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優しさが、少し負担になっていた

「優しいね」

そう言われるたびに、
少しだけ複雑な気持ちになることがある。

もちろん、悪い意味ではない。

でもその言葉の裏で、
自分がどれだけ無理をしていたかを、
自分だけは知っているから。

本当は疲れていたのに、
空気を壊さないように笑ったり。

断りたかったのに、
申し訳なくなって引き受けたり。

嫌な気持ちになったのに、
「まあいいか」で飲み込んだり。

そういう小さな我慢を、
“優しさ”として続けていた時期があった。

優しさは、静かに体力を使う

優しい人は、
たぶん人よりも多くのことに気づく。

相手の表情。
声のトーン。
場の空気。
言葉にされなかった感情。

だから自然と、
「相手が嫌な気持ちにならないように」
を考える。

それ自体は、
すごく素敵なことだと思う。

でも、
その感覚をずっとONにしていると、
少しずつ疲れてくる。

人に合わせ続けることは、
思っている以上にエネルギーを使う

しかも厄介なのは、
“いいこと”として扱われやすいところ。

頑張りすぎていても、
周りからは「気が利く人」に見える。

無理していても、
「優しい人」で終わってしまう。

だから、
自分でも限界に気づきにくい。

「嫌われたくない」が混ざっていた

あとになって気づいたけれど、
あの頃の優しさには、
少しだけ“不安”が混ざっていた

嫌われたくない。
面倒な人だと思われたくない。
空気を悪くしたくない。
ちゃんとして見られたい。

そんな気持ちが、
行動の奥にずっとあった。

もちろん、人間関係の中で
気を使うこと自体は自然だと思う。

でも、
「自分を守るための優しさ」 が増えすぎると、
だんだん苦しくなる。

優しさなのに、
安心できない。

優しくしているのに、
疲れていく。

それはたぶん、
相手より先に、
自分を置き去りにしていたからだと思う。

優しい人ほど、「我慢」に慣れている

優しい人は、
我慢が上手だったりする。

だから限界まで耐えてしまう。

少しくらいなら。
自分が飲み込めばいい。
波風を立てるよりマシ。

そうやって、
気づかないうちに蓄積していく。

でも、
感情は消えていない

見えない場所で、
ちゃんと疲れている。

ある日突然、
全部しんどくなることもある。

人付き合いが重くなったり。
LINEを返せなくなったり。
誰にも会いたくなくなったり。

それは冷たい人になったわけじゃなくて、
たぶん、
ずっと頑張りすぎていただけなんだと思う。

優しさは、本来もっと自然なものだった気がする。

無理をしてまで続けるものではなくて。

自分を削って証明するものでもなくて。

もっと静かで、
もっと安心できるものだった。

自分にも少し優しくしてみる

最近は、
全部に応えようとするのをやめている。

疲れている日は、
ちゃんと距離を取る

返事を急がない。
無理な予定は入れない。

少しだけ、
「自分はどうしたいか」を先に考える。

最初は少し怖かった。

冷たい人になる気がしたから。

でも実際は逆で、
余白ができたぶん、
前より自然に人に優しくできるようになった。

無理して作った優しさより、
余裕の中から出てくる優しさの方が、
たぶん長く続く

優しさをやめる必要はない。

ただ、
自分まで消耗しなくていい

それだけでも、
人との関わり方は少し楽になる気がしている。



「喫茶あい」の自己紹介記事はこちら。

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