【別冊】映画『炎上』感想戦ーー広告と映画、その狭間
私はこーへです。みなさん映画『炎上』観ましたか?

”トー横”を舞台にした青春群像劇ということで、勿論りりちゃんウォッチャーの僕たちも観てきました。先に結論を述べておくと60分に渡ってどうこの映画が良くなかったかを語り続けることになった訳ですが、それをいつものように箇条書きにして、こんな感じのことを音声内では話しています!なんてしてもしょうがないなと思いました。そもそも、この作品を楽しんで感想でも読もっかな~と訪れた人に、否の部分を延々と書き連ねても仕方がないですから。それに今の世は、批判をつらつら表で発信して不機嫌さを発露したってしょうがないです。まぁ、そんな見たくないものはできる限り視界に入れたくない。そういった磁場でもってトー横キッズなる存在が生まれ出たといっては、流石に過言でしょう。
しかし、世の中の流れには、いつだって従う方が得策です。ということで、この映画で唯一良かった点についてここに書き記すことにします。唯一良かったということで、良かったのはその一点のみです。「炎上」観たけど自分はノレナカッタな…でもあの人は良いって言ってる…とモヤモヤしちゃってる人とか、僕らがこの映画をどう観てどのような感想を抱いたかを知りたい人(まぁそんな人は既にメンバーシップに入ってますよね?)、案外よくなかった映画評の方が人は饒舌になり案外良いことを言っちゃうんだよなぁってことを知っている映画ギャングの方は是非このペイウォールを潜って、この業火に焼かれてください。本編でもお届けしたように、三島由紀夫『金閣寺』を読み、どうにか手に入れて映画『MISHIMA』を観ることをまずはおすすめします。そこでは生きることのままならなさがアヴァンギャルドに、映画的に表現されています。
この映画で唯一良かったのは、リスを埋葬するために皆が一列になって墓地を横切っていく姿を、背後の高層ビルごと遠巻きに捉えたシーンです。田舎の伝統的な葬列を思わせるその列を、高層ビル群を背にした東京の風景のなかに置くことで、この都市の内部にも、生と死、そしてそれを弔うための時間が確かに存在していることが可視化されていました。
東京という都市は、死の存在を意識しないまま暮らせるようにできています。ミニマリストがコンセントを隠したがるように、都市もまた負のエネルギーを帯びた場所を隠蔽しようとする。けれど実際には、墓地は案外すぐ近くにある。いや、そもそも寺院を中心に人が住み着き、そうして都市が生まれてきた場所も少なくないでしょう。にもかかわらず、今となってはその周囲だけが、繁華街や幹線道路のすぐそばにあっても、どこかひっそりとしていて、開発の速度から取り残されたような空気を残しています。
僕は以前UberEatsをやっていたこともあり、真ん中を二輪車と歩行者が通行できるタイプの墓地を突っ切って、お腹を空かせている生者に食べ物を運んでいました。その時、やはり少しひんやりとする。人は生きている限りお腹が空く。それが生きている人間なんだなと、その時、思いました。
トー横キッズたちは、家族や地域といった従来の共同体から切り離されたいと願いトー横にいる。それでもなお、誰かの死に対して列をなし、歩みを揃えている。その姿は、高層ビルを背景にすると、まるで蟻のようにちっぽけに見える。けれど、だからこそ逆に、彼らが逃れようとしているはずの因習的な共同体の形式、すなわち葬列へと立ち返ってしまうことの重みが際立つのだと思います。人はどこまでいっても共同体という幻想を信じたいし、それがあまりにも基礎的なコードであるからこそ、そこにぽっかりと穴が空くことは、そのまま人間社会からの孤立へとつながってしまう。ぼくらは歪な関わりでも交わりを求めています。
生きてるってなんなんでしょうね?ぼくら人と交わらないと何もできないし、人と交わらないと映画だって撮れないですもんね。そんな感じで、最後に映画を撮るのってむずかしいだろうな~って話もしています。
2015年、僕は心も体もボロボロだった。映画を諦めて10年以上がさらっと過ぎた。毎日嘘ばかりついてストレスで限界だった。そんなとき偶然NATURE DANGER GANGのライブに遭遇した。ああありたいと思った。で会社を休んで映画を撮った。NATURE DANGER GANGがいなかったら僕は映画を撮っていないだろう。
— ナガヒサ makoto nagahisa (@nagahisa) April 19, 2023
生きてるってなんだろ 生きてるってな~に?
映画『炎上』感想戦ーー広告と映画、その狭間(音声68分)
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