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【感想戦】「藤本タツキと『ブレイキング・バッド』」(映画的という矢の的(まと)に当てることの難易度と楽しさ)

 特集:映画的「藤本タツキと『ブレイキング・バッド』」回の感想戦になります。今回はこの感想戦も前後半に分かれています。前半(51分)では、主に劇場版『チェンソーマン レゼ編』の感想と映画館という場について語っています。そして、後半(62分)では直近に公開された『ワン・バトル・アフター・アナザー』の感想と、特集:映画的の感想でリスナーから寄せられた”映画的”に対する応答を行っています。そして、その応答として書かれた『【記事】「映画的」という的(まと)』に至るまでの思考と、文章の自己解説を行っています。合計すると113分、さらに映画的について話していることになりました。

本編まだ聴いてないよ〜って人はこちらから↓

前半では
・『なぜ働いていると映画しか観れなくなるのか?』、マキマさんは典型的な社会に疲れ映画館へとゾンビのように足を運ぶシネフィル。4本映画を見るよりも、3本見て2時間感想戦をした方がいいし、映画館で1日2本も見れば充分すぎるので残りは他の娯楽(美術館、読書、アウトドア)を。

・映画館が公共性を持った場であるという当たり前のことについて。映画館で横の人の挙動が気になるぐらいならVRヘッドセットを被って映画を観よう!VRを用いると自宅でIMAXサイズで映画を快適に見ることが出来ます。

・映画において避けて通れない濡れ場について。『チェンソーマン レゼ編』でレゼの乳首が描かれていなかったことによる違和感が、この映画を徹底的に”映画的”ではなくしていたのではないか?(本気で言ってますよ!本編にも入れたいぐらいだったけどメンバーシップの方だけで!)

後半では
・『ワン・バトル・アフター・アナザー』の感想。この映画は、右を腐すでもなく、右も左も腐すでもなく、ただノンポリなのではないか? 純粋なアクション映画として『ジョン・ウィック』的なものだとすれば、これらの優れたアクション映画と比べて、アクションが撮れていないことになるという話(70点〜80点を付けた映画は謎にずっとここが惜しかったという角度で語ることになってしまう...)

・コンテンツ過剰接続に寄せられた(ハッシュタグや宇野惟正さんのスペースで言及されていた)“映画的”という概念への応答から考えたこと。自身の映画における鑑賞態度への理解が深まり、そして反省会へ。その反省から『【記事】「映画的」という的(まと)』が書かれたという経緯。

・今回『【記事】「映画的」という的(まと)』のnote記事を、Googleドキュメントで二人で音声を交わしながら同時編集してみたところ、体験としてかなり革命的だったので熱く語る!執筆時に互いが編集の眼を持ちながらも書き手として動くことで、より良い文章が生まれた手ごたえがあった。ドゥルーズ=ガタリの共著(常に密に会話を交わしながら書くという運動)も、きっとこんな感じだったのではないか。

などの話が展開されています。漫画家が行う“サンプリング”は、週刊連載の締切に追われる中で、その時たまたま観た映画を自分の創作のインスピレーションやネタにする手段であり、週刊連載に忙殺されながらもインプットへの意志を示すという意味で、良いスパイスになっていました。漫画にはまだその芳醇な猥雑さが許されています。しかし、続々と映画化し特大のヒットをしていく中で“映画”というフォーマットとしか認識できなくなった時、その猥雑さに対して映画的な眼を向けられているのかもしれません。その成長痛を超え、芸術様式としてのサンプリングの確かさを獲得した時、そのアニメ長編はどのような形で映画として立ち現れるのでしょうか?もう少しでその瞬間は訪れ、私たちはその場に立ち会うこととなるでしょう。それではお聴きください。

(前半)『チェンソーマン レゼ編』と映画的(51分)

(後半)『ワン・バトル・アフター・アナザー』と映画的  ~対話篇~(62分)

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