「発達障害が増えた」と感じる本当の理由
最近、発達障害という言葉をやたら聞くようになった気がしませんか?
有名人や一般の方が「実は発達障害でした」と公表する場面を目にすることが、本当に増えました。
その一方で、
「診断されすぎじゃない?」
「診断名に甘えている」
そんな声も耳にします。
この違和感は、決しておかしなものではありません。
「なぜ今、こんなにも診断が増えているのか」
「診断とは、そもそも何のためにあるのか」
その本質を、少し丁寧に考えてみたいと思います。
診断を決めるのは「世間」ではない
インターネットを見ていると、
「アメリカでは普通」
「海外なら発達障害扱いされない」
「医者が簡単に診断しすぎ」
そんな意見も目にします。
ですが、ここには一つ、大きな誤解があると感じます。
診断は、誰かに貼り付けられる“ラベル”ではありません。
そもそも発達の特性は、白か黒か、有るか無いかで切り分けられるものではありません。
・集中しすぎる
・空気を読むのが苦手
・音や光に敏感
・急な予定変更が極端にしんどい
こうした特性は、多かれ少なかれ誰にでもあります。
だからこそ重要なのは、「あなたは発達障害です」と周囲が決めることではなく、
本人が、
・何に困っているのか
・このままではしんどいのか
・助けが必要だと感じているのか
その“事実”です。
診断を受けるかどうかも、その特性をどう言葉にするかも、最終的に決めるのは当事者本人、お子さんが低年齢の場合は保護者です。
「そんなの気にし過ぎ」「そのうち落ち着くよ」と周囲が否定することでもありません。
診断基準は「絶対」ではない
精神科の診断は、血液検査の数値のように、明確なラインで決まるものではありません。
発達障害の診断とは、「その人の中にある欠陥」を探す作業ではありません。
実際にみているのは、「その特性と、今の社会環境との間で、どれだけ支障が出ているか」です。
例えば、
集団生活の中で極端に疲弊してしまう
学校や園で誤解され続け、人間関係が壊れていく
本人は頑張っているのに、結果だけを責められ続ける
こうした状態が続いているかどうか。
さらに、診断基準は文化や社会の価値観にも影響を受けます。
欧米では、「自己主張が強い」「マイペース」は肯定されやすくても、
日本では「協調性がない」「浮いている」と評価されやすかったりします。
社会のルールが変われば、診断の意味合いも変わっていきます。
不登校・発達特性の親が抱える葛藤
不登校や発達の特性をもつお子さんの保護者は、常に相反する感情の間で揺れています。
「この子を守りたい」
でも同時に、
「社会から取り残されないでほしい」
「無理をさせたくない」
でも、
「ちょっとは頑張ってほしい」「甘やかしていると思われたくない」
周囲からは、
「とりあえず学校に行かせることが大事」
「怠けている」
「親がもっと頑張ればいい」
そんな言葉が簡単に投げられます。
けれど実際には、朝、玄関で動けなくなっている我が子を前にして、声をかけるたびに表情が固くなっていくのを見て、「今日は、どこまで踏み込んでいいんだろう」「どう声をかけたらいいんだろう」と悩み続けているんです。
それが、保護者の日常です。
看護師として、母として、私はこの葛藤を「考えすぎ」だとは思いません。
むしろ、ここまで悩んでいるからこそ、子どものことを真剣に考えている証拠だと感じています。
診断名は「整えるため」
「発達障害」という言葉に、抵抗を感じる方も多いと思います。
診断の本当の価値は、その人が「生きやすくなるための手段」を持てるかどうかです。
・必要な配慮や対策を考えることができる
・福祉や支援につながりやすくなる
・「努力不足」ではなく「特性」として理解できる
もし診断を受けることで、本人や家族の負担が軽くなるのであれば、それは決して逃げではありません。
一方で、
「診断は受けたくない」
「ラベルはいらない」
そう感じる人の選択も、同じように尊重されるべきです。
大切なのは、診断を“正解”にすることではなく、その人にとって役に立ち、生活が整うかどうかです。
診断が救いになる瞬間もある
現場では、診断がついた瞬間に安心するお子さんも少なくありません。
「やっと理解してもらえる」という安堵です。
・努力が足りないわけじゃなかった
・わざとやっているわけじゃなかった
・誰が悪いわけでもなかった
診断は、必要以上に自分を責め続けてきたお子さんや保護者の方の力を、少し緩めることができます。
もちろん、診断を受けたからといって、すべてがラクになるわけではありません。
・周囲の理解の壁
・支援を探す大変さ
・制度の使いにくさ
それでも、「一人で抱え込まなくていい場所に繋がれる」
それだけでも、意味はあります。
診断が増えた背景にある「社会の変化」
発達障害の診断が増えたことを、ネガティブに捉える声もあります。
ですが、見方を変えると、これは社会が変わってきた証拠でもあります。
かつては、
不登校=怠け
集団に馴染めない=問題児
空気が読めない=性格が悪い
そう周囲から言われていた人たちが、ようやく「支援の対象」として見てもらえるようになってきたのです。
教育現場でも、「とにかく学校に行かせる」から「その子に合った学び方を探す」に、価値観は変わってきています。
社会全体が、子どもを強制的に適応させる社会から、環境を調整する社会へと、少しずつ移行しているのです。
診断の有無より、大切なこと
発達障害という言葉は、人をラベリングするためのものではありません。
診断があってもなくても、困っている事実は同じです。
大切なのは、「診断がついたかどうか」ではなく、
・その人が何に困っているのか
・周囲はどう関わっていけばよいか
・どんな環境調整があれば今よりラクになるのか
そこに、どれだけ目を向けられるかです。
「診断」は、誰かがひとりで抱え込まなくてすむようにするための、ひとつの手段です。
少しでも「生きやすい選択」を重ねていける社会であること。
そのために、私たちは今、何を大切にするのか。
それが問われているのかもしれません。
悩んだり迷ったりしたときには、こちらのLINEからいつでもお声かけくださいね。

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