何者かになりたかった頃の話
昔の私は、
「何者かになりたい」と思っていた。
有名になりたいという意味ではない。
ただ、今のままではない
何かになりたかった。
人より秀でた才能を持つ人。
胸を張って語れる仕事をしている人。
誰かに憧れられるような人。
そんな存在に、
どこかで強く憧れていた。
当時の私は、
自分がまだ何者でもない
ような気がしていたのだと思う。
だから本を読んだ。
勉強もした。
新しいことにも挑戦した。
未来のどこかに
「本当の自分」が
待っている気がしていた。
特別な人生への憧れ
若い頃は、人生には
大きな物語があると思っていた。
いつか運命的な出来事が起きる。
いつか大きな成功をつかむ。
いつか理想の自分になる。
そんな未来を想像していた。
もちろん、
それ自体は悪いことではない。
夢を持つことは
人生を前へ進める力になる。
ただ、その一方で
今振り返ると思うことがある。
当時の私は、
今ここにいる自分を
少し軽く見ていたのかもしれない。
未来の自分ばかり見て、
現在の自分にはなかなか
満足できなかった。
人生は思ったより普通だった
年齢を重ねると、
少しずつ現実が見えてくる。
努力してもうまくいかないことがある。
才能だけではどうにもならないこともある。
理想通りにならないこともたくさんある。
そして気づく。
人生の大半は、
特別な瞬間ではなく
普通の日々でできている。
朝起きる。
仕事をする。
ご飯を食べる。
誰かと話す。
家に帰る。
そんな繰り返しだ。
若い頃の私は、
その普通を退屈だと思っていた。
でも今は少し違う。
普通の日の中に人生がある
旅行の思い出は確かに残る。
大きな成功も嬉しい。
でも人生を振り返った時、
本当に思い出すのは何だろう。
家族と食べた夕食。
友人との何気ない会話。
雨の日の帰り道。
休日の静かな朝。
そういう場面だったりする。
特別な一日よりも、
何気ない一日の方が圧倒的に多い。
そして人生は、
その何気ない日の
積み重ねでできている。
自分を証明し続けるのは疲れる
何者かになりたいと思う気持ちは、
時として自分を支えてくれる。
でも同時に、
自分を追い込むこともある。
もっと成果を出さなければ。
もっと評価されなければ。
もっとすごくならなければ。
そんな思いに縛られると、
今の自分を認めることが難しくなる。
どこまで行っても満足できない。
どこまで行っても足りない。
そんな状態になってしまう。
「何者かになる」ことより、
「自分として生きる」ことの方が
難しいのかもしれない。
最近はそう思うようになった。
自分という存在は意外と完成している
昔は、自分は未完成だと思っていた。
だから何かを足そうとしていた。
知識。
経験。
肩書き。
実績。
もちろんそれらは大切だ。
でも今は少し考え方が変わった。
人は何かを足して
完成するわけではない。
最初から自分という存在として、
ある程度完成している。
その上で経験を重ね、
少しずつ形を変えていくだけ
なのかもしれない。
だから焦らなくてもいい。
誰かになろうとしなくてもいい。
自分以外の何者かになることは、
結局できないのだから。
最後に
何者かになりたかった頃の自分を、
今でも嫌いではない。
その気持ちがあったから
学び、挑戦し、
ここまで来られた。
ただ今なら、
当時の自分にこう言うと思う。
そんなに急がなくていい。
そんなに証明しなくていい。
人生は思ったより普通だ。
でも、その普通の中には
意外とたくさんの豊かさがある。
コーヒーを飲みながら
過ごす午後も。
誰かとの何気ない会話も。
静かな帰り道も。
そういう時間を
大切にできるようになった時、
人は少しだけ楽になれるのかもしれない。
「喫茶あい」の自己紹介記事はこちら。
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