【感想戦】特集:ドパガキ「『MISHIMA』とオタク敬具」(お守りみたいな言葉、胸の奥の燃える想い)
特集:ドパガキ「『MISHIMA』とオタク敬具」回の感想戦(63分)です。本編では2024年の年末に突如現れたワードであるドパガキ(ドーパミン中毒のガキの略語)がいかに時代精神を現しているかについて触れながらも、同じく今年のバズワードであるオタク敬具とセットで、現代の快楽と美醜、劣等感や心の揺れについて、三島由紀夫の生涯についての映画であり、2025年東京国際映画祭にて初めて日本の映画館で正式上映された『MISHIMA』を経由しつつ色々と語ってみました。
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こちらの感想戦では、1週間の準備期間の中で3〜4冊の本を読み、特集に使える部分を抽出して感想を組み立てていく、という作業の難しさについての、キムラによる率直な吐露から始まります。名作と呼ばれる作品が持つ圧倒的な力は、しばしば読者に「これは私について書かれている」という強い実感のみを残します。しかし、その実感から離れない限り、その先を見ることは叶いません。一歩引いて自分自身の読みを持ち帰るためには、「誰もが同じように“私について書かれている”と感じている」という事実に気づく必要があります。そのとき初めて、自分が強く共鳴した箇所が、単なる個人的な感情ではなく、社会的な問題として共有されうる強度を持つものであることが明らかになるのです。
具体的な事柄は抽象的に、抽象的な事柄はできる限り具体的に。こうした往復運動を繰り返し、視点をずらし続けることで、自己や他者に対して無自覚に向けていた過剰な信頼が剥がれ落ち、そのままの自分やあの人、社会が立ち現れる。その動作こそが、いわば過剰接続の方法であり強みである、ということができるかもしれません。
この音声内では
・対談集は、対談者同士の間で共有されている前提が省略されたまま話が進行するため一見読みやすいように思える反面で、実際には非常にハイコンテクストであり、そこで語られていたことを用いてさらに何かを語ろうとすると案外扱いづらいのではないか。
・最近、ハチワレ『喜びがない…』状態にあるキムラ。乃木坂共同体論から距離を取りつつも完全には離れられずゾンビ状態となり、乃木坂46や遠藤さくらからセロトニンを得られなくなり、コンテンツ過剰接続&倍倍FIGHT!に埋もれたドパガキ状態で快楽物質をドバドバ出しているキムラは、どこへ向かうのか。元乃木坂メンバーが国政選挙に出馬した時、オレたちは果たして投票してしまうのか。
・怒りの感情が生起したときには、自分の中の不完全さが露出しているか、あるいは何らかのフィルターバブルの内部にいる可能性をまず疑うべきだ、という究極のメタ認知について。自分が怒りを覚えることは全て自分が間違っていると一旦思って考え直してみる、この極端ともいえる反省の主体を徹底することで初めて誰の人生も本当に肯定しながら自分の人生にも向き合うという態度を獲得できる。
などが話されています。名作は射程の広さを担保してくれるし、時事的な話題は今語ることの必要性を担保してくれるし、この特性を把握したうえでどう特集を編むかがミソだなと、今回気づけました。本編でも、この感想戦でも、次の特集は次の特集は〜って言ってるんで気になる人は次回もチェック!
【感想戦】特集:ドパガキ「『MISHIMA』とオタク敬具」(63分)
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