並べたものだった。彼はジェブラン以前から通常のトランプを用いた占いを行い、一七七〇年には三十二枚のカードを中心とする占い方法を出版していた。各カードに正位置と逆位置の異なる意味を与え、複数のカードを配置して解釈するという、現在のタロット占いにもつながる方法を示している。英国博物館は、エテイヤを史料上最初の職業的タロット占い師と紹介している。

ジェブランの説が公表されると、エテイヤはそれを取り込み、一七八三年以降、タロットを使う占い法を次々と出版した。
彼は既存のマルセイユ系タロットをそのまま読むだけでは満足しなかった。カードは古代エジプトの「トートの書」であると考え、後世のカード職人が誤って変形させた図像を、自分が本来の姿へ戻すのだと主張した。
その結果、彼のカードでは、教皇や女教皇などの図像が別の寓意に置き換えられ、カード全体に番号と占い上の意味が与えられた。さらに、占星術、四元素、天地創造、古代史などが一つの体系に組み込まれた。カードの正位置と逆位置にも別々の意味が設定され、引いた札を互いに組み合わせて解釈する方法が整えられた。

一七八八年頃には、占いを目的として特別に設計されたエテイヤ式の「トートの書」カードが作られた。ウォーバーグ研究所は、これを占い用として明示的に設計された最初期のタロットとして紹介している。
ここでタロットは、単に「ゲームにも占いにも使えるカード」から、「占うために絵柄と構造そのものを作り直されたカード」へ変わった。
ジェブランが物語を作り、エテイヤが商品と技法を作ったのである。
7 「大アルカナ」と「小アルカナ」の誕生
十五世紀のカード遊びの参加者は、二十二枚の絵札を「大アルカナ」とは呼んでいなかった。四スートのカードも「小アルカナ」ではなかった。
「アルカナ」とは、ラテン語に由来する「秘密」「秘儀」を意味する言葉である。ゲームの切り札と数札を、宇宙の秘密を段階的に示す二つの領域として理解する発想は、十九世紀のオカルティズムの中で強化された。
フランスのオカルティスト、エリファス・レヴィは、タロットを単なる未来占いの道具よりも高い位置に置こうとした。彼にとってタロットは、カバラ、魔術、錬金術、占星術、数秘術などを結びつける「鍵」であった。
とりわけ魅力的だったのが、二十二枚という数である。切り札二十一枚に愚者を加えれば二十二枚となり、ヘブライ文字も二十二文字である。この数の一致を利用して、各カードを文字、生命の樹の道、惑星、星座、元素などと対応させる試みが進められた。
しかし、どのカードをどの文字や天体に対応させるかについては、思想家や団体によって違いがあった。古代から一つの完成した対応表が伝わっていたのではない。十九世紀の人々が、既存のカードにさまざまな思想体系を接続し、新しい秩序を作っていったのである。
この段階で、タロットは未来の出来事を当てるだけの道具ではなくなった。
それは宇宙の構造を学ぶ教科書であり、魂の成長をたどる地図であり、儀式や瞑想に使う象徴体系であると考えられるようになった。ヴィクトリア&アルバート博物館は、十九世紀のオカルト思想によって、タロットが社交的なカード占いから本格的な秘教の道具へ変化したと説明している。
8 フランスからイギリスへ――黄金の夜明け団
十九世紀末になると、タロット研究の中心はフランスからイギリスへ移っていった。
一八八八年に創設された「黄金の夜明け団」は、儀式魔術、カバラ、占星術、錬金術などを組織的に研究した秘密結社である。団員たちは、タロットの一枚一枚をヘブライ文字、生命の樹、天体、元素、色彩などに対応させた。

これはカード占いを、個人の直感だけに頼る行為から、学習可能な巨大な分類体系へ変える試みでもあった。カードを一枚引くたびに、絵柄だけでなく、数字、色、方角、惑星、星座、神話、宗教上の概念まで連想できる仕組みが作られたのである。
もっとも、こうした体系も古代から無傷で受け継がれたものではない。ジェブラン、エテイヤ、レヴィらの説を受け継ぎながら、十九世紀末のイギリス人オカルティストたちが再編成したものである。
黄金の夜明け団は後に分裂したが、そこからアーサー・エドワード・ウェイト、パメラ・コールマン・スミス、アレイスター・クロウリーなど、二十世紀のタロットを決定づける人物が現れた。モーガン・ライブラリーは、同団がフランスのオカルティズムをイギリスへ伝え、タロットを近代的な秘教体系として定着させる中心的役割を果たしたと位置づけている。
9 ライダー=ウェイト=スミス版――七十八枚すべてが物語になる
一九〇九年、アーサー・エドワード・ウェイトの構想と、画家パメラ・コールマン・スミスの絵によって、新しいタロットが作られた。出版者の名を含めて「ライダー=ウェイト版」と呼ばれてきたが、現在では絵を描いたスミスの貢献を明示するため、「ライダー=ウェイト=スミス版」と呼ばれることが多い。
このカードの最大の革新は、四十枚の数札にも人物と場面を描いたことである。
従来のマルセイユ系タロットでは、たとえば「杯の六」なら杯の図柄が六個並ぶだけであり、占う者は数字とスートの意味を暗記しなければならなかった。これに対してスミスは、杯の六に花を差し出す人物、剣の三に心臓を貫く三本の剣、杖の十に重い杖を抱えて歩く人物を描いた。
絵を見るだけで、贈り物、記憶、悲しみ、重圧、協力、喪失といった物語を想像できる。タロットは、秘教の対応表を熟知した専門家だけでなく、絵から状況を読み取る一般の利用者にも扱いやすくなった。

もっとも、数札に場面を描いた最初の例そのものではない。一四九一年頃のソラ・ブスカ版は、七十八枚が現存する最古の完全なタロットであり、数札にも人物的な場面を描いていた。スミスは英国博物館でその写真を見た可能性が高く、いくつかの構図には明確な影響が認められる。
それでも、近代の大量出版物として七十八枚すべてを物語化し、世界的な標準にした功績は大きい。
スミスの絵は、カード占いの中心を「決められた意味の暗記」から「場面を見て物語を作る行為」へ移した。タロットが現在、心理的な自己分析や対話にも使われるようになった背景には、この視覚的な読みやすさがある。
10 「死神」は死を予告するのか
占い用タロットが広まるにつれ、初期のゲーム用カードとは異なる象徴解釈が定着した。
たとえば「死」のカードは、文字どおりの死を予告する札として恐れられがちである。しかし現代の多くの解釈では、終わり、変化、古い状態からの離脱、再生の前段階などを表す。「吊された男」は処刑や屈辱の図から、停止、犠牲、視点の逆転へと読み替えられる。「悪魔」は外部の怪物だけでなく、依存、執着、欲望、自己欺瞞を表すことがある。「塔」は災害そのものより、誤った前提や権威が突然崩れる経験として解釈される。
こうした意味は、十五世紀の作者が一つ残らず意図していたものではない。
後世の占い師、オカルティスト、芸術家、心理的実践者が、古い絵柄から新しい意味を引き出し、共有してきた結果である。したがってタロットの一枚一枚には、少なくとも三つの層が重なっている。
第一は、ルネサンス期の寓意や宗教文化である。
第二は、ゲーム上の切り札としての順位と機能である。
第三は、十八世紀以降に加えられた占い・オカルト・心理的解釈である。

どれか一つだけを「本当の意味」として固定すると、タロットの歴史の大部分を見失うことになる。
11 ゲームのタロットは消えなかった
占いへの転身があまりにも成功したため、タロットはゲームとして滅びたと思われがちである。しかし、実際にはゲーム用タロットの伝統も存続した。
ヨーロッパの各地では、タロット系カードを用いたトリックテイキングゲームが遊ばれ続けた。そこでは「死」「悪魔」「審判」といったカードを人生の啓示として読む必要はなく、何点の価値があり、どの場面で出すべきかが問題となる。

つまり同じ祖先から、二つのタロット文化が分かれたのである。
一つは、札の強弱、得点、宣言、パートナーとの協力を楽しむゲームのタロット。
もう一つは、図像、象徴、配置、正逆、カード同士の関係を読む占いのタロットである。
前者ではカードの意味はルールによって決まり、後者では意味は問いと配置と解釈によって変化する。
ゲームでは、一枚のカードが強いか弱いかはあらかじめ決まっている。占いでは、一枚のカードが良いか悪いかさえ、周囲のカードや相談内容によって変わる。「運命の輪」は幸運にも不安定さにもなり、「隠者」は知恵にも孤立にもなり、「恋人」は愛だけでなく選択や葛藤にもなる。
同じカードが、勝敗を決める札から、意味を問い直す札へ変わったのである。
12 なぜタロットは占い道具として生き残ったのか
タロットが占い道具として長く生き残った理由は、未来を正確に予測できることが科学的に証明されたからではない。
その強みは、七十八枚の中に、人間が経験しうる多くの状況を象徴的に描けることにある。
出発、成功、迷い、愛、争い、支配、孤独、停滞、喪失、誘惑、崩壊、希望、完成。タロットの絵柄は、相談者の状況を直接描いていなくても、似た構造を見いだすきっかけを与える。
たとえば、仕事について悩む人が「戦車」を引けば、前進、制御、競争、意志の統一について考えるかもしれない。「隠者」を引けば、急いで答えを出すより、一人で考える時間が必要だと感じるかもしれない。カードが未来を外部から伝えたと考えることもできるが、別の見方をすれば、偶然に提示された図像を通して、自分がすでに抱えていた問題を言葉にしているとも考えられる。

この点で、タロットは「答えを与える機械」というより、「問いを作る機械」である。
どのカードが出るかは偶然である。しかし、その偶然にどのような意味を感じるかは、相談者と読み手の経験、知識、感情、価値観に左右される。意味はカードの中に完全な形で封じ込められているのではなく、カードと人間との間で作られる。
だからこそタロットは、宗教、魔術、占星術、文学、芸術、心理的自己理解など、異なる文化の中へ何度も入り直すことができた。
おわりに――カードは変わらず、意味が変わった
タロットは、古代エジプトの神官が未来を予言するために作ったカードではない。
十五世紀の北イタリアで、四スートのカードに寓意的な切り札を加えた宮廷ゲームとして成立した。それがフランスへ伝わり、十八世紀のカード占いとエジプト幻想の中で「古代の知恵の書」と再解釈された。ジェブランが神話を与え、エテイヤが占いの技法と専用カードを作り、十九世紀のオカルティストがカバラや占星術との対応を築いた。そして二十世紀初頭、パメラ・コールマン・スミスが七十八枚を豊かな物語画へ変えたことで、タロットは世界的な占い道具となった。
この歴史を「ゲームが占いに変わった」とだけ表現すると、少し単純すぎる。
カードそのものが突然別物になったのではない。古い絵柄を見た後世の人々が、「ここには自分たちの知らない秘密がある」と考え、何世代にもわたって新しい意味を書き加えていったのである。
タロットの歴史は、絵が意味を保存する歴史であると同時に、絵が本来の意味を離れ、別の物語を生み出していく歴史でもある。
切り札として勝敗を決めていた「運命の輪」は、やがて人生の変化を語る札となった。ゲームから占いへの転身とは、カードの機能が変わっただけではない。
人間が偶然の中に物語を見いだし、古い図像を用いて自分自身を読み始めた瞬間だったのである。
◆◆コラム&童話◆◆
コラム1 タロットは「占いカード」ではなかった
今日、「タロットカード」と聞いて、多くの人が最初に思い浮かべるのは占いだろう。机の上に何枚かのカードを並べ、その配置から恋愛や仕事、これから訪れる変化を読み取る。タロットは、まるで初めから人間の運命を占うために作られた道具のように見える。
しかし、タロットの最初の姿は占い道具ではなかった。
十五世紀の北イタリアで作られた初期のタロットは、宮廷や富裕層が遊ぶカードゲームに用いられた。杯、剣、貨幣、棍棒という四つのスート五十六枚に、二十一枚の特別な切り札と一枚の愚者が加わる。プレイヤーは切り札の強さを見極め、相手の手札を推測しながら、一回ごとの勝負である「トリック」を取った。つまり、その基本は戦略と駆け引きを楽しむトリックテイキングゲームだったのである。
「皇帝」や「運命の輪」や「死」といった絵札も、未来を予告する神秘的な札として作られたわけではない。それらは、当時の人々が教会の壁画、説教、祭礼、文学などを通してよく知っていた権力、徳、運命、死、天上世界などの寓意を描いたものだった。同時に、ゲームの中では通常札より強い切り札として働いた。
それから長い年月がたち、タロットを生んだ社会や図像の背景が忘れられていった。なぜ人物が逆さに吊されているのか。なぜ塔が崩れているのか。なぜ教皇と女教皇のような人物が並んでいるのか。昔の人には理解できた図像が、後世の人々には謎めいた暗号のように見えるようになった。
そこへ十八世紀のカード占いと、古代文明への憧れが重なった。ゲームの札だったタロットは、「古代から伝わる秘密の書」「人間の運命を映す象徴体系」として読み直されていく。

ただし、ここで忘れてはならないのは、ゲームのタロットが占いに敗れて消滅したわけではないということである。ヨーロッパの一部では、現在もタロット系カードを使ったゲームが遊ばれている。
同じ一組のカードが、一方では勝敗を競う遊具となり、もう一方では人生を考える象徴となった。
タロットの魅力は、占いカードであることだけにあるのではない。遊びから生まれた絵が、時代ごとに新しい意味をまとい、まったく異なる二つの文化を育てたところにある。
コラム2 読めない文字ほど神秘的に見える
古い文字を目にしたとき、そこに書かれている内容が読めれば、それは情報になる。
しかし、読めなければ、それはしばしば「秘密」になる。
十八世紀のヨーロッパで、古代エジプトは特別な憧れの対象だった。巨大なピラミッド、スフィンクス、神々の像、壁を埋め尽くすヒエログリフ。それらは高度な文明の遺産でありながら、当時の学者たちは、まだその文字を正確に読むことができなかった。
ロゼッタ・ストーンが発見されたのは一七九九年であり、ヒエログリフ解読の大きな突破口が開かれたのは一八二二年である。したがって、一七八一年にクール・ド・ジェブランがタロットを古代エジプトの知恵と結びつけた時点では、エジプトの文字や宗教について、現在ほど確かな知識は得られていなかった。

意味が分からないものには、さまざまな想像を書き込むことができる。
もしヒエログリフが日用品の注文書や税の記録であると分かっていれば、それを宇宙のすべてを説明する秘密の暗号とは考えにくい。しかし読めない文字であれば、「神官だけが知る知恵」「失われた宗教の教え」「人類最古の予言」と考える余地が生まれる。
タロットにも、同じことが起こった。
十五世紀のイタリア人にとって身近だった寓意画は、十八世紀のフランス人には遠い時代の謎となっていた。由来の分からない図像と、意味の分からない古代文字。この二つが出会うと、そこに壮大な物語が生まれた。
タロットは古代エジプトの神官が作った秘密の書であり、その教えを弾圧から守るため、カードゲームの姿に変えて後世へ伝えたのだ――。
歴史的な証拠はなかった。しかし、あまりにも魅力的な説明だった。
人間は、分からないものをそのままにしておくことが苦手である。空白があれば、物語で埋めようとする。しかも地味で現実的な説明より、遠い神殿や失われた文明の物語のほうが、心を強く引きつけることがある。
「読めない」ということは、知識がない状態にすぎない。
それでも、ときに人間はその空白を「深い秘密が隠されている証拠」と読み替える。タロットの古代エジプト説は、無知そのものが想像力の入口となった興味深い例なのである。
コラム3 証拠のない説が歴史を動かすとき
歴史を動かすのは、正しい知識だけではない。
ときには、後になって誤りだと分かった考えが、多くの人の行動を変え、新しい文化を生み出すことがある。
十八世紀の学者クール・ド・ジェブランは、タロットを古代エジプトの神官が残した知恵の書だと考えた。現在では、タロットが十五世紀北イタリアのカードゲームとして成立したことが、史料と現存カードから確認されている。古代エジプトから中世ヨーロッパへタロットが伝えられたことを示す証拠はない。
それでは、ジェブランの説には何の価値もなかったのだろうか。
歴史的事実としては誤っていた。しかし、文化史の上では非常に大きな力を持った。

彼の説によって、古いゲームカードは「失われた知恵を保存した書物」として注目されるようになった。それを読んだエテイヤは、タロットを実際に占いへ利用する方法を整えた。さらに十九世紀のオカルティストたちは、タロットを占星術、カバラ、数秘術、錬金術などと結びつけ、巨大な象徴体系へ作り替えていった。
もしジェブランが、タロットを「イタリアで作られた面白い古いゲームです」とだけ説明していたなら、その後の歴史は違ったものになったかもしれない。
タロットの絵は美術館やゲーム卓に残ったとしても、現在のように世界中で占いや自己理解の道具として使われることはなかった可能性がある。
ここには、少し不思議な逆説がある。
根拠のない古代起源説が、人々にカードを研究させた。その研究から、新しい絵柄、新しい占い方、新しい思想、新しい出版物が生まれた。最初の説明は間違っていたが、その間違いによって作られた文化は現実のものとなった。
もちろん、誤った説を史実として教えてよいということではない。歴史を学ぶときには、「実際に何が起こったか」と「人々が何を信じたか」を区別しなければならない。
しかし、人々が信じた物語もまた、歴史の一部である。
古代エジプト起源説は、タロットの本当の起源を説明してはいない。だが、タロットがなぜ占い道具へ変わったのかを説明するうえでは欠かせない。
歴史的には誤りでありながら、歴史を動かした説。
タロットの物語は、「正しくなかった考えにも、現実を変える力がある」という、文化史の複雑さを教えてくれる。
コラム4 名前を逆さにした占い師エテイヤ
占い師エテイヤの本名は、ジャン=バティスト・アリエットといった。
「Etteilla」という名は、「Alliette」という姓の綴りを逆向きに並べたものだとされる。彼はこの名を使い、十八世紀後半のパリでカード占いを広めた。英国博物館は、彼を史料上最初の職業的タロット占い師と紹介している。
名前を逆さにするという行為には、どこかカード占いらしい趣がある。
表と裏。正位置と逆位置。見えている意味と、隠された意味。日常的な名前を反転させることで、アリエットは「エテイヤ」という新しい人物を作り出した。
しかし、彼の重要性は神秘的な名前だけにあるのではない。
エテイヤは、占いを学習できる技法へ変えようとした。カードごとに意味を割り当て、正位置と逆位置を区別し、何枚のカードをどのように置くかを説明した。さらに本や解説書を出版し、占い師の目の前に座らなくても、その方法を学べるようにした。

もともと彼が扱っていたのは、タロットではなく通常のフランス式トランプによるカード占いだった。十八世紀の後半にタロットの古代エジプト起源説が発表されると、彼はその物語を自分の占い体系へ取り込み、やがて占い専用に設計したタロットを作り上げていった。
ここで注目したいのは、占いが「直感だけの神秘的な行為」ではなく、出版と商品化によって広がったという点である。
カードの意味を表にする。配置法を決める。初心者向けの本を書く。専用のカードを印刷する。相談者を迎え、料金を受け取る。
これらはどれも、現代の講座や入門書にも通じる方法である。
ジェブランがタロットに壮大な物語を与えたとすれば、エテイヤはその物語を、実際に使える技法へ変えた人物だった。
学者が雲の上に神殿を描き、占い師がその下に階段を架けたのである。
タロット占いが今日まで続いた理由の一つは、エテイヤがそれを誰か一人の秘密の能力ではなく、カードと本を通して学べる文化にしたことにある。
コラム5 パメラ・コールマン・スミスの仕事
一九〇九年、アーサー・エドワード・ウェイトは、新しいタロットを作るため、一人の女性画家に七十八枚のカードの絵を依頼した。
その画家が、パメラ・コールマン・スミスである。
スミスはタロットだけを描いていた人物ではない。書籍の挿絵、舞台美術、ポスターなどを手がけ、演劇人や作家たちとも交流していた。イギリス、アメリカ、ジャマイカを行き来した経験や、民話、舞台、物語への関心は、彼女の豊かな画面構成へ影響を与えた。ウェイトと出会う以前から、独自の芸術家として活動していたのである。
スミスの大きな功績は、タロットの数札へ具体的な場面を描いたことだった。
それまで広く使われていたマルセイユ系のカードでは、「杯の六」には杯が六個、「剣の三」には剣が三本というように、スートの記号が枚数分並んでいた。そこから意味を読むためには、数字やスートに割り当てられた解釈を覚える必要があった。
スミスは、それを一枚の小さな物語へ変えた。

花を入れた杯を差し出す人物。雨の中で三本の剣に貫かれた心臓。十本の杖を重そうに抱えて歩く人物。互いに協力して建物を作る人々。こぼれた杯を見つめ、背後に残った杯には気づかない人物。
絵を見れば、贈り物、記憶、悲しみ、重圧、協力、喪失といった感情や状況が自然に浮かび上がる。ロンドンのヴィクトリア・アンド・アルバート博物館(V&A)は、スミスが数札を物語的な場面として描いたことが、その後のタロットデザインに長く影響を与えたと説明している。
このカードは長い間、出版社とウェイトの名から「ライダー=ウェイト版」と呼ばれることが多かった。
だが、実際に七十八枚の視覚世界を作ったのはスミスだった。現在、「ライダー=ウェイト=スミス版」という名称が広く使われるようになったのは、絵を描いた人物の功績を、歴史の表側へ戻そうとする動きでもある。
タロットは象徴を読む道具である。
だからこそ、その象徴を誰が描いたのかを忘れてはならない。
スミスは、数だけが並ぶ札に人物を住まわせた。そして、カードを暗記するものから、見て、感じて、物語るものへ変えたのである。
コラム6 なぜ切り札は二十一枚もあったのか
タロットカードの構成を初めて知った人は、しばしば不思議に思う。
杯、剣、貨幣、棍棒という四つのスートがあり、そのほかに二十一枚もの切り札がある。さらに、順位の外に置かれる「愚者」まで加わる。
なぜ切り札は、これほど多かったのだろうか。
ゲームに強い札を加えるだけなら、五枚や十枚でもよかったはずである。通常のスートと同じように、十三枚あるいは十四枚からなる第五のスートを作る方法も考えられる。
実際、ゲームの仕組みだけを考えれば、切り札が二十一枚でなければならない理由はない。より少ない枚数でも、切り札を使うトリックテイキングゲームは十分に成立する。
それでは、なぜタロットは二十一枚という長い切り札列をもつようになったのか。
残念ながら、十五世紀のカード制作者が、その理由を書き残した史料は知られていない。したがって、二十一という数に特別な宗教的意味があった、あるいはゲーム上もっとも優れた枚数として計算された、と断定することはできない。
むしろ、最初に「二十一」という数を決め、その空欄へ絵を当てはめたのではなく、描きたい寓意を集めていった結果、二十一枚ほどの列ができたと考えるほうが自然である。
初期タロットの切り札には、魔術師あるいは大道芸人のような人物、女帝、皇帝、教皇、恋人たち、戦車などが描かれていた。続いて、正義、節制、剛毅といった徳目が現れ、その上には運命の輪、隠者、吊された人物、死、崩れる塔など、人間の力では避けられない変化が置かれた。
そして最後には、星、月、太陽、天使、世界という、天上的で宇宙的な図像が続く。
これは、単なる第五のスートとは性格が違う。
杯の札は杯という一種類の記号をもち、剣の札は剣という一種類の記号をもつ。それに対して切り札は、身分、権力、徳、運命、死、天体、世界という異なる領域を、一つの長い階段として並べている。
言い換えれば、通常の四スートが横に並ぶ世界であるのに対し、切り札は地上から天上へ伸びる縦の世界だった。
十五世紀の北イタリアでは、徳や運命、死や時間を擬人化し、行列のように並べる寓意表現がよく知られていた。カード制作者たちは、その豊かな図像を新しいゲームへ取り込んだのだろう。
切り札が多かったことには、結果としてゲーム上の利点も生まれた。
切り札が数枚しかなければ、それらは時折現れる特別な強札にすぎない。しかし二十一枚もあれば、多くのプレイヤーが複数の切り札を持つことになる。
そこで重要になるのが、切り札をいつ使うかという判断である。
低い切り札を先に処分するか。高い切り札を最後まで温存するか。相手の切り札を使わせるか。得点価値のある札を守るか。切り札がどこまで出たかを記憶するか。
タロットゲームでは、通常スートの勝負の上に、切り札だけによるもう一つの長い駆け引きが重なる。
二十一枚という数はゲームに絶対必要ではなかった。しかし、一度その長い列が成立すると、タロットは単なる「切り札入りカードゲーム」とは異なる、独特の遊びになった。

では、通常スートと同じ十三枚や十四枚ではいけなかったのだろうか。
もちろん、ゲームとしては可能である。
だが、十三枚に減らせば、皇帝、徳、運命、死、星、月、太陽、世界という豊かな図像のうち、いくつかを捨てなければならない。切り札は整った第五スートになる代わりに、社会と宇宙を縦に貫く長い行列ではなくなってしまう。
タロットの特徴は、整然とした均衡ではない。
四つの普通のスートの上に、二十一段もの切り札の階段が突然そびえている。その不均衡、その過剰さこそがタロットらしさなのである。
最初は宮廷の寓意画をゲームへ取り込むために生まれた長い切り札列が、後世には人生の段階や魂の旅を表すものとして読み直されるようになった。
もし切り札が十三枚しかなかったなら、ゲームはもう少し簡潔で、均整の取れたものになっていただろう。
しかし、現在のように、タロット一組の中へ社会、徳、運命、死、天体、世界のすべてが収められているような印象は生まれなかったかもしれない。
二十一枚は、ゲームのために必要だった枚数ではない。
描きたい世界が多すぎたために生まれた枚数だった。
そして、その「多すぎる切り札」が、タロットをほかのカードゲームとは異なる、忘れがたい存在にしたのである。
寓話1 愚者と番号の階段
ある国に、二十二段の大きな階段があった。
その階段には、さまざまな人物が一段ずつ立っていた。
下のほうには、道具を並べる魔術師がいた。少し上には女帝と皇帝が座り、その上には戦車に乗る者、天秤を持つ者、灯火を掲げる隠者がいた。さらに高い段には、星と月と太陽が輝き、一番上には世界を表す大きな輪が置かれていた。
階段に立つ者たちは、毎日、自分の高さを比べていた。
「私のほうが、お前より三段も上だ」
「私はこの国で最も強い札だ」
「下の者は、上の者に勝つことはできない」
彼らは自分の番号と順位を誇り、少しでも高い段へ立っていることを喜んでいた。

ところが、階段の下に一人だけ、どの段にも立っていない旅人がいた。
古びた服を着て、小さな荷物を肩に担ぎ、犬を連れている。人々は彼を愚者と呼んだ。
皇帝が尋ねた。
「お前は何段目に立つのだ」
愚者は首をかしげた。
「私は、どの段にも立っておりません」
「それでは、お前には価値がない。番号を持たぬ者は、上へ進むこともできないではないか」
愚者は笑って、階段の横にある細い道を歩き始めた。
道は階段の裏を回り、森を抜け、川を越え、誰も見たことのない町へ続いていた。
階段の者たちは、その様子を見て笑った。
「階段を使わずに高い場所へ行けるものか」
ところが夕方になると、愚者は遠くの丘の上から手を振っていた。その丘は、階段の最上段よりもはるかに高かった。
皇帝は怒った。
「規則に反している」
正義は天秤を見つめながら言った。
「規則は、階段の中にいる者のために作られたものです。道を歩く者には、別の規則があるのでしょう」
それでも階段の者たちは、自分の場所を離れなかった。
女帝は女帝の段に、皇帝は皇帝の段に、太陽は太陽の段に立ち続けた。彼らは確かに強く、立派だったが、その段から見える景色しか知らなかった。
愚者だけは、翌日も歩いた。
あるときは最下段の者と食事をし、あるときは最上段の者と星を眺めた。どこにも属さないため、どこへでも行くことができた。
やがて階段の者たちは理解した。
番号を持たないことは、何者でもないという意味ではない。
まだ何者になるか決まっていないということなのだ。
寓話2 豪華な伝説と地味な古文書
ある町に、二人の歴史語りがやって来た。
一人目の語り手は、金色の衣をまとっていた。
彼は広場の中央に豪華な幕を張り、香をたき、太鼓を鳴らして人々を集めた。
「このカードは、はるか昔、砂漠の大神殿で作られたものである」
語り手が杖を振ると、幕の上に巨大なピラミッドと星空が映し出された。
「古代の神官たちは、宇宙のすべての秘密を七十八枚のカードへ封じ込めた。王国が滅びるとき、彼らはカードを旅人に託した。旅人は海を渡り、山を越え、その秘密をヨーロッパへ運んだのだ」
人々は息をのんだ。

子どもたちは目を輝かせ、商人たちは記念のカードを買い、貴婦人たちは神官の秘密を聞こうと列を作った。
もう一人の語り手は、広場の隅に小さな机を出した。
茶色い服を着た地味な老人で、机の上には色あせた帳簿、破れた手紙、古いカードの断片が置かれていた。
老人は虫眼鏡で紙を調べながら言った。
「こちらの記録には、十五世紀の宮廷でカード代が支払われたとあります。こちらには、ある祝祭のため絵師が雇われたと書かれています。このカードの汚れ方を見ると、実際に遊びに使われたようです」
しかし、老人の周りに集まる者は少なかった。
「神殿は出てこないのですか」
「秘密の呪文はないのですか」
「運命を予言した王の話は?」
老人は申し訳なさそうに首を振った。
「今のところ、そのような証拠は見つかっていません」
人々は退屈そうに金色の語り手のところへ戻っていった。
数年後、町を大火が襲った。
二人の語り手が去った後、町の人々は焼け跡から自分たちの歴史を探そうとした。
ところが、金色の語り手が残したものは、華やかな幕と空になった香炉だけだった。どの話が事実で、どこからが彼の想像なのか、誰にも分からなかった。
一方、地味な老人の机があった場所からは、紙を写した小さな帳面が見つかった。
そこには、カードを作った職人の名、使われた顔料、支払われた金額、遊んだ人々の記録が、細かな文字で残されていた。
町の人々は、その帳面を一行ずつ読み直した。
金色の伝説ほど華やかではなかった。
だが、そこには実際に生きた人々の手の跡があった。
町の学者は言った。
「伝説は、人を歴史の入口へ連れてきます。しかし、入口から先へ進むには、地味な紙を一枚ずつ読まなければなりません」
それ以来、町の広場では、二人の語り手のために二つの椅子が置かれるようになった。
一つは人を引きつける物語の椅子。
もう一つは、その物語が本当かを確かめるための椅子だった。
寓話3 七十八枚の会議
ある夜、カード箱の中で七十八枚のカードが会議を開いた。
議題は、「この一組の中で、誰が最も重要か」というものだった。
最初に立ち上がったのは皇帝だった。
「もちろん私だ。私は王冠と笏を持ち、国を治めている。秩序がなければ、カードの世界は成り立たない」
女帝が扇を開いた。
「国を豊かにし、人々を育てるのは私です。支配するだけでは世界は続きません」
戦車は車輪を鳴らした。
「前へ進む力がなければ、豊かさも秩序も役に立たない」
正義は天秤を掲げた。

「力よりも、正しい判断が重要です」
太陽は部屋全体を明るく照らした。
「光がなければ、そもそも誰の姿も見えないではないか」
死のカードが骨の指を上げると、部屋が静まり返った。
「私を忘れてはならない。終わりがなければ、新しい始まりも訪れない」
切り札たちは、次々と自分の重要さを語った。
その様子を、杯、剣、貨幣、棍棒の数札たちは部屋の隅から見ていた。
やがて、切り札の一人が言った。
「数札は何も発言しないのか。お前たちは同じ印がいくつか並んでいるだけではないか」
すると、杯の二が静かに立ち上がった。
「私は、人と人が向き合う時間を表します」
貨幣の三が続いた。
「私は、職人たちが力を合わせて仕事をする時間です」
剣の四は言った。
「私は、疲れた人が休む時間です」
棍棒の十は、重そうに腰を上げた。
「私は、毎日の責任を背負って歩く時間です」
切り札たちは少し黙った。
杯の五が言った。
「皇帝になる人は多くありません。塔が崩れるほどの出来事も、毎日起こるわけではありません。しかし、誰かを失って悲しむことはあります」
貨幣の六は言った。
「誰かに助けてもらったり、誰かを助けたりすることもあります」
剣の二は目隠しをしたまま言った。
「決められずに迷う日もあります」
棍棒の三は遠くを見つめた。
「まだ見えない未来を待つ日もあります」
カード箱の中は、すっかり静かになった。
最後に愚者が立ち上がった。
「切り札は、人生の大きな出来事を語る。数札は、その出来事と出来事の間にある毎日を語る。どちらが欠けても、一人の人生にはならないのではありませんか」
皇帝は王冠を外し、数札たちへ頭を下げた。
その夜から、七十八枚は誰が一番かを争わなくなった。
大きな運命も、小さな一日も、同じ箱に収められて初めて、一つの世界になると知ったからである。
寓話4 カードを読まない占い師
町外れに、不思議な占い師が住んでいた。
その占い師はよく当たると評判だったが、相談に来た人々は、皆同じような感想を口にした。
「あの人は、ほとんどカードを見ていない」
若い弟子は、そのことが不満だった。
師匠は相談者の前にカードを並べる。しかし、一枚の意味を長々と説明することはない。相談者が話し始めると、カードよりも相手の顔を見ている。
ある日、若い女性が訪ねてきた。
「恋人と結婚できるでしょうか」
師匠は三枚のカードを並べた。
女性は一枚目を見て微笑み、二枚目を見たとき眉を曇らせ、三枚目から目をそらした。

師匠はカードの意味を説明せず、尋ねた。
「二枚目を見たとき、何を思いましたか」
女性はしばらく黙った。
「結婚したいと言いながら、私はあの人の家族と暮らすことを怖がっています」
「三枚目から目をそらしたのは?」
「仕事をやめるように言われていることを思い出しました」
話しているうちに、女性の質問は変わっていった。
「結婚できるでしょうか」ではなく、「私は何を失うのが怖いのでしょうか」という問いになった。
女性が帰った後、弟子は師匠に言った。
「今日も、カードの意味をほとんど説明しませんでしたね」
師匠はカードを箱へ戻した。
「説明しなかったのではない。彼女が自分で説明していたのだ」
「それでは、カードは必要ないのではありませんか」
師匠は一枚を取り出し、弟子の前に置いた。
「この絵がなければ、彼女は何から話し始めればよいか分からなかっただろう」
別の日には、年老いた商人が訪ねてきた。
「新しい商売を始めれば成功するか」
師匠はカードを並べた。
商人は成功を思わせる明るいカードばかりを指し、暗いカードには触れようとしなかった。
「なぜ、その一枚だけ見ないのですか」
商人は答えた。
「息子が反対しているからだ。私は失敗が怖いのではない。息子の言うことが正しかったと認めるのが怖い」
占いが終わった後、弟子はまた尋ねた。
「師匠は未来が見えているのですか」
師匠は笑った。
「私は未来を読んでいるのではない。目の前の人が、何を見て、何を見ないようにしているかを見ている」
「それなら、読むべきものはカードではないのですか」
師匠は答えた。
「カードは扉だ。扉の彫刻ばかり調べて、向こうから歩いてくる人を見落としてはいけない」
弟子はその日から、カードの意味だけでなく、カードを見つめる人の沈黙も学ぶようになった。
寓話5 二つのタロットの村
一本の川を挟んで、二つの村があった。
左岸の村では、毎晩、人々が酒場に集まってタロットゲームをした。
プレイヤーは切り札をいつ出すか考え、相手が何を持っているかを推測し、仲間と合図を交わした。高い切り札でトリックを取れば歓声が上がり、愚者を巧みに使えば皆が感心した。
右岸の村では、同じ絵柄のカードを占いに使っていた。
人々は静かな部屋に集まり、カードを何枚か並べた。運命の輪を見て変化を考え、隠者を見て一人で過ごす時間を思い、恋人の札を見て自分の選択について語った。
二つの村は、互いの使い方を笑っていた。
左岸の人々は言った。
「カードは遊ぶものだ。絵に向かって悩みを話すなど、おかしなことだ」
右岸の人々は言った。
「カードは心を映すものだ。勝った負けたと騒ぐだけでは、絵の深い意味が分からない」

川には古い橋があったが、両方の村人が一緒に渡ることはなかった。
ある年、激しい雨が降り、橋の一部が壊れた。
その日の夕方、一人の旅人が橋の中央で立ち往生していた。小さな荷物を肩に担ぎ、犬を連れた、愚者のカードによく似た人物だった。
左岸のプレイヤーたちと右岸の占い師たちは、旅人を助けるため、同時に橋へ向かった。
しかし、壊れた部分を前にして意見が分かれた。
左岸の人々は、橋板の数を数え、誰がどの順番で板を運ぶかを決めた。互いの動きを読み、最も少ない手数で橋を直そうとした。
右岸の人々は、旅人が何を恐れているのかを尋ねた。そして、橋の向こうへ行くことだけが目的なのか、それとも元の岸へ戻ってもよいのかを確かめた。
やがて、左岸の人々が橋を修理し、右岸の人々が旅人の手を取った。
旅人は無事に渡り終えると、両方の村人へ言った。
「左岸の人々は、カードを通して仲間の動きを読んでいる。右岸の人々は、カードを通して人の心を読んでいる。そんなに違うことでしょうか」
村人たちは顔を見合わせた。
旅人は続けた。
「ゲームでは、相手がどの札を持っているか考える。占いでは、自分がどの思いを抱えているか考える。どちらも、目には見えないものを想像する遊びではありませんか」
その夜、二つの村の人々は橋の中央へ卓を置いた。
最初にゲームをした。
右岸の占い師は切り札を早く使いすぎ、左岸のプレイヤーたちに笑われた。
次にカードを並べて、それぞれが絵から感じたことを話した。
左岸の名手は「塔」のカードを見つめ、長い間修理していなかった自分の家を思い出した。
夜が明けるころ、旅人の姿は消えていた。
橋の上には一枚の愚者だけが残されていた。
それ以来、二つの村は自分たちの使い方だけが正しいとは言わなくなった。
カードは遊びにもなり、物語にもなる。
大切なのは、一枚のカードに一つの使い方しか許さないことではなく、そのカードを通して、人々がどのようにつながるかだった。
