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「幸せな一年だった」というひと言が、何度も思い返される

大晦日の夜、寝る前のことでした。
元不登校の娘が、笑顔でこう言いました。

「幸せな一年だった」

胸の奥がぎゅっとして、思わず涙が出そうになりました。

娘が「幸せ」という言葉を口にしたのは、これで二回目です。

一回目は、高校一年生のとき。
文化祭の準備で先輩や同級生たちと一緒に作業をして、制服をペンキまみれにして帰ってきた日の翌朝でした。

「キラキラした青春…幸せ」

そう言って、初めて「幸せ」という言葉を娘の口から聞いたのです。


一番しんどかった、中学三年間の不登校

母親として一番しんどかったのは、中学三年間の不登校です。

どう関わればいいのかもわからず、時間だけが過ぎていきました。

不登校から一年以上経って、起立性調節障害であることがわかったのです。

その後、高校に進学しましたが、決して楽になったわけではありません。


「また起きれなかった」と泣いた朝

娘が中学校卒業のタイミングで、私は仕事を辞めました。

そのおかげで、初めて見ることになった光景があります。

それは、学校に行けない朝、布団の中で泣いている娘の姿です。

「また起きれなかった」

その言葉を聞いたとき、ようやく、はっきりとわかりました。

この子は、行きたくないわけじゃない。
行きたいのに、体がついてこないんだ、と。

その気持ちに、嘘はない。
やっと、そう思えました。

それからは、できる範囲で朝起きられるようなサポートをしました。
それでも、休む日の方が多かったです。

なかなか親の思うようにはいきませんでした。


それでも、娘なりに前に進んでいた

登校日数だけを見れば、順調とは言えません。

それでも娘は生徒会に入り、自分なりに考えて、できることを探して動いていました。

当時は余裕がなくて見えなかったけれど、今なら、こう思います。

娘は娘なりに、ちゃんと前に進んでいたんだと。


二回目の「幸せ」は、とても静かだった

そして昨日の大晦日。

特別な出来事があったわけではありません。
何かを達成した日でもありません。

ただ一年を振り返って、娘は「幸せな一年だった」と言ったのです。

その言葉を聞きながら、私は思っていました。

学校に行けた日や、特別な何かがあった日とは、少し違うところからこの言葉は出てきたんだなと。


親にできること

子どもを育てる親は、誰でも我が子の幸せを願います。
不登校の子どもであっても、それは同じです。

どうしたら幸せにしてあげられるんだろうって。

でも、それは多くの場合、親の価値観で思い描く『幸せ』なのかもしれません。

今回、娘の二回の「幸せ」を思い返して、今はこう感じています。

親ができるのは、子どもを幸せにさせることではなく、子ども自身が「幸せ」と感じる瞬間を、急がせず、否定せず、奪わないことなのかもしれません。

遠回りに見えても、止まっているように見えても、子どもの中では、ちゃんと時間は流れている。

昨日の娘の一言は、私にそれを静かに教えてくれたのです。

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かこ@不登校・発達凸凹専門ナース よろしければ応援お願いします!

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